ラフオンテース

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ラフオンテース
欧字表記 Lafontaice[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1977年3月30日[1]
死没 1983年5月28日(7歳没・旧表記)
フィルモン[1]
コマンチ[1]
母の父 ムーティエ[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者 中脇次作[1]
馬主 小柴タマヲ[1]
調教師 布施正栗東[1]
競走成績
タイトル 優駿賞最優秀3歳牝馬(1979年)
優駿賞最優秀5歳以上牝馬(1981年)
生涯成績 30戦9勝[1]
獲得賞金 1億8790万4400円[1]
勝ち鞍 阪神3歳S(1979年)
デイリー杯3歳S(1979年)
朝日チャレンジC(1981年)
小倉記念(1981年)
北九州記念(1981年)
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ラフオンテースLafontaice1977年3月30日 - 1983年5月28日[1]日本競走馬繁殖牝馬。主な勝ち鞍に1979年阪神3歳ステークスデイリー杯3歳ステークス1981年朝日チャレンジカップ小倉記念北九州記念。1979年度優駿賞最優秀3歳牝馬、1981年度優駿賞最優秀5歳以上牝馬

小柄な身体で走り続ける姿から「根性娘」の異名を取った。主戦騎手岩元市三

競走馬時代[編集]

1977年、北海道浦河町の中脇牧場で生まれる。幼駒時代から非常に小柄で見栄えがしなかったが、勝ち気な性格で牧場ではリーダー格だった。2歳時に栗東トレーニングセンター布施正の元に入厩。3歳になり競走名「ラフオンテース」と名付けられた。この馬名は本来、フランスの詩人に由来するラフォンテーヌ (La Fontaine) 」という名前になるはずだった。しかし、馬名審査登録の担当者が、申請書類に書かれていた「ラフオンテー」を「ラフオンテー」と誤認し、そのまま登録された。馬主からの馬名変更申請は却下され、馬名は意味のない文字列のままとなった。

戦績[編集]

デビュー後しばらくは、その馬体重は400kgにも満たなかった。しかし10馬身差で圧勝した小倉競馬場開催の新馬戦から、いずれも2着を離しての4連勝を遂げ、迎えた関西の3歳王者戦・阪神3歳ステークスでは、ノースガスト(翌年の菊花賞優勝馬)、オペックホース(同日本ダービー優勝馬)を寄せ付けず優勝した。この年、最優秀3歳牝馬に選出される。

スランプ[編集]

翌4歳はきさらぎ賞から始動。ここも1番人気に支持されたが、最終コーナーで先頭に並びかけた時、最内を逃げていたノトダイバーが外側に斜行し、ラフオンテースは大きく外に弾かれた。さらに外を走っていたシンボルシチーとも接触し、体勢を崩して先頭から数馬身の位置まで後退。直線で立て直して追い込んだが、前を行く2頭を僅かにかわしきれず、3着に敗れた。大きな不利を受けながらの僅差3着に「負けてなお強し」と、その評価はかえって高まったが、しかしラフオンテース自身はこの競走を境に他馬を怖がるようになり、ここから長いスランプに陥った。

次走阪神4歳牝馬特別では、最後方から最後の直線だけで追い込んだが2着、8戦連続の1番人気に推された桜花賞でも、ハギノトップレディの4着に敗れた。この頃より脚部不安も生じ、4歳時は1勝も挙げられず、翌年7月まで15連敗を喫した。

復活とその後[編集]

勝利から遠ざかって1年半以上が経過した5歳夏、小倉日経賞でラフオンテースは突如として復活を遂げる。3歳時と同じように最終コーナーから位置を上げていくと、そのままゴールまで押し切り、2着に7馬身差を付けて圧勝。優勝タイム1分40秒7は、芝1700メートルの日本レコードタイムであった。続く北九州記念も7馬身差で勝利し、次走の小倉記念では、58.5kgの斤量を背負ってアタマ差抜け出し3連勝。秋緒戦の朝日チャレンジカップでも後方大外からオペックホースを一気に差し切り、重賞3勝を含む4連勝を果たした。

しかし次走の天皇賞(秋)から、この年創設された第1回ジャパンカップと一線級の牡馬相手の勝負となり、天皇賞6着、ジャパンカップ12着と敗れ、年末の阪神大賞典も4着となった。しかし夏場の4連勝が評価され、この年の最優秀5歳以上牝馬に選ばれ、3歳以来2年ぶりの年度表彰を受賞した。

翌年も現役を続行したが、3戦消化してすべて11着に終わり、宝塚記念を最後に引退した。

引退後[編集]

引退したラフオンテースは故郷の中脇牧場に戻り、1983年より繁殖生活を開始した。初年度には丈夫な産駒が多い事で知られるニゾンが種付けされ、無事受胎する。ところが5月28日、放牧中に突然走り出して牧柵に激突。金具で補強された柵が破損するほどの衝突で腰骨に致命的な骨折を負い、手当ての術なく安楽死の措置が執られた。遺体は牧場内に埋葬され、墓碑が建てられている。

きっかけなく自ら牧柵に向かっていったと言われ、なぜそうした行動を取ったのかは明らかにならなかっていない。このため擬人的に「自殺したのではないか」と語る関係者もいた。また中脇も「そう言われてもおかしくはない状況だった」と述べている。

ラフオンテースの直仔は残っていないが、姉妹の仔からテイエムジャンボシンホリスキーなどの活躍馬が出ている。

生年 馬名 毛色 馬主 管理調教師 戦績 主な勝利競走 出典
1984年 ニゾン [2]

競走成績[編集]

年月日 競馬場 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 着差 騎手 斤量
[kg]
勝ち馬/(2着馬)
1979 7. 15 小倉 新馬 6 1 1着 1000m(稍) 59.1 10身 岩元市三 52 (ロングアルバ)
8. 5 小倉 フェニックス賞 8 1 1着 芝1200m(良) R1:10.3 5身 岩元市三 53 (ミカダイヤ)
9. 29 中京 3歳S 8 1 1着 芝1200m(不) 1:11.8 1 1/2身 岩元市三 53 (テルノホープ)
10. 20 中京 デイリー杯3歳S 13 1 1着 芝1400m(稍) 1:23.3 1 1/2身 岩元市三 52 (ミズホショウリ)
12. 9 阪神 阪神3歳S 11 1 1着 芝1600m(良) 1:35.4 1 1/2身 岩元市三 53 ノースガスト
1980 2. 10 中京 きさらぎ賞 11 1 3着 芝1800m(良) 1:50.1 0.0秒 岩元市三 53 ノトダイバー
3. 16 阪神 阪神4歳牝馬特別 14 1 2着 芝1400m(良) 1:23.6 0.2秒 岩元市三 54 シャダイダンサー
4. 6 阪神 桜花賞 21 1 4着 芝1600m(良) 1:36.5 0.3秒 岩元市三 55 ハギノトップレディ
4. 27 東京 4歳牝馬特別 16 1 8着 芝1800m(良) 1:50.2 0.8秒 岩元市三 54 コマサツキ
9. 7 阪神 サファイヤS 8 2 4着 芝1600m(重) 1:37.4 0.9秒 岩元市三 53 ニチドウアラシ
10. 4 阪神 オープン 5 2 3着 芝1600m(良) 1:35.8 1.6秒 岩元市三 54 ハギノトップレディ
10. 26 阪神 京都牝馬特別 11 2 6着 芝1600m(稍) 1:38.3 0.9秒 岩元市三 51 ハギノトップレディ
11. 16 京都 エリザベス女王杯 20 9 5着 芝2400m(良) 2:28.5 0.6秒 岩元市三 55 ハギノトップレディ
12. 14 京都 阪神牝馬特別 10 3 2着 芝2000m(良) 2:01.2 0.1秒 岩元市三 54 タマモコトブキ
1981 1. 24 京都 オープン 8 1 2着 芝1600m(稍) 1:34.9 0.2秒 岩元市三 55 バンプトンビオラ
2. 15 京都 京都記念(春) 16 1 8着 芝2400m(良) 2:28.0 0.9秒 岩元市三 53 ロビンソンシチー
3. 8 阪神 マイラーズカップ 10 5 7着 芝1600m(稍) 1:38.6 1.1秒 岩元市三 54 カツラノハイセイコ
3. 28 阪神 オープン 7 5 6着 芝1800m(稍) 1:54.1 2.3秒 東田幸男 52 ボールドエイカン
4. 18 京都 オープン 6 5 3着 1900m(稍) 1:58.9 0.8秒 岩元市三 55 ノトダイバー
7. 5 中京 金鯱賞 22 4 7着 芝1800m(不) 1:53.2 1.3秒 岩元市三 53 オーバーレインボー
7. 19 小倉 小倉日経賞 9 1 1着 芝1700m(良) R1:40.7 7身 岩元市三 55 (ミヤジヒロー)
8. 2 小倉 北九州記念 9 1 1着 芝1800m(良) 1:48.2 7身 岩元市三 57 (タツミプリンス)
8. 23 小倉 小倉記念 9 1 1着 芝2000m(良) 2:01.2 アタマ 岩元市三 58.5 (アイコウ)
9. 13 阪神 朝日チャレンジカップ 8 3 1着 芝2000m(重) 2:01.9 1身 岩元市三 56 オペックホース
10. 25 東京 天皇賞(秋) 16 7 6着 芝3200m(良) 3:20.0 1.1秒 岩元市三 56 ホウヨウボーイ
11. 22 東京 ジャパンカップ 15 10 12着 芝2400m(良) 2:27.7 2.4秒 岩元市三 56 メアジードーツ
12. 20 阪神 阪神大賞典 9 3 4着 芝3000m(稍) 3:09.7 0.1秒 岩元市三 57 アリーナオー
1982 2. 21 京都 京都記念(春) 13 4 11着 芝2400m(不) 2:31.8 1.7秒 岩元市三 57.5 アリーナオー
4. 18 阪神 鳴尾記念 15 4 11着 芝2500m(良) 2:35.6 1.0秒 岩元市三 57 マルブツウイナー
6. 6 阪神 宝塚記念 15 11 11着 芝2200m(良) 2:14.4 1.8秒 岩元市三 55 モンテプリンス
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

血統表[編集]

ラフオンテース血統ナスルーラ系 / Nasrullah3×4=18.75%、Vatout5×5=6.25%) (血統表の出典)

*フィルモン 1960
Philemon鹿毛 イギリス
父の父
Never Say Die 1951
栗毛 アメリカ
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Fieldfare War Admiral
Boreale
父の母
Winged Foot 1970
黒鹿毛 イギリス
Big Game Bahram
Myrobella
Singing grass Bosworth
Molly Adare

コマンチ 1968
栗毛 日本
*ムーティエ
Moutiers 1958
栗毛 フランス
Sicambre Prince Bio
Sif
Ballynash Nasrullah
Ballywellbroke
母の母
ケンエイ 1957
黒鹿毛 日本
*ヒンドスタン
Hindostan
Bois Roussel
Sonibai
*ミスハンター
Miss Hunter
Amber
Eudora F-No.6-a

主な近親[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ラフオンテース”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年7月2日閲覧。
  2. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|ラフオンテース|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2020年8月9日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『競馬名馬読本』(宝島社、1991年)
  • 市丸博司編『サラブレッド怪物伝説』(廣済堂文庫、1994年)
  • 大川慶次郎ほか『サラブレッド101頭の死に方(文庫版)』(徳間書店、1999年)

外部リンク[編集]