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ネピドー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネーピードーから転送)
ネピドー
နေပြည်တော်
位置
ネピドーの位置(ミャンマー内)
ネピドー
ネピドー
ネピドー (ミャンマー)
ネピドーの位置(東南アジア内)
ネピドー
ネピドー
ネピドー (東南アジア)
座標 : 北緯19度45分 東経96度06分 / 北緯19.750度 東経96.100度 / 19.750; 96.100
行政
ミャンマーの旗 ミャンマー
 連邦領 ネピドー連邦領
 市 ネピドー
ネピドー市長兼ネピドー会議議長 Myo Aung
地理
面積  
  市域 7,054.37 km2
人口
人口 (2014年現在)
  市域 1,158,000人
  備考 都市的地域
その他
等時帯 ミャンマー標準時 (UTC+6:30)
市外局番 067

ネピドーまたはネーピードービルマ語: ; ALA-LC翻字法英語版: Ne praññʻ toʻ; 発音 [nèpjìdɔ̀]; 英語: Naypyidaw, 英語発音: /ˈneɪpjɪˌdɔː/)は、ミャンマー首都2006年に旧首都ヤンゴンに代わり首都となった。

地理

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大型ショッピングセンター

外国からの多数の観光客を見越して、高級ホテルが立ち並ぶ地区がある。また、有事戦闘機滑走路としての使用を想定するとされる20車線の広い幹線道路がある。近代的な3つの大型ショッピングセンター映画館を併設したものもある)もあるが、大きな病院はない。なお、ヤンゴンとは異なり、電力事情は極めて良好であるとされる[1]

巨大な都市にレストランは20軒もなく、駐在員は自炊を強いられる。そのため、在ミャンマー日本国大使館や商社などの駐在員の多くはヤンゴンから移転せずにいる。

また、行政首都に一般人は立ち入り禁止で、商人は商業地区に隔離されている。軍の司令部なども政府庁舎とは離れた地区に所在する。軍事パレードが行われる広場には、ビルマ史上の偉大な王であるアノーヤターバインナウンアラウンパヤーら3人の巨像が並んでいる。

2011年10月19日に巨大なネピドー国際空港が完成し、開港当初、国内線のほかは国際線が就航していなかったが、現在はタイ王国バンコク線、インドインパール線、中国昆明線が就航している。

東京ドーム70個分に相当する大きさの国会議事堂は2010年6月ごろに完成[2]2010年の総選挙の結果を受け、2011年1月に22年ぶりの連邦議会が新しい議事堂で開催された[3]

内陸の閉鎖された地域にあり、移転について移転当時から群衆反乱に備えた措置との見方もあった。ネピドーという言葉は「王都」という意味だが、移転当時、多くのミャンマー人が「チャッピエー」と呼んだ[4]。恐がって逃げたという意味である。この地理的条件は2021年の軍クーデターに際し、軍が国会のために集まった議員らを逮捕するのに役立っている。

気候

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ネピドーの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 30
(86)
34
(93)
36
(97)
38
(100)
35
(95)
32
(90)
31
(88)
30
(86)
32
(90)
32
(90)
31
(88)
29
(84)
32.5
(90.5)
平均最低気温 °C°F 14
(57)
16
(61)
20
(68)
24
(75)
25
(77)
24
(75)
24
(75)
24
(75)
24
(75)
23
(73)
20
(68)
16
(61)
21.2
(70.2)
降水量 mm (inch) 5
(0.2)
2
(0.08)
9
(0.35)
33
(1.3)
154
(6.06)
160
(6.3)
198
(7.8)
229
(9.02)
186
(7.32)
131
(5.16)
37
(1.46)
7
(0.28)
1,151
(45.33)
平均降水日数 1 0 1 3 14 21 23 24 19 12 4 1 123
出典:Weather2Travel.com Retrieved March 26, 2013

歴史

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遷都に至る経緯

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2003年夏より、ピンマナの西数キロの軍用地であった場所で新行政首都の建設が始まるも、移転計画が明らかになったのは2005年の中ごろであった。急速な遷都は不可能とする見方も多かったが、ミャンマー政府は同年11月7日に移転を開始し、省庁・政府機関の職員達はトラックでヤンゴンからピンマナへと向かった。翌2006年3月27日の国軍記念日には、新首都で内外の報道陣を招き軍事パレードが開かれている。この席で、ミャンマー政府は首都地域をネピドー, Naypyidaw, 「王都」「首都」の意)と呼ぶことを公式発表、10月10日には公式に遷都を発表した[注釈 1](日本の外務省ではネーピードーとしている)。

ミャンマー連邦議会 (Hluttaw) ビル

遷都の理由は公表されていないが、メディアや研究者による見方を以下に記述する。

  • 旧首都ヤンゴンは人口が密集し交通も混雑している。市内にはもはや政府機関を拡張するための余地がないため[5]
  • アメリカからその専制を批判されているミャンマーが、イラク戦争同様に侵攻を受けた場合、内陸に位置するネピドーは海に近いヤンゴンより占領されにくく、より戦略的に有利な位置にあるからであるという見方[6]
  • ネピドーはカレン州シャン州チン州など少数民族の多い州(ピーネー)に近く、かつ上ビルマ下ビルマの結節点に位置しており、国内の治安維持を重視したという説[7][6][注釈 2]
  • 元首で上級大将のタン・シュエのお抱え占星術師の命令によるものであるという、首都移転の開始があまりに急であったことからミャンマー社会で広く信じられている説。タン・シュエの運勢が下降しており、早急に首都を移転させないと政権の命運が尽きるという予言があったとされる[6]2005年11月9日のマレーシアの英字紙、ニュー・ストレーツ・タイムズは『首都移転の影に占星術師』のタイトルの記事を掲載している。また、2011年8月9日の日本のテレビ番組、教科書にのせたい!ではこの説が放送された。当の占星術師は、タンは占いを尋ねはするもののそれに左右される人物ではないと語っている。なお、ミャンマーの占星術師は名高く、しばしば隣国タイの有力者らも著名な占い師のもとを訪問するという[8]
  • 軍事政権は都市部の市民を恐れているとの説[6]。高度な教育を受けた国民や海外留学から帰国した人々の増加により、彼らの多く住むヤンゴンで市民運動革命が起こることを軍事政権は危惧している。それゆえに、政権中枢をネピドーに移転させ政権の強い地盤とし、都市部で革命が起こっても、その影響を受けにくいネピドーから軍を送り、早期に鎮圧できるようにするというもの。

また、遷都を可能にした背景として、天然ガス輸出による外貨収入増が挙げられる。タイに対するガス輸出が軌道に乗ったことで、ミャンマー政府は移転に必要な財源を確保することができた。

画像

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注釈

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  1. ^ 正式な首都移転日は2006年2月17日である。
  2. ^ 国軍総司令部は行政機関の移転前にネピドーへ移っている。

出典

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  1. ^ “ミャンマーで各党の政党登録本格化”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2010年3月31日). https://web.archive.org/web/20100428050308/http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100331/asi1003312124000-n1.htm 2010年5月15日閲覧。 
  2. ^ “東京ドーム70個分! ミャンマー軍事政権が国会議事堂を初公開”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2010年3月27日). https://web.archive.org/web/20100331004212/http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100327/asi1003271640002-n1.htm 2010年5月15日閲覧。 
  3. ^ ミャンマー 闇と光の行方ナショナルジオグラフィック日本版2011年8月号 2012年2月3日閲覧。
  4. ^ 「元体制派・国防相の息子が告白」『朝日新聞』2007年10月15日。
  5. ^ Pedrosa, Veronica (20 November 2006). “Burma's 'seat of the kings'”. Al Jazeera. オリジナルの23 November 2006時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20061123141200/http://english.aljazeera.net/NR/exeres/80733C47-7F1C-45EB-BB8E-805DB15BFE67.htm 21 November 2006閲覧。 
  6. ^ a b c d . http://archive.boston.com/news/world/asia/articles/2006/01/01/abrupt_relocation_of_burma_capital_linked_to_astrology/+2016年8月2日閲覧。 .
  7. ^ McGeown, Kate (8 November 2005). Burma's confusing capital move. BBC News.
  8. ^ 「(特派員メモ ヤンゴン)占い師が見たもの」『朝日新聞社』2024年9月21日、朝刊。

参考文献

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  • 工藤年博「ミャンマー軍政の『王都』、ネーピードー」アジ研ワールド・トレンド通巻142号 

外部リンク

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