日本外国特派員協会
団体種類 | 社団法人 |
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設立 | 1945年11月 |
所在地 |
東京都千代田区有楽町1-7-1 有楽町電気ビル北館20階 |
法人番号 | 8010005003667 |
主要人物 | 会長 ジョージ・バウムガルトナー |
活動地域 | 日本 |
活動内容 | 日本に駐在する外国人特派員やジャーナリストに対するニュースの蒐集、配信の便宜、講演会、討論会や記者会見等の開催運営 |
会員数 | 約1900人 |
ウェブサイト | http://www.fccj.or.jp/ |
外務省所管特例民法法人 |
社団法人日本外国特派員協会(にほんがいこくとくはいんきょうかい、英: The Foreign Correspondents' Club of Japan/FCCJ)とは、日本に派遣されている外国報道機関の特派員及びジャーナリストのために運営されている社団法人の会員制クラブである。
概要
設立
1945年11月に、第二次世界大戦の終結後に日本を占領下に置いていた連合国軍司令官のダグラス・マッカーサー元帥の命令によって、連合国および中立国の記者、ジャーナリスト向けのプレスクラブとして第一生命ビル内に設立され、連合国による占領期間の終了後の1954年11月に外務省所管特例民法の社団法人として認可された[1]。
活動内容
現在は、日本に派遣されている外国報道機関の特派員及びジャーナリストを中心とする会員に職業上の便宜を与えると共に会員相互間の友好親睦を図ることを目的に、日本に駐在する外国人特派員やジャーナリストに対するニュースの蒐集、配信の便宜、取材のための講演会、討論会や記者会見等の開催運営などを行っている。
所在地は東京都千代田区有楽町電気ビル北館で、同ビルの2フロアを占める館内には会員向けの記者室や図書館、レストランやバーも併設されている。また、会員は貸し切りパーティーなどを開催することもできる。
施設
館内には下記の会員専用施設がある。
従業員の殆どが英語、もしくはそれ以外の言語に堪能である。また、館内では無線LANが使用できるほか、コピー機やPC用電源なども用意されている。
会員
「正会員」、「プロフェッショナル/ジャーナリストアソシエート会員」、「アソシエート会員」、「外交官アソシエート会員」など複数の会員資格がある。いずれの会員資格も入会審査と会員2名による推薦が必要であるが、会員の国籍は問わないうえに、「日本記者クラブ」や、公的機関に置かれている「記者クラブ」とは違い、フリーランスのジャーナリストや雑誌記者の入会、加盟も可能である。
2006年現在で「正会員」と「プロフェッショナル/ジャーナリストアソシエート会員」が合わせて約300人、「アソシエート会員」や「外交官アソシエート会員」が約1600人の、約1900人の会員がいる。また、90日以内の短期で日本を訪問し活動するジャーナリストのための「ゲスト会員」制度もある。
主な活動
主催会見
週1-2回程度、内外の政治家や実業家、文化人やスポーツ選手など様々な人物を招いて会員向けに主催会見を行っている。なお会見は会見者の母国語や日本語、英語で行われ英語以外の言語で行われる際は英語の通訳がつく。質問を受ける人物は、英語を一言は話さなくてはならないというルールがある。会見には会員のみが出席可能である。
招待される人物はその国籍や職業、所属母体や政治信条を問われず、また日本の大手メディア(報道)では取り上げられないような人物も招かれることも多い。また、日本記者クラブや各記者クラブに所属しているような日本の大手マスコミの記者ではなく、会見者とのしがらみのない外国人記者が会員の多くを占めることから、日本の大手メディアではタブー視、もしくは躊躇される質問も行われることが多いのが特徴で、その質疑内容が会員らによって諸外国のメディアに伝えられた結果、内外に大きな影響を及ぼすこともある[2]。
著名な例としては、1974年10月に月刊誌「文藝春秋」上でジャーナリストの立花隆により資金問題を追及された田中角栄首相が、同月22日に主催会見に招かれた際に会員記者からの質問攻めに逢い、その模様が国内外のメディアに流された結果、それまで田中首相の資金問題について取り上げることに躊躇していた日本の大手メディア(新聞やテレビ、通信社)も、資金問題を大っぴらに報道するようになった結果を呼んだと言われている[3]。なお田中はこの時の資金問題追求による首相退陣から2年後の1976年にロッキード事件において逮捕、起訴された。
過去に招待された人物
(一部、あいうえお順)
イベント
会員の知識向上や親睦、日本の文化や経済、習慣への理解促進を目的に、内外の専門家を招いた勉強会や国内プレスツアー、各種パーティー、内外の映画上映会や演奏会、きき酒会やワイン会など様々なイベントを行っている。
その他
- シンボルは「剣の上に交差し重ねられたペン」。「ペンは剣に勝れり」から。
- 日本においてソビエト連邦の「ノーボエ・ブレーミヤ」誌の特派員の名目でKGBのスパイとして活躍していたスタニスラフ・A・レフチェンコは、亡命後に書した著書『KGBの見た日本』の中で「日本外国特派員協会には各国の諜報機関関係者がたむろしていた」と記している[4]。
出典
- ^ 外務省所管特例民法法人一覧
- ^ 朝日新聞グローブ
- ^ 「秘密のファイル CIAの対日工作」P.346-347 春名幹夫 共同通信刊
- ^ 『KGBの見た日本』P.120 スタニスラフ・A・レフチェンコ著 日本リーダース・ダイジェスト刊
関連項目
外部リンク
- FCCJ:The Foreign Correspondents' Club of Japan - 日本外国特派員協会公式サイト