杉敏介

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杉 敏介
人物情報
生誕 1872年5月28日
日本の旗 日本 山口県玖珂郡差川村(現・岩国市
死没 (1960-07-02) 1960年7月2日(88歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学文科大学
学問
研究分野 国文
研究機関 第一高等学校
主な指導学生 高瀬弥一
小山内薫
川田順
斎藤茂吉
谷崎潤一郎
芥川龍之介
菊池寛
川端康成
主な業績 文芸部顧問として多くの俊英を育てた。
脚注
夏目漱石吾輩は猫である』の津木ピン助のモデル。
歌人でもある。(号は烏山)
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杉 敏介(すぎ としすけ、1872年5月28日 - 1960年7月2日)は、日本の教育者第一高等学校、国文教授 - 校長。通称は"びんすけ"。夏目漱石吾輩は猫である』の津木ピン助のモデル。歌人としても知られ、号は烏山

経歴[編集]

エピソード[編集]

  • 斗酒を辞せず豪放にて洒脱、全校の輿望を集めた。大きな事件の決断に速なると共に、細かいことにも配慮の行き届く人であった。 (第一高等学校ホームページ)
  • 『 (岸信介が)戦犯容疑者に指名されて田布施を離れるとき、長州出身で一高時代の恩師でもある杉敏介から、「名を惜しむなら命を捨てよ」という意味の「自決」を促す短歌を贈られる。岸はこれを拒否して次のような返歌を杉に届けている。「名にかへてこのみいくさ(聖戦)の正しさを来世までも語り残さむ」。』(岩波新書「岸信介」原彬久著121p)

著作[編集]

  • 『中等教科 日本文典』1898年 文学社
  • 『日本小語典』1900年 内外出版協会
  • 『国語講義』1901年
  • 『本邦文学史講義』1902年 弘文館
  • 『音韻解説仮名遣法』1910年 新潮社
  • 『長井雅楽周旋に関する世論に就いて』

著名な教え子[編集]

一高文芸部新旧役員 1908年5月撮影
後列 杉田直樹・立澤剛・行森昇
中列 田中徹・岸巌・大貫雪之助・佐野秀之助
前列 笠森伝繁・谷崎潤一郎・新渡戸稲造校長・杉敏介教授・和辻哲郎

参考文献[編集]

  • 守随憲治:『真の教育者 杉敏介先生』1973年 新潮社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]