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'''ダンツフレーム'''(欧字名:{{Lang|en|Dantsu Flame}}、[[1998年]][[4月19日]] - [[2005年]][[8月28日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[]]
'''ダンツフレーム'''(欧字名:{{Lang|en|Dantsu Flame}}、[[1998年]][[4月19日]] - [[2005年]][[8月28日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]<ref name="jbis">{{Cite web |url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000326421/ |title=ダンツフレーム |websie=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2019-08-20}}</ref>


主な勝ち鞍は[[2002年]][[宝塚記念]] (GI)、[[2001年]][[アーリントンカップ]] (GIII)、[[2003年]][[新潟大賞典]] (GIII)
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== 戦績 ==
== 生涯 ==
[[2000年]][[6月10日]]に同年最初の3歳(現2歳)新馬戦でデビュー。2戦目で初勝利を挙げる。


=== デビューまで ===
翌2001年のアーリントンカップで[[重賞]]初制覇を果たし、[[クラシック (競馬)|クラシック]]戦線に名乗りをあげる。[[アグネスタキオン]]、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]の2強対決との前評判だった[[皐月賞]]は、その2頭に割って入る2着。続く[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]でも2着と、春の二冠はいずれもあと一歩で勝ちきれなかったものの、デビュー以来8戦連続連対(2着以内)と安定感は抜群で、世代トップクラスの1頭であることをアピールした。しかしその後は掲示板(5着以内)止まりのレースが続く。秋初戦の[[神戸新聞杯]]4着、[[三冠 (競馬)|三冠]]最終戦の[[菊花賞]]は[[武豊]]を背に挑んだが、超スローペースの中、先頭の[[マイネルデスポット]]から20馬身以上後ろを追走するも届かずに終わり5着。その後、短距離路線に矛先を変え出走した[[マイルチャンピオンシップ]]も5着だった。


インターピレネーは、1990年に[[北海道]][[浦河町]]の信岡牧場で生産された、父サンキリコの[[牝馬]]である<ref name="JBIS-インターピレネー">{{Cite web|title=インターピレネー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000235491/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-10-07}}</ref>。[[栗東トレーニングセンター]]の[[坪憲章]]厩舎に入り、競走馬として21戦3勝<ref name="JBIS-インターピレネー" />。特に1993年の[[報知杯4歳牝馬特別]]({{GII}})では3着、同年の[[サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別]]({{GII}})では4着となり、[[桜花賞]]({{GI}})にも出走した<ref>{{Cite web|title=競走成績:全競走成績|インターピレネー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000235491/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-10-07}}</ref>。引退後は、信岡牧場で[[繁殖牝馬]]となり、初年度は[[ブライアンズタイム]]の[[牡馬]]、2年目はマイニングの牡馬を生産<ref name="JBIS-インターピレネー-牝系">{{Cite web|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|インターピレネー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000235491/broodmare/info/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-10-07}}</ref>。3年目は、再びブライアンズタイムが交配された<ref name="JBIS-インターピレネー-牝系" />。
2002年は[[京王杯スプリングカップ]](4着)から始動し、[[安田記念]]で[[アドマイヤコジーン]]にクビ差の2着した後、[[宝塚記念]]に出走。[[マンハッタンカフェ]]、ジャングルポケット、[[ナリタトップロード]]などの有力馬が軒並み回避し、春のグランプリ競走としては寂しいメンバー構成<ref group=注釈>G1馬の出走は[[エアシャカール]]1頭のみであり、しかも2000年の菊花賞から1年半以上勝利がないままであった。</ref>になった中、GI2着3回の実績や優勝馬に首差まで迫った前走の内容が買われ、堂々の1番人気に支持される。それに応え、レースでは直線猛追する[[ツルマルボーイ]]との競り合いを制し、1年4ヶ月振りの勝利を悲願のGI初制覇で飾った。しかし、激戦が続いた春の反動か、秋季GIでは[[天皇賞|天皇賞(秋)]]14着、[[マイルチャンピオンシップ]]17着と大敗が続く。


1998年4月19日、信岡牧場にて[[鹿毛]]の牡馬(後のダンツフレーム)が誕生する<ref name="jbis" />。産まれた仔は牧場社長の信岡幸則によれば「決して見てくれのいい馬ではなかったですね。<ref name="優駿-2002-9-4245" />」「イメージ的にはいわゆる[[サラブレッド]]というきれいな馬じゃなかったですからね<ref name="優駿-2002-9-4245">『優駿』2002年9月号 42-45頁</ref>。」と述懐している。1999年8月、北海道セレクト市場に出場<ref name="優駿-2002-9-4245" />。ブライアンズタイムの仔を求めていた[[山元哲二]]が、税抜き2500万円で落札した<ref name="優駿-2002-9-4245" /><ref name="JBIS-北海道8月市場">{{Cite web|title=売却成績|北海道8月セレクト市場 サラブレッド 2歳 |JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/seri/1999/11B6/sale/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-10-07}}</ref>。信岡によれば「たまたまあのセリではブライアンズタイムの子はうちのだけだったんで、それもあってセリ落としてもらったんじゃないでしょうか{{ママ}}<ref name="優駿-2002-9-4245" />」と振り返っている<ref name="JBIS-北海道8月市場" />。山元の用いる[[冠名]]「ダンツ」に「フレーム」を組み合わせた「'''ダンツフレーム'''」という競走馬名が与えられ、3歳の春に栗東トレーニングセンターの[[山内研二]]厩舎に入厩した<ref name="優駿-2009-7-154161">『優駿』2009年7月号 154-161頁</ref>。
2003年も現役を続行。新潟大賞典では格の違いを見せ快勝するも、GIの各結果は天皇賞(春)5着、[[安田記念]]5着、[[宝塚記念]]7着と前年の勢いは見られなかった。[[宝塚記念]]の後は復活を目指し調整が続けられていたが、秋シーズンを前にした[[9月]]に[[屈腱炎]]を発症、競走馬としての復帰は不可能と診断され、引退の運びとなった。


=== 競走馬時代 ===
引退後は[[種牡馬]]入りの見通しが立たず、[[2004年]]の種付けシーズンは交配のないまま過ごす。そして現役登録抹消から1年が経った同年9月に、[[荒尾競馬場]]での復帰が決定。引退したGI馬が[[地方競馬]]で現役復帰という異例のケースであり、物議を醸した。[[10月20日]]に復帰後初戦となるかんなづき特別に出走し2着の後、予定していた通り[[浦和競馬場]]に移籍する<ref group=注釈>[[地方競馬#地方競馬を開催可能な競馬場|南関東]]競馬では長期間休養していた馬の転入を認めておらず、移籍のためには他地区での出走が必要だったため、このような手順を踏んだ。</ref>。その後の成績は[[浦和記念]]9着、[[東京大賞典]]14着、[[川崎記念]]11着と全く振るわず、[[2005年]][[6月]]に2度目の引退が決まり、競走生活にピリオドを打った。


==== 3-4歳(2000-01年) ====
結局種牡馬入りは叶わず、[[栃木県]][[那須塩原市]]の[[地方競馬教養センター]]で乗馬として余生を過ごすこととなった。しかし、同施設への移動から約2ヵ月後の[[8月28日]]に[[肺炎]]により、7歳(人間に換算すると25歳)で死亡した。
2000年6月10日、[[函館競馬場]]の[[新馬戦]](ダート1000メートル)に[[藤田伸二]]とともに、1番人気でデビュー。先に抜け出した1頭に4馬身差を離されて2着となった<ref name="優駿-2009-7-154161" />。それから7月1日、同条件である2戦目の新馬戦では差し切りを果たし、初勝利<ref name="優駿-2009-7-154161" />。続いて9月16日、[[ききょうステークス]](OP)では[[武豊]]に乗り替わり、初の芝競走となったが、単勝オッズ1.4倍の1番人気に推されて出走。後方待機から最終コーナーで抜け出し、後方に3馬身半差をつけて2連勝とした<ref name="優駿-2009-7-154161" />。さらに9月30日の[[野路菊ステークス]](OP)では、[[河内洋]]に乗り替わり単勝オッズ1.2倍で出走。半馬身差をつけて3連勝とし、放牧に出された<ref name="優駿-2009-7-154161" />。


4歳となった2001年は、2月11日の[[きさらぎ賞]]({{GIII}})で始動、3番人気で出走した。直線で抜け出したが、[[若駒ステークス]](OP)など2戦2勝の1番人気、[[アグネスゴールド]]に半馬身かわされて2着<ref name="優駿-2009-7-154161" />。その後は、[[皐月賞]]の[[トライアル競走]]ではなく、2月24日の[[アーリントンカップ]]({{GIII}})を選択。単勝オッズ1.2倍の支持を集めた。後方で待機し、最終コーナーを7番手で通過して追い上げを開始<ref name="優駿-2009-7-154161" />。逃げる[[キタサンチャンネル]]にゴール直前で並びかけたころで入線。ハナ差先着しており、重賞初勝利を果たした<ref name="優駿-2009-7-154161" />。
種牡馬になれなかった背景は母系が生産者間で評価されなかったことであり、ダンツフレームにとっては悲劇であった。

続いて、[[皐月賞]]({{GI}})に出走、藤田に再び乗り替わった。3戦3勝[[アグネスタキオン]]が1.3倍、4戦3勝[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]が3.7倍となり2頭が一桁オッズとなる中、ダンツフレームはそれらに次ぐ3番人気、オッズ16.8倍という支持であった<ref>{{Cite web|title=皐月賞|2001年4月15日 |url=https://db.netkeiba.com/race/200106030811/|website=db.netkeiba.com|accessdate=2021-10-09}}</ref>。発走直後から中団につけていたが、最初のコーナーから進路を塞がれたり、接触したりする不利をもらいながら追走<ref name="優駿-2009-7-154161" />。直線では、好位のアグネスタキオンが先に抜け出し、ダンツフレームはその背後から追い上げた。アグネスタキオンには1馬身半を及ばなかったが、外から追い上げたジャングルポケットとの競り合いを制し、半馬身差の2着を確保した<ref name="優駿-2009-7-154161" />。

そして、5月27日の[[東京優駿]](日本ダービー)({{GI}})に河内洋に乗り替わり、出走した。河内が皐月賞優勝に導いたアグネスタキオンは、屈腱炎のために戦線を離脱<ref name="優駿-2009-7-154161" />。当日の人気では、皐月賞2着のダンツフレームが単純に繰り上がることなく、単勝オッズ6.1倍の3番人気に留まった。人気で上回った2頭は、同3着のジャングルポケット、[[NHKマイルカップ]]優勝から臨む[[クロフネ]]であり、それぞれオッズは2.3倍、3.0倍を示した<ref>{{Cite web|title=東京優駿|2001年5月27日 |url=https://db.netkeiba.com/race/200105030409/|website=db.netkeiba.com|accessdate=2021-10-09}}</ref>。中団で待機し、直線では外に持ち出して追い上げた。河内が仕掛けようとした際、同じく中団を進み、先に抜け出そうとしたジャングルポケットに進路を塞がれる不利も受けた<ref name="優駿-2009-7-154161" />。それから再び盛り返したものの、ジャングルポケットに並ぶことはできず、1馬身半差の2着となった<ref name="優駿-2009-7-154161" />。

夏休みを経て、秋は[[神戸新聞杯]]({{GII}})から始動し、4着。続く[[菊花賞]]({{GI}})は、ジャングルポケットに次ぐ2番人気の支持で5着。[[古馬]]との初顔合わせとなった[[マイルチャンピオンシップ]]({{GI}})も5着。止まらない連敗から立て直しを図るために、山内は目標を定めずに放牧を実施、年内全休とした<ref name="優駿-2009-7-154161" />。

==== 5-6歳(2002-03年) ====
古馬となった2002年、春に放牧から帰還。[[天皇賞(春)]]ではなく、目標を中距離に定め、[[安田記念]]および[[宝塚記念]]出走を計画した<ref name="優駿-2009-7-154161" />。5月12日の[[京王杯スプリングカップ]]({{GII}})で始動、[[池添謙一]]が騎乗し4着。池添が続投し、安田記念({{GI}})に出走した。香港の[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]優勝から臨む[[エイシンプレストン]]が2.9倍の1番人気、ダンツフレームは、それに次いで6.2倍の2番人気に支持された<ref name="優駿-2002-7-3235">『優駿』2002年7月号 32-35頁</ref>。良いスタートを切ったが、位置を下げて後方に待機、直線では外に持ち出した<ref name="優駿-2002-7-3235" />。先行し、先に抜け出した7番人気の[[アドマイヤコジーン]]目がけて追い上げを開始、ゴール直前ではアドマイヤコジーンの外に並びかけた。しかしクビ差及ばず、{{GI}}3度目の2着となった<ref name="優駿-2002-7-3235" />。

続いて、6月23日の宝塚記念({{GI}})に出走、藤田に三度乗り替わった。藤田は、山内に対して自ら騎乗を志願<ref name="優駿-2002-8-4245">『優駿』2002年8月号 42-45頁</ref>。この時期は通常[[函館競馬場]]に滞在していたが、この日のみ[[阪神競馬場]]に参戦した<ref name="優駿-2002-8-4245" />。「出走していれば間違いなく1番人気になったであろう<ref name="優駿-2002-8-3841">『優駿』2002年8月号 38-41頁</ref>」(優駿編集部)であったジャングルポケットが脚部不安、同年の[[天皇賞(春)]]を勝利した[[マンハッタンカフェ]]が[[凱旋門賞]]挑戦、[[産経大阪杯]]を勝利した[[サンライズペガサス]]が体調不良のためにことごとく回避<ref name="優駿-2002-8-3841" />。また参戦したメンバーで、唯一{{GI}}優勝経験のある[[二冠馬]]・[[エアシャカール]]がいたものの、1年以上勝利のない状態にあった<ref name="優駿-2002-8-3841" />。そんな中、ダンツフレームが単勝オッズ2.4倍の1番人気に推された。以下、2.9倍のエアシャカール、8.9倍の[[ローエングリン (競走馬)|ローエングリン]]、9.3倍の[[ツルマルボーイ]]と続いた<ref name="優駿-2002-8-3841" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=yKi0XINIUBE&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2002年 宝塚記念<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}ローエングリンが逃げる中、ダンツフレームはエアシャカールと並んだ3、4番手に位置。そのまま直線に入り、ローエングリンが後方との差を広げ、しばらく先頭を保持<ref name="優駿-2002-8-3841" />。内側を進んだエアシャカールは伸びを欠いた一方、ダンツフレームは外に持ち出し、後方待機から大外を進んだツルマルボーイとともに、並んで追い上げを開始<ref name="優駿-2002-8-3841" />。やがてローエングリンを捉えて、ツルマルボーイとの競り合いとなり、ダンツフレームがクビ差制して、先頭で入線した。{{GI}}初勝利、山元ならびに山内は1995年の[[ダンツシアトル]]以来宝塚記念2勝目となった<ref name="優駿-2002-8-3841" />。それからカタオカステーブルにて夏休みを過ごし<ref>『優駿』2002年9月号 16頁</ref>、秋は[[毎日王冠]]({{GII}})で始動して5着。以降、[[天皇賞(秋)]]({{GI}})は自身初の二桁着順となる14着、[[マイルチャンピオンシップ]]({{GI}})では[[ブービー賞]]17着となり、休養となった<ref name="優駿-2009-7-154161" />。

6歳となった2003年は、[[マイラーズカップ]]({{GII}})および天皇賞(春)に出走し、どちらも入着。続いて「おそらく陣営はここを花道とみなしていたのだろう<ref name="優駿-2009-7-154161" />」(阿部珠樹)と[[新潟競馬場]]の[[ハンデキャップ競走]]である[[新潟大賞典]]({{GIII}})に出走<ref>{{Cite web|url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2003/1-nii.pdf#page=76|title=第1回新潟競馬成績集計表- 第6日 第25回新潟大賞典({{GIII}})|accessdate=2021-10-8|publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>。{{GI}}優勝馬ゆえに[[負担重量]]は59キログラムに設定されたが、1番人気の支持<ref name="JBIS-新潟大賞典">{{Cite web|title=11R 新潟大賞典|2003年5月18日(日)1回新潟6日|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20030518/104/11/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-10-09}}</ref>。2番人気のタフネススターに1馬身半差をつけて、宝塚記念以来の勝利を挙げた<ref name="JBIS-新潟大賞典" />。結局その後も現役を続行し、安田記念で5着、連覇がかかる宝塚記念では7着。夏休みを経て秋は、[[オールカマー]]({{GII}})で復帰する予定だったが、右前脚の[[屈腱炎|浅屈腱炎]]を発症して競走馬を引退が決定<ref name="netkeiba-引退(1度目)">{{Cite web|title=ダンツフレーム、屈腱炎で引退へ |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=4530|website=netkeiba.com|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>、9月24日付でJRAの競走馬登録を抹消した<ref name="netkeiba-引退(1度目)" />。その後は、北海道[[静内町]]のヤマダステーブルで[[種牡馬]]となるとされていた<ref>{{Cite web|title=ダンツフレームの繋養先が決定 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=6034|website=netkeiba.com|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>。

=== 競走馬時代(2度目)- 死亡 ===

==== 6-7歳(2004-05年) ====
6歳となった2004年から種牡馬となる予定だったが、屈腱炎の治りが良かったこととオーナーの希望により一転、[[地方競馬]]で競走馬復帰が決定<ref>{{Cite web|title=ダンツフレーム、明後日再デビュー(荒尾) |url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-126713.html|website=keiba.radionikkei.jp|accessdate=2021-10-09}}</ref><ref>{{Cite web|title=ダンツフレーム、復帰初戦は2着 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=7326|website=netkeiba.com|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>。[[荒尾競馬場|荒尾競馬]]の宇都宮徳一厩舎に入厩し、同じくして[[浦和競馬]]の岡田一男厩舎へ移籍が予定された<ref>{{Cite web|title=ダンツフレーム、荒尾で出走後に浦和へ移籍 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=6874|website=netkeiba.com|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>。荒尾での[[能力検定競走|能力検査]]では、ダート1400メートルを1分31秒5で走破して合格<ref>{{Cite web|title=ダンツフレーム、復帰へ前進 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=7089|website=netkeiba.com|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>。10月20日、かんなづき特別(ダート1500メートル)で1年4か月ぶりの復帰し、単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持されて出走<ref name="netkeiba-荒尾初戦">{{Cite web|title=ダンツフレーム、復帰初戦は2着 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=7326|website=netkeiba.com|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>。好位から進んだが、JRA2勝の4番人気・シゲルカミナリ<ref>{{Cite web|title=競走成績:全競走成績|シゲルカミナリ(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000331315/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-10-09}}</ref>に5馬身離され、2着となった<ref name="netkeiba-荒尾初戦" />。

それから予定通り、浦和に移籍<ref>{{Cite web|title=ダンツフレーム、浦和の調教試験合格 |url=http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-127128.html|website=www.radionikkei.jp|accessdate=2021-10-09}}</ref>。[[浦和記念]]({{JpnII}})、[[東京大賞典]]({{JpnI}})、[[川崎記念]]({{JpnI}})と3戦に出走したが、それぞれ9着、14着、11着に敗れた<ref name="jbisrcd" />。2005年6月10日、地方競馬の競走馬登録を抹消し、2度目の引退<ref name="nar">{{Cite web|title=ダンツフレーム|url=https://www.keiba.go.jp/KeibaWeb/DataRoom/HorseMarkInfo?k_lineageLoginCode=30034403954|website=www.keiba.go.jp|accessdate=2021-10-09}}</ref><ref name="netkeiba-引退(2度目)">{{Cite web|title=ダンツフレーム引退、乗馬に |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=9176|website=netkeiba.com|accessdate=2021-10-09|language=ja}}</ref>、[[栃木県]][[那須郡]][[塩原市]]の[[地方競馬教養センター]]にて[[乗用馬]]となった<ref name="netkeiba-引退(2度目)" />。しかし引退約2か月後の8月28日、[[肺炎]]を発症して7歳で死亡<ref name="ラジオNIKKEI-死亡">{{Cite web|title=ダンツフレーム死亡 |url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-131910.html|website=keiba.radionikkei.jp|accessdate=2021-10-09}}</ref>、地方競馬教養センター内に墓標が建てられている<ref name="ラジオNIKKEI-死亡" /><ref>{{Cite web|title=ダンツフレーム 競走馬のふるさと案内所|url=https://uma-furusato.com/search_horse/0000326421.html|website=uma-furusato.com|accessdate=2021-10-09}}</ref>。


== 競走成績 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==


* 『[[優駿]]』(日本中央競馬会)
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]]
** 2009年7月号
** 2002年7月号
***優駿編集部「【Play-Back the Grade-I Races 2002】第52回安田記念({{GI}}) アドマイヤコジーン」
**2002年8月号
***優駿編集部「【Play-Back the Grade-I Races 2002】第43回宝塚記念({{GI}})ダンツフレーム」
***優駿編集部「【優駿インタビュー】藤田伸二騎手 『あるがままに』」
**2002年9月号
***[[石田敏徳]]「【充電完了! いざ闘いの舞台へ】古馬牡馬編 ダンツフレーム」
***[[乗峯栄一]]「【2002年春{{GI}}勝ち馬の故郷】信岡牧場(北海道浦河町)ケレン味のなさが名馬を生む」
**2009年7月号
*** 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝】ダンツフレーム 最強のバイプレイヤー」
*** 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝】ダンツフレーム 最強のバイプレイヤー」



2021年10月9日 (土) 05:49時点における版

ダンツフレーム
欧字表記 Dantsu Flame[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1998年4月19日[1]
死没 2005年8月28日(7歳没)[2]
抹消日 2003年9月27日 (JRA) [3]
2005年6月10日 (NAR)[4]
ブライアンズタイム[1]
インターピレネー[1]
母の父 サンキリコ[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者 信岡牧場[1]
馬主 山元哲二[1]
調教師 山内研二栗東[5]
宇都宮徳一(荒尾[6]
→岡田一男(浦和[1]
競走成績
生涯成績 26戦6勝[1]
獲得賞金 5億1142万8000円[1]
勝ち鞍
GI 宝塚記念 2002年
GIII アーリントンカップ 2001年
GIII 新潟大賞典 2003年
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ダンツフレーム(欧字名:Dantsu Flame1998年4月19日 - 2005年8月28日)は、日本競走馬[1]

主な勝ち鞍は、2002年宝塚記念GI)、2001年アーリントンカップGIII)、2003年新潟大賞典GIII)。

生涯

デビューまで

インターピレネーは、1990年に北海道浦河町の信岡牧場で生産された、父サンキリコの牝馬である[7]栗東トレーニングセンター坪憲章厩舎に入り、競走馬として21戦3勝[7]。特に1993年の報知杯4歳牝馬特別GII)では3着、同年のサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別GII)では4着となり、桜花賞GI)にも出走した[8]。引退後は、信岡牧場で繁殖牝馬となり、初年度はブライアンズタイム牡馬、2年目はマイニングの牡馬を生産[9]。3年目は、再びブライアンズタイムが交配された[9]

1998年4月19日、信岡牧場にて鹿毛の牡馬(後のダンツフレーム)が誕生する[1]。産まれた仔は牧場社長の信岡幸則によれば「決して見てくれのいい馬ではなかったですね。[10]」「イメージ的にはいわゆるサラブレッドというきれいな馬じゃなかったですからね[10]。」と述懐している。1999年8月、北海道セレクト市場に出場[10]。ブライアンズタイムの仔を求めていた山元哲二が、税抜き2500万円で落札した[10][11]。信岡によれば「たまたまあのセリではブライアンズタイムの子はうちのだけだったんで、それもあってセリ落としてもらったんじゃないでしょうか〔ママ[10]」と振り返っている[11]。山元の用いる冠名「ダンツ」に「フレーム」を組み合わせた「ダンツフレーム」という競走馬名が与えられ、3歳の春に栗東トレーニングセンターの山内研二厩舎に入厩した[12]

競走馬時代

3-4歳(2000-01年)

2000年6月10日、函館競馬場新馬戦(ダート1000メートル)に藤田伸二とともに、1番人気でデビュー。先に抜け出した1頭に4馬身差を離されて2着となった[12]。それから7月1日、同条件である2戦目の新馬戦では差し切りを果たし、初勝利[12]。続いて9月16日、ききょうステークス(OP)では武豊に乗り替わり、初の芝競走となったが、単勝オッズ1.4倍の1番人気に推されて出走。後方待機から最終コーナーで抜け出し、後方に3馬身半差をつけて2連勝とした[12]。さらに9月30日の野路菊ステークス(OP)では、河内洋に乗り替わり単勝オッズ1.2倍で出走。半馬身差をつけて3連勝とし、放牧に出された[12]

4歳となった2001年は、2月11日のきさらぎ賞GIII)で始動、3番人気で出走した。直線で抜け出したが、若駒ステークス(OP)など2戦2勝の1番人気、アグネスゴールドに半馬身かわされて2着[12]。その後は、皐月賞トライアル競走ではなく、2月24日のアーリントンカップGIII)を選択。単勝オッズ1.2倍の支持を集めた。後方で待機し、最終コーナーを7番手で通過して追い上げを開始[12]。逃げるキタサンチャンネルにゴール直前で並びかけたころで入線。ハナ差先着しており、重賞初勝利を果たした[12]

続いて、皐月賞GI)に出走、藤田に再び乗り替わった。3戦3勝アグネスタキオンが1.3倍、4戦3勝ジャングルポケットが3.7倍となり2頭が一桁オッズとなる中、ダンツフレームはそれらに次ぐ3番人気、オッズ16.8倍という支持であった[13]。発走直後から中団につけていたが、最初のコーナーから進路を塞がれたり、接触したりする不利をもらいながら追走[12]。直線では、好位のアグネスタキオンが先に抜け出し、ダンツフレームはその背後から追い上げた。アグネスタキオンには1馬身半を及ばなかったが、外から追い上げたジャングルポケットとの競り合いを制し、半馬身差の2着を確保した[12]

そして、5月27日の東京優駿(日本ダービー)(GI)に河内洋に乗り替わり、出走した。河内が皐月賞優勝に導いたアグネスタキオンは、屈腱炎のために戦線を離脱[12]。当日の人気では、皐月賞2着のダンツフレームが単純に繰り上がることなく、単勝オッズ6.1倍の3番人気に留まった。人気で上回った2頭は、同3着のジャングルポケット、NHKマイルカップ優勝から臨むクロフネであり、それぞれオッズは2.3倍、3.0倍を示した[14]。中団で待機し、直線では外に持ち出して追い上げた。河内が仕掛けようとした際、同じく中団を進み、先に抜け出そうとしたジャングルポケットに進路を塞がれる不利も受けた[12]。それから再び盛り返したものの、ジャングルポケットに並ぶことはできず、1馬身半差の2着となった[12]

夏休みを経て、秋は神戸新聞杯GII)から始動し、4着。続く菊花賞GI)は、ジャングルポケットに次ぐ2番人気の支持で5着。古馬との初顔合わせとなったマイルチャンピオンシップGI)も5着。止まらない連敗から立て直しを図るために、山内は目標を定めずに放牧を実施、年内全休とした[12]

5-6歳(2002-03年)

古馬となった2002年、春に放牧から帰還。天皇賞(春)ではなく、目標を中距離に定め、安田記念および宝塚記念出走を計画した[12]。5月12日の京王杯スプリングカップGII)で始動、池添謙一が騎乗し4着。池添が続投し、安田記念(GI)に出走した。香港のクイーンエリザベス2世カップ優勝から臨むエイシンプレストンが2.9倍の1番人気、ダンツフレームは、それに次いで6.2倍の2番人気に支持された[15]。良いスタートを切ったが、位置を下げて後方に待機、直線では外に持ち出した[15]。先行し、先に抜け出した7番人気のアドマイヤコジーン目がけて追い上げを開始、ゴール直前ではアドマイヤコジーンの外に並びかけた。しかしクビ差及ばず、GI3度目の2着となった[15]

続いて、6月23日の宝塚記念(GI)に出走、藤田に三度乗り替わった。藤田は、山内に対して自ら騎乗を志願[16]。この時期は通常函館競馬場に滞在していたが、この日のみ阪神競馬場に参戦した[16]。「出走していれば間違いなく1番人気になったであろう[17]」(優駿編集部)であったジャングルポケットが脚部不安、同年の天皇賞(春)を勝利したマンハッタンカフェ凱旋門賞挑戦、産経大阪杯を勝利したサンライズペガサスが体調不良のためにことごとく回避[17]。また参戦したメンバーで、唯一GI優勝経験のある二冠馬エアシャカールがいたものの、1年以上勝利のない状態にあった[17]。そんな中、ダンツフレームが単勝オッズ2.4倍の1番人気に推された。以下、2.9倍のエアシャカール、8.9倍のローエングリン、9.3倍のツルマルボーイと続いた[17]

映像外部リンク
2002年 宝塚記念
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

ローエングリンが逃げる中、ダンツフレームはエアシャカールと並んだ3、4番手に位置。そのまま直線に入り、ローエングリンが後方との差を広げ、しばらく先頭を保持[17]。内側を進んだエアシャカールは伸びを欠いた一方、ダンツフレームは外に持ち出し、後方待機から大外を進んだツルマルボーイとともに、並んで追い上げを開始[17]。やがてローエングリンを捉えて、ツルマルボーイとの競り合いとなり、ダンツフレームがクビ差制して、先頭で入線した。GI初勝利、山元ならびに山内は1995年のダンツシアトル以来宝塚記念2勝目となった[17]。それからカタオカステーブルにて夏休みを過ごし[18]、秋は毎日王冠GII)で始動して5着。以降、天皇賞(秋)GI)は自身初の二桁着順となる14着、マイルチャンピオンシップGI)ではブービー賞17着となり、休養となった[12]

6歳となった2003年は、マイラーズカップGII)および天皇賞(春)に出走し、どちらも入着。続いて「おそらく陣営はここを花道とみなしていたのだろう[12]」(阿部珠樹)と新潟競馬場ハンデキャップ競走である新潟大賞典GIII)に出走[19]GI優勝馬ゆえに負担重量は59キログラムに設定されたが、1番人気の支持[20]。2番人気のタフネススターに1馬身半差をつけて、宝塚記念以来の勝利を挙げた[20]。結局その後も現役を続行し、安田記念で5着、連覇がかかる宝塚記念では7着。夏休みを経て秋は、オールカマーGII)で復帰する予定だったが、右前脚の浅屈腱炎を発症して競走馬を引退が決定[3]、9月24日付でJRAの競走馬登録を抹消した[3]。その後は、北海道静内町のヤマダステーブルで種牡馬となるとされていた[21]

競走馬時代(2度目)- 死亡

6-7歳(2004-05年)

6歳となった2004年から種牡馬となる予定だったが、屈腱炎の治りが良かったこととオーナーの希望により一転、地方競馬で競走馬復帰が決定[22][23]荒尾競馬の宇都宮徳一厩舎に入厩し、同じくして浦和競馬の岡田一男厩舎へ移籍が予定された[24]。荒尾での能力検査では、ダート1400メートルを1分31秒5で走破して合格[25]。10月20日、かんなづき特別(ダート1500メートル)で1年4か月ぶりの復帰し、単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持されて出走[26]。好位から進んだが、JRA2勝の4番人気・シゲルカミナリ[27]に5馬身離され、2着となった[26]

それから予定通り、浦和に移籍[28]浦和記念JpnII)、東京大賞典JpnI)、川崎記念JpnI)と3戦に出走したが、それぞれ9着、14着、11着に敗れた[29]。2005年6月10日、地方競馬の競走馬登録を抹消し、2度目の引退[4][30]栃木県那須郡塩原市地方競馬教養センターにて乗用馬となった[30]。しかし引退約2か月後の8月28日、肺炎を発症して7歳で死亡[31]、地方競馬教養センター内に墓標が建てられている[31][32]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[33]およびJBISサーチ[29]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
2000. 06.10 函館 3歳新馬 ダ1000m(良) 12 6 8 002.5 (1人) 02着 01:01.0(36.9) -0.7 0藤田伸二 53 マイネルジャパン 484
07.01 函館 3歳新馬 ダ1000m(良) 8 1 1 001.8 (1人) 01着 01:00.9(37.0) -0.1 0藤田伸二 53 (タシロスプリング) 484
09.16 阪神 ききょうS OP 芝1400m(良) 10 3 3 001.4 (1人) 01着 01:21.9(35.4) -0.6 0武豊 53 (ホーマンミヤビ) 484
09.30 阪神 野路菊S OP 芝1600m(良) 9 1 1 001.2 (1人) 01着 01:35.4(34.1) -0.1 0河内洋 54 (リニアミューズ) 484
2001. 02.11 京都 きさらぎ賞 GIII 芝1800m(良) 12 8 12 006.5 (3人) 02着 01:48.0(34.9) -0.1 0武豊 56 アグネスゴールド 484
02.24 阪神 アーリントンC GIII 芝1600m(稍) 14 8 13 001.2 (1人) 01着 01:35.9(35.0) -0.0 0武豊 56 (キタサンチャンネル) 482
04.15 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 18 7 14 016.8 (3人) 02着 02:00.5(35.2) -0.2 0藤田伸二 57 アグネスタキオン 486
05.27 東京 東京優駿 GI 芝2400m(重) 18 5 9 006.1 (3人) 02着 02:27.2(35.6) -0.2 0河内洋 57 ジャングルポケット 480
09.23 阪神 神戸新聞杯 GII 芝2000m(良) 12 5 6 006.1 (3人) 04着 01:59.7(34.6) -0.2 0福永祐一 56 エアエミネム 490
10.21 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 15 6 11 004.2 (2人) 05着 03:07.7(33.9) -0.5 0武豊 57 マンハッタンカフェ 496
11.18 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 18 1 1 008.6 (5人) 05着 01:33.7(34.2) -0.5 0武豊 56 ゼンノエルシド 490
2002. 05.12 東京 京王杯SC GII 芝1400m(良) 18 5 10 007.8 (4人) 04着 01:20.6(34.2) -0.3 0池添謙一 57 ゴッドオブチャンス 490
06.02 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 18 8 17 006.2 (2人) 02着 01:33.3(34.6) -0.0 0池添謙一 58 アドマイヤコジーン 490
06.23 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 12 3 3 002.4 (1人) 01着 02:12.9(34.7) -0.0 0藤田伸二 58 ツルマルボーイ 492
10.06 中山 毎日王冠 GII 芝1800m(良) 9 8 9 005.4 (4人) 05着 01:46.7(34.1) -0.6 0藤田伸二 59 マグナーテン 474
10.27 中山 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 18 8 16 015.4 (8人) 14着 01:59.6(35.1) -1.1 0藤田伸二 58 シンボリクリスエス 488
11.17 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 18 8 18 019.8 (8人) 17着 01:34.0(35.7) -1.2 0池添謙一 57 トウカイポイント 498
2003. 04.19 阪神 マイラーズC GII 芝1600m(良) 13 2 2 018.0 (5人) 04着 01:32.4(34.9) -0.5 0池添謙一 59 ローエングリン 510
05.04 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 18 4 7 019.5 (9人) 05着 03:17.3(36.0) -0.3 0藤田伸二 58 ヒシミラクル 510
05.18 新潟 新潟大賞典 GIII 芝2000m(良) 16 4 7 003.6 (1人) 01着 01:58.3(33.7) -0.2 0本田優 59 (タフネススター) 506
06.08 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 18 4 7 005.1 (3人) 05着 01:32.3(34.1) -0.2 0藤田伸二 58 アグネスデジタル 508
06.29 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 17 7 13 026.0 (7人) 07着 02:12.5(36.8) -0.5 0藤田伸二 58 ヒシミラクル 508
2004. 10.20 荒尾 かんなづき特別 OP ダ1500m(不) 10 4 4 (1人) 02着 01:39.0( - ) -1.0 0吉田隆二 56 シゲルカミナリ 512
12.01 浦和 浦和記念 GII ダ2000m(良) 11 6 6 (2人) 09着 02:10.2(40.3) -3.1 0的場文男 58 モエレトレジャー 506
12.29 大井 東京大賞典 GI ダ2000m(重) 14 4 5 (9人) 14着 02:09.1(42.1) -6.5 0見沢譲治 57 アジュディミツオー 507
2005. 01.26 川崎 川崎記念 GI ダ2100m(重) 12 5 5 (8人) 11着 02:19.4(42.3) -5.2 0見沢譲治 57 タイムパラドックス 509

血統表

ダンツフレーム血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ロベルト系ヘイルトゥリーズン系
[§ 2]

*ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale

インターピレネー
1990 鹿毛
*サンキリコ
Sanquirico
1985 黒鹿毛
*リイフォー
Lypheor
Lyphard
Klaizia
Nell's Briquette Lanyon
Double's Nell
母の母
モンテマリア
1981 鹿毛
*ネヴァービート Never Say Die
Bride Elect
キネウスマリア *ロムルス
*マリアドロ
母系(F-No.) 21号族(FN:21-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Ribot4×5=9.38%、Big Game5x5=6.25%、Nasrullah5x5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ ダンツフレーム 5代血統表2017年9月6日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com ダンツフレーム 5代血統表2017年9月6日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ ダンツフレーム 5代血統表2017年9月6日閲覧。
  4. ^ netkeiba.com ダンツフレーム 5代血統表2017年9月6日閲覧。


脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ダンツフレーム”. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月20日閲覧。
  2. ^ ダンツフレーム号が死亡”. www.keiba.go.jp. 2021年10月7日閲覧。
  3. ^ a b c ダンツフレーム、屈腱炎で引退へ”. netkeiba.com. 2021年10月9日閲覧。
  4. ^ a b ダンツフレーム”. www.keiba.go.jp. 2021年10月9日閲覧。
  5. ^ 11R 宝塚記念|2003年6月29日(日)3回阪神4日|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年10月7日閲覧。
  6. ^ 10R かんなづき特別|2004年10月20日(水)8回荒尾6日|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年10月7日閲覧。
  7. ^ a b インターピレネー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年10月7日閲覧。
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  32. ^ ダンツフレーム 競走馬のふるさと案内所”. uma-furusato.com. 2021年10月9日閲覧。
  33. ^ ダンツフレームの競走成績”. netkeiba. ネットドリーマーズ. 2019年8月20日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 2002年7月号
      • 優駿編集部「【Play-Back the Grade-I Races 2002】第52回安田記念(GI) アドマイヤコジーン」
    • 2002年8月号
      • 優駿編集部「【Play-Back the Grade-I Races 2002】第43回宝塚記念(GI)ダンツフレーム」
      • 優駿編集部「【優駿インタビュー】藤田伸二騎手 『あるがままに』」
    • 2002年9月号
      • 石田敏徳「【充電完了! いざ闘いの舞台へ】古馬牡馬編 ダンツフレーム」
      • 乗峯栄一「【2002年春GI勝ち馬の故郷】信岡牧場(北海道浦河町)ケレン味のなさが名馬を生む」
    • 2009年7月号
      • 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝】ダンツフレーム 最強のバイプレイヤー」

外部リンク