1970年の阪神タイガース

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1970年の阪神タイガース
成績
セントラル・リーグ2位
77勝49敗4分 勝率.611[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場
阪神甲子園球場
Hanshin Koshien Stadium 2007-21.jpg
球団組織
オーナー 野田誠三
経営母体 阪神電気鉄道
監督 村山実(選手兼任)
« 1969
1971 »

1970年の阪神タイガース(1970ねんのはんしんタイガース)では、1970年の阪神タイガースの動向をまとめる。

この年の阪神タイガースは、村山実選手兼任監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

前年2位になりながらも1年で辞任した後藤次男前監督の後を受け、村山実が選手兼監督に就任。村山新監督は就任後のドラフトで上田次朗を1位で指名して江夏豊頼りの投手陣の強化を図った。打撃陣では後藤前監督が辛抱強く起用した田淵幸一が2年目のジンクスを吹き飛ばすように本塁打を量産し、また安藤統男が打率2位になるなどチーム打率は巨人をやや上回った。チームは5月まで巨人をマークするものの、黒い霧事件で葛城隆雄が逮捕され、江夏も謹慎処分になるなどの影響で戦力が低下。一時は4位に転落するものの、巨人の勢いが落ちた8月には3ゲーム差まで追い上げ、直接対決に勝てば首位に立てるはずだった。しかし、8月26日の広島戦で田淵が頭部に死球を受けて残りのシーズンを棒に振り、江夏も心臓病で入院し投打の主力が戦線離脱するアクシデントに見舞われる。田淵離脱後の打線はウィリー・カークランドフレッド・バレンタインの両外国人が中心となって田淵不在の打線をカバーしたが、終盤の巨人との直接対決を落としたのが響き、77勝を上げながらも巨人の6連覇を許して2位に終わった。この年からユニフォームに背中ネームが採用された[2]

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 藤井栄治
2 安藤統男
3 藤田平
4 バレンタイン
5 カークランド
6 田淵幸一
7 遠井吾郎
8 後藤和昭
9 江夏豊
1970年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 0.5 阪神 0.5 広島 5.5 大洋 5.5 阪神 3.5 阪神 3.0 阪神 2.0
3位 阪神 2.0 広島 2.0 大洋 6.0 阪神 6.0 大洋 6.0 大洋 4.5 大洋 10.0
4位 ヤクルト 3.0 大洋 5.5 阪神 7.0 広島 8.0 広島 10.0 広島 10.5 広島 15.0
5位 中日 3.0 中日 6.5 中日 11.5 中日 16.5 中日 14.5 中日 19.0 中日 23.5
6位 大洋 3.5 ヤクルト 9.5 ヤクルト 15.0 ヤクルト 21.0 ヤクルト 29.0 ヤクルト 35.0 ヤクルト 45.5
1970年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 79 47 4 .627 -
2位 阪神タイガース 77 49 4 .611 2.0
3位 大洋ホエールズ 69 57 4 .548 10.0
4位 広島東洋カープ 62 60 8 .508 15.0
5位 中日ドラゴンズ 55 70 5 .440 23.5
6位 ヤクルトアトムズ 33 92 5 .264 45.5

[1]

オールスターゲーム1970[編集]

コーチ ファン投票 監督推薦
村山実 田淵幸一
藤田平
上田二朗
江夏豊
安藤統夫
遠井吾郎
  • 取り消し線は出場辞退

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
村山実 最優秀防御率 0.98 8年ぶり3度目
最高勝率 .824 初受賞
戦後かつ2リーグ制後初の防御率0点台達成
江夏豊 最多奪三振 340個 4年連続4度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
安藤統夫 二塁手 初受賞
藤田平 遊撃手 2年連続3度目

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 谷村智博 投手 鐘淵化学 入団
2位 末永正昭 内野手 熊谷組 入団
3位 楠本秀雄 外野手 小西酒造 入団
4位 船見信幸 内野手 日本楽器 拒否
5位 才田修 内野手 北陽高 入団
6位 小川清一 投手 大分商業高 入団
7位 上甲秀男 外野手 電電四国 入団
8位 太田良章 内野手 中京高 拒否・中京大学進学
9位 勝亦治 捕手 静岡商業高 入団

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

出典[編集]