1970年の大洋ホエールズ

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1970年の大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ3位
69勝57敗4分 勝率.548[1]
本拠地
都市 神奈川県川崎市
球場 川崎球場
球団組織
オーナー 中部謙吉
経営母体 大洋漁業
監督 別当薫
« 1969
1971 »

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1970年の大洋ホエールズでは、1970年の大洋ホエールズの動向をまとめる。

この年の大洋ホエールズは、別当薫監督の3年目のシーズンである。

概要[編集]

別当監督1年目は5位、2年目3位と順位を上げていくチームはこの年から中塚政幸を外野手にコンバートし、1番には重松省三、3番には松原誠、4番には江尻亮が入るなど戦力を一新。攻撃型オーダーでスタートしたチームだが、開幕ダッシュには程遠く4月は首位の巨人と3ゲーム差ながら最下位で終了。5月以降は徐々に順位を上げ、6月には3位に浮上するとその後は阪神を抜いて2位となり、常に巨人を追いかける展開が続いた。9月終了時点では3位ながらも巨人に4.5ゲーム差と肉薄するが、最後は巨人とマッチレースの阪神に突き放されて3位に終わり、別当監督の悲願であるペナント奪回はならなかった。チームは6連覇の巨人に14勝11敗1分と逆に勝ち越したが、阪神に11勝15敗、4位の広島に11勝14敗1分と負け越した。投手陣は平松政次山下律夫高橋重行坂井勝二がローテーションを守りそれなりの成績を収めた。特に平松はカミソリシュートを武器に25勝をあげて最多勝となり、沢村賞も受賞した。それ以外には鬼頭洋が6月9日のヤクルト戦でノーヒットノーランを演じたほか、2年目の野村収やルーキーの間柴茂有が中継ぎで一軍に定着するなど、明るい話題が続出した。打撃陣はチーム本塁打が優勝の巨人と25本差の106本の5位に終わった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 重松省三
2 中塚政幸
3 松原誠
4 江尻亮
5 伊藤勲
6 近藤和彦
7 近藤昭仁
8 松岡功祐
9 平松政次
1970年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 0.5 阪神 0.5 広島 5.5 大洋 5.5 阪神 3.5 阪神 3.0 阪神 2.0
3位 阪神 2.0 広島 2.0 大洋 6.0 阪神 6.0 大洋 6.0 大洋 4.5 大洋 10.0
4位 ヤクルト 3.0 大洋 5.5 阪神 7.0 広島 8.0 広島 10.0 広島 10.5 広島 15.0
5位 中日 3.0 中日 6.5 中日 11.5 中日 16.5 中日 14.5 中日 19.0 中日 23.5
6位 大洋 3.5 ヤクルト 9.5 ヤクルト 15.0 ヤクルト 21.0 ヤクルト 29.0 ヤクルト 35.0 ヤクルト 45.5


1970年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 79 47 4 .627 優勝
2位 阪神タイガース 77 49 4 .611 2.0
3位 大洋ホエールズ 69 57 4 .548 10.0
4位 広島東洋カープ 62 60 8 .508 15.0
5位 中日ドラゴンズ 55 70 5 .440 23.5
6位 ヤクルトアトムズ 33 92 5 .264 45.5

[1]

オールスターゲーム[編集]

コーチ 別当薫
ファン投票 選出なし
監督推薦 平松政次 松原誠 江尻亮 中塚政幸
補充選手 鬼頭洋

できごと[編集]

  • 6月9日 - 鬼頭洋が川崎球場での対ヤクルト5回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[2]
  • 10月8日 - 前年のドラフト会議で1位指名された荒川尭が大洋と契約、球団はセ・リーグに出場選手登録をの手続きを行い、リーグも公示[3]
  • 10月24日 - 沢村賞の選考委員会が東京運動記者クラブ部長会によって東京・有楽町の交通大飯店で正午から開かれ、平松政次を選出[4]
  • 12月26日 - ドラフトで獲得した荒川尭をヤクルトにトレードすると発表。

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
平松政次 最多勝利 25勝 初受賞
沢村賞 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
平松政次 投手 初受賞
江尻亮 外野手 初受賞

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1970年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月26日閲覧。
  2. ^ 読売新聞1970年6月10日11面「鬼頭(大洋)ノーヒットノーラン 今季2人目 ヤクルト3四球だけ」読売新聞縮刷版1970年6月p305
  3. ^ 読売新聞1970年10月9日10面「荒川(早大出)大洋入り 期限切れ寸前に」読売新聞縮刷版1970年10月p298
  4. ^ 読売新聞1970年10月25日11面「平松(大洋)に沢村賞 全員一致できまる」読売新聞縮刷版1970年10月p851