涌井秀章

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涌井 秀章
埼玉西武ライオンズ #18
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県松戸市
生年月日 (1986-06-21) 1986年6月21日(37歳)
身長
体重
185 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト1巡目
初出場 2005年3月29日
年俸 1億2,500万円(2009年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2008年
WBC 2009年

涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手投手)。 マネジメント会社は株式会社スピードエージェンシー。

経歴

プロ入り前

小学生時代はソフトボールをしており(寒風台ソフトボールチームに所属)、野球は中学生になってからシニアリーグ(松戸シニア)で始めた。その後横浜高に進学。

入学時から松坂大輔二世と呼ばれていた。高校2年春に第75回選抜高等学校野球大会に1学年上のエース成瀬善久(現千葉ロッテマリーンズ)らと共に出場。準決勝までは成瀬のリリーフとして登板。決勝戦では先発したが、広陵高の打線につかまり3-15と大敗した。

3年夏には第86回全国高等学校野球選手権大会に同期の石川雄洋(現横浜ベイスターズ)や2年後輩の福田永将(現中日ドラゴンズ)らと出場。2回戦の京都外大西戦は、延長戦にもつれ込んだが我慢のピッチングで勝利。肉体的にも精神的にもスタミナのある面を披露。準々決勝の駒大苫小牧戦は林裕也にサイクルヒットを浴びるなどして完敗した。国体秋季大会では、初戦の駒大苫小牧戦で14三振を奪って完投勝利を収め、その後優勝している。

高校時代の涌井について、横浜高校の小倉部長は「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。最速148km/hのストレートとスライダーを投げ、2004年ドラフト西武ライオンズから、単独で1巡目指名を受けた。

プロ入り後

背番号は16を与えられて入団時より大いに期待され、2005年はプロ入り1年目から開幕一軍入りを果たす。6月18日、交流戦最終戦のヤクルトスワローズ戦でプロ初勝利。

2006年3月26日のオリックス・バファローズ戦、高卒ルーキーの炭谷銀仁朗とのバッテリーで勝利投手となった。また4月23日の楽天戦では同じく炭谷とのバッテリーで自身初の完投および完封勝利。10代バッテリーでの勝利は1989年横浜大洋ホエールズ石井忠徳-谷繁元信以来17年ぶりだった。

6月はリーグ1位の防御率、3勝1敗で初の月間MVPを受賞。監督推薦でオールスター初出場。

8月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、「西武ライオンズ発足以来パ・リーグ公式戦通算2000勝目」の勝利投手となる。この「通算2000勝」は、当初西武球団広報や通信社の記者にも気付かれておらず、インターネットのBBSに投稿されたファンの情報によって初めて明らかになったことが文化放送ライオンズナイター中川充四郎公式サイトで公表された。オフに平松政次からシュートを習得した。

2007年4月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦の5回表に、プロ野球史上12人目となる1イニング4奪三振を達成した。最終的に17勝を挙げて最多勝を獲得。両リーグ最多の213投球回と199被安打を記録。完投数11はダルビッシュ有の12に次ぐリーグ2位だった。

北京五輪出場をかけたアジア予選決勝リーグ日本代表メンバーに、ダルビッシュ有と並び最年少で選出され、星野監督に初戦の先発を任され、フィリピンを相手に6回1安打無失点の好投を見せた。

契約更改の際、球団側から背番号18への変更を打診されるも、それを固辞。「投手のタイトルを全て獲るくらいでないと変えられない」という背番号18の重さと「西武になってから16番を付けたのは3人(松沼雅之潮崎哲也・涌井)だけ」と西武投手陣の一角を担った背番号16の先輩2人に対する敬意を理由に挙げている(ベースボール・マガジン社「西武ライオンズ30年史」より)。

2008年3月20日のオリックス戦にて開幕投手を務める。140球、8回2失点で敗戦投手となる。北京オリンピック野球日本代表選手に選出されたが、2007年と比べて制球力が下がり(与四死球率 2007年2.45→2008年3.07)、2ケタ勝利を達成したものの負け越した。

クライマックスシリーズでは1、5戦に先発、合計15IPで1失点、2勝を挙げた。第5戦は7回二死まで走者を許さず、最終的には3安打無四球完封勝利で胴上げ投手となり、シリーズのMVPに輝いた。日本シリーズでは第1戦、第5戦に先発、第7戦に中継ぎで登板。それぞれ中4日、中4日、中2日での登板で、合計16 1/3回を投げ6失点。

シーズンオフの契約更改でこの年も球団から背番号18を打診されたが、本人は優勝旅行のハワイでゆっくり考えたいと言い、悩みぬいた末に2009年から背番号を18にする決意をした。なお、これまで付けていた背番号16は石井一久に引き継がれる(ちなみに、石井はヤクルト時代に背番号16を付けていた)。

2009年のワールド・ベースボール・クラシックでは、主に中継ぎ、ワンポイントとして好投。侍ジャパン2連覇に貢献する。

プレースタイル

MAX151km/h。バランスの良い投球フォームで肘の使い方が上手く、上原浩治が「非常にバランスの良いフォームだ」と褒めた事もある。

変化球はスライダーカットボールカーブスローカーブフォークチェンジアップ高速シンカーパームボールシュートを投げる。

エピソード

フジテレビ平井理央アナウンサーに顔がよく似ているとファンから言われている。(実際にすぽると!担当の三宅正治アナウンサーは、「姉弟じゃないの?」と冗談を言った。)

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 西武 13 13 0 0 0 1 6 0 0 .143 253 55.1 62 11 23 0 4 57 2 0 45 45 7.32 1.54
2006 26 26 8 1 2 12 8 0 0 .600 734 178.0 161 16 53 0 8 136 7 1 79 64 3.24 1.20
2007 28 28 11 1 3 17 10 0 0 .630 877 213.0 199 14 50 3 8 141 7 0 71 66 2.79 1.17
2008 25 25 5 0 1 10 11 0 0 .476 738 173.0 173 16 51 4 8 122 11 0 80 75 3.90 1.29
通算:4年 92 92 24 2 6 40 35 0 0 .533 2602 619.1 595 57 177 7 28 456 27 1 275 250 3.63 1.25
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

個人記録

  • 初登板:2005年3月29日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)
  • 初奪三振:同上、打者・小田智之
  • 初勝利:2005年6月18日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)
  • 初完投・初完封:2006年4月23日、対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦(フルキャストスタジアム)

獲得タイトル

記録

  • 最多無四球試合:1回(2007年)
  • 最多投球回数:1回(2007年)
  • 1イニング4奪三振(2007年)史上12人目

背番号

  • 16(2005年 - 2008年)
  • 18(2009年 - )

関連項目

外部リンク


先代
斉藤和巳
パ・リーグ最多勝投手
2007年
次代
岩隈久志
先代
西口文也
埼玉西武ライオンズ開幕投手
2008年、2009年
次代
-
先代
サブロー
(第1ステージ)
ダルビッシュ有
(第2ステージ)
パ・リーグクライマックスシリーズMVP
2008年
次代
-