池田重喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
池田 重喜
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県臼杵市
生年月日 (1946-05-01) 1946年5月1日(72歳)
身長
体重
178 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1967年 ドラフト4位
初出場 1968年4月7日
最終出場 1974年5月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ロッテオリオンズ
    千葉ロッテマリーンズ (1976 - 1997, 2001 - 2002, 2009 - 2011)

池田 重喜(いけだ しげき、1946年5月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

大分県立津久見高等学校の2年生だった1963年に、1学年上の高橋直樹の控え投手として、第45回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦で中京商業(現・中京大中京)に敗れるが、池田の登板はなかった。高校同期に三塁手中村国昭がいる。

高校卒業後は、中村とともに社会人野球日本鉱業佐賀関に入団。1965年第1回プロ野球ドラフト会議では、広島カープから15位で指名されたが、入団を拒否した。

1967年には、都市対抗野球に初めて出場すると、電電東北との初戦に勝利。日本コロムビアとの2回戦では、9回2死まで無得点に抑えながら、大会史上初の代打逆転サヨナラ3ラン本塁打を喫して敗れた。同年のプロ野球ドラフト会議大洋ホエールズから4位で指名を受けて入団。

プロ入り後[編集]

一軍公式戦では主に中継ぎで起用。大洋時代の1968年に5勝、1969年に4勝を挙げた。1969年4月13日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では、この年に入団した田淵幸一から、6回裏に一軍初本塁打を浴びている。

1970年11月平岡一郎との交換トレードでロッテオリオンズに移籍。1971年に一軍公式戦で3勝を挙げたが、1972年に右肩を故障してからは、登板の機会が減った。1976年には投手コーチを兼任。投手に専念する予定だった1977年には、監督の金田正一からの命令で、春季キャンプから一軍投手コーチ補佐を兼務した。コーチ兼任の開始後は打撃投手ブルペン捕手・用具係・トレーニングコーチの役割も担っていた[1]ため、一軍公式戦へ登板できず、同年限りで引退[2]

現役引退後[編集]

1978年から投手コーチ補佐に専念したが、実際には打撃投手を兼務。当時は二軍の監督・コーチがイースタン・リーグの公式戦に出場することがリーグの規約で認められていたため、二軍の野手が足りない場合に、外野手として公式戦に出場したこともあった[1]

1978年のシーズン終了後に、一軍監督へ就任したばかりの山内一弘の意向で、トレーニングの勉強を開始。1980年日本体育施設協会認定トレーニング指導士の資格を取得する[1]と、同年から1997年まで、打撃投手を兼ねながらロッテのトレーニングコーチを務めた。

1998年1999年には、スポーツ・アイ・ESPNの野球解説者を歴任。1999年11月から寮長としてロッテに戻る[2]と、2001年2002年にトレーニングコーチ、2009年から2011年まで育成担当コーチを兼任した。

2012年からは、ロッテの打撃投手兼寮長に復帰。70歳になった2016年には、球界最高齢の打撃投手として注目された[3][4]が、11月の契約満了を機に退団した。退団後は、高校・大学野球の指導者へ転身すべく、指導に必要な学生野球資格の回復を目指すという[5]

選手としての特徴[編集]

現役時代には、オーバーハンドからのスライダーカーブシュートを武器にしていた。

ロッテ移籍2年目の1972年から右肩痛に悩まされながらも、榎本喜八有藤通世落合博満野村克也江藤慎一張本勲といった歴代の主力打者に好まれるほど、打撃練習では抜群の制球力を発揮してきた。池田によれば、オフシーズンにトレーニングの一環で石を投げ続けたところ、2011年に右肩痛が完治したという[6]

70歳の誕生日であった2016年5月1日には、ロッテ浦和球場で二軍のフリーバッティングに参加。この年に仙台育英高校から入団したばかりの平沢大河(当時18歳)など3人の野手へ合計74球を投げた後に、選手やスタッフから祝福を受けた[7]。前述したように、ロッテでは同年まで打撃投手と寮長を兼務。正月明けから11月末まで寮に住み込みながら、2万歩近くのウォーキングと、体幹トレーニングを毎日欠かさなかった。ちなみに、寮生である若手選手からは、「池さん」という愛称で親しまれたという[5]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1968 大洋 33 6 0 0 0 5 5 -- -- .500 278 66.1 72 11 16 0 1 31 1 0 37 33 4.48 1.33
1969 46 4 0 0 0 4 3 -- -- .571 441 109.0 84 10 33 1 1 73 3 0 38 30 2.48 1.07
1970 24 3 1 1 1 1 1 -- -- .500 198 48.2 40 7 13 1 3 33 2 0 20 14 2.59 1.09
1971 ロッテ 31 6 1 1 0 3 3 -- -- .500 386 93.2 90 15 24 3 3 32 0 0 45 38 3.65 1.22
1972 6 2 0 0 0 0 0 -- -- ---- 58 12.2 15 3 8 0 0 2 1 0 9 9 6.39 1.82
1973 13 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 94 20.2 24 2 9 0 0 17 0 0 11 9 3.92 1.60
1974 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 3.0 7 3 0 0 0 1 0 1 6 6 18.00 2.33
通算:7年 155 21 2 2 1 13 12 0 -- .520 1471 354.0 332 51 103 5 8 189 7 1 166 139 3.53 1.23

記録[編集]

背番号[編集]

  • 47 (1968年 - 1969年)
  • 15 (1970年)
  • 11 (1971年 - 1976年)
  • 45 (1977年)
  • 84 (1978年 - 1994年)
  • 78 (1995年 - 1997年)
  • 89 (2001年 - 2002年、2010年 - 2011年)
  • 76 (2009年)
  • 110 (2012年 - 2016年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 68歳の打撃投手。ロッテ・池田重喜の裏方人生(2)NumberWeb 2014年6月13日
  2. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、34ページ
  3. ^ ロッテ池田打撃投手が70歳!3選手に74球投げた日刊スポーツ 2016年5月2日
  4. ^ ロッテに球界初70歳打撃投手!池田重喜寮長 ギネス申請もスポーツニッポン 2015年12月30日
  5. ^ a b 球界最年長70歳打撃投手 ロッテ池田寮長が退団日刊スポーツ 2016年11月20日
  6. ^ 68歳の打撃投手。ロッテ・池田重喜の裏方人生(1)NumberWeb 2014年6月13日
  7. ^ 寮長兼打撃投手 池田氏元気です70歳バースデースポーツニッポン 2016年5月2日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]