小島慶子

半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Report0723 (会話 | 投稿記録) による 2021年1月27日 (水) 01:25個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

こじま けいこ
小島 慶子
プロフィール
出身地 オーストラリアの旗 オーストラリア
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-07-27) 1972年7月27日(51歳)
血液型 B(Rh+)
最終学歴 学習院大学法学部政治学科
所属事務所 株式会社ビッグベン
職歴 TBSアナウンサー(1995年4月 - 2010年6月)
キャスト・プラス(2010年7月 - 2013年7月)
活動期間 1995年 -
ジャンル 報道・情報
配偶者 あり
公式サイト 小島慶子 オフィシャルサイト
出演番組・活動
出演中 後述

小島 慶子こじま けいこ1972年7月27日 - )は、タレントエッセイスト[1]ラジオパーソナリティTBSアナウンサー30期生。自身が発達障害を抱えていることを公表している[2]オーストラリアパース在住[3]。2児あり。趣味は着物、乗馬、ピラティス

経歴

父は商社マン[4]で、赴任先のオーストラリアのパースで出生したのち[5]、3歳で帰国し清瀬市の団地で暮らした。幼稚園にあがる少し前に、団地から東京郊外の新興住宅地の一戸建てに引っ越す[6]。その後再び父親の仕事の都合で、7歳の頃はシンガポール、8歳から9歳の頃は中国返還前の香港と日本国外で暮らした。

小3で帰国し[4]、日野市立三沢台小学校(現・日野市立七生緑小学校)、学習院女子中・高等科へ進学。15歳のとき過食嘔吐を繰り返し、摂食障害を経験した[7][8]学習院大学法学部政治学科卒業後、1995年4月、TBSにアナウンサー30期生として入社(同期には小川知子堀井美香[9][10]。TBS現・TBS放送センター建て替え移転後の最初のアナウンサーにあたる。

身長は172cmと女性アナウンサーとしては高いことから、後輩の小倉弘子とともに「TBSのツインタワー」といわれることがあった[11]

新人のころ、写真週刊誌『FLASH』(光文社刊、1995年10月10日号)のインタビューで「若いうちはバラエティーに、将来は報道を担当したい」と語っていた。入社3年目(1997年11月)に番組宣伝がきっかけで『日立 世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターを務めた。

入社4年目(1998年)の秋、ラジオ番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』の初代ナビゲーターになった。1999年に第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティー部門賞を受賞している[12]

28歳のとき、制作会社ディレクターと結婚[4]。30歳で長男出産[8]。産休が明けた後、『ニュースフロント』、『時事放談』と主に報道番組を担当する。33歳で次男出産[8]。産休が明けた後の2006年10月に、ラジオのレギュラー番組『久米宏 ラジオなんですけど』が始まる。

2009年3月末より『小島慶子 キラ☆キラ』のメインパーソナリティーに就く。

2010年4月3日にTBSを退社。10年前から独立を意識しており、幅広い分野で自らの可能性を追いたいと周囲に述べていたという[13][14]。4月28日の自身の番組内でこの報道を認めて、6月30日をもって退社する旨を告げた。退社後はキャスト・プラスに所属する[15]。キャスト・プラスもTBSの関連会社である。

2013年8月1日、キャスト・プラスからオスカープロモーションに移籍。テレビ制作会社勤務の夫が退職したのを機に、オーストラリアのパースに移住[16]

2019年8月1日、株式会社ビッグベンと業務委託契約を締結した。[17]

人物

学習院女子中・高等科在学中は、21時以降はテレビ厳禁にされていたということから、『三宅裕司のヤングパラダイス』、オールナイトニッポン一部・二部を録音して通学中に聴いていたほどのヘビーリスナーであり、それがラジオパーソナリティとしての原点となる。『伊集院光のオールナイトニッポン』を第1回放送時から聴いていたことがあり、そのことから伊集院光と初めて一緒に仕事した時には感激したという[18]。そして2013年4月から『小島慶子のオールナイトニッポンGOLD』のパーソナリティとして、自分がよく聴いていたオールナイトニッポンのパーソナリティの一人になれたことについて「凄く光栄です」と話した[19]

20代の頃は「女子アナ」に見られることに激しく抵抗して、髪をショートカットにして男っぽい格好をしていた[20]

38歳で水着グラビアに挑戦(2010年10月4日発売分などの『週刊プレイボーイ』)。水着姿披露については、子供と一緒にプールや海へ行く時に着ているので特に抵抗はなかったという(2010年12月下旬発売の『週プレ』にて、小島と同じく異業種から水着グラビアに挑戦した森崎友紀との対談より)。

『キラ☆キラ』月曜レギュラーのビビる大木プロレスのことを語った際、同姓であるプロレスラー小島聡に興味を示し、以後ファンになった[21]

2011年3月11日、東京・赤坂のTBS9階のスタジオから『キラ☆キラ』生放送中に東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。 「マイク、生きてますか」と確認し、激しい揺れの中でリスナーに冷静と身の安全の確保を呼びかけた[22]。震災後は、自らの実生活に基づいた実感を伝えることを信念とした[23]

40歳になった時「40代半ばを過ぎると、女性は髪の毛が痩せて伸ばせなくなる」という話を聞き「人生最後のチャンスと思って」髪を伸ばし始めた。ショートカットだった髪は乳首の下まで伸びて人生最長のロングヘアになった[24]が、43歳の時に「長さと重さを持て余したから」と「面白そうだったから」という理由で髪を20センチ以上切り[25]、ショートカットに戻った。

Qさま!!』のプレッシャーSTUDYで優勝2回、『ネプリーグ』では2016年から2017年にかけて2冠に輝く[26]など、クイズ番組でも活躍している。

日経BPが運営するウェブサイト『日経DUAL』で連載する『小島慶子のDUALな本音』において、40歳を過ぎてから主治医に軽度のADHDと診断されたことを明かした[2]

主義・主張

  • 「同級生にセクハラされたら手を握り、微笑んで『好きな人にしか見せたり触らせたりしないの』と答えるのが聡明な女の子です」「女性が『男はみんな5歳児』だと思って許してあげればすべてがうまくいきます」というメディアで女性が発信した意見に対しては「賛同する女性がいるなら別にいいのでは、と思う男性もいるでしょう。しょせん世の中は男性が回しているのだし、女性は魅力を武器に、したたかに世渡りするのが得策と信じている女性もいるでしょう」と前置きしたうえで、息子たちに、もしも女友達が「女は男を永遠の5歳児だと思えばいい」と言ったらどう思うかを尋ねた。するとその週刊誌の当該記事の掲載時点で11歳だった次男から「僕は5歳じゃないし、失礼な感じがする」と、さらに14歳だった長男から「男性に対してもだけど、女性のこともバカにしていると思う」と、それぞれ意見が出た。小島は「もしそんな友達がいたら、君の意見を伝えて、なぜ彼女がそう考えているのかを尋ねてみるといいよ」と息子たちに語りかけ、そして「私たちは互いをどう扱うべきなのか、対話の中で学びます。家庭や学校で、それは始まっているのです」と締め括った[27]
  • 2016年のある時、ある情報番組でカジノ法案について取り上げた際、画面の下に、「依存症怖いよね。だから生活保護受給者のパチンコは禁止」という視聴者のツイートが流れたが、小島はこれに対して「依存症になる可能性は誰にでもあります。リスクの高い人に対しては適切な対策がとられるべきですが、なぜこのツイートの主はそれを『生活保護を受給している人たち』に限ったのでしょうか。このツイートは、正論を言う体をとって生活保護受給者たちを差別し、バッシングすることが目的です。私は、そうと気づかなかった番組のスタッフには大きな問題があると感じ、生放送でそのように指摘しました」と明かしている[7]
  • サイボウズ社長の青野慶久による選択的夫婦別姓問題訴訟について賛同し、現在の戸籍制度は、非婚化が進みパートナーシップや生き方が多様化した今の日本ではもう無理があるのでは、と述べている[28]

出演番組

テレビ

ラジオ

アナウンサー時代の出演番組

テレビ

ラジオ

広告

書籍

著書

雑誌連載

写真集

脚注

  1. ^ “いじめている君へ”. 朝日新聞デジタル. (2012年8月12日). http://www.asahi.com/special/ijime/TKY201208120222.html 2012年8月17日閲覧。 
  2. ^ a b 小島慶子 40過ぎてADHDと診断され自分知った”. 小島慶子のDUALな本音. 日経BP (2018年7月2日). 2018年8月17日閲覧。
  3. ^ 【小島慶子】オーストラリアに引っ越してみて驚いた! 衝撃なこと5選”. Amp. 株式会社ブラーブメディア. 2016年5月25日閲覧。
  4. ^ a b c 小島慶子、ADHD・摂食障害・夫へのモラハラ発言を経て「出稼ぎ母さん」へ”. 週刊女性PRIME. 2020年9月26日閲覧。
  5. ^ 誰だって波瀾爆笑|2015/06/14(日)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年6月17日閲覧。
  6. ^ 小島慶子. “小島慶子さんがふり返る「発達障害が知られていなかった時代」”. withnews.jp. 2020年9月26日閲覧。
  7. ^ a b 『AERA』2016年12月26日号
  8. ^ a b c 小島慶子が実母との確執語る「母が連絡してくるたびに熱を出していた」週刊朝日 2013年12月13日号
  9. ^ 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。"1995.4<30期生> 3人入社(女3) 小川知子 小島慶子 堀井美香"。 
  10. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、33頁。"95.4<30期生>3人入社 小川 知子 小島 慶子 堀井 美香"。 
  11. ^ “「女子アナ・ウォッチング」第12回~フリーアナウンサー・小島慶子アナ”. リアルライブ. (2012年5月18日). http://npn.co.jp/article/detail/41613754/ 2012年11月25日閲覧。 
  12. ^ 第36回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会 (1998年). 2018年1月26日閲覧。
  13. ^ “TBS小島慶子アナが7月にも退社へ”. 日刊スポーツ. (2010年4月3日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20100403-613552.html 2010年4月3日閲覧。 
  14. ^ “10年前から独立意識…TBS小島アナ、フリーに転身へ”. 夕刊フジ (産業経済新聞社). (2010年4月3日). http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100403/enn1004031533016-n2.htm 2010年4月3日閲覧。 
  15. ^ Twitterでの発言:発言1, 発言2, 発言3, 発言4
  16. ^ ある日、夫が無職に……一家の「大黒柱」になったタレント・小島慶子Newsポストセブン、2014.12.20
  17. ^ 小島慶子(タレント/エッセイスト)クライアント追加のお知らせ2019.11.7
  18. ^ 三才ムックVol.144『ラジパラ』・小島慶子インタビュー(8ページ)より。
  19. ^ “11年ぶり夜登場 小島慶子「光栄」オールナイトニッポン出演”. スポーツニッポン. (2013年3月13日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/03/13/kiji/K20130313005383610.html 2013年3月17日閲覧。 
  20. ^ “女を武器にして成功する方法【小島慶子vs石坂典子 壮絶本音対談1】”. ダイヤモンド・オンライン. (2015年4月24日). http://diamond.jp/articles/-/70144 2016年2月21日閲覧。 
  21. ^ 『小島慶子 キラ☆キラ』の小島慶子さん、ビビる大木さんが小島選手を応援に両国にやって来た! 新日本プロレスオフィシャルWEBサイト” (2010年10月11日). 2010年10月12日閲覧。
  22. ^ 小島慶子 地震時は自分より怖いと感じた人に何いうか考えた”. NEWSポストセブン. 2020年7月1日閲覧。
  23. ^ メディアにかかわる人間として考えたこと━━小島慶子(ラジオパーソナリティ)【作家、野地秩嘉の一行のことば】”. GQ JAPAN. 2020年7月1日閲覧。
  24. ^ “小島慶子 女を生きるよりも、自分を生きるということ。”. cakes. (2015年6月30日). http://ent.smt.docomo.ne.jp/article/22670 2016年2月21日閲覧。 
  25. ^ “断髪式”. WEB DRESS. (2015年11月12日). https://p-dress.jp/articles/1199 2016年2月21日閲覧。 
  26. ^ “小島慶子、インテリ芸能人No.1に輝く…毒舌封印し謙虚に喜ぶ”. スポーツ報知. (2017年1月9日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170109-OHT1T50146.html 2017年1月29日閲覧。 
  27. ^ AERA』2017年7月31日号
  28. ^ 小島慶子「夫婦ありきの戸籍制度は、今の日本でもう無理がある」、AERA、2017年11月25日。
  29. ^ a b c d 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。"小島慶子 R「全国カラオケベスト10(1997)」「アクセス」 TV「おはようクジラ(1997)」「回復!スパスパ人間学」 BSも担当"。 
  30. ^ a b c d 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、33頁。"小島 慶子…R「全国カラオケベスト10(97)」「アクセス」 TV「おはようクジラ(97)」「回復!スパスパ人間学」 BSも担当"。 
  31. ^ 『乃木坂46×小島慶子 [私たちの理想の子育て #1子育てしやすい社会編』] 2018年10月22日 たまひよONLINE

参考文献

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

外部リンク

先代
-
TBS
時事放談 (リメーク版)
アシスタント
初代(2004.4 - 2010.6)
次代
竹内香苗
(2010.7 -)