個人的な体験

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個人的な体験』(こじんてきなたいけん)は、大江健三郎の小説。1964年(昭和39年)に新潮社より発行された。本書は第11回新潮社文学賞を受賞している。

大江健三郎の長男大江光が脳瘤(脳ヘルニア)のある障害者でありその実体験をもとに、長男の誕生後間もなく書いた作品である。主人公の鳥(バード)は、大江健三郎自身を描いたのではなく、同じ境遇にある別人を描いたと大江自身が解説している。主人公は脳瘤とおそらくそれによる脳障害をもつと思われる長男が産まれることにより、出生後数週の間に激しい葛藤をし、逃避、医師を介しての間接的殺害の決意、そして受容という経過を経る姿を描く。

ストーリー[編集]

子供の出生前夜
主人公の27歳の青年、バード)は高校時代には地方都市で喧嘩を繰り返した人間だったが、その後東京のある官立大学の英文学部を卒業し、大学院に入った。彼は学部の教授の娘と結婚し順風だったのだが、もともと酒に沈溺する逃避癖のある性格であり精神的に未熟であった。そして、アルコール依存症により大学院を中途退学、そのまま将来の展望もない予備校の教員をしていた。少年期よりアフリカに行くという夢を持ち続けていたのだが、実社会にて落伍し現実逃避の妄想は現在まで続いていた。鳥は初めての子供が産まれるのだったが、自分に子供を持つという事へも実感に乏しく、むしろかえって自由を失う強迫を持ちアフリカへの逃避がさらに強くなっていた。鳥は夜の盛り場に一人で行き、ゲーム機でパンチ力を試すのだが機械が指し示した体力は40歳相当であった。そのゲーム機の周りにいた不良少年のグループに絡まれ喧嘩をする。
出生と障害児であることの認知
出産のあとに産院に呼び出された鳥であったが、院長達から子供の後頭部に大きなこぶがあり、その中に脳が頭蓋内から飛び出ている脳瘤という病気であること、手術で頭蓋内に脳を収めても生涯植物状態であろうことを告げられる。健常な子供であっても憂鬱だったのであろう鳥は、障害者である子供から受ける自分の人生への影響を想像しきれず強い混迷と絶望に陥る。しかし医師たちは非常に権威的で自らの威厳を保つことに神経を払い、病名、予後、解剖などの話を無神経に残酷に行い、整理のつかない鳥の神経を一層混乱させる。この時の医師たち、義母はまるで子供がみっともなく恥ずかしい存在であるかのように振舞う。医師たちは大学病院に子供を搬送することを決め、妻は一度も子供を見ることなく転院した。義母は妻には絶対に脳の病気であることは告げないようにと念を押す。恩師である義父にも病気の事を告げに行ったが、義父も顔を赤らめ子供の存在を認めない態度を示す。義父、義母、医師の誰も鳥の理解をしてくれる者はおらず、唯一の妻も義母により不幸を共有する事を阻止された。味方のいない鳥はふと大学時代の友人であり赤いスポーツカーに乗る、一人暮らしの火見子の所へ訪れる。
障害児の親となることからの逃避
火見子は鳥の友人だったのだが、嘗て鳥は一緒に酒を飲んだ帰りに犯すようにして屋外で火見子の処女をうばった事があった。火見子はその後結婚したのだが、夫は火見子の「分からない何か」を理由に自殺し、彼女は多くの男性と寝る事で孤独を紛らわしていた。性技の達人となった火見子は恐怖と不安の虜になった鳥の心を性技で解きほぐし、唯一鳥を理解できる存在となる。そして鳥は妻にも会わず子供の面会もわずかに火見子とのセックスへ逃避していった。
鳥はこの時期には、子供を胎内で戦傷した兵士のように可哀想な存在と見ていたが、医師に言われた早い死を信じ、また願っていた。しかし大学病院で担当医に子供の手術と生存の可能性を言われて、急激に自分の将来を破壊する存在に子供が変貌する。担当医はすばやく察して栄養を制限して死を穏やかに迎えさせる秘密の相談をする。鳥は激しく自分を恥じつつも受け入れ、火見子へ逃避していった。そんなある日、火見子の家にレズビアンの相手である大学時代の友人が訪れ、鳥の事情を知り説教をする。彼女も高学歴を持ちながら落伍した人生を送る人間であり、落伍者の他人への当てつけのような説教であったが、「自分で引き取って殺すほうが、他人にゆだねて死を待つより自己欺瞞がない」と言われてしまう。
逃避しつつも仕事に行っていた鳥だが、二日酔いの挙句授業中に嘔吐し、生徒に指弾されて職を追われることになる。一方仕事がなくなったと同時に、旧知の外交官のスラブ人が日本人の愛人を作り愛人宅に潜伏したのを連れ出すよう依頼される。自分の立場よりも愛を選んだスラブ人は、鳥を歓迎しつつも帰ることを拒絶し、最後の対面であろう鳥にスラブ語辞書をプレゼントする。辞書に鳥は何かを書いてくれと頼んだ所、書かれた文字は「希望」と言う意味の現地語であった。
逃避から障害児の親となる事への決意
鳥は脳外科の教授に呼ばれ手術を促されるも激しい拒絶をし、火見子と一緒に子供を大学病院から受け取った。受け取る時に妻が名づけるつもりだった名前「菊比古」を子供に与える。その後、鳥は火見子に彼女の知り合いの堕胎医に医療の形での死を迎えさせるよう依頼する。堕胎医のところに子供を捨てた鳥は、自分の不良時代の後輩でアメリカ兵によりホモセクシャルに目覚めさせられたゲイバーの店主、菊比古に出会う。(鳥は妻に嘗て彼との不良時代をの思い出を語っていたために妻が子供にこの名前を名付けた)火見子は子供を捨てた鳥が妻に絶縁され、自分と一緒にアフリカへ行く事を思い描いていたが、鳥は急激に子供に手術を受けさせるよう思い直す。「正面から立ち向かう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいは彼をひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。初めからわかっていたことだ」と言い、怒る火見子を置いて大学病院に子供を連れ戻す。
(二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ))
子供を手術した所、大きく脳がはみ出ていたのではなかったことが分かった。ただし脳外科教授はそれでも重度の障害者となる可能性は残る事を示唆した。しかし脳外科教授とも家族とも和解する事ができ、自分の将来も意欲をもつ決心をする。教授に対し鳥は「現実生活を生きるということは結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつの間にか、それを拒むほかなくなってしまう」と言う。病院の廊下に数日前ゲームセンターで出会い喧嘩した若者たちが、仲間の誰かの見舞いに来ていたが、かれらは鳥に気づくことなくその場を過ぎ去る。教授は「君がすっかり変わってしまった感じだから」「もう鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」と鳥に言った。

作品評価・解説[編集]

三島由紀夫は、本作について、「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが、それではこの作品はラストだけがわるくて、二百四十八頁までは完璧かといふと、小説はとまれかくまれ有機体であつて、ラストの落胆を予期させるものは、各所にひそんでゐるのである」[1]と述べている。

そして三島は、作中の人物像(デルチェフ、火見子、鳥)に触れ、「このやうな人物像は、大江氏の方法論に背馳してはゐないだらうか? 一般人の側から絶対に理解不可能な人間、しかも鋭い局部から人間性を代表してゐるやうなものを、言語の苦闘によつて掘り出して来ることが、氏の仕事ではなかつたか? かくしてこの小説の末尾には、ニヒリストたることをあまりに性急に拒否しようとする大江氏が顔を出し、却つて人間の腐敗に対する恐怖があからさまにひろがつて、逆効果を呈してゐる。暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか? これはもつとも強烈な自由を求めながら、実は主人持ちの文学ではないだらうか?」[1]と述べている。さらに、「世界史的に見て、わが日本民族は、熱帯の後進国の野蛮な活力に憧れるほど衰弱してゐない筈なので、おそらくアフリカへの憧れは、衰弱したパリ経由なのにちがひない」[2]と述べている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b 三島由紀夫『すばらしい技倆、しかし…―大江健三郎氏の書下し「個人的な体験」』(週刊読書人 1964年9月14日号に掲載)
  2. ^ 三島由紀夫『現代小説の三方向』(展望 1965年1月号に掲載)