和歌山県立桐蔭中学校・高等学校

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和歌山県立桐蔭中学校・高等学校
和歌山県立桐蔭中学校・高等学校
過去の名称 和歌山県立和歌山中学校
和歌山県立和歌山高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 和歌山県
校訓 文武両道、改革と伝統
設立年月日 1879年3月1日
開校記念日 3月1日
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
数理科学科
学期 2学期制
高校コード 30112E
所在地 640-8137
和歌山県和歌山市吹上五丁目6番18号
外部リンク 高等学校公式サイト
中学校公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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和歌山県立桐蔭中学校・高等学校(わかやまけんりつとういんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、和歌山県和歌山市吹上五丁目に立地する県立の併設型中高一貫校

概要

旧制和歌山県立和歌山中学校・旧制和歌山県立和歌山高等女学校からの伝統を引きつぐ。また、旧制中学時代は野球の強豪校といわれ、特に1921年22年全国中等学校優勝野球大会で夏の甲子園で史上初となる2連覇を成し遂げている。学制改革を経て現在の桐蔭高等学校となってからは1948年61年86年に夏の甲子園に出場し、1948年と1961年は準優勝を果たした。また、2015年第87回選抜大会では21世紀枠に選ばれ、53年ぶりの甲子園出場となった。

2001年度にスタートした講義体験事業である「桐蔭総合大学」は、全国の大学から教授准教授など講師陣を招き、生徒の知的好奇心の喚起や将来の進路を考えるきっかけとすべく行われている。

2007年度より、中学校(併設型中高一貫校)が新たに設立された。

校名

1948年5月10日の開校に際し、初代校長・松野三郎の命名によるもので、有名な漢詩である「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声」(少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声。)から、「桐のようにすくすくと真っすぐに育て」という願いと「寸刻を惜しんで勉強をせよ」という意味が込められている。

校章

右が高等学校、左が中学校の校章

高等学校

の花に「高」の字を図案化したもの。美術教諭が考案した5種類の候補から教職員、生徒の投票によって決定した。

中学校

桐の葉3枚と白菊(旧制和歌山中学校章)に「中」の字を図案化したもの。美術教諭が考案した。

沿革

設置学科

  • 普通科(中高一貫クラスを含む)
  • 数理科学科
  • 総合人文科(2010年度より募集停止)

教育方針

校訓

  • 文武両道
  • 改革と伝統

教育目標

  • 豊かな人間性を備えた個人の育成
  • 生徒の持つ能力の開発
  • 健全な心身の育成
  • 社会的連帯意識の確立
  • 世界的視野と郷土愛をもった人間の育成

生徒会活動・部活動など

ほとんどの在校生が所属しているため、部活動は盛んである。また、多くのクラブが近畿大会、全国大会に出場している。

運動部

  • 硬式野球部
  • 軟式野球部
  • 柔道部
  • 水泳部
  • 卓球部
  • バスケット部
  • 硬式テニス部
  • ソフトテニス部
  • 登山部
  • 陸上競技部
  • サッカー部
  • ボート部
  • 剣道部
  • バレーボール部
  • ハンドボール部
  • ラグビー部
  • 体操部


※太字のクラブは中高合同。

文化部

  • 茶道部
  • 音楽部
  • 家庭部
  • 美術部
  • 園芸部
  • 科学部[1]
  • 創作部
  • 演劇部
  • 吹奏楽部
  • 書道部
  • 社会部
  • 華道部
  • ESS
  • 囲碁将棋部
  • 写真部
  • 箏曲部


※太字のクラブは中高合同。

外局

  • 応援団
  • 放送局

専門部

  • 出版部
  • 図書部

桐蔭高等学校の野球史

旧制和歌山中学以来、選手権大会で優勝2回、準優勝3回を果たしており、史上初の夏2連覇を達成している。学制改革で桐蔭高等学校となってからは選手権大会出場3回、選抜大会出場2回となっており、1986年第68回選手権大会以降は春夏を通して甲子園への出場がなかったが、2015年第87回選抜高等学校野球大会にて、21世紀枠で選出され、春の大会としては第34回選抜高等学校野球大会(1962年)以来となる出場を果たした[2]

歴史

野球が和歌山県に伝わったのは1897年9月で、青年教師の坂口昴と香川直勝が赴任した和歌山中で野球の指導を始めたのが最初とされる[3]。選手たちは2人の行うノックを素手、素足で追いかけたり、慶應義塾大学柳弥五郎アメリカ人教師のアーサー・ヘールからバントスライディングなどの基礎技術を学んだりした。1915年に始まった全国中等学校優勝野球大会では第1回大会から第14回大会まで14年連続出場を果たし、1924年に始まった選抜中等学校野球大会でも第1回大会から第11回大会まで11年連続出場を果たした。

1921年第7回大会北島好次を擁して初優勝を果たし、翌1922年第8回大会にも主戦で4番の井口新次郎らの活躍で史上初の夏2連覇を果たした。また、第7回大会では全試合(4試合)16得点以上を記録し、75得点の大会最多得点、68点の得失点差の大会記録も樹立した。

通算成績

施設・設備

校舎

  • 第1棟(3階建て) - 本館
  • 第2棟(3階建て)
  • 第3棟(3階建て) - 中学校校舎(2階、3階)
  • 生徒会館(2階建て) - 第3棟と連結※

計3つの校舎があり、全ての校舎が平行に建っている。1階部分の中央廊下は第1~3棟~体育館に、2階部分の渡り廊下は第1~3棟~体育館に、3階部分の渡り廊下は第1棟と第2棟の間にそれぞれ架かっている。普通教室の多くは2棟にあり、近年、エアコンがほぼ全ての教室に設置された。

※生徒会館は第3棟と連結しているため第3棟に含む。

体育館

改修後の体育館(2010年4月5日撮影)

体育館は2階建てで、1階は武道館(柔道場・剣道場)・卓球場・体育教官室、2階は全校集会や体育の授業で使用される一般的でいう体育館である。第3棟と体育館の1階部分に中央廊下が、第3棟と体育館の2階部分に渡り廊下がそれぞれ架かっているため、移動が便利なのが特徴である。 2010年8月1日から老朽化による大規模な改修工事が行われていたが、2011年3月末に完了した。

生徒会館

同窓会の記念に建造された生徒会館。1階に生徒ホール(学生食堂)、2階に図書館がある。第3棟と連結した造りになっている。

同窓会館

旧図書館を改装した同窓会館。多目的に利用されているが、平時は一部のクラブが使用する以外はあまり使用しない。 文化祭等の打ち合わせのほか、新学期に行われる健康診断において使用されるが、生徒の大半はこの検査の時しか足を踏み入れない事になる。

和歌山県立桐蔭中学校

併設型中高一貫校として、2007年4月6日に開校式・第1回入学式が行われた。桐蔭中では、桐蔭高校普通科中高一貫コースへの進学を目指す。その後、高校2年次で文系と理系に分かれる。

初年度の07年度には、定員80人に対して621人が出願し倍率は7.76倍であった。08年度は542人の出願があり倍率6.78倍と県立中学校の中で最も高かった。

制服は、高校のものとは異なっていて、夏は白のセーラー服で襟にえんじ色の斜めのラインが3本、後ろには右側、前には左側についており、リボンもえんじ色のものを着けることになっている。冬は紺のセーラー服で、ラインやリボンは夏のものと全く同じである。なお、体操服も高校とは違うデザインとなっている。

著名出身者

一時在籍

アクセス

脚注

  1. ^ カルピスソーダのCM「カルピスソーダ学園・宇宙部編」の宇宙部員役で出演
  2. ^ センバツ21世紀枠 松山東82年ぶり、桐蔭53年ぶり、豊橋工は初 スポーツニッポン 2015年1月23日閲覧
  3. ^ 1998年6月9日付『朝日新聞

関連項目

外部リンク