キース・アーバン

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キース・アーバン
Keith Urban
2007年撮影}
2007年撮影
基本情報
出生 1967年10月26日(47歳)
出身地 オーストラリアの旗 オーストラリア カブルチャー
ジャンル カントリー・ミュージック
職業 ミュージシャン歌手

キース・アーバン(Keith Urban, 1967年10月26日 - )は、ニュージーランドウェリントン生まれ、オーストラリア出身のカントリー歌手。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

ニュージーランドウェリントンで生まれ、2歳の頃にオーストラリアクイーンズランド州カブルチャーへ移住した。6歳の頃にはすでに音楽業界へ入ることを考え、7歳から技術を学び、8歳には若年層の歌のコンテストで入賞し始めた。

数年後、タムワース・カントリー音楽祭でゴールデン・ギター賞を受賞しテレビ番組の『レグ・リンゼイ・カントリー・ホームステッド』、マイク・マクレランドの番組などにジェニー・ウィルソンとデュエットし、ブリスベンの少女だちとレギュラー出演し、オーストラリアのカントリー音楽業界に進出し始めた。また、カブルチャー近くの北部郊外カントリー音楽クラブのステージに定期的に上がっていた。

1990年、オーストラリアのEMIと契約、デビュー・アルバムは、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツのカントリーで1位を獲得した。1993年から1994年、スリム・ダスティのバック・バンドとしてツアーに参加した。1990年代半ば、ダスティとアーバンはダスティの名曲『Lights on the Hill』で再度デュエットし、ダスティのバックとしてグランド・オール・オープリーに初めて出演した。

1992年、ブルックス・アンド・ダンのギタリスト、アラン・ジャクソンのミュージック・ビデオ『Mercury Blues』のバックの職を得て、テネシー州ナッシュビルに引っ越した。後に3人組のバンドThe Ranchを結成し、1997年にアルバムを発売した。リード・ボーカルだった彼は、解散後の翌1998年にソロ・デビューした。1999年、『スターになるためのボーカル・コーチ』ブレット・マニングと出会い、2001年まで共に活動した。

しかし、予てからのコカインの常習で、1998年には最悪の状態になり、更生施設のカンバーランド・ハイツに入所。翌1999年に復活し、セルフ・タイトル・アルバムは、2001年のアカデミー・オブ・カントリーミュージックで新人男性歌手賞、カントリーミュージック協会のホライゾン賞を獲得した。彼のギター技術は広く注目され、ガース・ブルックスの『Double Live』、ディクシー・チックスの『Fly』、ポール・ブラントの『This Time Around』など他のミュージシャンのアルバムに参加した。

2004年、オーストラリアでスリム・ダスティの追悼としてタムワースのトリビュート・コンサートで『Lights on the Hill』を演奏した。

第9回インディペンデント・ミュージック・アワードの審査員として参加した。彼の助言は、世界中のインディペンデント・アーティストの助けとなった。

Golden Road』および『ビー・ヒア』[編集]

2002年、アルバム『Golden Road』をリリースし、シングル『サムバディ・ライク・ユー』の成功で彼のキャリアは高まった。名高いカントリー歌手のブルックス・アンド・ダンマルティナ・マクブライドケニー・チェズニーのツアーをサポートし、彼の技術やステージングは鍛えられた。カントリー・ビデオ・チャンネルCMTは『キース・アーバン・ビー・ヒア'04』と題されたカトリーナ・エラムが前座の彼の最初のアリーナ・ツアーのタイトル・スポンサーとして契約した。彼の栄光への軌跡は2005年も続き、エラムとのツアー『Alive in '05』は大成功となった。2005年7月2日にフィラデルフィアで行われたLIVE 8に出演し、GAPのキャンペーン『Favorites』で他の7人のミュージシャンと共に選ばれた。彼は2005年のCMAの男性ボーカリスト賞となった。2004年12月、カリフォルニアのウィルターン・シアターで収録されたDVDが、2005年9月下旬に『Livin' Right Now』をリリースされた。

2005年、初めてヨーロッパの観客の前で演奏した。5月にブライアン・アダムスロンドンアールズ・コートグラスゴースコティッシュ・エキシビジョン・カンファレンス・センターダブリンザ・ポイントを含むヨーロッパおよびアイルランドのツアーにサポートとして同行した。6月6日、『ビー・ヒア』と『Golden Road』からの曲を含むUK限定アルバム『デイズ・ゴー・バイ』が発売された。

10月、ネリーナ・パロットと共にサポート演奏としてリチャード・ウィンランドとツアーに戻った。

アーバンは最近CMAアワードで『Better Life』を、アメリカン・ミュージック・アワードで『You'll Think of Me』を演奏した。またフェイス・ヒルと共にグラミー賞授賞式で『You'll Think of Me』と『ザ・ラッキー・ワン』を披露。2006年、ACMアワードで『Tonight I Wanna Cry』を演奏し、ブルックス・アンド・ダンの『Believe』をギター演奏した。

『愛・至上主義(ラブ、ペイン、アンド・ザ・ホール・クレイジー・シング)』[編集]

2006年8月21日月曜日、ニュー・シングル『ワンス・イン・ア・ライフタイム~一生に一度の愛だから(Once in a Lifetime)』で17位で初登場し、ビルボード・カントリー・チャートで62年ぶりの初登場上位記録となった。この記録はこれまでガース・ブルックスの『Good Ride Cowboy』とエディ・ラビットの『Every Which Way But Loose』の18位が最高であった。『Good Ride Cowboy』はニールセン・ブロードキャスト・データ・システムの時代(1990年から現在)で最も高かった。しかしこの曲はケニー・チェズニーの『Don't Blink』の初登場16位によって破られたが、再度ガース・ブルックスによって『More Than A Memory』の初登場1位で記録が塗り替えられた。

アーバンはまたオーストラリアのタムワースで行われるCMAオーストラリア主催のタムワース・カントリー音楽祭でゴールデン・ギター賞を多数受賞している。彼はまた以前CMAアワードとタムワース・カントリー音楽祭共同主催で毎年行われるトヨタ・スターメーカー・コンテストを受賞したこともある。

彼はケーブルテレビのGAC(グレート・アメリカン・カントリー)の2007年7月のアーティストとして出演した。彼はこの1ヶ月の間毎日、愛、生活、彼の新しいアルバムそしてリハビリ施設など多方面からの質問に答えた。

2007年7月7日、世界中で開催されたアル・ゴアLive Earthアリシア・キーズと共に出演した。このコンサートは地球温暖化防止を訴えた。彼はニューヨークでのコンサートに出演し、彼のツアー『ラブ、ペイン、アンド・ザ・ホール・クレイジー・ワールド・ツアー』でのインタビューで地球温暖化は政治的問題ではなく環境のためにバイオ・ディーゼル・バスを使うべきだと言った。

2007年11月20日(日本では2008年3月12日)、最初のベスト盤『グレイテスト・ヒッツ - 18キッズ(Greatest Hits: 18 Kids)』を発売した。このCDは彼の10曲のヒット曲と新曲『Romeo's Tune』『Got It Right This Time (The Celebration)』を含む。

2008年1月、カントリー歌手仲間のキャリー・アンダーウッドと共に『ラブ、ペイン、アンド・ザ・ホール・クレイジー・カーニバル・ライド・ツアー』に乗り出した。2008年5月上旬、『A New Sunshine』をグランド・オール・オープリーで発表した。2008年5月下旬、彼がまだ若かった頃のCD『You Look Good in My Shirt』を再録した。この曲は5月の終わりにラジオで流された。「『Over the years it (『You Look Good In My Shirt』)』はいつの時代でもヒット曲だと思うよ。」と彼は言った。「なぜシングル・カットしないのかというファンやラジオでのたくさんのリクエストを聞いて、スタジオに戻って再録することを思いついたんだ。」(keithurban.net) シングルは2008年秋の『ラブ、ペイン、アンド・ザ・ホール・クレイジー・ワールド・ツアー』のDVDリリースの布石となった。2009年3月31日、『Defying Gravity』が発売された。

2007年のアルバム『グレイテスト・ヒッツ - 18キッズ』の『You Look Good in My Shirt』は彼の最初の再録作品となった。このアルバムは2008年8月19日に発売された『Greatest Hits: 19 Kids』の基となった。また、ブラッド・ペイズリーのインストゥルメンタル・アルバム『Play』の『Start a Band』にも出演している。

Defying Gravity[編集]

5枚めのアルバム発売が近付くとシングル『Sweet Thing』を発表した。この曲はこのアルバムからの最初のナンバー・ワン・ヒット曲となった。彼のこれまでの何枚かのヒット曲を書いたモンティ・パウエルとの共作で、長くプロデュースしてくれているダン・ハフとの共同プロデュースである。2009年3月31日発売の『Defying Gravity』はキャピタル・レコードから発売した。2009年3月、このアルバムからの2曲めのシングル『Kiss a Girl』が発売された。彼はこの曲をアメリカン・アイドルシーズン8のファイナルで優勝者のクリス・アレンとデュエットした。アルバムからの3番めのシングル曲『Only You Can Love Me This Way』はスティーブ・マクエンとジョン・レイドの共作でヒット・チャートの上位に上がった。アルバム『Defying Gravity』はビルボード200で初登場1位となった。これは彼の最初の初登場1位のCDとなった。これまでは2枚が初登場3位が最高であった。

2009年のCMAアワードで最高賞のエンターテイナー・オブ・ザ・イヤー、4年連続の男性ボーカリスト賞を含む4部門ノミネートされた。また『Defying Gravity』でアルバム・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされ、ブラット・ペーズリーの『Start a Band』と共にミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされた。

10月2日、『Hit The Ground Runnin'』のビデオがCMTおよびCMT.comで公開された。

2009年、アルバム『Defying Gravity』を特徴とするコンサート『Escape Together tour』では前座にテイラー・スウィフトシュガーランドジェイソン・アルディーンなど多くのビッグ・ネームが務めた。2009年6月27日、アイオワ州デモインウェルス・ファーゴ・アリーナで『Only You Can Love Me This Way』のビデオを収録した。

2010年5月5日、ナッシュビルで新しいアルバムのレコーディングの間にCNNのインタビューを受けていた時に洪水に遭い、彼のギターは全て水に沈んだ。

2010年、ツアー『Summer Lovin' tour』はフェスティバルのようだった。

Get Closer[編集]

2010年3月、アーバンは新しいアルバムの制作に入った。このレコーディングの行程は彼の公式ホームページのブログに公開された。9月上旬、アルバムは『Get Closer』という題名で11月16日に発売されると発表された。同時に『Put You in a Song』がアルバムからの最初のシングルとなり、9月13日のラジオで公開されてネット配信されることも発表された。

2010年11月10日、第44回カントリー・ミュージック・アワードに出演した。

新しいアルバムの宣伝のため、彼はニューヨーク市ペンシルベニア駅およびフィラデルフィアの駅でサプライズ・コンサートを行った。即興コンサートは新曲と既存曲を含め4曲演奏された。

11月30日、カナダアルバータ州エドモントンウェスト・エドモントン・モールのアイス・リンクでフリー・コンサートを行った。観衆は『Get Closer』からの最初のシングル『Put You in a Song』と過去のヒット曲の最高の演奏を聴くことができた。また、敬意を込めてジョニー・キャッシュの『Folsom Prison Blues』とスティーヴ・ミラーの『The Joker』を演奏した。

プライベート[編集]

1992年より8年間、動物看護師のローラ・シグラーと交際していた。2001年、彼がプロポーズをしたが、2002年、結局別れてしまった。

2002年から2004年まで、スーパーモデルニキ・テイラーとの交際の噂があった。

2005年1月、ハリウッドでのオーストラリアの名誉国民イベント『G'Day LA』でオーストラリア人のニコール・キッドマンと出会ったが、報道によると6ヶ月後までデートすることがなかったそうだ。2006年6月25日日曜日、彼らはシドニーマンリーにあるセント・パトリックス・エステートカーディナル・セレッティ・ メモリアル教会で結婚式を挙げた。

2006年10月19日、カリフォルニアの更生施設のベティ・フォード・センターに入った。10月20日、「ニコールや私を愛してくれて支えてくれる人たちに申し訳ない。」と声明を出した。2007年1月18日、完全に更生し、新しいアルバム『愛・至上主義(ラブ、ペイン、アンド・ザ・ホール・クレイジー・シング)』のコンサート・ツアーに出ることを発表した。

2007年2月2日、ニュージャージー州の画家が同名でホームページを持っていることに反し訴訟を起こした。http://www.keithurban.com 彼はURL上での名前の権利を主張した。歌手のキース・アーバンのURLはhttp://www.keithurban.netである。画家側からも訴訟を起こした。この訴訟は画家側の勝訴となった。

2007年10月1日、シドニーの家の近くでパパラッチに追い掛けられた時、オートバイでスリップしたが怪我はなかった。公式声明によると、彼は「ある人の仕事に対する情熱と私のプライバシーを守る情熱が引き起こした」と語った。彼は車が近付いてくるのを避けようとしてオートバイが転倒したと言った。また、カメラマンは写真を撮ることなく彼を助けてくれたとも言った。

2008年1月7日、ニコール・キッドマンとキース・アーバンの第一子妊娠が確認された。キッドマンの広報担当者は「この夫婦は興奮して待ちきれない」と言った。2008年7月7日、テネシー州ナッシュビルでキッドマンは彼らの第一子である長女サンディ・ローズ・キッドマン・アーバンを出産した。サンディ・ローズの体重は2.93kg (6lbs, 7.5 oz)であったことが彼のホームページで公開された。

『今朝早く、ニックは私たちの美しい女の子の赤ちゃん、サンディ・ロース・キッドマン・アーバンを出産しました。私たちは私たちのことを考えて祈ってくれた皆さんに感謝したいです。私たちは今日みなさんとこの喜びを分かち合うことができて幸福と感謝を感じています。』

2010年12月28日、アーバンとキッドマンはナッシュビルのセンテニアル・ウーメンズ・ホスピタルで代理母より生まれた2人めの娘、フェイス・マーガレット・キッドマン・アーバンを迎えた。この赤ちゃんはアーバンとキッドマンの生物学的に実の娘である。2011年1月17日、キースは以下の声明を自身のホームページに掲載した: "私たちの家族はフェイス・マーガレットという赤ちゃんを与えられて本当に幸福で、とても感謝しています。今回のことに協力してくれた皆さん、特に代理母の方には信じられないほどの感謝の気持ちを十分に言葉に表すことができません。"

彼は娘を公開したり、積極的にPRしたりしないことにした。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

ベスト盤[編集]

  • グレイテスト・ヒッツ - 18キッズGreatest Hits: 18 Kids (2007年/2008年3月12日日本発売) B

1位獲得のシングル[編集]

A 当初オーストラリアのみで発売されたが、2005年に再発売された。
B 2008年に1曲追加されて Greatest Hits: 19 Kids  として再発売された。
C カナダでのみの1位獲得シングル。

ツアー[編集]

オフィシャル・ツアー[編集]

  • Livin' Right Now Tour (2004年) – 第4弾アルバム『Be Here』より
  • Alive In 05 (2005年) – 第4弾アルバム『Be Here』より
  • Still Alive in 06 (2006年) – 第4弾アルバム『Be Here』より
  • Love, Pain & the Whole crazy World Tour (2007年) – 第5弾アルバム『愛・至上主義 Love, Pain & the Whole Crazy Thing』より
  • Love, Pain & the Whole Crazy Carnival Ride (2008) – 第5弾アルバム『愛・至上主義 Love, Pain & the Whole Crazy Thing』より。キャリー・アンダーウッド『Carnival Ride』と共に。
  • Escape Together World Tour 2009 (2009年) – 2009年3月31日発売第6弾アルバム『Defying Gravity』より
  • Summer Lovin' 2010 (2010年) – 2009年3月31日発売第6弾アルバム『Defying Gravity』より
  • Get Closer 2011 World Tour (2011年)(予定) – 2010年10月16日発売第7弾アルバム『Get Closer,』より

サポーティング・ツアー[編集]

  • Brooks & Dunn's Neon Circus & Wild West Show 2001
  • Eagles Summer 2010 Tour (2010年) - イーグルスディクシー・チックスと共演。2010年3月16日、キースは両者と共に北米のスタジアム・コンサート・ツアーに出ることを発表した。ボストンシカゴを含む5公演が行われる。

外部リンク[編集]