日本人のノーベル賞受賞者

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2010年ノーベル化学賞には鈴木章(左)と根岸英一(中)が選ばれた。

「日本人のノーベル賞受賞者」(にほんじんのノーベルしょうじゅしょうしゃ)では、今までにノーベル賞を受賞した日本人の一覧を掲載する。受賞対象となった研究成果を挙げた時に日本国籍でありながら受賞時点で日本国籍を喪失していた受賞者や、参考情報として日本にゆかりのある受賞者も含めて掲載する。

解説

日本人が実際に受賞したのは、第二次世界大戦終結後の湯川秀樹が初めてであり、敗戦直後の日本国民に大いに自信を与えたという。2015年現在、日本は非欧米諸国の中で最も多い24名の受賞者を輩出しており、このうち2名が受賞時点で外国籍を取得していた。21世紀以降、自然科学賞部門の国別で日本は米国に続いて世界第2位のノーベル賞受賞者数を誇る。

学歴

現時点での受賞者は、帝国大学とそれを前身とする大学の出身者が多数を占めている。白川英樹東京工業大学)・下村脩(旧制長崎医科大学附属専門部)・中村修二徳島大学)もおり、学部では全員が国立大学卒業生である。ただし出身大学院では、山中伸弥神戸大学)は修士・博士課程が公立の大阪市立大学大村智山梨大学)は修士課程が私立の東京理科大学である。

所属

受賞者の多くが大学教授などの研究者である中、1973年昭和48年)に民間企業 (IBM) の技術者であった江崎玲於奈が物理学賞を受賞。2002年平成14年)に民間企業(島津製作所)の技術者であった田中耕一が化学賞を受賞。2014年(平成26年)に青色LEDの開発で赤崎勇天野浩と共に物理学賞を受賞した中村修二も、民間企業(日亜化学工業)在籍時の青色LED商品化が理由となった。

受賞を逃した人物

日本人としては、第1回から北里柴三郎野口英世などが候補に挙がっていたが、受賞はしなかった。北里に至っては、共同研究者であったベーリングが受賞したにも拘らず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。

山極勝三郎市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与された[1][2]

世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した[3]

1970年大澤映二北海道大学理学部化学第二学科助教授(当時)はフラーレン (fullerene C60) の存在を理論的に予言したものの、英語論文にせず邦文でのみ発表したため、1996年のノーベル賞を逃し、この顛末は当時のネイチャー(第384号、96年12月26日発売)にも掲載された[4][5]

1998年スーパーカミオカンデニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した戸塚洋二も有力なノーベル賞候補と目されていたが、2008年に死去した。日本人の受賞確率が低くなっている要因として、一次選考でノーベル委員会が研究者や過去受賞者に呼びかける推薦状の返信率が、他国と比べて非常に低いことが指摘されている。ノーベル委員会委員が来日した際、この点に苦言を呈している。

2015年現在、経済学賞を受賞した日本人、ノーベル賞を受賞した日本人女性はいない。

受賞者の学歴

学部卒業時点の大学別受賞者数(旧制専門学校含む)

自然科学系
大学名 物理学賞 化学賞 生理学・医学賞 合計
北海道大学 0 1 0 1
東北大学 0 1 0 1
埼玉大学 1 0 0 1
東京大学
(東京帝国大学を含む)
3 1 0 4
東京工業大学 0 1 0 1
山梨大学 0 0 1 1
名古屋大学 3 0 0 3
京都大学
(京都帝国大学を含む)
3 2 1 6
神戸大学 0 0 1 1
徳島大学 1 0 0 1
旧制長崎医科大学附属専門部
(現・長崎大学
0 1 0 1
合計 11 7 3 21
人文科学系
大学名 文学賞 平和賞 経済学賞 合計
東京大学
(東京帝国大学を含む)
2 1 0 3
合計 2 1 0 3

修士号・博士号を授与した大学別の受賞者数

受賞時の博士号取得者は2015年時点で受賞者中19人である。内3人が米国の大学で博士号を取得している。また、3人が日本国外の研究機関在籍中の受賞である。

自然科学系
大学院 修士 博士
北海道大学 1 1
東京理科大学 1 1
東京大学
(東京帝国大学を含む)
2 6
東京工業大学 1 1
名古屋大学 3 5
京都大学
(京都帝国大学を含む)
2 2
大阪市立大学 0 1
大阪大学
(大阪帝国大学)
0 1
徳島大学 1 1
ペンシルバニア大学 0 1
ロチェスター大学 0 1
カリフォルニア大学サンディエゴ校 0 1
  • 小柴昌俊は東京大学とロチェスター大学から博士号を授与されているため人数が重複している。
  • 大村智は東京大学と東京理科大学から博士号を授与されているため人数が重複している。
  • ノーベル賞受賞を受けて田中耕一に対して東北大学から名誉博士の称号が贈られている。

日本における賞金にかかる所得税の扱い

日本人がノーベル賞受賞に際して受け取った賞金は、所得税法第9条13号ホに基づき、経済学賞を除き非課税となる(「ノーベル基金から支出される賞金」と規定されており、スウェーデン国立銀行から賞金が支出される経済学賞は同法第9条13号の対象外で同法第9条第13号ヘの財務大臣の指定[6]も受けていないため課税対象)。これは湯川秀樹がノーベル賞を受賞した時、賞金に課税されることに世論の反発が起こり、1949年11月24日に、「贈与(個人からの贈与及び個人以外のものからの贈与のうち、学術、技芸、慈善その他文化的又は社会的貢献を表彰するものとして交付する報奨金品)を非課税とする」と所得税法が改正された結果である。

受賞時点で日本国籍の受賞者

現職などは各受賞者の記事を参照。

物理学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1949年昭和24年) 湯川秀樹 京都帝国大学理学部卒、理学博士大阪帝国大学
1/1 中間子の存在の予想[7]
1965年(昭和40年) 朝永振一郎 京都帝国大学理学部卒、理学博士(東京帝国大学
1/3 量子電気力学分野での基礎的研究[8]
1973年(昭和48年) 江崎玲於奈 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学
1/4 半導体におけるトンネル効果の実験的発見[9]
2002年平成14年) 小柴昌俊 東京大学理学部卒、ロチェスター大学大学博士課程修了 (Ph.D.)、理学博士(東京大学)
1/4 天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献[10]
2008年(平成20年) 小林誠 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
1/4 小林・益川理論CP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[11]
益川敏英 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
1/4 小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[11]
2014年(平成26年) 赤崎勇 京都大学理学部卒、工学博士(名古屋大学)
1/3 高輝度で省電力の色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]
天野浩 名古屋大学工学部卒、工学博士(名古屋大学)
1/3 高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]
2015年(平成27年) 梶田隆章 埼玉大学理学部卒、理学博士(東京大学)
1/2 ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見[13]

化学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1981年(昭和56年) 福井謙一 京都帝国大学工学部卒、工学博士京都大学
1/2 化学反応過程の理論的研究[14]
2000年(平成12年) 白川英樹 東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学)
1/3 導電性高分子の発見と発展[15]
2001年(平成13年) 野依良治 京都大学工学部卒、工学博士(京都大学)
1/4 キラル触媒による不斉反応の研究[16]
2002年(平成14年) 田中耕一 東北大学工学部卒、工学士(東北大学)、東北大学名誉博士
1/4 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発[17]
2008年(平成20年) 下村脩 旧制長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士(名古屋大学)
1/3 緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献[18]
2010年(平成22年) 根岸英一 東京大学工学部卒、ペンシルベニア大学博士課程修了 (Ph.D.)
1/3 クロスカップリングの開発[19]
鈴木章 北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学)
1/3 クロスカップリングの開発[19]

生理学・医学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1987年(昭和62年) 利根川進 京都大学理学部卒、カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了 (Ph.D.)
1/1 多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明[20]
2012年(平成24年) 山中伸弥 神戸大学医学部卒、博士(医学)大阪市立大学
1/2 様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製[21]
2015年(平成27年) 大村智 山梨大学学芸学部卒、薬学博士(東京大学)、理学博士東京理科大学
1/4 線虫寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見[22]

文学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1968年(昭和43年) 川端康成 東京帝国大学文学部国文科卒、文学士(東京帝国大学)
1/1 伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して[23]
1994年(平成6年) 大江健三郎 東京大学文学部仏文科卒、文学士(東京大学)
1/1 個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩的な言語を用いて現実と神話の混交する世界を創造し、窮地にある現代人の姿を、見る者を当惑させるような絵図に描いた功績に対して[24]

平和賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1974年(昭和49年) 佐藤栄作 東京帝国大学法学部卒、法学士(東京帝国大学)
1/2 非核三原則の提唱[25]

経済学賞

2015年10月現在、ノーベル経済学賞を受賞した日本人はいない。

日本国籍時の研究成果で受賞した元日本国籍の受賞者

物理学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
2008年(平成20年) 南部陽一郎 東京帝国大学理学部卒、理学博士東京大学
素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見[11]
1/2 福井県福井市にて生まれ育ち、東京帝国大学を卒業、東京大学理学博士号取得。ノーベル賞として評価された研究は渡米後のものだが日本国籍の時のものである。その後1970年(昭和45年)に49歳でアメリカ国籍を取得した際に日本国籍を失っており、受賞時にはアメリカ国籍。晩年はイリノイ州シカゴだけでなく大阪府豊中市の自宅にも居住していた。
2014年(平成26年) 中村修二 徳島大学工学部卒、博士(工学)徳島大学
高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]
1/3 愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれの大洲市出身(小学校時代に転居)。徳島大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程修了。徳島県阿南市日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、GaN(窒化ガリウム)の結晶を作製するツーフローMOCVDを発明。同社の青色発光ダイオード製品化に貢献した。1999年に同社を退職し、2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任。軍事関係の研究経費取得の都合から、米国籍を取得[26]

日本にゆかりのある受賞者

化学賞

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
1986年(昭和61年) ファイル:Yuan T. Lee 1-1.jpg 李遠哲 国立台湾大学卒、Ph.D.カリフォルニア大学バークレー校
化学反応の素過程についての研究[27]
1/3 大日本帝国領だった台湾出身の台湾人。幼少時は日本語を話した。旧帝国大学の一つ、台北帝国大学を前身とする国立台湾大学を卒業後、国立清華大学大学院で学び、カリフォルニア大学バークレー校Ph.D.を取得。
1987年(昭和62年) チャールズ・
ペダーセン
デイトン大学卒、S.M.(マサチューセッツ工科大学
高選択的に構造特異的な相互作用をする分子(クラウン化合物)の開発と応用[28]
1/3 大日本帝国の保護国だった大韓帝国東莱郡(現在の大韓民国釜山広域市)にノルウェー人の父と日本人の母との間に生まれ、良夫という日本名も持つ。8歳まで朝鮮で育ち、教育を受けるために長崎県を経て、10歳で神奈川県横浜市に移り、18歳まで同市にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジで学んだ後、アメリカに渡った。後にアメリカに帰化した。

脚注

  1. ^ 「『ガンの山極博士』たたえる」読売新聞1966年10月25日15頁。
  2. ^ Guide to Nobel Prize. Britannica.com. Retrieved on 2010-09-25.
  3. ^ Suzuki, U., Shimamura, T. (1911). “Active constituent of rice grits preventing bird polyneuritis”. Tokyo Kagaku Kaishi 32: 4–7; 144–146; 335–358. https://www.jstage.jst.go.jp/browse/nikkashi1880/32/1/_contents. 
  4. ^ Kagaku 25: 854–863. (1970). 
  5. ^ Yoshida, Z.; Osawa, E. (1971). Aromaticity. Chemical Monograph Series 22. Kyoto: Kagaku-dojin. pp. 174–8 
  6. ^ 所得税法第九条第一項第十三号ニ又はヘに規定する団体又は基金及び交付される金品等を指定する件
  7. ^ The Nobel Prize in Physics 1949”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  8. ^ The Nobel Prize in Physics 1965”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  9. ^ The Nobel Prize in Physics 1973”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  10. ^ The Nobel Prize in Physics 2002”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  11. ^ a b c The Nobel Prize in Physics 2008”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  12. ^ a b c The Nobel Prize in Physics 2014”. Nobel Foundation. 2015年8月24日閲覧。
  13. ^ The Nobel Prize in Physics 2015”. Nobel Foundation. 2015年10月6日閲覧。
  14. ^ The Nobel Prize in Chemistry 1981”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  15. ^ The Nobel Prize in Chemistry 2000”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  16. ^ The Nobel Prize in Chemistry 2001”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  17. ^ The Nobel Prize in Chemistry 2002”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  18. ^ The Nobel Prize in Chemistry 2008”. Nobel Foundation. 2015年8月24日閲覧。
  19. ^ a b The Nobel Prize in Chemistry 2010”. Nobel Foundation. 2015年8月24日閲覧。
  20. ^ The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1987”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  21. ^ The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2012”. Nobel Foundation. 2015年8月24日閲覧。
  22. ^ The Nobel Prize in Literature 2013” (PDF). Nobel Foundation. 2015年10月5日閲覧。
  23. ^ The Nobel Prize in Literature 1968”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  24. ^ The Nobel Prize in Literature 1994”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  25. ^ The Nobel Peace Prize 1974”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  26. ^ “中村教授「物理学賞での受賞には驚いた」 ノーベル賞”. 日本経済新聞. (2014年10月7日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDC07011_X01C14A0I00000/?dg=1 2014年10月8日閲覧。 
  27. ^ The Nobel Prize in Chemistry 1986”. Nobel Foundation. 2015年8月24日閲覧。
  28. ^ The Nobel Prize in Chemistry 1987”. Nobel Foundation. 2015年8月24日閲覧。

関連項目

外部リンク