恩納村

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おんなそん
恩納村
日本の旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
国頭郡
団体コード 47311-1
面積 50.87 km²
総人口 10,351
推計人口、2014年6月1日)
人口密度 203人/km²
隣接自治体 名護市沖縄市うるま市
国頭郡宜野座村金武町
中頭郡読谷村
村の木 フクギ
村の花 ユウナ(オオハマボウ
恩納村役場
所在地 904-0492
沖縄県国頭郡恩納村字恩納2451番地
北緯26度29分50.6秒東経127度51分13.1秒
恩納村役場
外部リンク 沖縄県恩納村役場

恩納村位置図

― 市 / ― 町・村

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
万座毛
ジ・アッタテラス
琉球村
ムーンビーチ

恩納村(おんなそん)は、沖縄県内、沖縄本島の中央部に位置する村である。

日本屈指のリゾート地であり、東シナ海の海岸に沿って走る国道58号線沿いには多くの大型リゾートホテルが立ち並ぶ。アメリカ合衆国のビル・クリントン前大統領やロシアのプーチン大統領などの世界の首脳も、2000年の九州・沖縄サミットの際には当村のホテルに滞在した。

地理[編集]

沖縄本島北部の西海岸に位置し北西に東シナ海を望む。南北27.4km、東西4.2kmと細長い地域である。山がちの地形で村面積のうち8割は山岳、3割は軍用地である。各所に小河川があり、その河口域に集落がある。河口には小規模なマングローブが見られることもある。水が豊富であるため、古くから稲作や藺草の栽培も行われた。またこの地域は首里や那覇から見た場合、山原(やんばる)では最も近い所に位置するため、「近山原」とも呼ばれていた[1]

村内では恩納岳がもっとも目立つ山である。山林はおもにリュウキュウマツなどからなる二次林に被われる。恩納岳にはかつては保存のよい照葉樹林もあり、ヤンバルクイナも生息していたと考えられるが、現在では実弾演習場となり、リュウキュウマツやススキのブッシュが大部分である。

主な丘陵[編集]

  • 恩納岳(362.8m)
  • 大綾岳(234.2m)
  • 石川岳(214.2m)
  • 読谷岳(201m)

字一覧[編集]

  • 名嘉真(なかま)
  • 安富祖(あふそ)
  • 喜瀬武原(きせんばる)
  • 瀬良垣(せらがき)
  • 恩納(おんな)
  • 谷茶(たんちゃ)
  • 冨着(ふちゃく)
  • 前兼久(まえがねく)
  • 仲泊(なかどまり)
  • 山田(やまだ)
  • 真栄田(まえだ)

隣接している自治体[編集]

人口[編集]

Demography47311.svg
恩納村と全国の年齢別人口分布(2005年) 恩納村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 恩納村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
恩納村(に該当する地域)の人口の推移
1970年 7,433人
1975年 8,266人
1980年 8,013人
1985年 8,268人
1990年 8,486人
1995年 8,685人
2000年 9,064人
2005年 9,635人
2010年 10,151人
総務省統計局 国勢調査より

歴史[編集]

1673年に金武間切と読谷山間切からそれぞれ分離され、12の村をもって恩納間切となり、1908年に恩納村となる。1975年の海洋博覧会開催を境に道路整備が進み、その後現在のようにリゾート地へと発展した。

ただし、内陸部の大部分は米軍基地であり、林野の中を金網が走っていて、その内部は立ち入り禁止となっている。恩納岳周辺は実弾演習場である。

姉妹都市・友好都市[編集]

行政[編集]

村長:志喜屋文康(2003年1月24日就任、3期目)

行政区[編集]

  • 宇加地
  • 塩屋
  • 真栄田
  • 山田
  • 仲泊
  • 前兼久
  • 冨着
  • 谷茶
  • 南恩納
  • 恩納
  • 太田
  • 瀬良垣
  • 安富祖
  • 喜瀬武原
  • 名嘉真

郵便[編集]

郵便局
  • 恩納郵便局
  • 仲泊郵便局

交通[編集]

那覇から沖縄自動車道を利用して、一時間程度の距離に位置する[3]

バス[編集]

かつては県道104号を通り村内陸部の喜瀬武原を経由するバスも運行されていたが1995年に廃止された。また路線バスのほかに、那覇空港から主要リゾートホテルを結ぶ空港リムジンバスエアポートライナーが運行されており、ここでは琉球バス交通と沖縄バスのほかに東陽バスも運行されている。

道路[編集]

医療[編集]

その他[編集]

伊武部[編集]

伊武部(いんぶ)は恩納村北部、名護との境界、ヤーシ川(伊武部川)近くの一帯。現在は字名嘉真(なかま)の伊武部原(いんぶばる)。元々は川に沿って境界標識、即ち「印」を設けたことからの「印部」であり、「伊武部」は当て字である。この地域の部落は、1870年(明治3年)頃に儀間、次いで嘉手納の一族が移り住んできたのが発祥である。何分「オンナ」村の「インブ」とのことで、戦後の一時期、外部の人間の目を気にして「インベ」と呼ぶことにしたが、やはり先祖由来の歴史ある地名を変えるに忍びないと言うことで、現在は伊武部に回帰しており、一帯のビーチもインブビーチと呼ばれている。また、1980年の『恩納村村史』には、恐らく作りものの笑い話であろう、としながらも、「私の出身は恩納のインブです」「いや、おおよその人間はオンナのインブ出身であろう」という話や、豪雨時に川の堤が破損した時、沖縄県庁に「恩納の伊武部の土手破損」との電文を打ったところ、「名護の病院に連れて行け」と返電が有った話が紹介されており、更には、外部の人間にとっては一度聞けば忘れぬことの出来ぬ、独特な素晴らしい地名であると結んでいる。なお、恩納村には他にも万座毛(まんざもう)という景勝地がある [5]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

ビーチ(海水浴場)

出身有名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『恩納村史』 p.25
  2. ^ a b “恩納村と深まる絆 石狩市、友好都市提携を調印 災害時の応援協定も”. 北海道新聞. (2013年10月21日). http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/499482.html 2013年10月23日閲覧。 
  3. ^ 恩納村Webサイト「恩納村に行く」[1](2010年11月閲覧)
  4. ^ 金武地区消防管内 NPO法人MESHサポート2011年9月27日現在
  5. ^ 『恩納村村史』 p.25、p.517、『沖縄県の地名』p.421、p.424、p.425

参考文献[編集]

  • 仲松弥秀 編著 『恩納村史』 恩納村役場 1980年3月
  • 平凡社地方資料センター 編 『日本歴史地名大系第48巻 沖縄県の地名』 p.421「恩納村」、p.424「万座毛」、p.425「伊武部」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]