トムス・86C

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トムス・86C
カテゴリー グループC
コンストラクター 童夢
デザイナー 大国正浩
先代 トムス・85C
後継 トヨタ・87C
主要諸元
シャシー アルミ・ツインチューブ・モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン
全長 4,650 mm
全幅 1,990 mm
全高 960 mm
トレッド 前:1,600 mm / 後:1,570 mm
ホイールベース 2,600 mm
エンジン 3S-G改 2,140 cc 直4 ターボ ミッドシップ
トランスミッション マーチ85T 5速 MT
重量 850 kg
主要成績
チーム 日本の旗 トムス
日本の旗 童夢
日本の旗 i&i
ドライバー イギリスの旗 ジェフ・リース
日本の旗 関谷正徳
日本の旗 鈴木利男
スウェーデンの旗 エイエ・エルグ
イタリアの旗 ベッペ・ガビアーニ
日本の旗 中島悟
日本の旗 黒沢元治
日本の旗 小河等
日本の旗 星野薫
イギリスの旗 ケネス・アチソン
アイルランドの旗 マイケル・ロー
スウェーデンの旗 トーマス・ダニエルソン
出走時期 1986年
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
表彰台(3位以内)回数 1
初戦 1986年富士1000km
最終戦 1986年富士500km
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
6 0 0
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トムス・86Cは、1986年全日本耐久選手権(後のJSPC)、およびル・マン24時間レース参戦用に、童夢が開発したグループCカー。童夢・86Cは同型の姉妹車。

概要[編集]

アルミ製モノコック、 直4シングルターボ、フロントラジエーターといった童夢・84Cから続く基本パッケージを持つ、トヨタ系グループCカーの1986年仕様車。85Cと比較すると、外観はヘッドライトの位置他かなりの変更となった。エンジンは当初4T-GT型エンジンだったが、ル・マン遠征後の富士500マイルから3S-G 型エンジンに変更された。トムス(2台)、童夢、チームイクザワから計4台が参戦した。

戦績[編集]

86Cのデビュー戦は全日本耐久第2戦富士1000kmでトムスの36号車と童夢のみ使用した。36号車は21周目にオーバーヒートでリタイア。童夢車は快調にレースを進め2位をキープしていたが、終盤にローラ・T810/日産と接触して順位を下げ4位でゴールした。

86Cの2戦目のレースはル・マン24時間でトムス、童夢各1台ずつの出場。トムスは深夜にエンジントラブルでリタイアしたが、童夢は順調に走行し、30位スタートから2日目朝には7位まで順位を上げていた。その後オーバーヒートで1時間のピットストップの後、11位まで順位を下げながらも走行を続けたがゴールまで残り1時間でリタイアした。リタイアに終わったものの童夢の295周という周回数は、この年の日本勢最上位・16位のマーチ・85G/日産の284周を上回るものであった。

ル・マンから帰国後の全日本耐久第3戦富士500マイルから、これまでトムス・85Cで全日本耐久に出場していたトムス35号車、イクザワも86Cを使用するようになった。トムス36号車がこのレースから3S-G型エンジンを実戦投入した。レースはイクザワが7周目のストレートでタイヤがバーストするアクシデントで、童夢は58周目にオーバーヒートでそれぞれリタイア。3S-Gエンジン搭載のトムス36号車は最初のピットストップまでトップを走っていたが、その後順位を落とし86周目にエンジントラブルでリタイアした。12位スタートのトムス35号車は4位に入賞した。

全日本耐久第4戦鈴鹿1000kmには、富士500マイルで86Cを大破させたイクザワは85Cで出場。トムスの2台と童夢が86Cで出場した。3S-Gエンジンは引き続きトムス36号車のみ使用。童夢車はこのレースからリヤウイングを独立化させるモディファイを施してきた。レースはトムス36号車はオープニングラップにピットウォールに接触して0周リタイア。童夢も106周目サスペンショントラブルでリタイア。13位スタートのトムス35号車は3位でゴールしたが、レース後に2位のトラストポルシェが車両違反で失格になり2位に順位が繰り上がった。

世界選手権を兼ねた全日本耐久第5戦WEC-JAPANでは、イクザワが再び86Cを使用し4台の86Cが出場した。このレースからトムス36号車に加え童夢、イクザワも3S-Gを使用するようになった。トムスは35、36号車に加えてホイールベースを100㎜延長した3S-Gエンジン専用のシャシー、36Tを用意した。この36Tでトムスは翌年からF1進出が決まっていた中嶋悟の手により2位以下を2秒近く離すタイムで予選トップタイムをマークしたがFISAはこれを無効とした。FISAは「Tカーというものは存在しない。正しくはリザーブカーといい、本来のマシンに問題があった場合、申請があった時点からリザーブカーの使用が認められる」[1]とした。トムスは36号車と36Tを交互に走らせており、36Tはリザーブカーとしては認められなかった。

レースは、序盤トムス36号車が上位に付けるも、カウルトラブルで後退、9位完走に留まった。イクザワ車は富士500マイルに続いてのタイヤバーストでリタイア。トムス35号車は24位、童夢も28位と振るわなかった。

全日本耐久の最終戦富士500kmもWECと同じく4台の86Cが出場したが、トムスの2台はリタイア。童夢6位、イクザワは9位に終わった。トヨタ勢の最上位は85Cを使用するオートビューレックの5位だった。

結果は伴わなかったが、この86Cの実績が翌年のトヨタ・87Cで開花することになる。

尚1987~1988年に、オートビューレックが86Cに3S-Gエンジンを搭載してJSPCに参戦したが目立った成績は残していない。また1987年以降、この86Cシャシーにフォード・DFLを搭載するマシンが、米山二郎の手によりJSPCのC2クラスに参戦した。

参考文献[編集]

  • 「Sports-Car Racing」Vol.14、Sports-Car Racing Group、2004年。
  • 『放たれた時間』、「Racing On」No.005、武集書房、1986年。
  • 『HIGH ANGLE』8・トヨタ童夢86C、「Racing On」No.008、武集書房、1986年。

脚注[編集]

  1. ^ オートスポーツ」No.458、p.30、三栄書房、1986年。