宮間あや
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名前 | ||||||
愛称 | あや | |||||
カタカナ | ミヤマ アヤ | |||||
ラテン文字 | MIYAMA Aya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1985年1月28日(39歳) | |||||
出身地 | 千葉県山武郡大網白里町 | |||||
身長 | 157cm | |||||
体重 | 49kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 岡山湯郷Belle | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
フッチボールSurf 読売メニーナ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1999 2000 2001-2008 2009 2010 2010- |
NTVベレーザ 日テレ・ベレーザ 岡山湯郷Belle ロサンゼルス・ソル 岡山湯郷Belle セントルイス・アスレティカ アトランタ・ビート 岡山湯郷Belle |
0 (0) 6 (2) 110 (62) 20 (0) 6 (1) 5 (0) 17 (1) 23 (13) | ||||
代表歴2 | ||||||
2003- | 日本 | 110 (27) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年11月20日現在。 2. 2012年4月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
宮間 あや(みやま あや、1985年1月28日 - )は、千葉県大網白里町出身の女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。大網白里町立白里中学校を経て[1]、千葉県立幕張総合高等学校卒。岡山湯郷Belle所属。現在、サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)主将。
略歴
「サッカー小僧」
1985年(昭和60年)1月28日、宮間文夫(現・大網白里町町議会議員)の次女として生まれる。父は、習志野高校時代にサッカーに打ち込み、全国制覇した経験を持ち[2] 、Jリーグになる以前の読売クラブで、与那城ジョージなどとプレーしていた[3]。その父が作ったチームである“ フッチボール Surf ”で、小学校1年の時からサッカーを始める[1]。
小学校5年生の時、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」に応募し、親善大使としてアメリカのサンディエゴでの試合を経験し[4]、日本サッカー協会から派遣されていた、元日本女子代表の本田美登里と出会う。この時、宮間らボールを追う15名の少女たちを見て、本田は指導者の道を目指すことを決意する[5]。
宮間のサッカーの技量は、小学生の時に対戦した現J1柏レイソルの大谷秀和は「あとで聞くまで、女子とは思っていなかった」と振り返る[6] ほどになっていた。
読売メニーナ(→「日テレ・メニーナ」)に所属し、1999年(平成11年)にはNTVベレーザ(→「日テレ・ベレーザ」)への昇格を果たすが、自宅から練習場までの所要時間などが負担となり、幕張総合高校2年生の時に退団[7]。
宮間が進学した幕張総合高校では、八千代高校で羽生直剛(現・FC東京)らを育てた今泉守正(現・JFAアカデミー福島女子ヘッドコーチ)が男子サッカー部を率いていた。今泉は、宮間をただ1人の女子部員として、このサッカー部に迎え入れる。しかし、当時男子チームへの女子の登録は認められていなかったので宮間は公式試合に出られず、そのままでは日本女子代表への招集の機会も逸してしまいかねないジレンマに陥った。
そこで、高校3年になった宮間と関係者が相談した結果、2001年(平成13年)に、本田美登里が率いる岡山湯郷Belleに第一期生として入団。地元の温泉旅館で清掃のアルバイトをしながら岡山でのプレーをスタートさせた宮間は、2008年(平成20年)までチームの主力選手として活躍した。
世界舞台への挑戦
2003年(平成15年)には日本代表に招集され、同年のFIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会に出場。リーグでも敢闘賞を獲得した。翌2004年(平成16年)のU-19アジア女子選手権では主将を務め、また同年のL・リーグ(なでしこリーグ)では17得点を挙げて2部リーグ得点女王と最優秀選手に輝き、翌シーズンの1部昇格の原動力となった。
2004年(平成16年)に大橋浩司が代表監督に就任すると当初はサブとして、後にレギュラーとして試合に出場。最終的には大橋監督在任中に全試合に出場することになった。2007年(平成19年)9月11日、FIFA女子ワールドカップ・中国大会のイングランド戦(中国上海虹口足球場)における直接フリーキックによる2得点は、大きな話題となった[8]。
2007年(平成19年)の日本女子サッカーリーグでは、ベストイレブンと特別表彰「サポーターが選ぶMVP」を受賞した[9]。
2009年(平成21年)に発足した米国WPSのロサンゼルス・ソルに移籍。開幕戦でリーグ創設初得点をアシスト。シーズン通算でもリーグトップタイの6アシストを記録したほか、チーム内で唯一全試合フルタイム出場を果たす[10]など、チームのレギュラーシーズン1位獲得(プレーオフ決勝で敗れて優勝は逃す)に貢献。さらにWPSオールスターズにも選出され、スウェーデンの強豪クラブチーム・ウメオIKとのオールスターゲームに出場した。シーズン終了後の9月には、前所属先の岡山湯郷に一時復帰(レンタル移籍)した。
2010年(平成22年)2月、ロサンゼルス・ソルのWPSからの撤退に伴い実施された分散ドラフトでセントルイス・アスレティカに移籍したが、このチームが資金難の為にシーズン序盤で WPS から脱退。再び行われた分配ドラフトで、この年 WPS に新規加入したアトランタ・ビートに再移籍した。
この在米時代に、ホープ・ソロ、アビー・ワンバック、カミーユ・アビリー、 カリーナ・ルブランなど、欧米の一流選手たちと交流を持ち、今日まで続く友情を深めた。WPSシーズン終了後の9月には古巣の岡山湯郷に完全移籍と、1年間で3チームに在籍した。
黄金の右足
2011年(平成23年)には、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会に出場。フリーキックを決めた初戦のニュージーランド戦と準決勝のスウェーデン戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチを獲得した。
決勝のアメリカ戦では、1ゴール1アシストを記録。アメリカ戦では、後半も残り少ない時間に、左サイドから全力で駆け上がり、相手のこぼれ球をゴールに押し込み、敗色濃厚だった日本チームを再起させた。ネット際の職人技で決めた同点打の後、すぐさまボールを拾い、歓喜する同僚を振り払うかのように帰陣してさらに追加点を狙うその敢闘精神には、畑違いの数学者・藤原正彦さえ賞賛を惜しまなかった [11]。延長戦では先制点を入れられるも、残り時間4分のところで、絶妙なコーナーキックで澤の得点をアシストした。
大会通算では、2ゴール4アシストの活躍で日本の初優勝に大きく貢献し、大会オールスターチームにも選出された。
優勝の行方がPK戦に持ち込まれ、4人目の熊谷紗希がPKを決めて日本優勝が決定した瞬間、意気消沈する旧知のアメリカ選手たちに歩み寄り敬意を表した行為は、スポーツマンシップの模範として世界中から賞賛され、アメリカ女子代表のホープ・ソロと語り合う画像は、FIFA公式サイトでもっとも多い閲覧回数を数える写真の一つとなった[12]。
7月20日、その功績をたたえ、出身地の大網白里町から大網白里町民栄誉賞が授与決定[1]。大網白里町には元々このような賞の制度はなかったが、宮間に贈るために創設されたのが同賞である[13]。8月17日、千葉県から千葉県民栄誉賞を受賞[14][15]。さらに翌8月18日、なでしこジャパンの同僚とともに、国民栄誉賞を受賞。
9月1日、ロンドンオリンピック(2012年)の予選初戦で、格下のタイ相手に控え選手中心に望んだなでしこジャパンが思わぬ苦戦。しかし、後半投入された宮間が通す縦パスとクロスでチームの雰囲気が一新され、2点を獲得して勝利し、「なでしこの司令塔」の存在感を内外に示した。宮間は、「(W杯優勝は)置いておいて、おごることなく、もう1度チャレンジャーとして五輪切符をとりたい」[16] と、試合後のインタビューで答えた。
11月15日、なでしこジャパンの同僚とともに紫綬褒章、11月23日、アジアサッカー連盟の2011年度女子年間最優秀選手賞[17]を受賞。また、11月26日、3年ぶりになでしこリーグベストイレブンに選出された[18]。
ロンドン五輪へ向けて
2011年のFIFA最優秀選手賞(FIFAバロンドール)選考委員会において、宮間が12.18%のポイントを獲得し4位に入った。なお、各国代表の主将や監督及びサッカー専門記者の投票により同賞を獲得した澤穂希自身は、宮間に1票を投じた。
2012年(平成24年)1月3日、BS朝日の番組『勝負の瞬間』の二宮清純によるインタビューに対して、ロンドンオリンピックにおけるなでしこジャパンの勝敗が、日本の「女子サッカーの未来を左右すると思っている」と、その意気込みを語った。また、1月4日、作家の後藤正治(神戸夙川学院大学教授)による年頭インタビューに対して、サッカーに関し、「技術・戦術はとても大切ですが、実力差を超える結果を出しやすい唯一のスポーツではないかと思います。それを成し遂げるために仲間と努力していく、というのか私をひきつけて離さない最大の魅力」[19]だと答えている。
2012年2月10日、代表監督の佐々木則夫から、澤の後任としてチーム主将に指名され[20]、ポルトガル南部で行われるアルガルベカップ2012[21]に臨んだ。この人選に関して、同僚の安藤梢(デュイスブルク)は、「あやは前からチームの中心で違和感もない」[22] と指摘した。
決勝進出をかけた第3戦アメリカ戦は、澤穂希が体調不良で欠場し苦戦が予想されたが、途中出場した高瀬愛実にコーナーキックで絶妙なボールを送り、米国への歴史的な勝利(1勝4分21敗)を演出した。澤の後継者としてキャプテンシーを発揮し、通常は優勝チームから選出される大会MVPを獲得[23]。優勝を逸したことに関しては「自分の力不足」[24]とし、「自分たちの足元を見つめ直すいい機会になったと思う」[25]と述べた。4月8日に行われた、キリンチャレンジカップ2012のブラジル戦では、4点の内の「3点に絡む活躍」で、「澤穂希に代わる大黒柱として日本を引っ張っ」[26]た。
雑誌『月刊少年ライバル』(講談社)の6月号に「魅せろ!なでしこJAPAN 宮間あや物語」が掲載される[27]。宮間の故郷にある大網白里町アリーナで「宮間あや選手を応援する会」(会長・内山清)が発足[28]。
5月14日、U-20女子W杯の大会アンバサダーに選出される[29]。
プレースタイル
FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会において、日本チームが唯一敗戦を喫したイングランド戦の前日、FIFAによるインタビューに対し、イングランドのFWの ケリー・スミスは、宮間について以下のように述べ、攻守の流れを読む力と絶妙なパスワーク、そして巧みな試合運びを指摘している。
「とても才能のあるサッカー選手です。技術面でとても優れていて、 卓越した試合運びで良いパスを通し、身のこなしが素早いのです。足を止めた時がとりわけ脅威で、彼女がつぎにどう動くかわからないのです。彼女は自分の思うところに自在にボールを打つことができます。彼女がプレーしているのを見るのは楽しみです … 対戦相手の時でなければの話ですが! 」[30]
— 英国代表ケリー・スミスによる宮間あや評
試合では、精確なパサーとしてアシストすることが多い。鈴木良平(女子代表初代専任監督)は、「ボールを受ける前に相手の意図、動きを瞬時に予見して逆を取ったり、ボールを持ったら味方の欲しがっているところに、タイミングを鋭く察知して絶妙パスを繰り出していく。サッカーの眼力が素晴らしい」[31] と、宮間を評している。
「両足で蹴れるし、キックの精度が高い。セットプレーでは、自分はボールに体をあてるだけでいい」[32] と澤穂希が評する、キッカーとしての卓越した能力から、日本女子代表の試合の場合、フリーキックやコーナーキックを任されることが頻繁である。
左右どちらでも蹴り分けられることに関しては、「母はバスケットをしていたのですが、私が左でうまく蹴れないのを見て、『バスケットならどちらの手でもドリブルできるよ』と言われたことが悔しくて、それがきっかけで左右平等に蹴られるようになった」[33]としている。
海外の気になる選手はという質問に対しては、「イニエスタやシャビはトップスピードのなかで正確なプレイができますから、そういうのを見習いたいなとは思います」[34]と述べている。ゲーム全体を俯瞰する確かな判断力とチーム内での調整役的な働きから、「なでしこジャパンの司令塔」「なでしこジャパンの頭脳」[35] などと呼ばれている。
語録
— 宮間あや語録
- 「朝、目が覚めた時、もしその日一番やりたいことがサッカーじゃなかったら、私はその日に引退する」… ジャーナリストの江橋よしのりに語った言葉[36]。
- 「私が今あるのは、岡山の皆さんのおかげです。それに、早く温泉につかりたいから」… 2011年のW杯優勝後、番組出演のオファーをすべて断り岡山に帰った時の言葉[37]。
- 「得たのは “最高の仲間” で、それ以外は自分の中では特に変わってないです」[38] … 2102年の年頭番組でW杯優勝の感想を聞かれた時の言葉。
- 「今日、両足切断の怪我をするかもしれない。明日死んでも後悔しないように、今日もサッカーをやります」[39]。
- 「思い通りにボールが動いたら、私、サッカーやめてます、きっと」[40]。
- 「下手な選手がいるなら、巧くなれるように助けてあげればいい。私は、試合には勝ちたいけれど、ただ強いだけのチームに入ってチャンピオンになりたいとは思わない。『一緒に戦いたい』と思える仲間がいるチームで、日本一を目指したい」[41]。
- 「私は、『辛かった』と、ひとことも言ったことはないんです。だって、サッカーは仕事なんですよ。『仕事が辛い』って言っているのは、ダサいじゃないですか?」[42]
- 「私には私の夢があるように、夢や目標は一人ひとり違うもの。ですから、いまやりたいことが見つからなくても焦らなくていいんじゃないかな。深く考え込まず に、まずは自分が笑顔で過ごすにはどうすればいいのか、何をしていると笑顔になれるかを考えてみて欲しい。その中からふと答えが見つかるかもしれません」[43]。
- 「個人の賞にはあまり興味がない」[44]… 2012年アルガルベ杯でMVPに選出された時の言葉。
人物
- 「彼女は小学5年生の時から『世界一になる』って言っていたんですが、それが冗談に聞こえませんでした。そして、一緒に生活するうちに、『この子は、とんでもないことをやっちゃう子なんじゃないか』と思うようになったんです」[45] … 恩師である本田美登里の言葉。
- 「試合後、彼女が歩み寄ってきた時、彼女は喜びをあらわにしていなかった。彼女はアメリカに敬意を表したかったのでしょう。なぜなら、私たちが負けてどれほど傷ついたか分かっていたから」[46] … 2011年のW杯で日本に敗れたアメリカのホープ・ソロ選手の言葉。
- 「これまでもサッカーは楽しいと思ってきたが、宮間とのコンビはさらに楽しい。自分のプレーを分かってくれていることが大きい」[47] … なでしこジャパンの元主将・澤穂希の言葉 。
- 「宮間選手の仲間への気遣いがチームを支えていることを実感できました」[48] … ロンドン五輪予選の北朝鮮戦で失策した選手を「身振り手振りで笑わせようとする」宮間に関し、『毎日新聞』の中村有花記者(運動部)が述べた言葉。
- 「自分はもうあや(宮間)に絶対の信頼を置いています」[49] … 新キャプテンに就任した際の前キャプテン・澤穂希からの言葉。
- 「宮間はサッカーに対する情熱も理論もチーム屈指であり、プレーでも言葉でもチームを勇気づけることができる。仲間思いで、気配りも隅々まで行き届いている。宮間は、キャプテンという肩書が加わったからといって、みんなに対する態度を変えたりはしなかった。自分だけが特別なのではなく、『みんなで一つのチーム』というスタンスで、今もチームメイトに接している」[50]… 全日本女子サッカー監督・佐々木則夫の言葉。
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | NTVベレーザ | L・リーグ | 0 | 0 | |||||||
2000 | 日テレ・ベレーザ | 19 | 6 | 2 | - | ||||||
2002 | 岡山湯郷Belle | - | - | - | |||||||
2003 | 9 | L・リーグ | 16 | 13 | - | 2 | 1 | 18 | 14 | ||
2004 | 10 | L・リーグ2部 | 14 | 17 | - | ||||||
2005 | L・リーグ1部 | 21 | 8 | - | 4 | 4 | 25 | 12 | |||
2006 | なでしこ Div.1 | 17 | 6 | - | 4 | 0 | 21 | 6 | |||
2007 | 21 | 9 | 0 | 0 | 2 | 0 | 23 | 9 | |||
2008 | 21 | 9 | - | 2 | 1 | 23 | 10 | ||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | ロサンゼルス・ソル | 8 | WPS | 20 | 0 | - | - | 20 | 0 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 岡山湯郷Belle | 10 | なでしこ Div.1 | 6 | 1 | - | 2 | 2 | 8 | 3 | |
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | セントルイス・アスレティカ | 6 | WPS | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||
アトランタ・ビート | 18 | 17 | 1 | - | - | 17 | 1 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 岡山湯郷Belle | 10 | なでしこ | 7 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 9 | 4 |
2011 | 16 | 9 | - | 3 | 1 | 19 | 10 | ||||
通算 | 日本 | 1部 | 131 | 61 | |||||||
日本 | 2部 | 14 | 17 | - | |||||||
日本 | その他 | - | - | ||||||||
アメリカ | WPS | 42 | 1 | - | - | 42 | 1 | ||||
総通算 | 187 | 79 |
- 日本でのリーグ戦成績は、日本女子サッカーリーグについてのみ記述。
- 2009年のなでしこリーグは、WPSのロサンゼルス・ソルからのレンタル移籍という形で、9月以降出場。
- 2010年のなでしこリーグは、WPSのアトランタ・ビートからの完全移籍という形で、9月以降出場。
この節の加筆が望まれています。 |
表彰
- 敢闘賞:1回 (2003年)
- 最優秀選手:L・リーグ2部 (L2) (2004年)
- ベストイレブン:3回 (2007年、2008年、2011年)
- 特別表彰「サポーターが選ぶMVP」:2回 (2007年、2008年)
- アジア年間最優秀選手賞:1回 (2011年)
- アルガルヴェ・カップ 大会最優秀選手:1回 (2012年)
代表歴
主な出場歴
- 2003年 第4回FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会出場
- 2004年 U-19アジア女子選手権出場
- 2006年 第15回アジア競技大会(カタール) 準優勝
- 2007年 第5回FIFA女子ワールドカップ出場
- 2008年 東アジア女子サッカー選手権2008優勝
- 2008年 2008 AFC女子アジアカップ3位
- 2008年 北京オリンピック4位
- 2010年 2010年アジア競技大会優勝
- 2011年 第6回FIFA女子ワールドカップ優勝
- 2012年 アルガルヴェ・カップ2012 準優勝
試合数
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 6 | 2 |
2004 | 1 | 2 |
2005 | 9 | 2 |
2006 | 17 | 3 |
2007 | 17 | 6 |
2008 | 18 | 4 |
2009 | 1 | 1 |
2010 | 17 | 2 |
2011 | 18 | 4 |
2012 | 6 | 1 |
通算 | 110 | 27 |
(2012年4月5日現在)
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2003年6月9日 | バンコク | フィリピン | ○ 15-0 | 2003 AFC女子選手権 |
2. | 2003年7月22日 | 仙台 | 韓国 | ○ 5-0 | 日・韓・豪3ヶ国対抗国際女子サッカー大会 |
3. | 2004年12月18日 | 東京 | チャイニーズタイペイ | ○ 11-0 | キリンチャレンジカップ2004 |
4. | |||||
5. | 2005年3月29日 | ミランダ | オーストラリア | ● 1-2 | 親善試合 |
6. | 2005年5月21日 | 東京 | ニュージーランド | ○ 6-0 | キリンチャレンジカップ2005 |
7. | 2006年7月23日 | アデレード | 中国 | ○ 1-0 | 2006 AFC女子アジアカップ |
8. | 2006年11月23日 | カールスルーエ | ドイツ | ● 3-6 | 親善試合 |
9. | 2006年11月30日 | ドーハ | ヨルダン | ○ 13-0 | 第15回アジア競技大会 |
10. | 2007年2月12日 | ラルナカ | スウェーデン | △ 2-2 | 親善試合 |
11. | 2007年3月10日 | 東京 | メキシコ | ○ 2-0 | 2007 FIFA女子ワールドカップ・予選 |
12. | 2007年6月10日 | 富川 | 韓国 | △ 2-2 | 北京オリンピック・アジア最終予選 |
13. | 2007年8月4日 | ハイフォン | ベトナム | ○ 8-0 | |
14. | 2007年9月11日 | 上海 | イングランド | △ 2-2 | 2007 FIFA女子ワールドカップ |
15. | |||||
16. | 2008年2月18日 | 重慶 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○ 3-2 | 東アジアサッカー選手権2008 |
17. | 2008年6月2日 | ホーチミン | オーストラリア | ○ 3-1 | 2008 AFC女子アジアカップ |
18. | 2008年6月8日 | オーストラリア | ○ 3-0 | ||
19. | 2008年8月6日 | 秦皇島 | ニュージーランド | △ 2-2 | 北京オリンピック |
20. | 2009年11月14日 | さいたま | ニュージーランド | ○ 2-1 | 親善試合 |
21. | 2010年2月6日 | 東京 | 中国 | ○ 2-0 | 東アジア女子サッカー選手権2010 |
22. | 2010年5月20日 | 成都 | ミャンマー | ○ 8-0 | 2010 AFC女子アジアカップ |
23. | 2011年3月2日 | アルガルヴェ | アメリカ合衆国 | ● 1-2 | アルガルヴェ・カップ2011 |
24. | 2011年6月18日 | 松山 | 韓国 | △ 1-1 | 2011 FIFA女子ワールドカップ壮行試合 |
25. | 2011年6月27日 | ボーフム | ニュージーランド | ○ 2-1 | 2011 FIFA女子ワールドカップ |
26. | 2011年7月17日 | フランクフルト | アメリカ合衆国 | △ 2-2(PK 3-1) | |
27. | 2012年4月5日 | 神戸 | ブラジル | ○ 4-1 | キリンチャレンジカップ2012 |
脚注
- ^ a b c 『毎日新聞』千葉版、2011年7月21日付。
- ^ cf. みやま文夫プロフィール。
- ^ 真田明「宮間あや」、『RONSPO』2011年10月増刊号、22頁。
- ^ cf. 宮間あや「気負わず感じたまま、今を生きる」。
- ^ 『週刊 サッカー・ダイジェスト』2011年10月1日増刊号、34頁。
- ^ 「女子サッカー日本代表 宮間あや 地元・岡山を愛する『陰のMVP』」『産経新聞』2011年7月22日付。
- ^ この退団の経緯に関する詳細に関しては、外部リンクの『ボールを見つけると、どこでもサッカーしちゃう』参照。
- ^ “Goal of the Tournament”in FIFA, 2007.
- ^ なでしこリーグ2007 『サポーターが選ぶMVP』受賞記念インタビュー (日本女子サッカーリーグ公式サイト)。
- ^ “WPS Players Profile Aya Miyama”, womensprosoccer.com
- ^ cf. 新報道2011「日本人の誇りを取り戻せ」フジテレビ、8月7日放映。藤原正彦 「世界が認めた日本女性 なでしこ列伝 宮間あや」(講談社『FRAU』2011年12月号)。
- ^ cf. “The force was strong with Japan, says USA goalkeeper Hope Solo” in The Gurdian, 18 July 2011.
- ^ 「大網白里町が栄誉賞創設、宮間選手に贈るため」『読売新聞』2011年7月21日付。
- ^ 「なでしこ宮間・丸山選手に千葉県民栄誉賞」『読売新聞』2011年7月21日付。
- ^ 宮間、丸山両選手に千葉県民栄誉賞 「大和魂みせてくれた」と森田知事」『産経新聞』2011年7月21日付。
- ^ なでしこ大苦戦、宮間緊急投入/五輪予選『日刊スポーツ』2011年9月2日付。
- ^ 「支えてくれた人のおかげ」AFC女子MVP 湯郷ベル・宮間選手『読売新聞』11月25日付。
- ^ 「プレナスなでしこリーグ2011/プレナスチャレンジリーグ2011」表彰式受賞者発表( 日本女子サッカーリーグ公式サイト)。
- ^ cf. 後藤正治 「敗者を思いやる日本的美徳」『産経新聞』2012年1月4日付。
- ^ cf. 「五輪も任せた!なでしこ主将は宮間」『日刊スポーツ』2012年2月10日付。
- ^ cf. アルガルベカップ2012
- ^ cf. 大島祥平「女子サッカーの強豪が集う国際大会アルガルベ杯に出場する日本代表」(『毎日新聞』2012年2月28日付)
- ^ cf. 初ボランチ宮間MVP獲得「誇り持ちたい」
- ^ cf. 宮間MVPも力不足を反省/アルガルベ杯
- ^ cf. 宮間あや「個人の賞にはあまり興味がない」
- ^ 『報知新聞』2012年4月6日付。
- ^ cf. 『少年ライバル』6月号表紙
- ^ 『千葉日報新聞』2012年4月17日付
- ^ 『日刊スポーツ』2012年5月14日付。
- ^ “Myama et Smith recroisent le fer” in FIFA, lundi 4 juillet 2011.
- ^ 『日刊ゲンダイ』2012年4月3日付
- ^ 清水寿之「走る。栄冠の咲くへ」、『朝日新聞』2011年9月30日付。
- ^ 「敗者を思いやる日本的美徳」、『産経新聞』2012年1月4日付。
- ^ * 松原溪 「宮間あやインタビュー『イニエスタやシャビを見習いたい』」Sportiva, 2011年11月5日付。
- ^ 『サッカー・マガジン』なでしこジャパン特集号、2011年10月1日、12頁。
- ^ 『世界一のあきらめない心』小学館、2011年、185頁。
- ^ 久保武司「女子サッカー日本代表 宮間あや 地元・岡山を愛する『陰のMVP』」『産経新聞』2011年7月11日付。
- ^ cf. テレビ東京 “Go Foward“ 2012年1月5日放送分
- ^ 「『あや』という人」、岡山湯郷 Belle 公認ブログ
- ^ 「『あや』という人」、岡山湯郷 Belle 公認ブログ
- ^ 『週刊 サッカー・ダイジェスト』2011年10月1日増刊号、35頁。
- ^ 真田明「宮間あや」、『RONSPO』2011年10月増刊号、23頁。
- ^ 宮間あや 「自分らしく」『進路新聞』2011年10月10日付。
- ^ 『スポーツナビ』2012年3月8日付
- ^ 『週刊 サッカー・ダイジェスト』2011年10月1日増刊号、34-35頁
- ^ Late Show with David Letterman on CBS, July 19 2011.
- ^ 清水寿之「走る。栄冠の咲くへ」、『朝日新聞』2011年9月30日付。
- ^ cf. 中村有花「選手の素顔伝えたい 葛藤する毎日」
- ^ cf. 日本テレビ系列「ズームイン!!サタデー」2012年3月10日放送分。
- ^ 佐々木則夫 『なでしこ力 次へ』、198-199頁。
関連項目
- 本田美登里(恩師)
- 福元美穂(岡山湯郷Belle及び日本代表の同僚)
- ホープ・ソロ(アメリカ代表、セントルイス・アスレティカ時代の同僚)
- ケリー・スミス(イギリス代表)
- カミーユ・アビリー(フランス代表)
- カリーナ・ルブラン(カナダ代表)
- 藤原正彦(数学者)
- 後藤正治(ジャーナリスト)
- 岡山湯郷Belle
- サッカー日本女子代表
参考文献
- 宮間あや「ボールを見つけると、どこでもサッカーしちゃう」(『トーク&とーく』No.31)
- 宮間あや「生きる力の育て方」(『プロフェッショナルに聞く!』)
- FIFA-UNICEF合同“Goals for GIRLS!”(「男女平等キャンペーン、2007年)
- 宮間あや「頂点を目指して世界へ羽ばたく」(広報『大網白里』2007年5月1日付)
- 早草紀子「宮間あや選手インタビュー」(『なでしこレター』2010年2月4日付)
- 宮間あや「気負わず感じたまま、今を生きる」(『そとぼう新聞NEO』2011年3月4日付)
- 久保武司「女子サッカー日本代表 宮間あや 地元・岡山を愛する『陰のMVP』」(『産経新聞』2011年7月22日付)
- 宮間あや 「浮かれている場合じゃないですから」(『Number』784号、2011年)
- 松原溪 「宮間あやインタビュー『イニエスタやシャビを見習いたい』」 (Sportiva, 2011年11月5日付)
- 宮間あや「フェイクなし、飾らずにいきます」(『日本経済新聞』2011年11月10日付)
- 寺谷教諭「宮間あや ヘルシー講演会」(市川市立第七中学校、2011年11月22日)
- 天野みすず「宮間あや選手インタビュー」(『朝日新聞』2012年1月2日付)
- 後藤正治「敗者を思いやる日本的美徳」(『産経新聞』2012年1月4日付)
- 佐々木則夫 『なでしこ力』講談社、2011年 ISBN 978-4063787139
- 佐々木則夫 『なでしこ力 次へ』講談社、2012年 ISBN 978-4-06-37816-0
外部リンク
- 岡山湯郷ベル公式サイト
- “Aya Miyama, Japan's tiny gem” in FIFA, 4 March 2011.(英語)
- “Miyama et Smith recroisent le fer” in FIFA, 4 juillet 2011.(フランス語)
- “The force was strong with Japan, days USA goalkeeper Hope Solo” in The Guardian, 18 july 2011.(英語)
- “Le Japon fait honneur aux dames” in Le Républicain Lorrain, 19 août 2011.(フランス語)
- “Ehre für Miyama - Kanada überzeugt” in FIFA, 30. November 2011.(ドイツ語)