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永田町

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日本 > 東京都 > 千代田区 > 永田町
永田町
画像左側が永田町一丁目、右側が永田町二丁目である(参議院通用門前交差点)
画像左側が永田町一丁目、右側が永田町二丁目である(参議院通用門前交差点)
日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
人口
2011年(平成23年)1月1日現在)
 • 合計 372人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
100-0014

永田町(ながたちょう)は、東京都千代田区南端の町名国会議事堂を中心に内閣総理大臣官邸(首相官邸)衆議院議長公邸参議院議長公邸、諸政党の本部などが立地し、隣接する霞が関とともに日本の国家中枢機能が集中する。永田町一丁目と永田町二丁目がある。

郵便番号は、100-0014。一部のビルなどでは、特別な郵便番号が設定されている。人口は372人。(2010年12月1日現在、住民基本台帳人口による[1]。内訳は一丁目19人、二丁目353人。)

沿革

地名は、江戸初期に永田姓の屋敷が並んでいたので一帯が「永田馬場」と呼ばれたことに由来する。その後、江戸城に近いことからさらに大名屋敷が建ち並ぶようになり、江戸末期に暗殺された井伊直弼をはじめとする多くの大名屋敷があった。2003年の旧首相官邸改築工事の際には村上藩内藤家の屋敷跡が発見されている。

明治時代には陸軍省などが置かれていて、当時「永田町」といえば参謀本部を指す言葉であった。大正に入り、1923年関東大震災を機に現在の霞ヶ関地区の区画再編が行われ、北大路魯山人が星岡茶寮を借り受け「美食倶楽部」の拠点とし、また都立日比谷高校(当時の府立一中)がこの地の「たばこ王」 村井吉兵衛の邸宅跡に移転してくる。

1936年に国会議事堂が完成すると一挙に政治中枢が集中し、「永田町」は「政界」の代名詞になっていった。

東京オリンピックに向けての道路(国会通り)拡幅前は国会議事堂横に民家が数軒存在した。

施設・建造物

掲載されているのは一部である。

交通

脚注

  1. ^ 千代田区区民生活部総合窓口課"町丁別年齢別人口(平成22年12月1日現在)"(2010年12月16日閲覧。)

関連項目

外部リンク