ディストピア
ディストピアまたはデストピア(英語: dystopia)とは、ユートピア(理想郷)の正反対の社会である。
一般的には、サイエンス・フィクションなど空想的な未来として描かれる、否定的で反ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多い。
ディストピアの語源は、「悪い、困難な」を意味する「古典ギリシア語: δυσ-」[1]と、「場所、風景」を意味する「古典ギリシア語: τόπος」[2]を組み合わせたものである。また同様に「悪い、不道徳な」を意味する「古典ギリシア語: κακόs」を組み合わせたカコトピア(英語: cacotopia)[3]や、反ユートピア(英語: anti-utopia)、あるいは日本語では暗黒郷[4]などと呼ばれる事もある。
目次 |
概要 [編集]
ディストピアという語の初出は、オックスフォード英語辞典(OED)によれば、ジョン・スチュアート・ミルが1868年に行った演説である[5]。
ディストピア文学のはしりはH・G・ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)や『モダン・ユートピア』(1905年)などとされている。ジュール・ヴェルヌが書いた初の未来小説である『二十世紀のパリ』(1865年)は、SFにおけるディストピア小説の先駆的な試みといえるが、当時のヨーロッパにおける科学技術を賞賛する風潮になじまず、作者の生前は刊行されなかった。実際に急増するのは1920年代、ソビエト連邦の誕生やファシズムの台頭など、西欧各国で全体主義の懸念が広がった時期である[6]。
ただし、(そもそもトマス・モアの『ユートピア』が典型的であるが)16世紀以来ヨーロッパで書き継がれてきたユートピア文学に出てくる様々な「理想郷」の多くが全体主義的、管理社会的で、現代の価値観でとらえればディストピアそのものである社会や制度も理想郷のそれとして描かれていることがある。
理性が統制する社会を楽観的に描き、非理性や感情が支配する現実の社会を批判してきたユートピア文学の書き手が、現実に社会が理性や科学で統制され始めた20世紀に入ってもはや楽観的ではいられなくなり、従来の『ユートピア』を逆転してディストピアとして描くようになったと考えられる[6]。
19世紀という啓蒙の時代の反動が、SF小説の始まりと共に20世紀に現れたとも言えよう。なお、多くのディストピアにおいて、ダーウィン主義や社会進化論をベースにした「ヒト」そのものの変革が主題の一つとなっているが、これは理性信仰・科学技術信仰を基にした19世紀の進歩史観が20世紀になり強く懐疑視されるようになったものとも考えられる。
ディストピア文学もユートピア文学同様、架空の社会を描写することを通じて(架空社会を鏡にして)、現在の社会を批判することが主眼である。ディストピア文学はユートピア文学の一形態である[6]。
また、直接的にディストピア文学とは言い難い内容ではあるものの、ディストピア的世界観を借景として利用した作品が現在では数多く作られており、そのジャンルもファンタジーやアクション、私小説的なものから、果てにはアダルト作品まで多岐に及んでいる。
主な特徴 [編集]
一見すると平等で秩序正しく、貧困や紛争も無い理想的な社会だが、徹底的な管理・統制が敷かれた見せ掛けの自由であったり、人としての尊厳や人間性がどこかで否定されている。その描写は作品毎に異なるが、典型的なパターンとして以下の様な問題点がやがて描き出されてゆく。
- 体制(指導者)が自らの政治体制をプロパガンダで「理想社会」に見せかけ国民を洗脳し、体制に反抗する者には治安組織が制裁を加え社会から排除する(粛清)。
- 表現の自由が損なわれており、社会に有害と見なされた出版物は発禁・没収されることがある。
- 社会の担い手と認められた市民階級の下に、人間扱いされない貧困階級が存在し、事実上は貧富の差が激しい社会となっている(格差社会)。
- 市民社会では貧困の根絶が達成されたことになっているが、実際には社会の統制の枠から爪弾きにされた者たちが極貧層となり、それらのスラムが市民たちの目の届かぬ場所に形成されている。
- 社会の枠の中で暮らす市民階級について、体制が市民階級を血統やDNAのレベルで把握・管理している。
- 強制的に人口を調整ないし維持する必要があり、市民の家族計画、さらには恋愛・性行為や妊娠・出産など人類の繁殖にまつわる部分さえ社会によって管理されている(産児制限)。
- これら負の側面については、市民階級からは当然のものとして捉えられているか、市民階級の立場からは完全に隠蔽された社会となっている(愚民政策)。
ディストピアを題材とした作品 [編集]
単にディストピア的な世界を舞台背景としただけではなく、そのディストピア的な世界自体が重要な題材となっていると、世界的に広くみなされている作品には、以下などがある。
小説 [編集]
- H・G・ウェルズ『タイム・マシン』(1896年)『モダン・ユートピア』(1905年)『解放された世界』(1914年)
- エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』(1927年)
- オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932年)
- ホルヘ・ルイス・ボルヘス『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』(1941年)- 基本的には幻想小説。ただ一つの主体に全てが帰される偽の世界が、現実世界を浸食するディストピア化の過程にもなっている。
- ジョージ・オーウェル『1984年』(1949年)
- レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(1953年)
- ロバート・シルヴァーバーグ『生と死の支配者』(1957年)
- アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』(1962年)『見込みない種子』(1962年)
- 星新一『白い服の男』 (ショートショート、1968年)
- アーシュラ・K・ル=グウィン『オメラスから歩み去る人々』(1974年)
- 高見広春『バトル・ロワイアル』(1999年)[7]
- 山田悠介『特別法第001条DUST』(2006年)『ニホンブンレツ』(2009年)
- 貴志祐介『新世界より』(2008年)
- あさのあつこ『NO.6』(2003年~2011年: 全9巻)
- スーザン・コリンズ『ハンガー・ゲーム』(2012年)
映画 [編集]
上述の小説の映画化版を除く。
- フリッツ・ラング監督『メトロポリス』(1927年)
- ジョージ・ルーカス監督『THX 1138』(1971年)
- マイケル・キャンパス監督『赤ちゃんよ永遠に』(1972年)
- リチャード・フライシャー監督『ソイレント・グリーン』(1973年)
- ジョン・ブアマン監督『未来惑星ザルドス』(1974年)
- ポール・バーテル監督『デス・レース2000年』(1975年)
- ノーマン・ジュイソン監督『ローラーボール』(1975年)
- L・Q・ジョーンズ監督『少年と犬』(1975年)
- マイケル・アンダーソン監督『2300年未来への旅』(1976年)
- ロバート・アルトマン監督『クインテット』(1979年)
- ジョン・カーペンター監督『ニューヨーク1997』(1981年)
- リドリー・スコット監督『ブレードランナー』(1982年)
- テリー・ギリアム監督『未来世紀ブラジル』(1985年)
- ポール・マイケル・グレイザー監督『バトルランナー』(1987年)
- マルコ・ブランビラ監督『デモリションマン』(1993年)
- ジョン・カーペンター監督『エスケープ・フロム・L.A.』(1996年)
- カート・ウィマー監督『リベリオン』(2003年)
- マイケル・ベイ監督『アイランド』(2005年)
- ミゲル・サポクニック監督『レポゼッション・メン』(2010年)
音楽 [編集]
- 平沢進『BLUE LIMBO』(2003年)、『白虎野』(2006年)、『点呼する惑星』(2009年)- 平沢は活動初期から『1984年』の影響を受けてはいたが、ディストピアを大々的に表現した作品として、これら三部作を発表している。
- ももいろクローバーZのアルバム『5TH DIMENSION 』の一曲「仮想ディストピア」(2013年)
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ δυσ-, Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek-English Lexicon, on Perseus
- ^ τόπος, Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek-English Lexicon, on Perseus
- ^ κακόs, Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek-English Lexicon, on Perseus
- ^ デイヴィット・アスキュー 「リバタリアンSF:『月は無慈悲な夜の女王』を中心に」『リバタリアニズム読本』 勁草書房、2005年、84頁。ISBN 978-4326101542。
- ^ http://oed.com/cgi/findword?query_type=word&find=Find+word&queryword=Dystopia
- ^ a b c 『シュルレアリスムとは何か』 巖谷國士、ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08678-1
- ^ 2000年に映画化。