1969年ドイツグランプリ
レース詳細 | |||
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1969年F1世界選手権全11戦の第7戦 | |||
ニュルブルクリンク北コース (1967–1972) | |||
日程 | 1969年8月3日 | ||
正式名称 | XXXI Großer Preis von Deutschland | ||
開催地 |
ニュルブルクリンク 西ドイツ ニュルブルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 22.835 km (14.189 mi) | ||
レース距離 | 14周 319.690 km (198.646 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ブラバム-フォード | ||
タイム | 7:42.1 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャッキー・イクス | ブラバム-フォード | |
タイム | 7:43.8 (7周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ブラバム-フォード | ||
2位 | マトラ-フォード | ||
3位 | マクラーレン-フォード |
1969年ドイツグランプリ (1969 German Grand Prix) は、1969年のF1世界選手権第7戦として、1969年8月3日にニュルブルクリンクで開催された。
レースは14周で行われ、ブラバムのジャッキー・イクスがポール・トゥ・ウィンで優勝し、ファステストラップも記録した。マトラ・インターナショナルのジャッキー・スチュワートが2位、マクラーレンのブルース・マクラーレンが3位となった。
本レースはF2部門との混走で行われたが、予選でF2マシンのBMW・269を駆るゲルハルト・ミッターが事故死した[1]。
エントリー
[編集]F1
[編集]フェラーリは、ホームグランプリとなる次戦イタリアGPのデビューを目指す水平対向12気筒エンジン搭載の新車312Bの開発に集中するため、本レースを欠場した[2]。ブラバムは、オーナーのジャック・ブラバムが足首の骨折から回復せず、本レースもジャッキー・イクスのみが参加した。チーム・ロータスは、アメリカでのレース活動を優先していたマリオ・アンドレッティが四輪駆動車の63を走らせる[3]。
F2
[編集]レース主催者はF1マシンの少なさ(14台)を補うため[3]、1966年や1967年と同様に、この年もF2マシンの混走を認めた。地元ドイツのBMWからは3台の269がエントリーされた。この年はスポーツカーレースに専念していたマトラのワークスチーム「マトラ・スポール」はアンリ・ペスカロロが、セミワークスのマトラ・インターナショナルはジョニー・セルボ=ギャバンがそれぞれマトラ・MS7で参加する。後にF1にも参戦するテクノからフランソワ・セベールが参加した[1]。その他のF2参加者については、下記の#エントリーリストを参照されたい。なお、賞典はF1とは別であり、総合6位以内に入賞してもポイントの対象にはならないが、F1の出走回数にはカウントされる[4]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]ヨーロッパヒルクライムチャンピオンのゲルハルト・ミッターが、金曜日にフラッグプラッツでBMW・269をクラッシュさせて死亡した[3]。サスペンションかステアリングの故障が原因と見られたことでBMW勢は撤退し、ミッターの親友であったハンス・ヘルマンも撤退したため、F2参加者は12台から8台に減った[3]。
前戦イギリスGPまでの6戦で5勝を挙げ、ドライバーズポイントも2位のジャッキー・イクスに32点の大差を付けて首位を独走していたジャッキー・スチュワートだったが、イクスがポールポジションを獲得し、スチュワートは2番手であった。ヨッヘン・リントが3番手で、この3人がフロントローを占めた[注 1]。2列目はジョー・シフェールとデニス・ハルム、3列目はビック・エルフォード、ピアス・カレッジ、ブルース・マクラーレンが占めた。グラハム・ヒルは9番手、四輪駆動車のロータス・63を走らせたマリオ・アンドレッティは12番手に終わった。ジョン・サーティースはBRM・P139が安全なマシンでないと判断し、決勝への出走を見合わせた[3]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 6 | ジャッキー・イクス | ブラバム-フォード | 7:42.1 | - | 1 |
2 | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 7:42.4 | +0.3 | 2 |
3 | 2 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 7:48.0 | +5.9 | 3 |
4 | 11 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 7:50.3 | +8.2 | 4 |
5 | 9 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 7:52.8 | +10.7 | 5 |
6 | 12 | ビック・エルフォード | マクラーレン-フォード | 7:54.8 | +12.7 | 6 |
7 | 17 | ピアス・カレッジ | ブラバム-フォード | 7:56.1 | +14.0 | 7 |
8 | 10 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 7:56.5 | +14.4 | 8 |
9 | 1 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 7:57.0 | +14.9 | 9 |
10 | 8 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ-フォード | 8:00.3 | +18.2 | 10 |
11 | 27 | ジョニー・セルボ=ギャバン | マトラ-フォード | 8:11.1 | +29.0 | 14 |
12 | 14 | ジョン・サーティース | BRM | 8:12.1 | +30.0 | DNS 1 |
13 | 28 | フランソワ・セベール | テクノ-フォード | 8:13.9 | +31.8 | 15 |
14 | 26 | アンリ・ペスカロロ | マトラ-フォード | 8:14.8 | +32.7 | 16 |
15 | 3 | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 8:12.1 | +30.0 | 11 |
16 | 15 | ジャッキー・オリバー | BRM | 8:16.2 | +34.1 | 12 |
17 | 23 | フーベルト・ハーネ | BMW | 8:19.5 | +37.4 | WD 2 |
18 | 31 | ピーター・ウェストバリー | ブラバム-フォード | 8:20.0 | +37.9 | 17 |
19 | 20 | クルト・アーレンスJr. | ブラバム-フォード | 8:23.2 | +41.1 | 18 |
20 | 29 | リチャード・アトウッド | ブラバム-フォード | 8:24.6 | +42.5 | 19 |
21 | 25 | ディーター・クエスター | BMW | 8:26.8 | +44.7 | WD 2 |
22 | 22 | ロルフ・シュトメレン | ロータス-フォード | 8:28.1 | +46.0 | 20 |
23 | 16 | ヨアキム・ボニエ | ロータス-フォード | 8:35.0 | +52.9 | 13 |
24 | 30 | グザヴィエ・ペロー | ブラバム-フォード | 8:35.4 | +53.3 | 21 |
25 | 24 | ゲルハルト・ミッター | BMW | 8:36.5 | +54.4 | DNS 3 |
26 | 21 | ハンス・ヘルマン | ロータス-フォード | 8:50.3 | +1:08.2 | WD 2 |
- 追記
- ピンク地はF2部門で参加。グリッドは14番以降に整列
- ^1 - サーティースは決勝への出走を見合わせた
- ^2 - BMW勢とヘルマンは、ミッターの事故死を受けて撤退
- ^3 - ミッターはアクシデントにより死亡
決勝
[編集]ポールポジションのジャッキー・イクスがスタートで出遅れて9位に後退し、ジャッキー・スチュワートがジョー・シフェールとヨッヘン・リントを従えて首位に立つ[3]。1周目に四輪駆動車のロータス・63を駆るマリオ・アンドレッティは車体を地面に突いてコースアウトし、木製の柱にクラッシュして2輪を失った。そのホイールの1つに当たったビック・エルフォードのマクラーレン・M7Bは激しくクラッシュし[9]、マシンは真っ逆さまになって木に落下した。アンドレッティはエルフォードを大破したマシンから救出したが、エルフォードは腕を3箇所骨折していた[3]。燃料タンクを内蔵したサイドポッドが特徴であったM7Bはそのまま廃車となった[9]。
イクスは1周目が終わるまでに4位まで順位を戻し、2位のシフェールを9秒差でリードしていたスチュワートに迫っていった。3周目にイクスは2位に浮上し、4周の間スチュワートのすぐ後ろを走り、7周目にスチュワートを抜いて首位に立った。スチュワートは首位を取り戻そうとしたが、ギアシフトに問題を抱え、徐々に後退していった。以後はイクスが首位を独走し、最終的に2位のスチュワートに1分近い大差を付けて優勝した。ブルース・マクラーレンは3位表彰台を獲得したが、スチュワートから約2分半遅れであった[3]。ピアス・カレッジは、ブライトシャイトでオイルに乗ってスピンし、アデナウアーブリッジの横溝でクラッシュしたが、幸いにも無傷だった。
翌1970年はコースの安全性の問題によりグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)からニュルブルクリンクでのレースを拒否されたため[注 2]、ドイツGPは急遽ホッケンハイムリンクに舞台を移して行われた[10]。その間に路面の再舗装やランオフエリア、バリア、キャッチフェンスの設置が行われ、1971年にニュルブルクリンクでのドイツGPが復活した[11]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | ジャッキー・イクス | ブラバム-フォード | 14 | 1:49:55.4 | 1 | 9 |
2 | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 14 | +57.7 | 2 | 6 |
3 | 10 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 14 | +3:21.6 | 8 | 4 |
4 | 1 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 14 | +3:58.8 | 9 | 3 |
5 | 26 | アンリ・ペスカロロ | マトラ-フォード | 14 | +7:11.0 | 16 | |
6 | 29 | リチャード・アトウッド | ブラバム-フォード | 13 | +1 Lap | 19 | |
7 | 20 | クルト・アーレンスJr. | ブラバム-フォード | 13 | +1 Lap | 18 | |
8 | 22 | ロルフ・シュトメレン | ロータス-フォード | 13 | +1 Lap | 20 | |
9 | 31 | ピーター・ウェストバリー | ブラバム-フォード | 13 | +1 Lap | 17 | |
10 | 30 | グザヴィエ・ペロー | ブラバム-フォード | 13 | +1 Lap | 21 | |
11 | 11 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 12 | サスペンション/アクシデント | 4 | 2 |
12 | 8 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ-フォード | 12 | サスペンション | 10 | 1 |
Ret | 9 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 11 | トランスミッション | 5 | |
Ret | 15 | ジャッキー・オリバー | BRM | 11 | オイル漏れ | 12 | |
Ret | 2 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 10 | イグニッション | 3 | |
Ret | 28 | フランソワ・セベール | テクノ-フォード | 9 | クラウンホイール | 15 | |
Ret | 27 | ジョニー・セルボ=ギャバン | マトラ-フォード | 6 | エンジン | 14 | |
Ret | 16 | ヨアキム・ボニエ | ロータス-フォード | 4 | 燃料漏れ | 13 | |
Ret | 17 | ピアス・カレッジ | ブラバム-フォード | 1 | アクシデント | 7 | |
Ret | 12 | ビック・エルフォード | マクラーレン-フォード | 0 | アクシデント | 6 | |
Ret | 3 | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 0 | アクシデント | 11 | |
DNS | 14 | ジョン・サーティース | BRM | シャシー | |||
DNS | 24 | ゲルハルト・ミッター | BMW | 予選で事故死 | |||
WD | 23 | フーベルト・ハーネ | BMW | ミッターの事故後撤退 | |||
WD | 25 | ディーター・クエスター | BMW | ミッターの事故後撤退 | |||
WD | 21 | ハンス・ヘルマン | ロータス-フォード | ミッターの事故後撤退 | |||
ソース:[12]
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- 追記
- ピンク地はF2部門で参加。F1部門とは別賞典のためポイント対象外
- ジャッキー・イクス - 7:43.8(7周目)
- ジャッキー・スチュワート - 6周 (Lap 1-6)
- ジャッキー・イクス - 8周 (Lap 7-14)
第7戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
- ^ スパ・フランコルシャンで開催される予定だった本年のベルギーGPも同様の理由でキャンセルされている。
出典
[編集]- ^ a b (林信次 1995, p. 93)
- ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 248)
- ^ a b c d e f g h “German GP, 1969”. grandprix.com. 2019年11月23日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 51)
- ^ (林信次 1995, p. 90)
- ^ “Germany 1969 - Race entrants”. STATS F1. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “Germany 1969 - Qualifications”. STATS F1. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “Germany 1969 - Starting grid”. STATS F1. 2019年11月23日閲覧。
- ^ a b (ダグ・ナイ 1989, p. 209)
- ^ “German GP, 1970”. grandprix.com. 2019年11月24日閲覧。
- ^ “German GP, 1971”. grandprix.com. 2019年11月24日閲覧。
- ^ “1969 German Grand Prix”. formula1.com. 9 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “Germany 1969 - Best laps”. STATS F1. 2019年11月22日閲覧。
- ^ “Germany 1969 - Laps led”. STATS F1. 2019年11月22日閲覧。
- ^ a b “Germany 1969 - Championship”. STATS F1. 18 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1969 German Grand Prix(2019年9月9日 4:24:27(UTC))
- Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 100–101. ISBN 0-85429-321-3
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
- ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “Formula One World”. 9 January 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。17 January 2008閲覧。
- Germany 1969 - STATS F1
- German GP 1969 - grandprix.com
前戦 1969年イギリスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1969年シーズン |
次戦 1969年イタリアグランプリ |
前回開催 1968年ドイツグランプリ |
ドイツグランプリ | 次回開催 1970年ドイツグランプリ |