サン=ジェルマン=アン=レー
サン=ジェルマン=アン=レー | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
県 (département) | イヴリーヌ県 |
郡 (arrondissement) | サン=ジェルマン=アン=レー郡 |
小郡 (canton) | 2郡庁所在地 |
INSEEコード | 78551 |
郵便番号 | 78100 |
人口動態 | |
人口 |
41,100人 (2005年) |
人口密度 | 851人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯48度53分56秒 東経2度05分38秒 / 北緯48.8989度 東経2.0938度座標: 北緯48度53分56秒 東経2度05分38秒 / 北緯48.8989度 東経2.0938度 |
標高 |
平均:78 m 最低:22 m 最高:107 m |
面積 | km2 (18.64ha) |
サン=ジェルマン=アン=レー(フランス語・英語等:Saint-Germain-en-Laye)は、フランスのイル・ド・フランス地域圏イヴリーヌ県(パリの西部)の都市。パリやセーヌ川を一望できる台地にある。
サン=ジェルマン=アン=レー城を中心に発展した。当地の住民をフランス語では Saint-Germanois(e) (仮名転写:サン=ジェルマノワ<男性>、サン=ジェルマノワーズ<女性>)と呼称する。ただし、フランスには他にも「サン=ジェルマン」で始まる地名はいくつもあり、その住民も同様に呼称される。 作曲家クロード・ドビュッシー生誕の地でもある。イル・ド・フランス地域圏(パリ郊外)では、随一の高級住宅地であるとされる。
歴史
1124年、ルイ6世によって最初の城塞(16世紀以降の名称:シャトー・ヴィユー[château vieux、意:古城])が築かれた。16世紀には、アンリ2世によってシャトー・ヌフ(château neuf、意:新城)が建造され、以後、1689年に当時の国王ルイ14世がヴェルサイユに移り住むまで、王の居城であった。
1837年にはパリのサン・ラザール駅からサン=ジェルマン=アン=レーへの鉄道が開通する。これはパリ発の鉄道としては初めての路線であったが、フランス初の鉄道はリヨンが発祥である。まず1836年に手前の駅シャトゥーまでが開通した後、翌年にセーヌ川を渡る高架橋が建設され、サンジェルマンまで延長された。
サン=ジェルマン=アン=レー条約
フランスの歴史上、この名で呼ばれる条約は多い。以下は全て、サン=ジェルマン=アン=レー条約(Traité de Saint-Germain-en-Laye)と呼ばれるものである。
- 1624年9月5日:フランスとイギリスの間で締結された。
- 1632年3月29日:フランスとイギリスの間で締結された。
- 1635年10月26、27日:フランスとベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマルの間で結ばれた。
- 1679年6月29日:フランスとブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムとの間で締結された。
- 1679年10月25日:同じくフランスとブランデンブルク選帝侯との間で締結された。
- 1919年9月10日:第一次世界大戦後、連合国側とオーストリアの間で結ばれた条約。日本では「サン=ジェルマン条約」とも呼ばれる。
当地にゆかりのある有名人
当地で生まれた有名人
- アンリ2世(1519-1559年) :フランス王。城が生誕地。
- シャルル9世(1550-1574年) :フランス王。城が生誕地。
- フロンテナック伯爵ルイ・ド・ブアド(1622-1698年) :フロンテナック伯爵。ヌーヴェルフランス総督(cf.en. シャトー・フロンテナック)。
- ルイ14世(1638-1715年) :フランス王。城が生誕地。
- オルレアン公フィリップ1世(1640-1701年) :オルレアン公。城が生誕地。
- ルイーザ・マリア・テレーザ・ステュアート(1692-1712年) :イングランド・スコットランド王ジェームズ2世の末娘。城が生誕地。
- サロモン・レナック(1858-1932年) :考古学者、言語学者。
- クロード・ドビュッシー(1862-1918年) :作曲家。
- ジャン・アラン(1911-1940年) :オルガン奏者、作曲家。
- マリー=クレール・アラン(1926年-2013年) :オルガン奏者。
- ジャック・フェッシュ(1930-1957年) :キリスト教神秘家。
- アルベール・デュポンテル(1964年- ) :俳優。
- アメリ・モレスモ(1979年- ) :テニス選手。
- マリオン・マレシャル=ルペン (1989年- ) :政治家。フランス共和制の歴史の一番若い国民議会議員。
- ジョナサン・イセリ(1990年- ) :テニス選手。
生まれ以外でゆかりのある有名人
- モーリス・ドニ(1870-1943年) :画家、著述家。邸宅を設けていた。
- ジョルジェット・ルブラン:女優。一時期、ルイ15世の狩猟用別荘であったラ・ミュエット館(Pavillon de la Muette)に住んだ。サン=ジェルマン=アン=レーは彼女の兄、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパン物作品にも度々登場する。
交通
鉄道
RER A線の終着駅である。前述のとおり、フランスで2番目、パリ発では初めての路線であるが、サン・ラザール駅発着の路線であったものが、パリ東部のバスティーユ駅発ヴァンセンヌ線とを1961年にパリ市内を地下で結び、現在のRER A線となった。
グランド・サンチュールの駅も存在するが、長いこと廃線となっていた。しかし2004年、ノワジー=ル=ロワとを結ぶ一部路線がグランド・サンチュール・ウェストとして旅客用路線としての営業を復活させた。RERとグランド・サンチュールの駅は離れている。連絡線は存在するが、現在[いつ?]は電気系統および運行会社が異なるため旅客用列車には使われておらず、両駅を結ぶナヴェット(シャトルバス)が運行されている(フランス語版ウィキペディア、当該項目も参照のこと)。
かつて19世紀にはサンジェルマン=アン=レーよりアシェール経由ポワシー行きのトラムウェイが運行されていた。これはサンジェルマンの森の中を通るトラムであったので、当時のポスターではロングスカートの婦人が車窓から森を眺める絵柄で半ば休日のピクニック用路線として宣伝されていた。現在[いつ?]は存在しない。
グランド・サンチュール・ウェストの駅
観光名所
施設名のラテン文字表記はフランス語。
- サン=ジェルマン=アン=レー城 Château de Saint-Germain-en-Laye (en/fr)
- ルイ6世の時代からルイ14世の時代まで、国王の主要な居城の一つとして機能した。元イングランド王ジェームズ2世はルイ14世の保護の下この城に亡くなるまで住んでいた。現在の城はルネサンス様式のもので、フランソワ1世によって再建され、ナポレオン3世によって修復されたもの。
- 現在[いつ?]、サン=ジェルマン=アン=レー城内に設けられている。約2万5千年前(後期旧石器時代)の女神像として有名な「ブラセンプーイのヴィーナス」を始めとして、先史時代からメロヴィング朝時代にかけての考古学的・歴史的遺物を展示。
- サン=ジェルマン教会 Église Saint-Germain
- 県立モーリス・ドニ(ル・プリゥレ)美術館 Musée départemental Maurice Denis, Le Prieuré (en/fr)
- ドビュッシー博物館 Musée Claude Debussy
- 作曲家クロード・ドビュッシーの生家。1階は観光案内所になっており、住居であった2階が展示室、3階が演奏室になっている。
- サン=ジェルマン=アン=レー市立博物館 Musée municipal de Saint-Germain-en-Laye (fr)
- 初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスの作品 "The Conjurer" (オランダ語原題:"De goochelaar")などを展示。
- その他
- ウェルキンゲトリクスの像 Statue de Vercingétorix, Saint-Germain-en-Laye
- エメ・ミレの手による、ガリアの英雄ウェルキンゲトリクスの銅像。詳しくは別項「ウェルキンゲトリクス#フランス最初の英雄」を参照のこと。
姉妹都市
サン=ジェルマン=アン=レーの姉妹都市を示す。
- アシャッフェンブルク :ドイツ。1975年より。
- テマラ :モロッコ。1982年より。
- エア :スコットランド。1984年より。
- ウィンチェスター :イギリス。1990年より。
- コンスタンチン=イエジェオナ :ポーランド。1992年より。
脚注
- ^ 太字の駅は始発・終着列車がある
- ^ メトロ、列車、トラムなどのガイドされた交通機関のみ記載している。バス路線などのその他の交通機関とはすべての駅で連絡する。
外部リンク
- “Bienvenue sur le site Internet de Saint-Germain-en-Laye” (フランス語). (Site Web). Saint-Germain-en-Laye. 2010年5月2日閲覧。(フランス語)