ウェストバージニア (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ウェストバージニア[1]
USS West Virginia BB-48.jpg
基本情報
建造所 ニューポート・ニューズ造船所
運用者 Seal of the United States Department of the Navy.svgアメリカ海軍
艦種 戦艦
級名 コロラド級戦艦
艦歴
発注 1916年12月5日
起工 1920年4月12日
進水 1921年11月17日
就役 1923年12月1日
退役 1947年1月9日
除籍 1959年3月1日
除籍後 スクラップとして売却
要目
基準排水量 32,500 トン
満載排水量 33,590 トン
全長 190.20 m
最大幅 32.92 m(改装後:35 m)
吃水 9.07 m(改装後:9.2 m)
機関 蒸気タービン 4軸
出力 28,900 shp (22 MW)
最大速力 21 ノット (39 km/h)
乗員 士官・兵員:1,407名
装甲 竣工時 45口径40.6cm砲:8門
    51口径12.7cm砲:12門[2]
    50口径7.6cm砲:8門
    水中魚雷発射管:2門
最終時 45口径40.6cm砲:8門
    38口径12.7㎝砲:16門
    40mm対空砲:40門
    20mm対空砲:64門[3]
    CXAM-1
テンプレートを表示

ウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) は[注釈 2][注釈 3]アメリカ海軍戦艦[注釈 4]コロラド級戦艦 (Colorado-class battleships) の4番艦[注釈 5][注釈 6]。 艦名はアメリカ合衆国35番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては2隻目にあたる[注釈 7]。 「ウィー・ヴィー」 (Wee Vee) や「山男の戦艦」 (Mountaineer Battlewagon) の愛称があった[11]

概要[編集]

ウェストバージニア (USS West Virginia) は[注釈 1]、アメリカ海軍がニューポート・ニューズ造船所で建造した標準型戦艦 (Standard-type battleship) である[12]コロラド級戦艦[13]、もしくはメリーランド級戦艦に分類されている[注釈 8]。 1923年(大正12年)12月に完成した[注釈 9][注釈 10]。 建造中にワシントン海軍軍縮条約が締結されて保有艦艇に制限が加えられ、ニューヨーク造船所で建造が進んでいたコロラド級3番艦ワシントン (USS Washington,BB-47) が標的艦として処分され、4番艦の本艦が生き残った[17]海軍休日時代、本艦を含めた列強各国の16インチ砲搭載戦艦は“ビッグ・セブン”と称された[18][19]

1941年(昭和16年)12月7日(日本時間8日)の真珠湾攻撃[20]、ウェストバージアは南雲機動部隊艦上機による空襲を受け、魚雷多数が命中して沈没した[21][22]。 本艦は復旧可能だったので浮揚され、北アメリカ大陸西海岸のピュージェット・サウンド海軍造船所で大修理と大改装をおこなう[注釈 11]。 増加装甲を含めた防御力強化、バルジの装着、対空火器の増強、射撃管制装置、レーダーや艦上構造物の刷新により外観は一変し、サウスダコタ級戦艦を彷彿とさせる艦型となった[27][28]。満載排水量は41,000トン以上となっている[3]。こうした徹底的な改装のため、ウェストヴァージニアはしばしば公式文書の中で「ウェストヴァージニア級」と表記された[29]

1944年(昭和19年)9月に修理を終え、フィリピン反攻作戦から戦列に復帰した[30]第7艦隊隷下のオルデンドルフ部隊に所属して対地支援任務に従事し[31]10月25日未明のスリガオ海峡海戦 (Battle of Surigao Strait) では西村艦隊を邀撃し、僚艦と共に戦艦山城の撃沈に貢献した[32][注釈 12]

1945年(昭和20年)3月、硫黄島攻防戦で地上部隊を支援する。 3月下旬以降の沖縄戦では第5艦隊に所属し、第54任務部隊(指揮官モートン・デヨ少将)として対地支援任務に従事するが、4月1日に特攻機に突入されて小破する。4月6日から7日にかけて日本軍が発動した菊水一号作戦において、本艦ふくめアメリカ戦艦群は世界最大の戦艦大和と水上砲戦で決着をつける意気込みであったが[34]坊ノ岬沖海戦により大和が沈み[35]、実現しなかった。日本の降伏後、連合軍将兵の復員作戦に従事したあと予備役となり、1959年(昭和34年)に解体された[27]

艦歴[編集]

建造[編集]

ダニエルズ・プランに基づき、アメリカ海軍はコロラド級戦艦を4隻(コロラドメリーランドワシントン、ウェストバージニア)建造することになった[10]。1番艦コロラド (USS Colorado, BB-45) と3番艦ワシントン (USS Washington,BB-47) はニューヨーク造船所で建造され、2番艦メリーランド (USS Maryland, BB-46) と4番艦ウェストバージニア (USS West Virginia,BB-48) はニューポート・ニューズ造船所で建造された[16][注釈 13]

ウェストバージニアは1920年(大正10年)4月12日にバージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所で起工し、1921年(大正10年)11月17日にアリス・ライト・マン(アイザック・T・マンの娘)によって命名、進水した。

本艦進水直後の11月中旬にワシントン会議がはじまる[37][注釈 14]。 華府会議では16インチ砲(40.6センチ砲)を搭載した陸奥の処遇を巡って、日本と諸外国間で激論となる[39][40]日本海軍長門型2隻(長門、陸奥)を、アメリカ海軍は1921年(大正10年)7月に竣工していたメリーランド[36][41]と未完成戦艦2隻(コロラド、ウェストヴァージニア)を[42]、イギリス海軍はネルソン級2隻(ネルソンロドニー)と巡洋戦艦フッド (HMS Hood) を保有(建造)することで合意した[注釈 15][注釈 16]。 こうしてワシントン海軍軍縮条約が結ばれたが[47]、コロラド級戦艦3番艦のワシントン (USS Washington,BB-47) は標的艦として処分され[注釈 17]、4番艦のウェストバージニアが生き残った[30]。ニューヨーク造船所のワシントンの方が本艦より工事が進んでいたが[49]、同造船所ではレキシントン級巡洋戦艦3番艦のサラトガ (USS Saratoga,CC-3) を軍縮条約により空母に改造することになっていた[50]。失業対策を兼ねて、ニューポート・ニューズ社の作業量を確保する意図があったという[49][注釈 18]

16インチ砲を搭載した列強各国の超弩級戦艦7隻は[52]海軍休日時代 (Naval Holiday) において“世界七大戦艦”(もしくは“世界のビッグ・セブン”)と評された[18][注釈 19]。アメリカでは、コロラド級3隻(コロラド、メリーランド、ウェストバージニア)とテネシー級2隻(テネシーカリフォルニア)で[54]ビッグ5 (Big Five) と謳われた[13]

1923年(大正12年)12月1日、ウェストバージニアは初代艦長トーマス・J・セン大佐の指揮下就役した。3番艦(ワシントン)が処分されたので竣工できた4番艦のウェスト・バージニアは、当時最新の造船技術が具現化された戦艦であった[16]。その船体装甲はユトランド沖海戦前に設計された戦艦の装甲に比べて進歩が見られ、速力では長門型戦艦に劣るものの、砲撃力と防御力では同等以上の能力を持っていたといえる[55]

就役後、ウェストバージニアは数ヶ月をかけて公試および整調を行い改修が実施された。ニューヨーク海軍工廠での作業後、ハンプトン・ローズに向かう途中に操舵装置の故障が発生した。ウェストバージニアはハンプトン・ローズでオーバーホールを行い、1924年(大正13年)6月16日に外洋に向けて出航した。同日10:10、リンヘヴン海峡を通行中、操舵手は舵角指示器が反応しないと報告した。操舵室への非常ベルに対して反応が無く、ウェストバージニアのセン艦長は直ちに全機関の停止を命じた。しかしながら機関室からの応答はなく、操舵室および機関室への電信が通じなかったことが判明した。

その後、セン艦長はブリッジから伝声管を通じて機関室へ命令を行った。セン艦長は左舷機関室に対して全速を命じ、右舷に対しては停止を命じた。機関と操舵を維持する努力は海峡内で継続されたが、全ての努力は無駄となった。ウェストバージニアは機関故障により方向を失い、軟泥の海底に座礁した。副長のスターク中佐は「...船体への損傷はほとんど無かった」と報告した。

調査委員会の事故調査により、不正確で誤解を招きやすい海図がウェストバージニアに与えられていたことが判明した。海図には実際よりも海峡の幅が大きく示されていた。この事実により、セン艦長および操舵手の事故に関する責任は問われなかった。

太平洋戦争[編集]

日本軍の奇襲により炎上するウェストバージニア。

1930年代中盤、ドイツ海軍ドイッチュラント級装甲艦(通称ポケット戦艦)を建造し、まもなくナチス政権再軍備宣言をおこなった[56]。この流れの中で、ヨーロッパで建艦競争が再燃した[57]。さらに第二次ロンドン海軍軍縮会議が決裂して無条約時代となり[58]、アメリカ海軍も高速戦艦ノースカロライナ級戦艦[59]ノースカロライナワシントン)やサウスダコタ級戦艦を建造する[60][注釈 20]。このような状況下においても、16インチ砲(41cm砲)を搭載した“ビッグ7”は有力な存在でありつづけた[注釈 21]

1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)朝[63]南雲機動部隊の日本軍空母6隻[64]赤城加賀蒼龍飛龍瑞鶴翔鶴)から発進した艦上機パールハーバーを奇襲した[65]真珠湾攻撃[21]。 ウェストバージニアは、太平洋艦隊 (United States Pacific Fleet)の戦艦戦隊旗艦および第四戦艦戦隊 (Battleship Division 4) 旗艦であったという(真珠湾攻撃、両軍戦闘序列[66][注釈 1]。 当時、太平洋艦隊の主力艦はフォード島東側に繋留されていた[注釈 22][注釈 23]。 ウェストバージニアは戦艦オクラホマ (USS Oklahoma, BB-37) と戦艦メリーランド (USS Maryland, BB-46) の後方に停泊しており、本艦の右舷側には戦艦テネシー (USS Tennessee, BB-43) が繋留され、本艦後方には工作艦ヴェスタル (USS Vestal, AR-4) と戦艦アリゾナ (USS Arizona, BB-39) が停泊していた[69][70][注釈 24]

フォード島周辺に停泊するアメリカ戦艦群に対し[72]、赤城飛行隊長村田重治大尉が率いる九七式艦上攻撃機 40機が雷撃をおこなう[73][74][注釈 25]。 ウェストバージニアに対し、一航戦の赤城攻撃隊が左舷中央部に魚雷3本命中[注釈 26]、加賀攻撃隊が左舷後部に魚雷4本命中、二航戦の飛龍攻撃隊が左舷前部に魚雷2本命中を記録する[77]。アメリカ側の記録では、左舷に6本-7本の魚雷が命中した[78][79]。6本の魚雷のうち1本は不発であったが、3本は舷側装甲帯の下に命中し左舷側の広範囲に浸水を来した。1本は舵付近に命中した。1本は舷側装甲板に命中し、その修復のためには7枚の装甲板の交換を必要とした。魚雷による浸水は深刻であり、右舷側には傾斜復旧のために注水可能な全区画に対して注水が行われる。ウェストバージニアは湾内で着底したが、転覆を免れたので対空戦闘を続行することが出来た[80]。さらに幸運なことに、航空燃料を満載した給油艦ネオショー (USS Neosho, AO–23) が自力で退避したので[81]、ウェストバージニアを含めたアメリカ戦艦群は重大な危機を免れた[注釈 27]

赤城飛行隊長淵田美津雄中佐が率いる九七式艦上攻撃機の水平爆撃隊も[73][83]、アメリカ戦艦群に大損害を与えた[84][注釈 28]。ウェストバージニアには、長門型戦艦の九一式徹甲弾(40㎝砲弾)を改造した800kg爆弾が[87][88]、2発命中した[注釈 29]。 1発目は探照灯甲板を貫通して第二甲板に到達したが、不発であった。2発目は第3主砲の天井(装甲厚100mm)を貫通し第3主砲の片側の砲を破壊して使用不能にしたが、同じく爆発しなかった。しかし砲塔上のカタパルトのOS2U水上機から航空燃料が漏出し、これによる火災が発生した。ウェストバージニアはこの火災と、本艦の右舷後方で爆沈したアリゾナ[79]から流出した重油による火災によって30時間も燃え続けた。

他艦に較べれば被害の少なかったテネシーが[79]、消火活動に協力した。最終的にウェストバージニア乗員は艦を放棄して退避している。戦死者は106名に及んだ。本艦艦長のマーヴィン・シャープ・ベニオン大佐は、テネシーで起きた爆発の破片により致命傷を負って戦死し[79]、死後に名誉勲章を授与された[注釈 30]

ウェストバージニアは、魚雷の命中孔を塞ぐ処置がなされたのちに、1942年(昭和17年)5月17日に浮揚された。籠マストなど、多くの艤装品が撤去された状態で6月9日に乾ドックに収容され、本格的な修復作業が始まる[90]。その修理の際に艦内から66名の遺体が発見された。数名は蒸気配管の頂部の空気が残っていた区画に横たわっており、また倉庫区画で発見された3名は、残されていたカレンダーから着底後も戦闘配置場所からの真水と非常食を用いて前年12月23日まで生存していたことが示された。

改装により外観が大きく変化したウェストヴァージニア

ウェストバージニアは1943年(昭和18年)5月7日に真珠湾を出発し、自力でアメリカ本土西海岸にむかった。前後の籠マストは既に撤去されており、航海艦橋後方の頂部に通信用の短い仮設マストを装備している[90]ワシントン州ブレマートンピュージェット・サウンド海軍造船所で、本格的な修理と大規模な近代化の改修工事を受けた。大改装により速力以外では米新鋭戦艦(ノースカロライナ級サウスダコタ級)に匹敵する能力となり[注釈 31]、特にバルジの装着と水平装甲の強化により防御力では米新鋭戦艦を部分的に上回っている[29][92]。その代償として満載排水量は41,000トンを超え、艦幅の増大によりパナマ運河通過を諦めざるを得なくなり、機関部も改装しなかった事から最高速力が若干低下した[29][91]。なおウェストバージニアに実施された改造は徹底的だったので、姉妹艦(コロラド、メリーランド)よりも高性能となった[91]1944年(昭和19年)7月に修理を終え、9月から太平洋艦隊に復帰した。

同年10月24日深夜から25日未明にかけて、スリガオ海峡第7艦隊(司令長官キンケイド中将)と、栗田艦隊分遣隊(西村艦隊)との間で夜戦が繰り広げられた[93]レイテ沖海戦スリガオ海峡夜戦[94]。ウェストバージニアはジェシー・B・オルデンドルフ中将が指揮する第77任務部隊において戦列部隊(第2群)に所属しており[注釈 32]西村祥治中将が率いる第一遊撃部隊第3部隊[96](通称“西村艦隊”または“西村部隊”)を迎え撃った[97]両軍戦闘序列[98]。 西村艦隊は米軍水雷戦隊の襲撃で戦艦扶桑[33]と駆逐艦3隻(満潮山雲朝雲)が沈没するか戦闘不能となる[99][100]。スリガオ海峡をなおも北上したのは、3隻(戦艦山城、航空巡洋艦最上、駆逐艦時雨)だけだった[101][32]。 ウェストバージニア以下の戦列部隊は、西村艦隊残存3隻に集中攻撃を加えた[102][103]。また真珠湾攻撃時に戦死したウェストバージニア艦長にちなむ駆逐艦ベニオン (USS Bennion,DD-662) も、山城に魚雷攻撃を行った[1][104]。大改装組(ウェストバージニア、テネシー、カリフォルニア)は射撃用レーダーと射撃指揮装置を活用し、有効な砲撃を行ったとされる[91]。 第77任務部隊は山城を撃沈し[105]、味方駆逐艦アルバート・W・グラント (USS Albert W. Grant, DD-649) を同士討ちで撃破したのみで[106]、最上と時雨に逃げられた[注釈 33]

1945年(昭和20年)2月半ばまでレイテ湾周辺での哨戒、対空戦闘を実施した後に海域を離れ、ウェストバージニアは硫黄島の戦い沖縄の戦いで上陸部隊支援のための艦砲射撃と対空警戒に従事した。沖縄戦ではスプルーアンス大将が率いる第5艦隊 (U.S. Fifth Fleet) に所属し、モートン・デヨ少将の第54任務部隊として行動する[110][注釈 34]。 沖縄地上戦開始後の4月1日、特攻機の突入で小破した。4月7日から8日にかけて沖縄西方海上へ展開し、菊水一号作戦で沖縄を目指す戦艦大和以下の水上特攻部隊の襲撃に備えた[34][注釈 35]。しかし大和らは第58任務部隊の空襲によって撃沈され[111][35]、デヨ部隊は翌朝にその知らせを受け取った(坊ノ岬沖海戦)。4月16日、伊江島の戦いで艦砲射撃に従事。

戦後[編集]

太平洋戦争は1945年(昭和20年)8月15日に終結し、ウェストバージニアは占領任務を担当するため上陸部隊に対して訓練を行った。8月24日に第35.90.任務群の一艦として東京湾に向けて出航、8月31日に東京湾に到着し、9月2日の降伏文書調印式に臨席した。当日はウェストバージニアの軍楽隊から5名が戦艦ミズーリ (USS Missouri, BB-63) に移乗し、式典で演奏を担当した。

ウェストバージニアは東京湾に留まり、9月まで占領任務に従事した。9月14日に西海岸に帰還する270名を乗艦させた。第30.4.任務群の一艦として9月20日の深夜、沖縄に向けて出航した。9月23日に中城湾へ進路を変え、その後間もなく真珠湾に向かい真珠湾には10月4日に到着した。

真珠湾で乗組員は艦に塗装を行い、ウェストバージニアにはサンディエゴに向かう乗客が乗り込んだ。ウェストバージニアは10月9日に出航し、10月22日の13:28にサンディエゴの海軍埠頭に接岸した。その2日後、第4戦艦部隊の指揮官I・C・ソーウェル少将が座乗した。

海軍記念日にウェストバージニアには25,554人の訪問客が訪れた。3日後の10月30日、マジック・カーペット作戦に参加するためハワイ海域に向けて出航した。真珠湾とサンディエゴ間を2度往復し、2度目にはウィリアム・W・スミス少将が座乗しサンフランシスコに向かった。

西海岸とハワイ間の往復を行った後、ウェストバージニアは12月17日にカリフォルニア州サンペドロに到着した。1946年(昭和21年)1月4日にワシントン州ブレマートンに向けて出航し、12日に到着、16日に不活性化のためシアトルに向かい、姉妹艦のコロラド (USS Colorado, BB-45) の横に停泊した。

同年2月に不活性化の最終段階に入り、1947年(昭和22年)1月9日に退役[29]、太平洋予備役艦隊で保管された。ウェストバージニアはその後現役任務に復帰することはなく、1959年(昭和34年)3月1日に除籍された[29]。同年8月24日にニューヨークのユニオン・ミネラルズ・アンド・アロイ社にスクラップとして売却された。1963年(昭和38年)5月11日、艦のメインマストがウェストバージニア大学に贈呈され、現在も記念物として展示されている。艦内時鐘はウェストバージニア州立博物館へ贈呈された。

ウェストバージニアは第二次世界大戦の戦功により5個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ a b c 【メリーランド型】ウエストヴアージニア號[67](戰闘部隊戰艦旗艦兼第四戰艦隊旗艦、アンダーソン少将坐乗、艦長マークランド大佐) メリーランド號(艦長マツキー大佐)要目=一九二一年竣工、排水量三万千五百トン、速力二〇.七ノツト、主砲十六インチ砲八門、副砲五インチ砲十二門、高角砲五インチ砲八門
  2. ^ 日本語ではウェストヴァージニヤ[注釈 1]ウヱストヴァージニア[4]ウェストバージニヤ[5]ウェスト・ヴァージニア[6][7]と表記することもある。
  3. ^ 戰艦“ウエスト・ヴアジニア West Virginia[8] 全要目{排水量31,800噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1920年4月 竣工1923年12月 建造所 ニューポートニュース造船所} 排水量は一寸大きいが外はすべてメリーランドと同一の要目。この寫眞では後部砲塔の上と後甲板とにカタパルトを装備してゐるのがよく判る。今日まで永い間名のみ著名なる大戰艦として、閑地にあつたが、主として巡洋艦の建造で發達した新時代の造船技術は、徹底的に、この大戰艦を改造し新らしい35,000噸戰艦として再誕生させることであらう。主砲と、その射撃装置、航空機に對する兵装等改善すべきところは非常に多い。また速力も増さなければなるまい。
  4. ^ 〔米國〕戰艦ウヱスト・ヴアージニヤ[4] 全長624呎 最大幅97呎3吋 平均吃水30呎6吋 排水量32,600噸 速力21節 備砲(16吋8門 5吋-12門 5吋高角-8門) 魚雷發射管2門 竣工1923年12月  同型艦他に二隻 コロラド メリーランド 
  5. ^ 日本ではウェストバージニヤ型と表記したこともある[9]。アメリカ側でも、最初に完成したメリーランド (USS Maryland, BB-46) をネームシップとしてメリーランド級戦艦と呼称することもある[10]
  6. ^ 亞米利加合衆國 戰艦メェリーランド(一九二一年七月竣工)[7] 基準排水量三一五〇〇噸。(全載量三三五九〇噸、時速二一節。一九一六年、第四六號艦として認可。コロラド(四五號艦)及びウェスト・ヴァジニア(四八號艦)と同型。旗艦たるに適ふ。砲塔並びに後尾甲板上に各々一基カタパルトを有す。幾らか全載量の大なる外は殆どカルフルニア級と大同小異。華府海軍條約に依り廢棄。
  7. ^ 初代はペンシルベニア級装甲巡洋艦ウェストバージニア (USS West Virginia, ACR-5) で、2代目の本艦に名前を譲ってハンチントン (USS Huntington, CA-5) と改名された。3代目はオハイオ級原子力潜水艦ウェストバージニア (USS West Virginia, SSBN-736) 。
  8. ^ 撃滅された米主力艦の性能(略)[14] (2)メリーランド型=代表艦はメリーランドで排水量三萬一千五百噸 一九二一年完成、十六インチ砲八門、五インチ砲二十門の装備を有し速力は二十一節、ウエストヴアーヂニア(三一,八〇〇噸)とコロラド(三二,五〇〇噸)が姉妹艦である(寫眞(2)はウエストヴアーヂニア)(以下略)
  9. ^ 列國艦艇一覧表(昭和十一年十二月三十一日調)[15] 〔 國別:米國|現状:既成|艦名:ウェスト・ヴァジニア(48) }電氣推進|排水量:三一,八〇〇|速力:〃(二一.〇)|備砲 主砲:〃(四〇-八)/副砲:〃(一三-一二)|魚雷發射管(糎)數:―|竣工年月日(西暦):二三.一二 〕〔備考〕艦名欄の數字ハ公稱番號ヲ示ス、33-42ノ一〇隻ハ改造濟ナリ、尚産業復興費ニヨリ43以下ノ五戰艦ヲ改装セントシツヽアリ(以下略)〕
  10. ^ 戰艦“ウヱスト・ヴアジニア West Virginia[16] 全要目{排水量31,800噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1920年4月 竣工1923年12月 建造所 ニューポートニュース造船所} ウヱスト・ヴアジニアは米國戰艦中の最新艦で排水量が31,800噸である外はすべてコロラドと同一の要目。この寫眞では後部砲塔の上と後甲板とにカタパルトを装備してゐるのがよく判る。米國の三大戰艦と見て我が長門及び陸奥と比較するとき最も注目を惹くのは速力である。我が23節に對し彼は21節に甘んじてゐるのは何故か。/これは云ふまでもなく米海軍が遠洋作戰に重きを置いてゐることを暗示するものである。即ち短期間の行動より長期間の行動へ、自國海面に於ける運動よりも遠洋に作戰を期するがためである。然し漸次速力の改造は進められつゝある。見る如く未だにカゴマストであるが已に之等も全部改装することになつてゐる。
  11. ^ 真珠湾攻撃で沈没した戦艦4隻のうち、本艦とカリフォルニア (USS California, BB-44) は大修理の末に戦線に復帰したが[23]。戦艦アリゾナ (USS Arizona, BB-39) [24]オクラホマ (USS Oklahoma, BB-37) [25]は修理不能と見做されて廃艦となった[26]
  12. ^ 西村艦隊の戦艦扶桑はアメリカ軍水雷戦隊の雷撃で沈没しており、アメリカ戦艦部隊は関与していない[33]
  13. ^ 戰艦“コロラド Colorado[36] 全要目{排水量32,500噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1919年5月 竣工1923年8月 建造所 紐育造船會社} 米國海軍の有する三大戰艦(40糎砲搭載戰艦)の一で正に我が陸奥、長門に匹敵するものである全長190.18米、幅29.63米、平均吃水9.3米、全速力21節の軸馬力27,3004馬力で推進器は4個を有し電氣推進である。上記の外に13糎高角砲8門を有しカタパルト2基を備へてゐる。搭載飛行機平時3機。

    戰艦“メリーランド Maryland 米國の40糎砲搭載戰艦の最初に出來たもの。排水量31,500噸、推進器が電氣式でない外すべてコロラドと同じである。1921年7月ニューポートニユース造船所で竣工したものである。これ等米國の40糎砲は最上仰角30度、その着彈距離は33,000米。
  14. ^ (前略)第二艦の「陸奥」は華府會議の際既に竣工してゐたにも拘らず、米國が未成艦なりと主張して譲らなかつた爲に喧ましい問題となり、遂に「陸奥」を生かす代りに、米國は當時建造中の十六吋砲戰艦「コロラド」「ウェスト・ヴァージニア」の二艦を生かし、英國は新たに「ネルソン」「ロドネー」の十六吋砲戰艦二隻を建造することになつて鳬がついたことは有名な史實である(以下略)[38]
  15. ^ イギリス海軍はフッド級巡洋戦艦を更に4隻建造予定だったが本条約で建造中止となり[43]、フッドのみを保有することになった[44]海軍休日時代において、フッドは世界最大の軍艦であった[45]
  16. ^ 第一節 主力艦/(一)總説(中略)[46]更に又華府會議の結果として、一旦廢棄の運命に在つた我戰艦陸奥が復活され、之と均衡を保つべく米國に於てはコロラド及ウエスト・ヴアジニアの二艦を竣工就役させ、英國は新たにネルソン、ロドネーの二隻を建造することとなつた。(米國戰艦コロラド、要目および寫眞)
  17. ^ 8代目のワシントン (USS Washington,BB-47) は、1919年(大正8年)6日30日に起工、1921年(大正10年)9月12日に進水、1923年(大正12年)11月10日に廃棄が決定した。1924年(大正13年)11月下旬に各種爆破実験と艦砲射撃の標的となって沈没した[48]ノースカロライナ級戦艦2番艦のワシントン (USS Washington, BB-56) は9代目。
  18. ^ ニューポート・ニューズ社はレキシントン級巡洋戦艦2番艦コンステレーション (USS Constellation, CC-2) と同級4番艦レンジャー (Ranger,CC-4) を建造中だったが、ワシントン軍縮条約により2隻とも建造中止となった。空母として就役したのは2隻(レキシントン、サラトガ)であった[51]
  19. ^ 戰艦“長門 ながと”[53] 全要目{排水量32,720噸 速力23.0節 備砲 40糎砲8門 14糎砲20門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管6門 起工大正6年8月 竣工大正9年11月 建造所 呉海軍工廠} 長門は40糎砲といふ巨砲を世界で初めて搭載した戰艦であり、艦型に於ても從來のものを完全にノツクアウトし、列強海軍をして瞠若たらしめた艦である。從來先進列強にとかく後塵を拝せしめられてゐた帝國は一躍世界をリードする日本たることを證明したのである。新鋭長門は今や聯合艦隊主力として海軍無條約時代に備ふ我海軍たのみの艦である。戰艦は艦隊の根幹でありその價値は搭載する主砲の威力と防禦設備如何に依つて決定される。主砲は敵主力艦隊を撃滅するものであり、副砲は主として來襲する敵の輕快部隊に備へるものである。世界の七大戰艦とは、我が“陸奥” “長門” 英の“ネルソン” “ロドニー” 米の“ウエスト・ヴァジニア” “コロラド” “メリーランド”の七艦である。
  20. ^ 既に本年度起工の主力艦二隻(三五,〇〇〇噸)は、夫々「ワシントン」及び「ノース・カロライナ」と命名され、四〇糎砲九門(三聯装三基)を搭載し、速力(二六節-二七節)を犠牲にして、防禦力を全面的に増強し、航續力を更に増大すると傳へられてゐる。建造費は一隻約六千萬弗である[61]。(以下略)
  21. ^ 米國海軍の現有勢力(一九三七年七月一日)[62] (一)主力艦 一五隻 この内一〇隻は既に改装濟であつて、再改装をするものもある。我が「長門」「陸奥」に匹敵する四〇糎砲主力艦は、「メリーランド」「コロラド」「ウェスト・ヴァ―ヂニア」の三艦である。
  22. ^ その情景は“戦艦通り Battleship Row”と呼ばれていたという。
  23. ^ (前略)劈頭の第一撃はフオード島東側泊地の敵大主力艦群に向けられた。/ 眞珠灣深くフオード島寄りにオクラホマ型(ネバタ)につゞいたオクラホマ型と特務艦、次にアリゾナ型(テネシー)とメリーランド型(ウエスト・ヴアージニヤ) アリゾナ型(アリゾナ)メリーランド型(メリーランド)とが、それぞれ二隻宛舷を摩し、少しはなれたところにカリフォルニヤ型(カリフオルニヤ)對岸の海軍工廠内深くカリフオルニヤ型(ペンシルバニヤ)が見事な艦列を敷いてならんでゐた。/ 眞珠灣には、標高千餘米の山嶺が、西側にせまつてゐる。編隊をもつて雷撃することは、きはめて困難なことである。[68](以下略)
  24. ^ メリーランドの前方には給油艦ネオショー (USS Neosho, AO–23) と戦艦カリフォルニア (USS California, BB-44) が、戦艦アリゾナの後方には戦艦ネヴァダ (USS Nevada, BB-36) が停泊していた[71]
  25. ^ 事前の計画では、一航戦(赤城、加賀)雷撃隊が戦艦群を、二航戦(蒼龍、飛龍)雷撃隊が空母を狙う手筈だった[75]
  26. ^ 村田大尉機もウェストバージニアに魚雷を命中させ「われ、敵主力を雷撃す、効果甚大」と打電している[76]
  27. ^ もしネオショーが被弾、燃料に引火して大爆発をおこしたら、周辺の戦艦4隻(メリーランド、オクラホマ、ウェストバージニア、テネシー)は焼き尽くされていた筈である[82]
  28. ^ 水平爆撃隊50機(淵田機含む)の内訳は[85]、赤城15、加賀15、蒼龍10、飛龍10[86]
  29. ^ 日本側記録ではウェストバージニアに800kg徹甲爆弾3発、加賀急降下爆撃隊が250kg爆弾1発命中[9][89]
  30. ^ ベニオン艦長を記念し、フレッチャー級駆逐艦の1隻がベニオン (USS Bennion,DD-662) と命名された。後日、レイテ沖海戦でウェストバージニアと同じく第77任務部隊に所属した[1]
  31. ^ 対空警戒用レーダーも、前部マスト頂武にSK型を、後部の棒状マストの頂部にSC型を搭載した[91]
  32. ^ G・L・ウェイラー少将(旗艦ミシシッピ)が指揮する戦列部隊:戦艦ミシシッピ (USS Mississippi, BB-41) 、メリーランド、ウェストバージニア、テネシー (USS Tennessee, BB-43) 、カリフォルニア (USS California, BB-44) 、ペンシルベニア (USS Pennsylvania, BB-38) 、駆逐艦駆逐艦オーリック (USS Aulick,DD-569) 、コニー (USS Cony,DD-508) 、シガニー (USS Sigourney,DD-643) 、クラックストン (USS Claxton,DD-571) 、ソーン (USS Thorn,DD-647) 、ウェルズ (USS Welles,DD-628) [95]
  33. ^ 損傷しながら海峡から脱出した最上だったが、昼間の航空攻撃で致命傷を受け[107]、救援にきた駆逐艦(第7駆逐隊)に処分された[108]。逃げ遅れた朝雲は追撃してきたオルデンドルフ部隊によって撃沈された[109]
  34. ^ 第54任務部隊第4砲撃部隊(指揮官Lynde D. McCormick少将)戦艦アイダホ (USS Idaho,BB-42) 、ウェストバージニア (West Virginia, BB-48) 、巡洋艦ペンサコーラ (USS Pensacola,CA-24) 、ポートランド (USS Portland,CA-33) 、ビロクシ (USS Biloxi, CL-80) 、駆逐艦ポーターフィールド (USS Porterfield,DD-682) 、キャラハン (USS Callaghan,DD-792) 、アーウィン (USS Irwin,DD-794) 、カッシン・ヤング (USS Cassin Young, DD-793) 、プレストン (USS Preston,DD-795) 。(沖縄戦、連合軍海上部隊戦闘序列
  35. ^ 第二艦隊司令長官伊藤整一中将が率いる第一遊撃部隊(戦艦大和、軽巡矢矧、第17駆逐隊〈磯風雪風浜風〉、第21駆逐隊〈朝霜初霜〉、第41駆逐隊〈冬月涼月〉)。

出典[編集]

  1. ^ a b c Leyte 1971, p. 202.
  2. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 194aWWII米戦艦・大型巡洋艦主要目一覧表/テネシー級とコロラド級
  3. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 195コロラド級/ウェスト・ヴァージニア(1945)
  4. ^ a b 軍艦写帖 1930, p. 121(米國)戰艦ウヱスト・ヴアージニヤ
  5. ^ 戦史叢書10 1967, p. 354.
  6. ^ 海軍読本 1937, p. 127(原本233頁)米國戰艦ウェスト・ヴァージニア 排水量31,800噸、速力21.0節、主砲40糎8門、進水1921年11月(本艦正面写真掲載)
  7. ^ a b 世界海軍大写真帖 1935, p. 42.
  8. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 96(原本174-175頁)戰艦ウエスト・ヴアージニア
  9. ^ a b 戦史叢書10 1967, p. 358.
  10. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 127a(コロラド級)建造の経緯
  11. ^ Ship Nicknames”. www.zuzuray.com. 2019年4月29日閲覧。 同州の別称がState of Mountainで、州民をMountaineerと呼ぶ。
  12. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 124a-127最後の標準型戦艦「コロラド」級(別称「メリーランド」型)
  13. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 121–127アメリカ戦艦発達史(第4章)5大戦艦「テネシー級」&「コロラド」級/第一次大戦型米戦艦完成型「テネシー」級と16インチ砲艦「コロラド」級
  14. ^ ハワイ海戦、マレー沖海戦 1942, p. 32原本41頁
  15. ^ 海軍読本 1937, p. 201原本381頁
  16. ^ a b c ポケット海軍年鑑 1935, p. 108(原本198-199頁)戰艦ウヱストヴアジニア
  17. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 94–97戦艦コロラド級/40cm主砲を搭載したビッグセブンの一角
  18. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 73■アメリカの戦艦(解説)
  19. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 44–48戦艦長門
  20. ^ ハワイ海戦、マレー沖海戦 1942, pp. 45(原本67頁)ハワイ海戰の輝く大戰果(昭和十六年十二月八日)
  21. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 18–24真珠湾攻撃
  22. ^ 大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録(1) 1942, p. 19(原本12-13頁)航空部隊緒戰の大戰果
  23. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 91.
  24. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 83.
  25. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 80.
  26. ^ ニミッツ 1962, p. 23.
  27. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 96.
  28. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 154–163アメリカ戦艦発達史(第8章)第二次大戦中の旧式米戦艦の改装
  29. ^ a b c d e 来島, 聡『世界の戦艦プロファイル ドレッドノートから大和まで』市村 弘、大日本絵画、東京都千代田区、2015年、77頁。ISBN 9784499231527
  30. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 95.
  31. ^ ニミッツ 1962, p. 第42図 レイテ作戦における米国の主要海軍兵力および指揮系統.
  32. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 30–33戦艦 山城/米戦艦隊に最後の戦いを挑んだ旧式戦艦
  33. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 26–29戦艦 扶桑
  34. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 440–441.
  35. ^ a b 連合艦隊参謀長 1979, pp. 356–358「大和」瞬時にして沈む
  36. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 107(原本196-197頁)戰艦コロラドとメリーランド(右)
  37. ^ 戦史叢書31 1969, pp. 295–299会議の概況
  38. ^ 海軍読本.第20号 1939, p. 49原本82頁
  39. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 50–53戦艦陸奥
  40. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 72(原本126-127頁)戰艦陸奥艦上より航母赤城を望む
  41. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 95(原本172-173頁)戰艦メリーランド
  42. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 88–90条約型戦艦
  43. ^ 戦史叢書31 1969, p. 296.
  44. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 78(原本138-139頁)戰艦フード
  45. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 76(原本124-125頁)戰艦フード
  46. ^ 海事参考年鑑、大正13年版 1924, pp. 17–18原本4-6頁(サルストン氏計畫の戰艦)
  47. ^ 戦史叢書31 1969, pp. 299–303ワシントン条約
  48. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 32.
  49. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 127b.
  50. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 36–38軍縮条約と各国の実情
  51. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 120ps=(原本222-223頁)航空母艦 レキシントン.
  52. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 10(原本2-3頁)戰艦陸奥
  53. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 11原本4-5ページ(戦艦長門)
  54. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 90–93戦艦テネシー級/スリガオ海戦で日本戦艦に復仇を果たす
  55. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 127c(コロラド級)就役後の評価
  56. ^ 海軍読本 1937, pp. 153–157(原本285-292頁)躍進する獨逸海軍
  57. ^ 海軍読本 1937, pp. 64, 159(原本106-107頁),(296-297頁)
  58. ^ 海軍読本 1937, pp. 120–122(原本219-222頁)海軍軍備無條約時代
  59. ^ 米英艦隊撃滅 1942, pp. 74–75原本130-132頁
  60. ^ 米英艦隊撃滅 1942, pp. 54–55原本90-93頁
  61. ^ 海軍読本 1937, p. 128原本234-235頁
  62. ^ 海軍読本 1937, p. 126原本231頁
  63. ^ ニミッツ 1962, p. 19第1図 1941年12月7日午前7時55分の真珠湾
  64. ^ 連合艦隊参謀長 1979, p. 72真珠湾攻撃における機動部隊の編成
  65. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 97–100パールハーバー奇襲
  66. ^ 米英艦隊撃滅 1942, pp. 59–61原本101-103頁
  67. ^ 南方圏要覧 1942, p. 202原本385頁
  68. ^ 海軍航空戦記(1) 1944, p. 18原本14-15頁
  69. ^ 戦史叢書10 1967, p. 003a付図第三 空襲時真珠湾在泊艦船碇泊位置(真珠湾攻撃記録)
  70. ^ 淵田美津雄 2010, p. 153真珠湾攻撃襲撃図
  71. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 1441941年(昭和16年)12月7日朝、パールハーバーにおける米太平洋艦隊の配置
  72. ^ 大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録(1) 1942, p. 16(原本6-7頁)船體切斷重油流出(直上から撮影した米戦艦部隊写真)
  73. ^ a b 海軍魂 1996, p. 73(真珠湾攻撃飛行機隊編成)
  74. ^ 連合艦隊参謀長 1979, p. 62ハワイ攻撃隊編成表
  75. ^ 母艦航空隊 2013, pp. 129–131魚雷発射の瞬間に浮いた機体
  76. ^ 海軍魂 1996, pp. 96–103眼下の真珠湾
  77. ^ 戦史叢書10 1967, p. 004a付図第四 機動部隊戦果判定図(第一航空艦隊戦闘詳報 図面第一号)
  78. ^ 淵田美津雄 2010, p. 112.
  79. ^ a b c d 戦史叢書10 1967, p. 387.
  80. ^ ニミッツ 1962, p. 21.
  81. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 166.
  82. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 182.
  83. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 151.
  84. ^ ハワイ海戦、マレー沖海戦 1942, pp. 35–36(原本46-48頁)我奇襲に成功せり ハワイ空襲部隊指揮官○○中佐實戰談
  85. ^ 淵田美津雄 2010, p. 137.
  86. ^ 戦史叢書10 1967, p. 333.
  87. ^ 戦史叢書10 1967, pp. 134–136水平爆撃/徹甲爆弾
  88. ^ 母艦航空隊 2013, pp. 116–118アリゾナ撃沈にいたるまで
  89. ^ 戦史叢書10 1967, p. 004b付図第四
  90. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 14.
  91. ^ a b c d 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 162.
  92. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 160–162●「テネシー」級と「ウエスト・ヴァージニア」
  93. ^ ニミッツ 1962, pp. 324–330スリガオ海峡海戦
  94. ^ Leyte 1971, p. 100aスリガオ海峡の戦闘 1944年10月24日夜~25日
  95. ^ Leyte 1971, pp. 200–205レイテ海戦の日米両国艦隊編成 一九四四年十月二十三日~二十六日
  96. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 185.
  97. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 330–331まず西村部隊潰ゆ
  98. ^ Leyte 1971, pp. 101–102手ぐすねひく米国艦隊
  99. ^ Leyte 1971, pp. 105–106米水雷戦隊の活躍
  100. ^ Leyte 1971, pp. 106–112日本駆逐隊に大損害
  101. ^ Leyte 1971, p. 100bスリガオ海峡夜戦航跡図
  102. ^ ニミッツ 1962, p. 327.
  103. ^ Leyte 1971, pp. 113a-114日本艦隊をレーダー砲撃
  104. ^ Leyte 1971, pp. 113b-114.
  105. ^ Leyte 1971, pp. 115–116西村提督、艦と運命を共に
  106. ^ Leyte 1971, pp. 114–115同士打ちの醜態
  107. ^ ニミッツ 1962, p. 329.
  108. ^ Leyte 1971, pp. 116–117奮戦つづける「最上」
  109. ^ Leyte 1971, p. 117最後まで砲撃した「朝雲」
  110. ^ ニミッツ 1962, p. 434.
  111. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 201.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]