ヴィンス・ギル

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ヴィンス・ギル (Vincent Grant "Vince" Gill 1957年4月12日 - ) はアメリカ合衆国カントリー・ミュージックシンガーソングライターマルチプレイヤー。1970年代カントリーロック・バンドのピュア・プレイリー・リーグのフロントマンとして商業的成功と名声を得る。1983年にソロ活動を始め歌手としてもミュージシャンとしても才能を開花させ、ゲスト歌手やデュエットの相手として声がかかる。ギルは20枚以上のアルバムを発表し、『ビルボード』誌のカントリー・チャートには40曲以上のシングルがランクインし、アルバムの総売り上げは2,200万枚を越える。カントリーミュージック協会主催のCMAアワードに2回の最高賞エンターテイナー・オブ・ザ・イヤーと5回の男性ヴォーカリスト賞を含む18回入賞している。また男性カントリー歌手で最高の20回グラミー賞を受賞している。2007年 、カントリー・ミュージック殿堂入りを果たした。

生い立ち[編集]

ヴィンセント・グラント・ギル(愛称ヴィンス)はオクラホマ州ノーマン生まれ。弁護士行政法裁判官の父ジェイ・スタンリー・ギル[1]はカントリー・ミュージック・バンドで演奏しており、ギルが音楽業界に進むことを奨励した。ギルはオクラホマシティの北西クラッセン高等学校に進む前に父のおかげで既にバンジョーギターなどいくつかの楽器を演奏できるようになっていた。1970年代後期10代の頃ブルーグラス・レヴューズというバンドで活動したのが本格的な活動の始まりとなった。このバンドの他のメンバーはバンジョーのビリー・ペリー、マンドリンのボビー・クラーク、ベースのマイク・ペリーである。

高校時代、ピュア・プレイリー・リーグ、キッスの前座をやったことのあるブルーグラス・バンドのマウンテン・スモークで活動していた。卒業後はリッキー・スキャッグスのバンドであるボーン・クリークやバイロン・バーリン・アンド・サンダンスなど多くのブルーグラスのバンドで活動。後にロドニー・クロウェルのバンドザ・チェリー・ボムズのメンバーとなった。

経歴[編集]

1979年、カントリーロック・バンドのピュア・プレイリー・リーグのアルバム『Can't Hold Back 』に出演し全米デビューすることとなった。ギルは彼らのヒット曲『Let Me Love You Tonight 』でリード・ヴォーカリストを務めた。

マーク・ノップラーは彼のバンドのダイアー・ストレイツにギルを誘ったがギルは断った。しかしダイアー・ストレイツのアルバム『On Every Street 』ではバックコーラスで参加している。

ドートリーの第2弾アルバム『Leave This Town 』の『Tennessee Line 』でもバックコーラスで参加。

1991年より『グランド・オール・オープリー』のメンバーである[2][3]

2010年11月10日のCMAアワードに出演することなった[4]

ルリス・ブラックの『Stark Raving Black 』の中でギルと妻のエイミー・グラントが出演したトニー・ラルーサの動物救助財団の慈善コンサートをネタに長々とジョークを語った。

ジョー・ボナマッサの『Dust Bowl 』でコラボレートしている。

2011年7月、NPRのクイズ番組『Wait Wait... Don't Tell Me! 』にゲスト出演。

2012年2月23日、23年間所属したMCAナッシュビルを離れたことを発表。

2012年4月14日、ボニー・タイラーのアルバム『Rocks & Honey 』に収録されるデュエット『What You Need From Me 』が完成[5]

2012年6月、ブルーグラスの曲のみでコンサート・ツアーを行なうことを発表[6]

2012年9月6日、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームで2,478個目の星を受けた[7]

2012年10月15日、ケリー・クラークソンの初のベスト・アルバムGreatest Hits: Chapter One 』に収録される『Don't Rush 』にバックコーラスで参加することが発表された。2012年11月1日のCMAアワードで初披露された。

2012年、カントリー・スウィング・グループのタイム・ジャンパーズに参加し、同名のCDが発売された。

2013年3月16日、ロンドンで行なわれるフェスティバル『C2C: Country to Country 』に出演[8]

プライベート[編集]

1980年、カントリー姉妹デュオのスウィートハーツ・オブ・ザ・ロデオのジャニス・オリヴァーと結婚し、1982年5月5日、娘ジェニファー・ジェリーン・ギルが生まれた。ギルはジャニスのバンドのコンサートに時々サウンド・ミキサーとして参加した。1990年代半ば、ギルとジャニスは別居し、1998年6月、最終的に離婚。2000年3月、クリスチャン・ポップ歌手のエイミー・グラントと再婚。2001年3月12日、娘コリナ・グラント・ギルが生まれた、コリナは母の姓グラントと父の姓ギルを受け継いでいる。

ギルとエイミーはナッシュビル・プレデターズのファンでシーズン・チケットを持っており、客席にいる所をしばしば大型スクリーンに映し出される。2007年のプレイオフで2人は国歌を歌った。

ギル自身は大学に進学したことがないが、オクラホマ大学フットボール・チームの大ファンである。また彼はテネシー州ナッシュビルベルモント大学の男子バスケットボールの試合のほとんどに観戦に行っている。

ギルは熱心なゴルファーでもあり、ハンディキャップは1か2である。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム

主な受賞歴[編集]

アカデミー・オブ・カントリーミュージック - ACMアワード

  • 1984年、最優秀新人男性ヴォーカリスト賞
  • 1992年、年間楽曲賞 with ジョン・バーロウ・ジャーヴィス - 『I Still Believe In You
  • 1992年、最優秀男性ヴォーカリスト賞
  • 1993年、最優秀男性ヴォーカリスト賞

カントリーミュージック協会 - CMAアワード

  • 1990年、年間シングル賞 - 『When I Call Your Name
  • 1991年、年間男性ヴォーカリスト賞
  • 1992年、年間男性ヴォーカリスト賞
  • 1992年、年間楽曲賞 with マックス・D・バーンズ - 『Look At Us
  • 1993年、年間アルバム賞 - 『I Still Believe in You
  • 1993年、年間男性ヴォーカリスト賞
  • 1993年、年間楽曲賞 with ジョン・バーロウ・ジャーヴィス - 『I Still Believe in You
  • 1994年、エンターテイナー・オブ・ザ・イヤー(最高賞)
  • 1994年、年間男性ヴォーカリスト賞
  • 1995年、年間男性ヴォーカリスト賞
  • 1999年、年間ヴォーカル・イベント賞 with パティ・ラヴレス - 『My Kind of Woman, My Kind of Man

カントリー・ミュージック殿堂

  • 2007年、殿堂入り

グラミー賞 (40回ノミネートされ、20回受賞)

ナッシュビル・ソングライター殿堂

  • 2005年、殿堂入り

ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム

  • 2012年

脚注[編集]

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  1. ^ The 85th PGA Championship / News / Vince Gill: A man whose life is in tune (8/13/03)
  2. ^ Vince Gill”. Grand Ole Opry. 2012年6月29日閲覧。
  3. ^ Opry Member List PDF” (2012年4月23日). 2012年6月29日閲覧。
  4. ^ Country Music Awards”. TVGuide.com (2010年11月4日). 2012年6月29日閲覧。
  5. ^ Bonnie Tyler updated news, Bonnie Tyler's official website, Retrieved April 19, 2012
  6. ^ Palisin, Steve (2012年6月7日). “Vince Gill concert will be 'all bluegrass'”. The Sun News. http://www.myrtlebeachonline.com/2012/06/07/2869285/vince-gill-concert-will-be-all.html 2012年6月8日閲覧。 
  7. ^ Vince Gill Getting Star on the Hollywood Walk of Fame” (2012年8月23日). 2012年12月11日閲覧。
  8. ^ Tim McGraw, Carrie Underwood Set to Headline London’s First-Ever Country to Country Music Festival”. Taste of Country (2012年12月10日). 2012年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月11日閲覧。

外部リンク[編集]