1969年モナコグランプリ
座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1969年F1世界選手権全11戦の第3戦 | |||
![]() モンテカルロ市街地コース(1929-1972) | |||
日程 | 1969年5月18日 | ||
正式名称 | XXVII Grand Prix Automobile de Monaco | ||
開催地 |
モンテカルロ市街地コース![]() | ||
コース | 市街地コース | ||
コース長 | 3.145 km (1.954 mi) | ||
レース距離 | 80周 251.600 km (156.337 mi) | ||
決勝日天候 | 曇(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | マトラ-フォード | ||
タイム | 1:24.6 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー |
![]() | マトラ-フォード | |
タイム | 1:25.1 (16周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ロータス-フォード | ||
2位 | ブラバム-フォード | ||
3位 | ロータス-フォード |
1969年モナコグランプリ (1969 Monaco Grand Prix) は、1969年のF1世界選手権第3戦として、1969年5月18日にモンテカルロ市街地コースで開催された。
レースは80周で行われ、ロータスのグラハム・ヒルが4番手スタートから優勝した。ヒルは通算14勝目で最後の勝利でもあった。そしてモナコGPの通算5勝目でもあり、この記録は24年間破られなかった。フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズからブラバムを走らせたピアス・カレッジが2位、ロブ・ウォーカーからロータスを走らせたジョー・シフェールが3位となった。
そして、コンストラクターとしてのクーパーとエンジンサプライヤーとしてのマセラティのF1最後のレースであり、アンティーク・オートモビルズからビック・エルフォードのドライブにより7位で完走した。
エントリー[編集]
ロータスは、前戦スペインGPのアクシデントで鼻を骨折したヨッヘン・リントの代走として、リチャード・アトウッドを起用した[1]。シルビオ・モーザーはブラバム・BT24を購入し、エンジンをDFVに換装して自らのチームで参戦する。新たに参戦するアンティーク・オートモビルズは、手持ちのクーパー・T86B-マセラティを持ち込み、ビック・エルフォードがドライブする。同チームは次戦オランダGP以降、マクラーレンから購入したM7Bを使用したため、前年をもってワークス活動を終了した1959年-1960年のコンストラクターズチャンピオン「クーパー」の名も、本レースを最後にF1から消滅した[2]。また、エンジンサプライヤーのマセラティと[3]、レグ・パーネル・レーシングも本レースがF1最後のレースとなった[4]。
エントリーリスト[編集]
チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
1 | ![]() |
ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
2 | ![]() |
49 | ||||
![]() |
3 | ![]() |
マクラーレン | M7A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
4 | ![]() |
M7C | ||||
![]() |
5 | ![]() |
ブラバム | BT26A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
6 | ![]() | |||||
![]() |
7 | ![]() |
マトラ | MS80 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
8 | ![]() | |||||
![]() |
9 | ![]() |
ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
![]() |
10 | ![]() |
BRM | P126 | BRM P142 3.0L V12 | G |
![]() |
11 | ![]() |
フェラーリ | 312/69 | フェラーリ 255C 3.0L V12 | F |
![]() |
12 | ![]() |
クーパー | T86B | マセラティ 10/F1 3.0L V12 | G |
![]() |
14 | ![]() |
BRM | P138 | BRM P142 3.0L V12 | D |
15 | ![]() |
P133 | ||||
![]() |
16 | ![]() |
ブラバム | BT26A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
![]() |
17 | ![]() |
ブラバム | BT24 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
ソース:[5] |
予選[編集]
前戦スペインGPでロータス勢はウィングの破損が原因で大破し、負傷したヨッヘン・リントは病室からFIAに宛ててウィングの禁止を訴える声明文を発した。FIAも事態を重大視し、「ロールバーやオイルクーラーなど機構上必要な部分を除くいかなる部分も、タイヤの高さから25cm以上超えてはならない」とウィングの高さを大幅に制限することを決め、即実効となった。これにより、予選初日に大型ウィングが搭載されていたマシンも、急遽それを取り外すことになった[6]。ロータスは小さなウィングに付け替えて以後のセッションに臨んだ[7]。
マトラのジャッキー・スチュワートが初のポールポジションを獲得し、2番手のクリス・エイモン(フェラーリ)とフロントローを獲得した。スチュワートのチームメイトのジャン=ピエール・ベルトワーズは3番手で、グラハム・ヒル(ロータス)と2列目、ジョー・シフェール(ロブ・ウォーカーのロータス)とジョン・サーティース(BRM)が3列目、ジャッキー・イクスとジャック・ブラバムのブラバム勢が4列目を占め、フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズでブラバムを駆るピアス・カレッジが続いた[8]。
予選結果[編集]
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | ![]() |
マトラ-フォード | 1:24.6 | - | 1 |
2 | 11 | ![]() |
フェラーリ | 1:25.0 | +0.4 | 2 |
3 | 8 | ![]() |
マトラ-フォード | 1:25.4 | +0.8 | 3 |
4 | 1 | ![]() |
ロータス-フォード | 1:25.8 | +1.2 | 4 |
5 | 9 | ![]() |
ロータス-フォード | 1:26.0 | +1.4 | 5 |
6 | 14 | ![]() |
BRM | 1:26.0 | +1.4 | 6 |
7 | 6 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:26.3 | +1.7 | 7 |
8 | 5 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:26.4 | +1.8 | 8 |
9 | 16 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:26.4 | +1.8 | 9 |
10 | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 1:26.5 | +1.9 | 10 |
11 | 4 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:26.7 | +2.1 | 11 |
12 | 3 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:26.8 | +2.2 | 12 |
13 | 15 | ![]() |
BRM | 1:28.4 | +3.8 | 13 |
14 | 10 | ![]() |
BRM | 1:30.5 | +5.9 | 14 |
15 | 17 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:30.5 | +5.9 | 15 |
16 | 12 | ![]() |
クーパー-マセラティ | 1:32.8 | +8.2 | 16 |
決勝[編集]
ジャッキー・スチュワートが先頭に立ち、クリス・エイモンが後を追った。ジャン=ピエール・ベルトワーズはグラハム・ヒルからのプレッシャーを受け、ヒルは3周目にベルトワーズを抜いて3位に浮上した。スチュワートは10周目でエイモンに10秒の差を付けた。中団グループでは、ジョン・サーティースがトンネルでギアボックスの不具合に見舞われ、ジャック・ブラバムと接触してしまった。両者とも怪我はなかった[8]。エイモンは17周目にディファレンシャルの故障に見舞われリタイアし[11]、3位となったベルトワーズは21周目にドライブシャフトの故障でリタイアした。1周後に首位のスチュワートもチームメイトのベルトワーズと同じトラブルを抱えてリタイアした。これでヒルが首位に立ち、2位を争うジャッキー・イクスとピアス・カレッジに12秒の差を付けてリードした。イクスとカレッジの2位争いは、イクスが49周目にリアサスペンションが壊れてリタイアするまで続いた[8]。
ヒルはモナコGPで5勝目を挙げ、「ミスター・モナコ」の異名を頂戴するようになる。そして、結果的にこれがヒルにとってF1最後の勝利となった[7]。フランク・ウィリアムズ率いる新興プライベートチーム「フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ」からブラバムを駆るカレッジが2位に食い込み[12]、ロブ・ウォーカーからロータスを駆るジョー・シフェールが3位となった[8]。
レース結果[編集]
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ![]() |
ロータス-フォード | 80 | 1:56:59.4 | 4 | 9 |
2 | 16 | ![]() |
ブラバム-フォード | 80 | +17.3 | 9 | 6 |
3 | 9 | ![]() |
ロータス-フォード | 80 | +34.6 | 5 | 4 |
4 | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 80 | +52.9 | 10 | 3 |
5 | 4 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 79 | +1 Lap | 11 | 2 |
6 | 3 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 78 | +2 Laps | 12 | 1 |
7 | 12 | ![]() |
クーパー-マセラティ | 74 | +6 Laps | 16 | |
Ret | 6 | ![]() |
ブラバム-フォード | 48 | サスペンション | 7 | |
Ret | 7 | ![]() |
マトラ-フォード | 22 | ハーフシャフト | 1 | |
Ret | 8 | ![]() |
マトラ-フォード | 20 | ハーフシャフト | 3 | |
Ret | 11 | ![]() |
フェラーリ | 16 | ディファレンシャル | 2 | |
Ret | 10 | ![]() |
BRM | 15 | エンジン | 14 | |
Ret | 17 | ![]() |
ブラバム-フォード | 15 | ハーフシャフト | 15 | |
Ret | 14 | ![]() |
BRM | 9 | ギアボックス | 6 | |
Ret | 5 | ![]() |
ブラバム-フォード | 9 | アクシデント | 8 | |
Ret | 15 | ![]() |
BRM | 0 | アクシデント | 13 | |
ソース:[13]
|
- ジャッキー・スチュワート - 1:25.1(16周目)
- ジャッキー・スチュワート - 22周 (Lap 1-22)
- グラハム・ヒル - 58周 (Lap 23-80)
第3戦終了時点のランキング[編集]
|
|
- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ (林信次 1995, p. 90)
- ^ (林信次 1995, p. 92)
- ^ “戦績:マセラティ”. F1 DataWeb. 2019年10月24日閲覧。
- ^ “Reg Parnell Racing”. ChicaneF1. 2019年10月24日閲覧。
- ^ “Monaco 1969 - Race entrants”. STATS F1. 2019年10月24日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 87)
- ^ a b (林信次 1995, p. 84-85)
- ^ a b c d “Monaco GP, 1969”. grandprix.com. 2019年11月4日閲覧。
- ^ “Monaco 1969 - Qualifications”. STATS F1. 2019年10月24日閲覧。
- ^ “Monaco 1969 - Starting grid”. STATS F1. 2019年10月24日閲覧。
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 246)
- ^ (林信次 1995, p. 83)
- ^ “1969 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
- ^ “Monaco 1969 - Best laps”. STATS F1. 2019年10月24日閲覧。
- ^ “Monaco 1969 - Laps led”. STATS F1. 2019年10月24日閲覧。
- ^ a b “Monaco 1969 - Championship”. STATS F1. 2019年3月19日閲覧。
参照文献[編集]
- Wikipedia英語版 - en:1969 Monaco Grand Prix(2019年4月26日 0:55:50(UTC))
- Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 92–93. ISBN 0-85429-321-3
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク[編集]
前戦 1969年スペイングランプリ |
FIA F1世界選手権 1969年シーズン |
次戦 1969年オランダグランプリ |
前回開催 1968年モナコグランプリ |
![]() |
次回開催 1970年モナコグランプリ |