安帝 (東晋)

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安帝 司馬徳宗
東晋
第10代皇帝
王朝 東晋
在位期間 396年11月7日 - 404年1月1日
404年6月19日 - 419年1月28日
姓・諱 司馬徳宗
徳宗
諡号 安皇帝
生年 太元7年(382年
没年 義熙4年12月27日
419年1月28日
孝武帝
淑媛嬪陳帰女(安徳皇太后)
皇后 安僖皇后
陵墓 休平陵
年号 隆安 : 397年 - 401年
元興 : 402年 - 404年
大亨 : 402年
義熙 : 405年 - 418年

安帝(あんてい)は、東晋の第10代皇帝孝武帝の長男。諱は徳宗、字も徳宗。

生涯[編集]

一切の意思表示ができないという重度の知能障害児であったが、太元21年(396年)に父帝が殺された後、皇帝として擁立された。安帝自身は政治を行なえず、最初は叔父の司馬道子元顕父子による専横、399年には孫恩の乱が勃発、元興元年(402年)に司馬道子父子が桓玄の反乱で殺され、翌元興2年(403年)には桓玄に禅譲を迫られて帝位を追われるという有様であった。翌永始2年(404年)に「皇帝」桓玄が殺され、劉裕の助力のもとに復位したが、今度は劉裕の専横を許すことになった。そして義熙4年(418年)に劉裕の手によって殺害された。齢37。子はいなかったという。

弟の司馬徳文が劉裕に擁立された。