アレウト族
アレウト族(アレウトぞく、英: Aleut)またはアリュート族は、アラスカとカムチャツカの間にあるアリューシャン列島の先住民族である。自身の名称はウナンガン(Unangax̂, Unangan, Unanga)。
狩猟、武器の作成、ボートの組み立て、織物はアレウトの伝統的工芸の一つである。19世紀の職人は木製のハンティング帽で知られ、その帽子はカラフルなデザインを特色とし、アシカの震毛や羽毛、象牙などが付けられる。アレウトの女性はオットセイやラッコの毛皮、鳥類の皮から、パーカーを作り、また何人かはライ麦やビーチグラスを編んで籠を作り上げる。
歴史[編集]
氷河期ではアジアと北アメリカ大陸が陸続きだったため、そこから大勢の人々が北東アジアからアメリカ大陸へと足を伸ばすことができた。これがネイティブアメリカンの祖先たちである。そして氷河期が終わりを迎え、海面が上昇し孤立するアリューシャン列島に残った集団がアリュート族の祖先である。土地が貧しく資源の少ない島であったが、彼らは流木や海の生物資源を巧みに利用して生活した。中でも特徴的なのは海獣を狩る技術の高さである。、海獣の皮や消化器官でできたフードつきの防水服を着て、流木と海獣の皮で作られたカヤックに乗り、流木と骨で作る投げ槍などを持って数人の仲間と漁に出てラッコ、アザラシ、トド、セイウチ、クジラといった獲物を捕らえてきた。獲物の身体はヒレから骨から余すところ無く利用した。長年孤立した民族でありながら17世紀までに列島には約25,000人が暮らし、大いに栄えた。
しかしロシア人の進出により海洋資源が枯渇し、また、彼らの持ち込んだ疾病によってその数は十分の一以下に激減し、1910年の調査ではアレウトの数は1,491人であった。
彼らは島々の洞窟内に数多くのミイラを残している。ミイラとされた人がどのような人かはわかっていないがごく一部の人のみがミイラとされていることから特別な人だけがミイラとされたと考えられる。
言語[編集]
アレウトの話す言語はエスキモー・アレウト語族に分類され、1995年にはアレウト語[1]の話者は305人であった。
日本人漂流者との交流[編集]
1783年(天明3年)1月に、遭難した「神昌丸」(乗組員・大黒屋光太夫ほか)が、同年7月にアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、以後、カムチャッカへ向かうまでの4年間を、そこで過ごしている。そして、その当時の様子が「北槎聞略」に記されている[2]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- アレウト人風ファッション ロシアNOW