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[[斉 (南朝)|南朝斉]]のとき、汶陽郡は僮陽・沮陽・高安の3県を管轄した<ref>『[[南斉書]]』州郡志下</ref>。

2017年12月18日 (月) 06:36時点における版

汶陽郡(ぶんよう-ぐん)は、中国にかつて存在した東晋から初にかけて、現在の湖北省宜昌市一帯に設置された。

概要

東晋の安帝のとき、汶陽郡が立てられた[1]。汶陽郡は梁州に属し、郡治は高安県に置かれた。

434年南朝宋元嘉11年)、汶陽郡は荊州に転属した。宋の汶陽郡は僮陽沮陽・高安の3県を管轄した[2]

南朝斉のとき、汶陽郡は僮陽・沮陽・高安の3県を管轄した[3]

隋の開皇年間、汶陽郡は廃止された[4]

脚注

  1. ^ 晋書』地理志上
  2. ^ 宋書』州郡志三
  3. ^ 南斉書』州郡志下
  4. ^ 隋書』地理志下