久保敏文

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久保敏文
(古賀敏文)
Kubo toshifumi.jpg
1978年10月22日、35歳
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県鳥栖市
生年月日 (1943-11-21) 1943年11月21日(74歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 久保道雄京都-栗東(1963年-1984年)
フリー・栗東(1984年-1994年)
初免許年 1963年
免許区分 平地
騎手引退日 1994年2月28日
重賞勝利 32勝
通算勝利 4687戦562勝
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久保 敏文(くぼ としふみ、1943年11月21日 - )は日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手。その引退後に実業家に転身し出版社の社長に就任、中央競馬馬主資格も取得した。騎手時代のおもな騎乗馬に1969年の桜花賞優勝馬ヒデコトブキ、1977年の天皇賞(秋)優勝馬ホクトボーイなどがいる。師匠・久保道雄婿養子となる1968年までは、旧姓の古賀(こが)で騎乗した。

来歴[編集]

1943年、佐賀県鳥栖市に生まれる。少年の頃に両親が離婚したことに伴って福岡県福岡市に移住し、芸妓置屋を経営していた叔母の元に身を寄せた[1]。義叔父が馬主として競走馬を所有しており、義叔父と付き合いのあった調教師上田武司から騎手になることを勧められ、中学卒業後に久保道雄厩舎に騎手見習いとして入門[1]。翌年から競馬会の騎手養成長期課程に第8期生として入所した。同期生には大崎昭一安田伊佐夫鹿戸明清水出美などがいる。

騎手課程修了後、久保厩舎に所属。デビュー直前の調教中に怪我を負い、他の同期生より2カ月遅い5月4日に初騎乗を迎えた[1]。初騎乗馬は久保厩舎に所属していたアラブの強豪ヒメカップで、初騎乗初勝利を挙げた。翌1964年には同馬でタマツバキ記念(春)を制し、重賞初勝利も挙げている。やがて久保厩舎の主戦騎手となり、関西の有力若手騎手として頭角を現した。1968年8月には同年の日本ダービー優勝馬タニノハローモアの手綱を取ったが、2着に敗れて1戦のみで降板。しかし伊藤修司から「タニノハローモアを降ろされたのなら」と、騎乗停止を受けていた保田隆芳に代わって皐月賞優勝馬マーチスの手綱を任された[2]。これをきっかけとして伊藤厩舎からの騎乗依頼が増え[2]、1969年には同厩舎のヒデコトブキで桜花賞を制し、八大競走初制覇を果たした。

その後もコンスタントに勝ち続け、1975年から1977年にかけての阪神大賞典3連覇や、ホクトボーイによる1977年秋の天皇賞制覇など、数々の重賞に勝利。1980年代初頭には関西現役騎手の重賞勝利数で武邦彦に次いでいた[3]追い込みを得意とし、ファンの多い騎手であった[3]

1983年暮に義父の久保が逝去し、フリーに転身した。以後は若手騎手の台頭もあって徐々に勝ち鞍が減少し始め、また日本騎手クラブ副会長(兼・関西支部長)を務める様になると、騎乗数も減少していった。1994年に騎手を引退。通算成績は4687戦562勝、うち重賞32勝。これにより日本騎手クラブ副会長・関西支部長の後任には河内洋が就任した。

競馬会からは競馬学校教官への転身を勧められていたが、のちに知人の実業家男性より雑誌制作への参画を勧められ、こちらに従って九州に戻った[4]。後に福岡の出版社「ベストプランニング」の社長に就任。九州で唯一の風俗店求人誌『赤いりんご』と『アップルページ』を創刊した[5]。会社は2000年時点で年商6億円の企業に成長[5]地方競馬では1996年頃から馬主となっていたが、1999年には高年収・資産額を求められる中央競馬の馬主資格を取得した[6][注 1]。事業で成功し、中央の馬主資格を取得することは実業家転身に当たっての目標であった[4]。かつて騎手であった人物が引退後に馬主登録した例は、日本では少数である[注 2]。中央所属所有馬に騎乗する騎手が着用する勝負服の配色は、「青地・黄襷・赤袖」である。

通算成績[編集]

区分 1着 2着 3着 4着以下 出走数 勝率 連対率
1963年 平地 11 8 5 31 55 .200 .345
障害 0 0 0 4 4 .000 .000
11 8 5 35 59 .186 .322
1964年 平地 17 15 17 99 148 .115 .216
障害 1 3 3 15 22 .045 .182
18 18 20 114 170 .106 .212
1965年 平地 12 13 14 72 111 .108 .225
障害 1 4 3 14 22 .045 .227
13 17 17 86 133 .098 .225
1966年 平地 24 23 31 143 221 .109 .213
障害 2 0 4 12 18 .111 .111
26 23 35 155 239 .109 .205
1967年 平地 31 18 33 133 215 .144 .228
障害 2 1 0 3 6 .333 .500
33 19 33 136 221 .149 .235
1968年 平地 28 30 29 127 214 .131 .271
1969年 平地 43 39 40 179 301 .143 .272
1970年 平地 26 19 29 127 201 .129 .224
1971年 平地 15 24 19 107 165 .091 .236
1972年 平地 13 15 16 86 130 .100 .215
1973年 平地 18 21 18 77 134 .134 .291
1974年 平地 22 22 27 137 208 .106 .212
1975年 平地 26 16 19 102 163 .160 .258
1976年 平地 24 14 16 96 150 .160 .253
1977年 平地 28 16 15 107 166 .169 .265
1978年 平地 30 20 20 108 178 .169 .281
1979年 平地 5 6 8 82 101 .050 .109
1980年 平地 8 11 8 90 117 .068 .162
1981年 平地 18 11 9 42 80 .225 .363
1982年 平地 13 17 12 106 148 .088 .203
1983年 平地 16 9 9 67 101 .158 .248
1984年 平地 26 17 34 167 244 .107 .176
1985年 平地 20 19 28 158 225 .089 .173
1986年 平地 17 9 12 104 142 .120 .183
1987年 平地 17 18 11 141 187 .091 .187
1988年 平地 11 7 8 68 94 .117 .191
1989年 平地 8 6 8 59 81 .099 .173
1990年 平地 10 9 18 125 162 .062 .117
1991年 平地 13 12 10 76 111 .117 .225
1992年 平地 5 2 3 42 52 .096 .135
1993年 平地 1 0 0 7 8 .125 .125
1994年 平地 0 0 0 0 0 .000 .000
平地 556 466 528 3065 4615 .120 .221
障害 6 8 10 48 72 .083 .194
総計 562 474 538 3113 4687 .120 .221

主な騎乗馬[編集]

※括弧内は久保騎乗時の優勝重賞競走、太字は八大競走。

1968年中京競馬暴動[編集]

1968年12月8日、中京競馬6日第10競走の中日杯で、久保はフジタカに騎乗して1位入線した。フジタカは決勝線手前で斜行して他馬の進路を妨げていたが、場内に審議の発表が行われないまま、確定を示すランプが点された[7]。しかし、その後になって競馬会が進路妨害によるフジタカの失格を発表。これを不服とした一部の競馬ファンが暴徒化して場内で投石や放火を始め、機動隊が出動する事態となった[7]。久保ら当事者はパトカーによる護送で競馬場を後にし、翌日には繰り上がり1位となったカルタゴに騎乗していた久保と同期の清水出美や、競馬会の委員らと共に警察署で事情聴取を受けた[7]。久保は暴動発生の責任を負わされて競馬会から3か月間の騎乗停止を通告されたが、「暴動が起きたのは審議のランプを点けずに確定のランプを点けたせいだ」と抗議し、処分は1か月間に減じられた[7]。この事件によって中京開催は残り2日間が中止となり、予定されていた中京最後の繋駕速歩競走が行われないままで終わった[7]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 中央競馬の馬主資格を取得するためには、収入面にあっては「3年連続で年収2000万円以上、資産1億4000万円以上」という規定を満たさなければならない。
  2. ^ 他に中央の馬主資格を取得した例として浅見国一(調教師経験者として初)、地方競馬で馬主資格を取得した例としては、清田十一小林稔成宮明光内藤繁春の例がある。また吉田牧場の4代目場主である吉田晴雄は、中央競馬の騎手として関東地区で数年間騎乗していた。

出典[編集]

  1. ^ a b c 井口(2000)p.78
  2. ^ a b 井口(2000)p.80
  3. ^ a b 梶山(1981)pp.252-253
  4. ^ a b 井口(2000)pp.77-78
  5. ^ a b 井口(2000)pp.83-84
  6. ^ 井口(2000)pp.76-77
  7. ^ a b c d e 井口(2000)p.79

参考文献[編集]

  • 『日本の騎手』(中央競馬ピーアール・センター、1981年)
    • 梶山隆平「関西の騎手」
  • 『書斎の競馬(14)』(飛鳥新社、2000年)ISBN 978-4870314146
    • 井口民樹「GI騎手から馬主へ! 久保敏文の華麗なる転身」

外部リンク[編集]