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<small>(フォンドメタルがF1を撤退した後、[[セルジオ・リンランド]]はGR02デザインを[[フォルティ・コルセ]]に売って、[[ブラバム]]の[[ブラバム・BT60|BT61]]になれなかった車は、{{f1|1995}}には[[フォルティ・FG01|FG01]]として再開発された)</small><ref name="f1 rejects"/><ref>{{cite web |url=https://web.archive.org/web/20100419102631/http://8w.forix.com/secondlife.html |title=Identity changes in Grand Prix racing |publisher=8W |date=12 March 2010 |accessdate=10 January 2015 |first=Mattijs |last=Diepraam}}</ref>。 |
<small>(フォンドメタルがF1を撤退した後、[[セルジオ・リンランド]]はGR02デザインを[[フォルティ・コルセ]]に売って、[[ブラバム]]の[[ブラバム・BT60|BT61]]になれなかった車は、{{f1|1995}}には[[フォルティ・FG01|FG01]]として再開発された)</small><ref name="f1 rejects"/><ref>{{cite web |url=https://web.archive.org/web/20100419102631/http://8w.forix.com/secondlife.html |title=Identity changes in Grand Prix racing |publisher=8W |date=12 March 2010 |accessdate=10 January 2015 |first=Mattijs |last=Diepraam}}</ref>。 |
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=== サプライヤー |
=== サプライヤー フォンドテック === |
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チームを失った翌1993年、ルミは、ゴヴォーニ社から、カズマロのゴヴォーニ風洞(Govoni windtunnel)<ref name="#3"></ref><ref name="#5">[https://goo.gl/maps/qezpPu2RvychYJyf7 Fondmetal Technologies Srl (Casumaro) googl maps]</ref>を買い取って、関連会社として、[[ジャン=クロード・ミジョー]]を引き抜いて、技術開発会社(イタリアで最初の、レースカー風洞試験用の空気力学R&Dセンター)の フォンドメタル・テクノロジーズ社(Fondmetal Technologies)(Fondtech)を設立し、その運用全てを任せた。 |
チームを失った翌1993年、ルミは、ゴヴォーニ社から、カズマロのゴヴォーニ風洞(Govoni windtunnel)<ref name="#3"></ref><ref name="#5">[https://goo.gl/maps/qezpPu2RvychYJyf7 Fondmetal Technologies Srl (Casumaro) googl maps]</ref>を買い取って、関連会社として、[[ジャン=クロード・ミジョー]]を引き抜いて、技術開発会社(イタリアで最初の、レースカー風洞試験用の空気力学R&Dセンター)の フォンドメタル・テクノロジーズ社(Fondmetal Technologies)(Fondtech)を設立し、その運用全てを任せた。 |
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2022年8月2日 (火) 06:07時点における版
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
イタリア ロンバルディア州ベルガモ県パロスコ Via Bergamo, Palosco BG |
設立 | 1970年(設立者 ガブリエーレ・ルミ) |
業種 | 製造業 |
事業内容 |
・アルミホイールの製造・販売 ・技術開発支援サービス |
主要子会社 |
・Fondmetal Technologies Srl (Via Bondenese, Casumaro)[1] ・Aerolab Srl (ダラーラ資本参加) (Sant'Agata bolognese)[2] |
外部リンク |
https://www.fondmetal.com/ https://www.fondtech.eu/ |
フォンドメタル(Fondmetal SpA)はイタリアの自動車部品メーカーである。ロンバルディア州パロスコ(FONDMETAL S.p.A.-Palosco)に拠点を置いている。主力事業はアルミホイール製造・販売で、フィアットなど欧州メーカーを中心としてOEM販売なども手がける。また同社は1991年から1992年までF1に参戦していた。
歴史
フォンドメタルは1970年にガブリエーレ・ルミ(Gabriele Rumi, 1939.09.04 - 2001.05.21)[3] によって、パロスコというベルガモにある小さなコムーネに設立された。元々ルミの実家は鋳造業を生業としており、ルミ自身も1908年に彼の祖父によって設立された鋳物製鉄工場の三代目オーナーであった[4][5]。自動車部品の提供を始めたのは二代目のステファノの時代とされている。フォンドメタル設立当初は自動車部品の生産を専業で行っていたわけではなく、主に水道管やインテークマニホールド、クラッチベルハウジング、オイルサンプを製作していた。その後顧客の要求に応えて自動車産業用部品の製造に専念するようになっていくが、70年代の石油危機に端を発した緊縮の時代を経てホイールの提供を事業の中心へ据えていった。1980年代にはマセラティ・ビトゥルボのシリンダーヘッド、エンジンブロックなどの製造にも携わっていた[4]。
F1
創設者 | ガブリエーレ・ルミ |
---|---|
参戦年度 | 1991 - 1992 |
出走回数 | 29 |
コンストラクターズ タイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1991年アメリカGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1992年イタリアGP |
1984年にオゼッラやウィリアムズ・ティレル・リジェといったチームにホイールの供給を始めたことでF1の世界に進出。1988年にオゼッラのスポンサーとなった。
1990年
ガブリエーレ・ルミが資本参加し、1990年にはチーム名が前年までのオゼッラ・スクアドラ・コルセからフォンドメタル・オゼッラに替わる。
1990年末にオゼッラのF1部門の全事業を買収して、パロスコに新しい工場を開設し、フォンドメタル F1 SpA[6]として参戦を開始した。[7]
1991年
ドライバーはオゼッラ時代から引き続き、オリビエ・グルイヤール。だが、第14戦でAGSのガブリエル・タルキーニとのトレードが行われ、以後はタルキーニが乗った。この年は1台体制での参戦となった。シーズンを通して予備予選で苦戦が続き、決勝進出は6戦にとどまる。
使用車輛は、第2戦までは暫定で前年型のオゼッラ・FA1Mの改良型のFA1M-Eが使用され、4月28日のサンマリノグランプリでロビン・ハードのフォメットF1が投入され、翌年7月12日のシルバーストンまで使用される。 これは、ビスターの倒産したマーチ敷地内(Murdock Rd, Telford Rd)の フォメット1社で設計製造された。[7]
結果の出ないシーズンを送り、フォメットとフォンドメタルの間には亀裂が生じた。ルミはフォメットとのコラボレーションを終了することとした。フォメットはヴェンチュリーによって買収されヴェンチュリーUKと改名、既に開発していた1992年用の車両はヴェンチュリー・LC92としてラルースが使用した。フォンドメタルはセルジオ・リンランド率いるアスタウト(Astauto)と1992年の車両を開発することを発表した。[7]
1992年
スポーティングレギュレーションの変更ですべてのチームに2台エントリーが義務付けられたことから、ドライバーにタルキーニと新人アンドレア・キエーザの2人を起用した。前年の成績によりタルキーニは前半戦の予備予選を免除された。
フォード・コスワース・HBエンジンを獲得し、出力は100馬力増加した[8]。開幕より序盤は前年型のマシンに搭載、GR01として出走。第7戦カナダGPからは、セルジオ・リンランドがデザインしたニューマシンGR02を投入した。 これは、同年用のブラバムのBT61として設計が開始されたマシンで、チーム事情からデビューできなかったマシンだった。[7]
タルキーニが中団で速さを見せたが、完走もままならない状況が続いた。無得点のため後半戦はタルキーニも予備予選組に戻された。第11戦ハンガリーGPからは、キエーザに代えてブラバムからエリック・ヴァン・デ・ポールが移籍した。
ブラバムの多くの設計スタッフで構成された、アスタウト(Astauto)でのシャシーの開発に、かなりの予算を割いた。
買収して続けるには、残念ながら、チーム運営費総額が非常に高額であることが判明し、十分な商業的支援を見つけることができなかったため、ルミは借金を負うのではなく、チームをシャットダウンすることにして、第13戦イタリアGPをもっての撤退を決断した。[7]
(フォンドメタルがF1を撤退した後、セルジオ・リンランドはGR02デザインをフォルティ・コルセに売って、ブラバムのBT61になれなかった車は、1995年にはFG01として再開発された)[8][9]。
サプライヤー フォンドテック
チームを失った翌1993年、ルミは、ゴヴォーニ社から、カズマロのゴヴォーニ風洞(Govoni windtunnel)[7][1]を買い取って、関連会社として、ジャン=クロード・ミジョーを引き抜いて、技術開発会社(イタリアで最初の、レースカー風洞試験用の空気力学R&Dセンター)の フォンドメタル・テクノロジーズ社(Fondmetal Technologies)(Fondtech)を設立し、その運用全てを任せた。
空力ファームによるテクニカル・サポート・サービス という、下請けの形を以て、F1との関わりを継続した。
1994年から1996年まではティレルと、1996年から1998年はベネトンと技術提携を結んだ。
ティレルには空力スタッフとしてジャン=クロード・ミジョー本人が出向き、カズマロ風洞(Casumaro windtunnel)[7][1]を活用してティレルの空力開発全般を率いた。
1989年、26歳でマクラーレンの風洞オペレータとして、遅咲きのキャリアをスタート。 1990年、ティレルに加入し、クロード・ミジョーコンセプトの019のトラックサイドでの開発に携わり、 1991年、ポスルスウェイトに従って、ザウバーF1参戦に向けたC12の設計・開発に関わり、 1993年シーズン、空力チーフとしてトラックサイドでC12を開発。 1993年後半、フェラーリ(F92A改修・F93A)経由でティレルに復帰したボスからの招致で、 翌1994年からポスルスウェイトの副テクニカルディレクター。 |
ハーベイ・ポスルスウェイトとジャン=クロード・ミジョーとマイク・ガスコインの、この3名は師弟関係にある。この後マイク・ガスコインがフォンド・テックの風洞サービスに強く関与することになる。
1997年以降
フォンドメタル社サイトには、「1997年、フォンドメタルはミナルディF1チームの株式の過半数を取得した。」[11]とある。
ことは多少入り組んではいるが、これにはフラビオ・ブリアトーレが絡んでいる。
1996年末に、ミナルディチームはイタリアのビジネスマングループによって買収される。
フラビオ・ブリアトーレ、ガブリエレ・ルミ、アレッサンドロ・ナニーニを含む国際的なビジネスマンのコンソーシアムが、チーム株70%を管理する持ち株会社となる。
ブリアトーレの思惑は、ミナルディチームをBATに売り付けることにあったというが、この試みは1997年11月にティレルが売れて挫折し、ブリアトーレのコンソーシアムのコントロールは、ルミに取って代わられ、ミナルディF1チームの株式の過半数をルミがコントロールできる状況になる。
1997年からはルミがミナルディF1チームの株式の過半数を取得し、共同オーナーを務めた。という その裏側には、ブリアトーレとのシーソーゲームがあり、それは、2000年に再燃し、アロンソデビューを絡めたテレフォニカへの転売企画が死期の迫ったルミをたいそう悩ませた。
ともかく、1998年からの3年は、ルミはミナルディF1チームの保護者になり、FondTechの空力サービスを持ち込み(1999, 2000年)[11]、1998年から始めたコスワースエンジンの自社リビルトプロジェクトでの、フォンドメタルバッジネームエンジンの搭載(2000年)[11]など目を見張る挑戦ではあったが、2001年2月4日に、コンソーシアムの所有していた株式を取りまとめてポール・ストッダートに衣鉢を引き継ぎ、程なく死去した。
2001年以降
2003年、FondTechとDallara Automobiliの合弁会社 Aerolab の設立(サンターガタ・ボロニェーゼ)
これは、FondTechによる増設計画に、Dallaraが資金提供したもので、2004年に新トンネルの開通。[12][2]
2009年からFondTechの所有となる[13]。
モータースポーツに関連する略歴[11]が公式サイトに掲載されている。
年 | クライアント | 風洞 | マイク・ガスコイン職歴 | ||
---|---|---|---|---|---|
2001-2006 | ルノー | FondTech | 2番目の空力開発チーム | 2001-2003 | ベネトン / ルノー |
ルノーとともに、F1世界選手権(2005年と2006年)で優勝 | |||||
2003-2006 | トヨタF1 | Aerolab | 2番目の空力開発チーム | 2004-2006.04 | トヨタ |
2006 | (ニック・ワース) FIA | FondTech | CDG wing conceptの空力開発 | ||
2007 | スパイカーF1 | Aerolab | 空力開発チーム | 2006.09-2007 | スパイカー |
2008-2009 | フォースインディアF1 | Aerolab | 空力開発チーム | 2008-2008.11 | フォース・インディア |
2010-2012 | Team Lotus | Aerolab+FondTech | 空力開発のための唯一のチーム | 2009-2012 | ロータス |
2012- | CaterhamF1 | Aerolab+FondTech | 空力開発チーム | 2012- | ケータハム |
変遷表
年 | エントリー名 | 車体型番 | タイヤ | エンジン | 燃料・オイル | ドライバー | ランキング | 入賞数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | フォンドメタル・オゼッラ | FA1M89,FA1ME | P | フォードDFR | Agip | オリビエ・グルイヤール | 10 | 0 |
1991年 | フォンドメタル F1 SpA | FA1ME,Fomet F1 | G | フォードDFR | Agip | オリビエ・グルイヤール ガブリエル・タルキーニ |
17 | 0 |
1992年 | フォンドメタル F1 SpA | GR01,GR02 | G | フォードHB5 | Agip | ガブリエル・タルキーニ アンドレア・キエーザ エリック・ヴァン・デ・ポール |
15 | 0 |
F1における全成績
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | フォンドメタル ・オゼッラ |
フォード・コスワース DFR (オゼッラ) 3.5, V8 |
P | USA |
BRA |
SMR |
MON |
CAN |
MEX |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
ESP |
JPN |
AUS |
0 | NC | ||||
FA1M | 14 | オリビエ・グルイヤール | Ret | Ret | |||||||||||||||||||||
FA1M-E | 14 | オリビエ・グルイヤール | Ret | DNQ | 13 | 19 | DNPQ | DNQ | DNQ | DNPQ | 16 | Ret | DNQ | Ret | DNQ | 13 | |||||||||
1991年 | フォンドメタル F1 SpA |
フォード・コスワース DFR 3.5, V8 |
G | USA |
BRA |
SMR |
MON |
CAN |
MEX |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
ESP |
JPN |
AUS |
0 | NC | ||||
FA1M-E | 14 | オリビエ・グルイヤール | DNPQ | DNPQ | |||||||||||||||||||||
GR01 (Fomet) |
14 | オリビエ・グルイヤール | DNPQ | DNPQ | DNPQ | Ret | Ret | DNPQ | DNPQ | DNQ | 10 | Ret | DNPQ | ||||||||||||
14 | ガブリエル・タルキーニ | 12 | 11 | DNPQ | |||||||||||||||||||||
1992年 | フォンドメタル F1 SpA |
フォード・コスワース HB 3.5, V8 |
G | RSA |
MEX |
BRA |
ESP |
SMR |
MON | CAN |
FRA |
GBR |
GER |
HUN | BEL |
ITA |
POR |
JPN |
AUS |
0 | NC | ||||
GR01 (Fomet) |
アンドレア・キエーザ | DNQ | Ret | DNQ | Ret | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | ||||||||||||||||
ガブリエル・タルキーニ | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | |||||||||||||||||||
GR02 (Astauto) |
アンドレア・キエーザ | Ret | DNQ | ||||||||||||||||||||||
ガブリエル・タルキーニ | Ret | Ret | 14 | Ret | Ret | Ret | Ret | ||||||||||||||||||
エリック・ヴァン・デ・ポール | Ret | 10 | Ret | ||||||||||||||||||||||
1998年 | ミナルディ | M198 | フォード・コスワース JD Zetec-R 3.0 V10 |
B | AUS |
BRA |
ARG |
SMR |
ESP |
MON | CAN |
FRA |
GBR |
AUT |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
LUX |
JPN |
0 | NC | |||
22 | 中野信治 | Ret | Ret | 13 | Ret | 14 | 9 | 7 | 17 | 8 | 11 | Ret | 15 | 8 | Ret | 15 | Ret | ||||||||
23 | エスティバン・トゥエロ | Ret | Ret | Ret | 8 | 15 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 16 | Ret | Ret | 11 | Ret | Ret | ||||||||
1999年 | ミナルディ | M01 video |
フォード・コスワース VJ Zetec-R 3.0 V10 |
B | AUS |
BRA |
SMR |
MON | ESP |
CAN |
FRA |
GBR |
AUT |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
EUR |
MAL |
JPN |
1 | 10位 | |||
20 | ルカ・バドエル | Ret | 8 | Ret | Ret | 10 | 10 | Ret | 13 | 10 | 14 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | |||||||||
20 | ステファン・サラザン | Ret | |||||||||||||||||||||||
21 | マルク・ジェネ | Ret | 9 | 9 | Ret | Ret | 8 | Ret | 15 | 11 | 9 | 17 | 16 | Ret | 6 | 9 | Ret | ||||||||
2000年 | ミナルディ | M02 | フォンドメタル・コスワース VJ Zetec-R 3.0 V10 |
B | AUS |
BRA |
SMR |
GBR |
ESP |
EUR |
MON | CAN |
FRA |
AUT |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
USA |
JPN |
MAL |
0 | NC | ||
20 | マルク・ジェネ | 8 | Ret | Ret | 14 | 14 | Ret | Ret | 16 | 15 | 8 | Ret | 15 | 14 | 9 | 12 | Ret | Ret | |||||||
21 | ガストン・マッツァカーネ | Ret | 10 | 13 | 15 | 15 | 8 | Ret | 12 | Ret | 12 | 11 | Ret | 17 | 10 | Ret | 15 | 13 |
出典
- ^ a b c Fondmetal Technologies Srl (Casumaro) googl maps
- ^ a b Fondmetal Technologies Srl(Sant'Agata bolognese) googl maps
- ^ -oldracingcars.com-Biography-"Gabriele Rumi" (update 2017.02.01)
- ^ a b Fondmetal S.p.A History 2017年5月21日版アーカイブ
- ^ Fondmetal S.p.A History 2022年6月22日閲覧
- ^ オリビエ・グルイヤール公式サイト コンストラクター名称
- ^ a b c d e f g grandprix.com-ENCYCLOPEDIA-Fondmetal F1 SpA 2022年6月22日閲覧
- ^ a b Fondmetal Profile - f1rejects 2007.07.24版を、2013.03.21にアーカイブしたもの
- ^ Diepraam, Mattijs (2010年3月12日). “Identity changes in Grand Prix racing”. 8W. 2015年1月10日閲覧。
- ^ “Archived copy”. 2018年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月3日閲覧。
- ^ a b c d fondmetal.com モータースポーツに関連する略歴
- ^ Joe Saward 2010.06.01
- ^ it:Fondmetal
参考文献
- Fondmetal S.p.A History 2022年6月22日閲覧
- Fondmetal S.p.A about 2017年5月21日版(アーカイブ)
- fondtech FondTech公式 - 施設 - 3風洞のスペック