チエリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
チエリオ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1950年4月12日
死没 不明(1973年?)
プリメロ
オーマツカゼ
母の父 ダイオライト
生国 日本の旗 日本北海道三石町
生産 本桐牧場
馬主 吉川英治
調教師 田中和一郎東京
競走成績
生涯成績 53戦13勝
獲得賞金 7,097,550円
テンプレートを表示

チエリオ日本競走馬啓衆社賞最良5歳以上牝馬。馬主が作家の吉川英治ということで有名な馬である。

なお、母・オーマツカゼはチエリオを産んだあと、皐月賞馬(1955年)のケゴン(この馬も吉川の所有馬。本馬とは全姉弟)、朝日杯3歳ステークス1959年)優勝馬のマツカゼオーオークス1962年)馬のオーハヤブサを輩出している。

戦績[編集]

  • 馬齢表記は旧表記(数え表記)に統一する。

3歳時[編集]

デビュー戦は1952年8月20日のオープン(札幌競馬場)であったが8着。その後も成績は振るわず、漸くデビュー9戦目となる同年12月28日の未出走未勝利戦(中山競馬場、以下 中山)で、やっと初勝利を挙げる事となった。

4歳時[編集]

4歳に入ってからも勝ちきれないレースが3戦ほど続いたが、1953年1月26日の中山4歳特別(中山)を8番人気ながら制すと以後連勝街道を驀進。続く1月31日の優勝戦(中山)では、この年の桜花賞馬となるカンセイをハナ差下した。そして、この一戦における勝利で陣営は気を良くしたのか、この年の牡馬勢の層がいまひとつ厚くないという点も見越し、西下はせずにこのまま関東に残って皐月賞を目指すことになった。

続く3月8日のオープン(東京競馬場、以下 東京)では1番人気に支持され、2着に4馬身差をつける圧勝。さらにスプリングステークス(東京)においても、ヤマハタに4分の3馬身差をつけて堂々人気に応え、初の重賞を勝った。続く4月5日のオープン(中山)では2着に敗れ5連勝を逃したが、4月12日の中山4歳ステークス(現在のラジオNIKKEI賞、中山)では1番人気を5連勝中のフソウに譲り、自らは2番人気だったものの、そのフソウ以下を一蹴して快勝。4月26日の皐月賞(中山)では堂々1番人気に支持された。

ところが、肝心の皐月賞ではよもやの6着敗退(優勝はボストニアン)。この予想外の結果にもかかわらず、陣営はこの年より日本ダービーの前週に開催時期が移行される事になったオークスはもとより、何と連闘でダービーにも出走させるという仰天プランを打ち上げたのである。

5月17日のオークス(東京)では、桜花賞馬のカンセイが出走を取り消した事から断然の1番人気に支持されたが、4番人気の関西馬・ジツホマレにクビ差敗れるという不覚を取る。しかし、予定通り連闘で出走する事になった5月24日のダービー(東京)では3番人気に支持される。結果はボストニアンが二冠を達成し、チエリオは2着のダイサンホウシュウに僅差の4着だったが、連闘でこの結果というのは十分評価に値するものであった。

その後、チエリオは国営競馬の北海道シリーズに出走。3戦1勝の成績を収め9月に帰厩。この年が第1回のレースとなるクイーンステークスを目指し、秋初戦の9月23日、オープン(東京)を快勝。そして10月4日のクイーンステークス(東京)では1番人気に支持され、ワカクサを半馬身差下して初代優勝馬に輝いた。因みに、桜花賞馬・カンセイは最下位の8着に敗れた。そして、こちらもまた第1回となった11月22日の東京・東京牝馬特別(現在の府中牝馬ステークス、東京)では62キロという、牡馬でさえ酷量と言われる斤量を背負いながらも勝ち、ここでも初代優勝馬に輝いた。続く11月29日の毎日王冠(東京)では、タカハタレダクインナルビーといった前年の最強世代とも称された先輩牝馬たちに先着を果たし、勝ったトラツクオーのクビ差2着と健闘した。

クラシックのタイトルを手にする事が出来なかったチエリオだったが、ここまでの成績を見る限りこの年の4歳牝馬としては十分すぎるくらいの活躍ぶりを見せた。

5歳以降[編集]

タフな馬でもあるチエリオは、旧5歳に入ってもコンスタントにレースをこなすが、春のシーズンは今ひとつ勝ちきれないレースが目立った。だが、1954年5月30日の中距離特別(東京)で、東京牝馬特別以来の勝利を収めると、その後の中山の3戦も1勝2着2回と着順をまとめた。秋は9月26日の特ハン戦(東京)から始動し2着。その後毎日王冠(東京)2着、目黒記念(東京)3着を経て、11月7日の中山記念(中山)において60キロを背負いながらもダイコロンブスを半馬身差下し、同月21日に行われる天皇賞(東京)でも1番人気に支持され、今度こそ悲願のビッグタイトル制覇の期待が持たれた。しかし、濠州産馬で地方競馬出身、またチエリオと同年代である牝馬のオパールオーキツトの4着と敗退。その後はこの一戦で燃え尽きた形となってしまい、以後6歳2戦を含めて4戦するが勝てず、1955年に引退した。

ところで、この年から国営競馬は日本中央競馬会へと組織変更されると同時に、啓衆社の主催で年度代表馬等の年間表彰制度が設けられたが、チエリオは堂々初代最良5歳以上牝馬(現在のJRA賞最優秀4歳以上牝馬)に選出されている。

その後[編集]

引退後は浦河・富岡牧場で繁殖牝馬として供用された。あまり仔出しは良くなかったが、1968年の牡馬クラシック路線で活躍したジンライなどを送り出した。牝系子孫にはエスプリシーズ川崎記念)、テイエムハリケーン(札幌3歳ステークス)、テイエムオオアラシカブトヤマ記念福島記念)、ローリエアンドレ(ウインターステークス)などがいるが、ビクトリアクラウンニッポーテイオータレンティドガール兄妹など数多くの活躍馬を子孫から輩出し、ビユーチフルドリーマー系中興の祖となった妹オーハヤブサには大差を付けられている。

血統表[編集]

チエリオ血統ブランドフォード系 / Isinglass5×5=6.25%、Orby5×5=6.25% (母内) ) (血統表の出典)

*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
父の父
Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
父の母
Athasi
1917 鹿毛
Farasi Desmond
Molly Morgan
Athgreany Galloping Simon
Fairyland

オーマツカゼ
1944 栗毛
*ダイオライト
Diolite
1927 黒鹿毛
Diophon Grand Parade
Donnetta
Needle Rock Rock Sand
Needle Point
母の母
第参アストラル
1937 鹿毛
*シアンモア
Shian Mor
Buchan
Orlass
アストラル *チヤペルブラムプトン
種義 F-No.12


外部リンク[編集]