リュウキコウ

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リュウキコウ
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1974年5月21日
死没 不明
リュウファーロス
リュウアイアンス
母の父 ザラーズストラ
生国 日本の旗 日本青森県
生産 三浦牧場
馬主 三好笑子
調教師 久保道雄栗東
競走成績
生涯成績 41戦6勝
獲得賞金 1億6806万9000円
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リュウキコウ日本競走馬第28回阪神3歳ステークス優勝馬である。

  • なお、当項目では馬齢については原則旧表記(数え年)で表記する。

略歴[編集]

3歳時[編集]

1974年5月21日に誕生したリュウキコウは、1976年9月19日のデビュー戦を阪神競馬場で迎えた。以後すべての競走に騎乗する久保敏文騎手の手綱によって勝利し、競走生活を好スタートで始める事となった。

その後は、4戦2勝2着1回の戦績で第28回阪神3歳ステークスに出走した。当日の人気は7頭中5番人気と低評価だったが、レースは上位人気の先行馬が競り合った結果、後方待機策を採ったリュウキコウの末脚が決まり、重賞初制覇と共に関西の3歳王者となった。

しかし、この年の最優秀3歳牡馬は、同日に関東の中山競馬場で行われた朝日杯3歳ステークスを、1分34秒4という破格のレコードタイムで優勝したマルゼンスキーが受賞。フリーハンデでも同馬の57kgに比べ、54kgという評価となった。

4歳時[編集]

1977年は、クラシック路線を目指し挑戦したきさらぎ賞をレコードタイムで優勝。この世代のエース格であるマルゼンスキー不在[1]と言う事もあり、朝日杯2着馬・ヒシスピードと共にクラシック候補に挙げられた。しかし、次走スプリングステークスを4着(優勝馬ヨシノリュウジン)に敗れて以降は精彩を欠き、肝心の三冠レースは皐月賞16着(同ハードバージ)・東京優駿(日本ダービー)5着(同ラッキールーラ)・菊花賞6着(同プレストウコウ)と悉く敗れ、クラシック制覇は成らなかった。

5歳時[編集]

古馬となった1978年、緒戦のスポーツニッポン賞金杯6着敗戦直後に故障が判明し休養。8か月後の復帰戦は2着惜敗に終わったものの、次走の京都大賞典ハシコトブキに2馬身半差を付け差し切り、1年8ヶ月振りの勝利を挙げた。更に、目黒記念(秋)でもカネミノブを破って重賞2連勝を遂げ、天皇賞(秋)では1番人気での出走となった。

この第78回天皇賞は、スタート時に発馬機のゲートが開かず、発走やり直し(カンパイ)となった。改めてスタートが切られると、4番人気のプレストウコウが暴走気味に逃げる形となる。リュウキコウは最後方から最後の直線で追い込んだが、優勝馬テンメイ以下を捉え切れず0.5秒差の4着惜敗。次走の有馬記念(7番人気)は、下位人気(9番人気)のカネミノブに大きく遅れを取る11着惨敗に終わった。

6歳以降[編集]

その後も現役を続けたリュウキコウは、第27回阪神大賞典2着以外は大した見せ場無く、8歳で引退するまで23連敗。1981年緒戦の金杯では久し振りに3着と気を吐いたが、次走の日経新春杯で最下位に終わり、これを最後に競走馬を引退した。

脚注[編集]

  1. ^ 持込馬であったマルゼンスキーには、当時のレギュレーションによりクラシック参加権が与えられなかった為。

血統表[編集]

リュウキコウ血統ボワルセル系 / Udaipur (Umidwar) 4x5=9.38%、 Tourbillon (Diademe) 5x5=6.25%、 Blandford 5x5=6.25%) (血統表の出典)
父系

リュウファーロス
1963 栗毛 日本
父の父
*ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛 イギリス
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
父の母
*ドルガ
Dolga
1955 栗毛 フランス
*ガルカドール
Galcador
Djebel
Pharyva
Callixene Jock
Albarelle

リュウアイアンス
1967 鹿毛 日本
*ザラーズストラ
Zarathustra
1951 黒鹿毛 イギリス
Persian Gulf Bahram
Double Life
Salvia Sansovino
Love in The Mist
母の母
*スパニッシュアリアンス
Spanish Alliance
1960 鹿毛 イギリス
*マタドア
Matador
Golden Cloud
Spanish Galantry
Eugenie of Chantry Ujiji
Lady Chantry F-No.1-l
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

外部リンク[編集]