アーサー・C・クラーク

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アーサー・C・クラーク
Sir Arthur Charles Clarke
Clarke sm.jpg
ペンネーム Charles Willis,[1]
E.G. O'Brien[1]
誕生 1917年12月16日
イギリスの旗 イギリス サマセット州 マインヘッド
死没 2008年3月19日(満90歳没)
スリランカの旗 スリランカ コロンボ
職業 SF作家
国籍 イギリスの旗 イギリス スリランカの旗 スリランカ
最終学歴 キングス・カレッジ・ロンドン
ジャンル SF
主題 科学
代表作 2001年宇宙の旅
幼年期の終わり
宇宙のランデヴー
楽園の泉
主な受賞歴 ヒューゴー賞
ネビュラ賞
ローカス賞
処女作 抜け穴
公式サイト http://www.clarkefoundation.org/
Portal.svg ウィキポータル 文学
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サー・アーサー・チャールズ・クラークSir Arthur Charles Clarke1917年12月16日 - 2008年3月19日)は、イギリス出身のSF作家20世紀を代表するSF作家の一人であり、科学解説者としても知られている。

概要[編集]

1950年代から1970年代にはロバート・A・ハインラインアイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍した[2]。他の2人がエンターテイメント、SF叙事詩を志向したのに対して、クラークは豊富な科学的知識に裏打ちされた近未来を舞台にしたリアルなハードSF作品群と仏教思想に共鳴した「人類の宇宙的進化」を壮大に描く作品群とに特色がある。代表作は『幼年期の終わり』、『2001年宇宙の旅』。作品のほとんどが邦訳されている。短編では「太陽系最後の日」や「星」などが有名。SF以外の小説はイギリス空軍時代の体験を基にした1963年の Glide Path(日本語未訳)の一作のみ。

1941年から1946年までイギリス空軍にてレーダー技師を務めた。1945年には人工衛星による通信システムを提案した[3][4]。1946年から1947年まで英国惑星間協会の会長を務め、1951年から1953年にも再び会長を務めた[5]

1956年、スリランカ(当時セイロン)に移住したが、これはスキューバ・ダイビング好きが高じたのが主な理由であり[6]、死去するまでほとんどの期間をそこで過ごした。『スリランカから世界を眺めて』というスリランカでの暮らしに触れたエッセイ集もある。晩年まで小説を執筆した。1998年エリザベス女王よりナイトの称号を授与され[7][8]、2005年にはスリランカの文民向けの最高の勲章 Sri Lankabhimanya を授与された[9]

生涯[編集]

1917年12月16日に、サマセット州マインヘッドにて生まれる[2]。少年時代は天体観測を趣味とし、アスタウンディングなどのパルプ誌をはじめとしたSF小説に熱中していた[10]。1934年に英国惑星間協会へ入会し、活発に活動する(1946年には会長になった)。1936年にグラマースクールを卒業した後は公務員(教育委員会年金部門の監査役)として働いていた[11]

第二次世界大戦中にはイギリス空軍将校として電波探知法、レーダーの開発に取り組み、教官も務める。レーダーによる早期警戒システム構築に関わり、このシステムがバトル・オブ・ブリテンでの勝利に寄与した。戦時中に特に力を入れたのは着陸誘導管制 (GCA) 用レーダーの開発であり、半自伝的小説 Glide Path に描かれている。戦争中にGCAが広く実用化されることはなかったが、その後の開発によって1948年から1949年のベルリン封鎖では大いに活用された。軍での階級は当初伍長だったが、1943年5月27日には空軍少尉(技術部門)となっている[12]。さらに1943年11月27日には中尉に昇格している[13]復員時には大尉だった。戦後、ロンドン大学キングス・カレッジに入学し、物理学数学を専攻する。一時、大蔵省に勤めるがすぐに退職。

静止衛星の概念そのものはクラークの発明ではないが、人工衛星による電気通信のリレーというアイデアはクラークのものである。1945年にそのアイデアを論文にし、英国惑星間協会の主要メンバーに見せた。その論文を改稿したものを同年10月に科学雑誌“Wireless World”へ寄稿し、現在、通信の基幹となっている衛星通信の構想を初めて科学的に示したとされる[14][15]。1946年から1947年にかけて英国惑星間協会の会長を務め[16]、さらに1951年から1953年にかけても同職を務めた[17]。クラークは宇宙開発に関する科学解説書もいくつか書いており、『宇宙の探検』(1951) と The Promise of Space (1968) が特に有名である。赤道上空高度36,000kmの静止軌道を衛星通信に利用するというアイデアを提唱したことから、国際天文学連合はその軌道を公式に「クラーク軌道」と名付けた[18]

1953年、フロリダに旅行して子持ちの22歳のアメリカ人女性 Marilyn Mayfield と出会い、電撃的に結婚[19]。6カ月後には別居したが、離婚が正式に成立したのは1964年のことである(映画2001年宇宙の旅の製作時期のアメリカ滞在中)[20]。クラークは「この結婚は最初から間違いだった」と述べている[20]。その後クラークが結婚することはなかったが、スリランカ人男性 Leslie Ekanayake とは親密な関係となり、『楽園の泉』の献辞には彼について「生涯ただ1人の親友」と書いていた[21]。クラークはコロンボにある墓地で、約30年前に亡くなった Ekanayake と同じ墓に埋葬された。スタンリー・キューブリックの伝記を書いた John Baxter は、クラークの同性愛指向について、彼がスリランカに移住した理由の1つとしてスリランカの法律が同性愛に寛大だったからだとしている[22]。あるジャーナリストがクラークに同性愛者なのかと尋ねたときは否定していた[23]。しかし、マイケル・ムアコックは次のように書いている。

誰もが彼がゲイだと知っていた。1950年代にはボーイフレンドを伴った彼と飲みに行ったこともある。彼の同棲相手やその家族にも何度も会ったことがある。彼らは一様に彼の親切に感謝していた。やや自己陶酔的で絶対禁酒主義者だったが、全く完璧な紳士だった。[24]

ムアコックの主張を裏付ける文献はないが、PLAYBOY誌1986年7月号のインタビュー[25]でクラークは両性愛の経験があるかと尋ねられ「もちろん」と応えている[26]

クラークは原稿や個人的メモの膨大なコレクション "Clarkives" を維持していた。現在は兄弟のフレッド・クラークが保管している。クラークはかつて、死後30年経過するまで日記を公開しないと述べている。なぜ日記を封印したのかと聞かれ「まあ、あらゆる種類の恥ずべきことがそこに書かれているかもしれない」と応えている[27]

作家としての経歴[編集]

クラークは1937年から1945年までファンジンにいくつか小説を発表していたが、1946年アスタウンディング4月号に掲載された短編「抜け穴」で商業誌デビューする。実際に最初に売れたのは翌5月号に掲載された「太陽系最後の日」である。この作品は評価が高く、日本では『S-Fマガジン』創刊号に翻訳が掲載され、支持を得た。作家活動が本格化してきた1949年に Science Abstracts 誌の編集助手として働くようになったが、1951年以降は専業作家となった。また、イギリスのSFコミック Dan Dare シリーズの原作も手がけており、最初の長編3作は子供向けを意図して書いていた。

クラークは1940年代から1950年代にかけてC・S・ルイスと文通しており、一度オックスフォードのパブで会い、SFと宇宙旅行について議論したことがある。ルイスの死後、クラークは別世界物語三部作を本物の文学といえる数少ないSF作品だと述べ、最大限の賛辞を贈った。

1948年、BBCのコンクール向けに「前哨」を書いた。選外となったが、この作品がその後のクラークの経歴に変化をもたらした。それは『2001年宇宙の旅』の元になっただけでなく、クラーク作品により神秘的および宇宙的要素が加わるきっかけとなった。その後のクラークの作品では、技術的には現在よりも進歩しているが未だに偏見にとらわれた人類がさらに優れた異星生命体に出会うという設定が特徴的に見られるようになった。『都市と星』(およびその元になった『銀河帝国の崩壊』)、『幼年期の終り』、2001年シリーズといった作品では、優れた異星種族との出会いが概念的突破口を生み出し、人類がさらに次の段階へと進化することになる。クラーク公認の伝記において Neil McAleer は「いまだに多くの読者や批評家が(『幼年期の終り』を)アーサー・C・クラークの最高傑作としている」と書いている[20]

クラークは1956年から亡くなる2008年までスリランカに住んだ。移住当初はまだ「セイロン」と呼ばれており、まず南のUnawatunaに住み、その後コロンボに引っ越した[23]。クラークはイギリスとスリランカ両国の市民権を持っていた[28]。大のスキューバ・ダイビング好きで、Underwater Explorers Club の会員でもあった。作家活動の傍ら、クラークはビジネスパートナーの Mike Wilson と共にダイビング関連のベンチャーを何度か起業している。1961年、Wilsonは Great Basses Reef で難破船を発見し、そこから銀貨を回収した。翌年その難破船にダイビングして本格的に宝探しする計画だったが、クラークが麻痺を訴えて計画が中止され、ポリオと診断された。翌年、クラークは海岸や船上で銀貨回収を観察した。その難破船は最終的にムガル帝国アウラングゼーブのものと判明し、ルピー銀貨の溶融した袋や大砲などが見つかり、クラークは詳細に記録した文書を元にしてノンフィクション The Treasure of the Great Reef を出版した[20][29]。スリランカに住みその歴史を学んだことが、軌道エレベータを描いた小説『楽園の泉』の背景となった。軌道エレベータはロケットを時代遅れにし、静止衛星よりもこちらの方が重大な科学的貢献になるとクラークは信じていた[30]

1958年ごろ、クラークは様々な雑誌に科学的エッセイを連載し多くの予言を残している。これらは1962年の『未来のプロフィル』にまとめられている。2100年までの年表[31]には様々な発明やアイデアが盛り込まれており、例えば2005年に "global library" という記述がある。同書には「クラークの第一法則」が書かれ、後の版で「クラークの三法則」に改められている[20]

その後[編集]

1970年代初め、クラークは3作品の出版契約を結んでおり、当時のSF作家の新記録だった。そのうちの1作目『宇宙のランデブー』は1973年に出版され、主な賞を総なめにし、シリーズ化されることになり、2001年シリーズと並んで後期のクラークの経歴の基盤となった。1970年、「国際SFシンポジウム」小松左京主宰)ジュディス・メリルフレデリック・ポールブライアン・オールディスユーリ・カガルリツキーらと共にゲストとして来日、各地を遊歴。親睦会にてクラークはスリランカ風フラダンスを披露。

1980年代にはテレビ番組 Arthur C. Clarke's Mysterious WorldArthur C. Clarke's World of Strange PowersArthur C. Clarke's Mysterious Universe でクラークの名は一般に浸透した。1986年にはアメリカSFファンタジー作家協会からグランド・マスター賞を授与された[32]。1988年にはポリオ後症候群を発症。1962年のポリオ感染が原因で、その後は車椅子が必要になった[23]。クラークは長年 British Polio Fellowship[33] の副後援者を務めた。

1989年のイギリス女王の誕生パーティに招かれ、大英帝国勲章 (CBE) を授与された[34]。同年クラークは国際宇宙大学の初代学長に就任し、2004年まで同職を務めた。また、1979年から2002年までスリランカモラトゥワ大学の学長も務めている。

1994年、テレビ映画 Without Warning に出演している。アメリカ製作のこの映画は、ニュース番組の形式で異星人とのファーストコンタクトを描いたものである。同年、ゴリラ保護活動の後援者になっている[35]。携帯電話用電池のためのタンタル採掘がゴリラを脅かしていることが判明すると、それに対するキャンペーンにも力を貸している[36]

2000年5月26日、コロンボでの式典でナイトの称号を授与された[8][37]。ナイトに叙することは1998年の New Year Honours で発表済みだったが[7][38]デイリー・ミラー紙がクラークを小児性愛で告発したため[39][40]、クラーク側の要請で授与が延期されていた。その告発はスリランカ警察の調べで事実無根であることが判明している[41][42]デイリー・テレグラフ紙によれば、ミラー紙が後に謝罪記事を掲載したため、クラークは法的手段に訴えることはしなかった[43][44]。その後クラークは正式にナイトの称号を受けた。

2004年12月末に起きたスマトラ島沖地震では自宅は無事だったが、津波によって海に面したダイビング用の小屋やバンガローなど("Arthur C. Clarke Diving School" の施設)に被害を受けた。彼は人道支援を呼びかけ、アーサー・C・クラーク財団は災害警報システムの改善に取り組むようになった[45]。ダイビング学校は後に再建された。

2007年9月、NASAの探査機カッシーニが土星の衛星イアペトゥスをフライバイしたことについて、クラークがビデオで歓迎の言葉を送った(イアペトゥスは『2001年宇宙の旅』で重要な役割を演じた)[46]。2007年12月、クラークは友人やファンに向けて別れの言葉を述べたビデオを録画した[47]

同じく2007年12月には、生きている間に宇宙人のいるという確かな痕跡を見たかったと話していた。他に晩年には、トンデモ的な非正統科学への傾倒の向きがあり、「超伝導体の回転による重力遮蔽」が近年に実現するだろうと語ったり[48]、リチャード・ホーグランドの「火星に森林がある説」を擁護する[49]、などの言動があった。

2008年3月19日午前1時30分[50]、自宅にて心肺機能不全のため90歳で死去[2][23][51][52][53]。彼の秘書は、ポリオ後症候群に起因する呼吸困難と心不全だと発表した[54]

死の数日前、クラークは最後の作品 The Last Theorem の原稿のチェックを終えたところだった。この作品はフレデリック・ポールと電子メールでやり取りしながら書いた共作である[55]。同書はクラークの死後に出版された[56]。クラークは3月22日にコロンボ墓地にスリランカ風に埋葬された。弟のフレッド・クラークやクラークのスリランカ人家族が数千人の観衆に混じって参列した[57]

ビッグ・スリー[編集]

クラークはアイザック・アシモフロバート・A・ハインラインと共にSF界の「ビッグ・スリー」と称されていた[2]。クラークとハインラインは『宇宙の探検』を出版した1951年に文通するようになり、翌年には直接会っている。長年の友として、互いの家(アメリカとスリランカ)を訪問したこともある。しかし1984年、ラリー・ニーヴンのカリフォルニアの自宅で会ったときはアメリカの宇宙開発および外交方針(特に戦略防衛構想)に関して激しい口論になったという。2人は公式には和解したとしていたが、1988年にハインラインが亡くなるまでずっと疎遠のままだった[20]

アシモフとは1953年にニューヨークで会った。その後数十年に渡って友好的なジャブの応酬を続けた。アシモフと、もし「最高のSF作家は誰か?」と聞かれたら互いの名を答える「アシモフ - クラーク協定(Asimov-Clarke Treaty of Park Avenue)」を結んでいたと言われている[58]。1972年、クラークは自著 Report on Planet Three にこの協定のことを書いている[20][59]

宗教観[編集]

宗教的テーマはクラーク作品によく見られるが、クラーク自身の宗教観はなかなか複雑である。彼は「知識へと至る道は神へと至る道である。あるいは真実へと至る道でも何でも好きに呼べばよい」と述べている[60]。また、自らを「神という概念に魅了された者」と称した。空軍に入隊した際には、認識票の宗教欄にイングランド国教会ではなく、「汎神論者」と記した[20]。2000年にはスリランカの新聞のインタビューに「私は神も来世も信じていない」と述べ[61]、自身を無神論者だとしている[62]International Academy of Humanism からは名誉ヒューマニストの称号を与えられている[63]。また自身を「隠れ仏教徒」と称しつつ、仏教は宗教ではないと主張している[64]。若いころは宗教への興味をほとんど示しておらず、例えば結婚当初の数カ月間だけ妻の強い勧めで長老派教会に入信していただけである。

Alan Watts による3日間のインタビューの中でクラークは、宗教に対して偏見を持っており、宗教が残虐行為や戦争を防止できない点を許すことができないと語った[65]

また自身の名を冠した番組(Arthur C. Clarke's Mysterious World の "Strange Skies" という回)で「私は時折、宇宙が天文学者を永久に驚かせるよう設計された機械ではないかと思うことがある」と述べている。また同じ回の最後の方でベツレヘムの星を取り上げ[66]、その正体がパルサーだという説を述べている。パルサーはクラークの短編「星」(1955) とその番組(1980) の間に発見された天体である。そして当時発見されたばかりのパルサー PSR B1913+16 について「キリストの誕生を知らせた星の死にかけた声が今も聞こえるとしたら、何とロマンチックだろう」と述べている[66]

クラークは自身の葬儀について指示を書き残していた。そこには「あらゆる種類の宗教的儀式を葬儀で行うな」とあった[67]

クラークの有名な言葉として「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ」というものがある[64]

超常現象に対する姿勢[編集]

クラークは若いころ超常現象を好み、『幼年期の終り』の着想の原点の1つが超常現象だと述べていた。1992年の伝記で、超常現象が詐欺だと判明した例をいくつも挙げ、徐々に完全な懐疑主義者になっていったと述べている[20]。1993年と2004-2005年のインタビューでは、転生を可能にする機構が存在不可能だとして転生を信じないと述べている。しかし、J・B・S・ホールデンの言葉「宇宙は我々が想像する以上に奇妙などころか、想像できる以上に奇妙なのだ」をいつも好んで引用しているとも述べている[68][69][20]。彼は転生の概念を魅力的だとも言っているが、限りある存在であることを好むとしていた[70]

作風[編集]

クラークの作品は、科学の進歩によって人類が太陽系や海洋を探究していくだろうという楽観的な作風を特徴とする。作者の理想に基づき、高度に発達したテクノロジー/生態学/社会によるユートピア的設定がしばしば見られる[71]。初期作品は、技術革新や科学的躍進によって発達した社会が最終的に衰微していく未来を描いたものが多い。

「前哨」(1948) で初めて宗教的テーマが導入され、『都市と星』などの作品でそれがさらに追究されている。「前哨」には、知的種族が進化すると神に近いものになるというもう1つのテーマがあった。これをさらに深めたのが1953年の『幼年期の終り』である。この考え方は『地球帝国』にも若干現れている。この進化による超越という考え方はオラフ・ステープルドンの追究したテーマに近い。クラークはステープルドンの『最後にして最初の人類』(1930) について「この本ほど私の生涯に影響を与えた作品はない(中略)そしてそれに続く『スターメイカー』(1937) と共に(ステープルドンの)最高傑作に挙げられる」と述べている。

クラークは海洋(特に深海)にも大きな興味を持っており、「ビッグ・ゲーム・ハント」、「海底牧場」、「きらめく生きもの」、『イルカの島』といった作品にそれが表れている。

多くの科学者や宇宙飛行士らと親交があり、何人かは小説に登場している。他にもしばしば作中で現実とのクロスオーバーを行っており、『2010年宇宙の旅』で登場人物が遺棄宇宙船の中である有名SFホラー映画を話題にしたり、『2061年宇宙の旅』ではモノリス調査隊が映画『2001年』の撮影用プロップを発見したエピソードが登場している。

映画化作品[編集]

2001年宇宙の旅[編集]

クラークはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』で映画と関わるようになった。2人は1964年、ニューヨークで会い映画製作で協力する可能性について話し合った。その過程でクラークの短編「前哨」(1948) を元にした物語とすることが決まった。元々はクラーク自身が脚本を書くことになっていたが、キューブリックがブレインストーミングの中で、まずイマジネーションを自由に羽ばたかせるために小説を書き、それに基づいて映画を作ってはどうかと提案した。クラークは後に「そういう形で始まったが、最終的には小説と脚本は同時進行で相互にフィードバックする形で進められた。だから私は映画の試写を見た後にいくつかの章を書き直した。創作技法としては苦労が多いもので、これを楽しめる作家は滅多にいないだろう」と述べている[72]。すなわち「映画原作本」「映画のノベライゼーション」といった関係ではない。映画の劇場公開は1968年4月であり、小説の出版は同年7月である。

最高のSF映画として全世界で高く評価されており、日本の旧文部省が「特選」に指定した唯一のSF映画でもある。

映画製作の忙しいスケジュールの合間を縫ってキューブリックとクラークが小説について協力するのは難しかった。クラークは1964年末に小説の草稿を完成させ、1966年に予定されていた映画公開にさきがけて1965年に小説を出版する予定だった。しかし映画の公開は1968年にまで延び、小説もその後に完成した。小説の作者としてはクラークだけが記された。後にクラークは、キューブリックがクラークの作者としての影響を軽く見せかけるために状況を操作し、小説の出版が後になることで映画のノヴェライゼーションであるかのように見せかけたと不満を述べている。様々な理由から物語の詳細は小説と映画では異なっている。映画には個々の事象についてほとんど説明がない。一方クラークは小説版で全ての事象について因果関係を完全に説明している。ジェームズ・ランディが後に述べたところによると、映画の最初の試写の際に宇宙飛行士が11分間延々とジョギングしているシーン(公開版ではカットされている)を見た後の休憩時間にクラークが目に涙を浮かべて試写室を後にしたという。このシーンはキューブリックのアイデアで、宇宙旅行がいかに退屈なものかを示したのだという[73]

1972年、クラークはエッセイ『失われた宇宙の旅2001』で映画作成時の状況について詳しく説明し、主なシーンの別バージョンについても説明している。1999年に出版された A Space Odyssey の特別版にはクラークによる小説と映画のリリースまでの経緯を詳細に記した文章が序文として掲載された。

2010年[編集]

1982年、クラークは「2001年」の続編『2010年宇宙の旅』を出版した。この小説もピーター・ハイアムズ監督で1984年に『2010年』として映画化された。当時の政治情勢を反映し、映画では冷戦がテーマのひとつになっていたが、小説には迫りくる核戦争の危機は現れていない。映画は2001年ほど革命的でも芸術的でもないと言われたが、評価は概ね肯定的だった。その映画化に際してクラークはキューブリック抜きを条件にし、映画の仕上がりに満足したという。

クラークとハイアムズの電子メールのやりとりを含む『オデッセイ・ファイル―アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ』が1984年に出版された(原題は The Odyssey File: The Making of 2010[74][75]。当時最先端の通信手段だった電子メールを使って、別々の大陸に住んでいたクラークとハイアムズが毎日のようにやり取りして映画の計画や製作について話し合った経緯が綴られている。また、クラークが選ぶベストSF映画のリストも掲載されている。

クラークはこの映画で2カ所にカメオ出演している。1カ所は主人公のフロイド博士がホワイトハウス前で会話をしている背後で鳩に餌をやっている人物で、もう1カ所はボーマンの母の病院でのシーンで、タイム誌の表紙を飾っているアメリカ大統領がクラーク、ソ連書記長がキューブリックになっていた。

宇宙のランデヴー[編集]

クラークの『宇宙のランデブー』(1972) は何年も前に映画化権が購入されているが、未だに製作が進行していない。俳優のモーガン・フリーマンが『宇宙のランデブー』を原作とした映画を製作したいと述べていたが、2003年には資金集めに苦労していると明かしていた。IMDbでは一時期2009年公開予定とされていた。映画製作はフリーマンの制作会社 Revelations Entertainment が行う予定だった。Revelations のウェブサイトには『宇宙のランデブー』のページがあり[76]、そこに監督として名が挙がっているのがデヴィッド・フィンチャーである。彼は2007年のインタビューで『宇宙のランデブー』の映画化に意欲を見せていた[77]。しかし2008年、フィンチャーはこの映画が製作されない可能性が高いと述べた。脚本がなく、モーガン・フリーマンの健康状態が思わしくないことなどを理由に挙げている[78]。IMDbからも削除された。

静止衛星[編集]

クラーク最大の科学的貢献は、静止衛星による電気通信リレーというアイデアだと言われている。彼は1945年10月の Wireless WorldExtra-Terrestrial Relays — Can Rocket Stations Give Worldwide Radio Coverage? と題した論文を発表した[79]。このため静止軌道を「クラーク軌道」と呼ぶこともある[80][81]

しかし、これが実際に通信衛星の開発に着想を与えたかどうかは不明である。エコーテルスターといった通信衛星の開発に関わったベル研究所John R. Pierce は1954年のインタビュー(1955年出版)ではクラークの論文記事に全く言及していない[82]

クラークの衛星同士のリレーというアイデア以前に、静止軌道上の人工衛星による通信というアイデアは既に存在していた。静止衛星の概念はヘルマン・オーベルトが1923年の著書 Die Rakete zu den Planetenräumen(惑星空間へのロケット)で記述しており[83]、人工衛星による無線通信というアイデアは Herman Potočnik が1928年の著書 Das Problem der Befahrung des Weltraums — der Raketen-Motor (The Problem of Space Travel — The Rocket Motor)Providing for Long Distance Communications and Safety という章[84]Observing and Researching the Earth's Surface という章[85]で記述している。クラークは『未来のプロフィル』でこれら先達の業績を認識していることを示している[86]

受賞・栄誉[編集]

作品リスト[編集]

長篇[編集]

宇宙の旅シリーズ[編集]

ラーマシリーズ[編集]

短篇集[編集]

ノンフィクション[編集]

  • 『惑星へ飛ぶ』 Interplanetary Flight (1950年) 時事通信社
  • 『宇宙の探検』 The Exploration of Space (1951年)
  • The Exploration of the Moon (1954年)
  • The Young Traveller In Space (1954年)
  • The Coast of Coral (1956年)
  • The Making of a Moon (1957年)
  • The Reefs of Taprobane (1957年)
  • Boy Beneath the Sea (1958年)
  • Voice Across the Sea (1958年)
  • 『宇宙文明論』 The Challenge of the Spaceship (1958年) 早川書房
  • The Challenge of the Sea (1960年)
  • The First Five Fathoms (1960年)
  • Indian Ocean Adventure (1961年)
  • 『未来のプロフィル』 Profiles of the Future (1962年) ISBN 4150500452
  • Glide Path (1963年)
  • 『人間と宇宙の話』 『宇宙への挑戦』 Man And Space (1964年) タイムライフ
  • The Treasure of the Great Reef (1964年)
  • Indian Ocean Treasure(Mike Wilsonと共著)
  • Voices from the Sky (1965年)
  • The Lion of Commare & Against the Fall of Night (1968年)
  • The Promise of Space (1968年)
  • First On the Moon (1970年)
  • Into Space (1970年、ロバート・シルヴァーバーグと共著)
  • 『失われた宇宙の旅2001』 The Lost Worlds of 2001 (1972年) ISBN 4150113084
  • Beyond Jupiter (1972年、Chesley Bonestellと共著)
  • Report On Planet Three (1972年)
  • Tchnology And the Frontiers of Knowledge (1975年)
  • 『スリランカから世界を眺めて』 The View from Serendip (1977年) ISBN 4150501440
  • サイモン・ウェルフェア&ジョン・フェアリー『アーサー・C・クラークのミステリー・ワールド』 Arthur C. Clarke's Mysterious World (1982年) ISBN 4048410091
  • Ascent to Orbit: a Scientific Autobiography (1984年) ハヤカワ文庫
  • Spring, a Choice of Futures (1984年)
  • 『オデッセイ・ファイル―アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ』 The Odyssey File (1984年、Peter Hyamsと共著) ISBN 4893620029
  • 『(アーサー・C・クラーク) 超常現象の謎を解く (上・下)』 Arthur C. Clarke's World of Strange Powers (1984年) ISBN 4898000290 ISBN 4898000304 ISBN 484220219X ISBN 4842202203
  • 『アーサー・C・クラークの2019年7月20日Arthur C. Clarke's July 20, 2019: Life in the 21st Century (1986年) ISBN 4010703547
  • Arthur C. Clarke's Chronicles of the Strange and Mysterious (1987年)
  • 『楽園の日々―アーサー・C・クラーク自伝』 Astounding Days: a Science Fictional Autobiography (1989年) ISBN 4152034440 早川書房のち文庫
  • The Fantastic Muse (1992年)
  • 『地球村の彼方 - 未来からの伝言』 How the World Was One (1992年)
  • By Space Possessed (1993年)
  • The Colours of Infinity (1994年)
  • 『オリンポスの雪―アーサー・C・クラークの火星探検 水と緑の「惑星誕生」ものがたり』 The Snows of Olympus (1994年) ISBN 4198607222

その他[編集]

TV番組[編集]

  • アーサー・C・クラーク 未知の世界へ(ARTHUR C. CLARKE'S MYSTERIOUS UNIVERSE)[97][98]
    • イギリスで1994年に制作された、全26話のテレビ・シリーズ。クラークが語り手となり世界中の「超科学的な現象」を分析し、科学的な説明をつけていくドキュメンタリー番組。日本ではCS・ミステリチャンネルで放送[1]

脚注・出典[編集]

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参考文献[編集]

  • 『S-Fマガジン』2008年7月号「アーサー・C・クラーク追悼特集2 完全年譜」 (経歴の節)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]