フランソワ1世 (フランス王)

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フランソワ1世

フランソワ1世François Ier de France, 1494年9月12日 - 1547年3月31日)は、ヴァロワ朝第9代のフランス王(在位:1515年 - 1547年)。シャルル5世の曾孫でルイ12世の従兄に当たるアングレーム伯シャルル・ドルレアンと、サヴォイアフィリッポ2世の娘ルイーズ・ド・サヴォワとの間に生まれた。フランス最初のルネサンス君主と評される。

生涯[編集]

アングレーム伯シャルルルイーズ・ド・サヴォワの間に、長女マルグリットに次ぐ第2子としてコニャックで生まれる。シャルルはこの2子を残して1496年に死去し、フランソワは1歳3ヶ月余りでアングレーム伯を継いだ。

1498年に即位したルイ12世には男子がなかったため、サリカ法により従甥に当たるフランソワが王位継承者とされた。また、ルイ12世と王妃アンヌとの間に生まれた又従妹クロードと1514年に結婚し、共同のブルターニュ公となった。翌1515年、ルイ12世の死により王位を継いだ。クロードの死後は長男フランソワ、次いで次男アンリ2世が王太子(ドーファン)の称号とともにブルターニュ公位を継いでいる。

人文主義者(ユマニスト)の教育を受け、即位後はレオナルド・ダ・ヴィンチロッソ・フィオレンティーノらの芸術家を保護し、ルネサンス様式の宮殿を建てた。1530年には、後にコレージュ・ド・フランスとなるコレージュ・ド・ロワイヤル(Collège de Royale)を設立し、ヘブライ語、古代ギリシア語数学の研究を促進させた。

2代前のフランス王シャルル8世が始めたイタリア戦争を継続し、1515年ミラノ公国を占領しスフォルツァ家を追放した。スフォルツァ家に仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチは、翌年フランスへ移り、ルネサンス文化を伝えることになった。

1519年神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が死去すると、教皇レオ10世らの支持を得てフランソワ1世も後継者候補になるが1票も獲得出来ず、スペイン王カルロス1世(マクシミリアン1世の孫)が皇帝選挙に勝利し、カール5世として即位する。フランスはハプスブルク家によってドイツ・スペインと周囲を囲まれてしまう。1521年から1544年にかけては、イタリアを巡ってカール5世と争い、1525年パヴィアの戦いでは前線で指揮を取るが、捕虜となってしまう。スペインで幽閉されていた間の1526年にカール5世とマドリード条約を結ぶが、解放されるや条約は無効と宣言し、教皇クレメンス7世もこれを支持した。

カール5世に対抗するため、コニャック同盟で教皇、イングランド王ヘンリー8世らと結び、ドイツのプロテスタント諸侯(ルター派)を支援したり、異教徒であるオスマン帝国スレイマン1世と秘かに結びつき、第一次ウィーン包囲をけしかけたりもしている。フランソワ1世自身はカトリックであり、檄文事件をきっかけに国内のプロテスタントを弾圧している。しかし、ローマ略奪で教皇はカール5世と和睦、他のイタリア諸国もカール5世に従属し、1529年にフランスがイタリア放棄を約束したカンブレーの和約を締結した。

和平の一環として、1530年にカール5世の姉でポルトガル王マヌエル1世の未亡人であったレオノール(エレオノール)と2度目の結婚をしている。しかし、以後もカール5世との戦闘を継続、ドイツのプロテスタント諸侯が結成したシュマルカルデン同盟と同盟を結んで戦ったもののハプスブルク家の優勢を覆せず、最終的に1544年にクレピーの和約fr)を結び、イタリア政策は失敗に終わった。1547年に死去、長男フランソワに先立たれていたため、次男アンリがアンリ2世として即位、イタリア戦争を再開した。

フランソワ1世はアメリゴ・ヴェスプッチのスポンサーとしてその航海を援助した。新大陸の中南米を押さえたカール5世に対抗し北米を狙ったためである。またジャック・カルティエカナダ植民に送り出し、フランス領カナダ(ケベック州)の基礎を築いている。

文芸作品に登場するフランソワ1世[編集]

19世紀フランスを代表する作家の1人ヴィクトル・ユゴーは、1832年に戯曲『王は愉しむフランス語版英語版』(Le Roi s'amuse)を発表した。この作品はフランソワ1世の道化師トリブレが主人公で、トリブレの娘ブランシュが王に弄ばれたため王に復讐をしようとして起きる悲劇を描いた作品である。1832年11月22日にフランセ座で初演されたが、特権階級の腐敗ぶりとそれに対する批判という、当時としては極めて過激な内容であったため、早くも翌日には上演禁止となり、以後1882年まで上演されることはなかった。後にこの作品はジュゼッペ・ヴェルディによってオペラ化され、1851年に『リゴレット』として初演された。

子女[編集]

最初の王妃クロードとの間に3男4女をもうけた。

2番目の王妃エレオノールとの間の子はいない。

関連項目[編集]