カバルド人

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カバルド人
Costume Plate (Kabardinien) LACMA M.87.231.42.jpg
(非伝統的な)正装をまとったカバルド人
総人口
カバルド方言話者だけで、最大1,628,500人 [1][2]
居住地域
ロシアの旗 ロシア590,010 (2010調査)[3]
  カバルダ・バルカル共和国の旗 カバルダ・バルカル共和国498,702
  カラチャイ・チェルケス共和国の旗 カラチャイ・チェルケス共和国56,466
トルコの旗 トルコ1,000,000以上[4]
ヨルダンの旗 ヨルダン102,000[要出典]
シリアの旗 シリア43,000[要出典]
サウジアラビアの旗 サウジアラビア23,000[要出典]
ドイツの旗 ドイツ15,000[要出典]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ5,500[要出典]
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン1,300[要出典]
ウクライナの旗 ウクライナ473[5]
言語
カバルド方言, ロシア語, トルコ語
宗教
スンニ派[6]
少数派として正教会[7]カトリック教会、土着信仰のハブゼ
関連する民族
アディゲ人, アブハズ人, アバザ人

カバルド人(カバルドじん ロシア語:Кабардинцы、英語:Kabardians,Kabardinians)は、12の主要なチェルケス氏族のひとつ。緑地に金のチェルケス旗(現:アディゲ共和国の国旗)にある12の星が主要氏族を表しており、その星の一つがカバルド人である[8]。彼らは独特なアディゲ語方言の一種であるカバルド語を話す。歴史的にカバルド人は、北コーカサス地方のカバルディア (Kabardiaという地域に住んでいた。現代のカバルド人は、主にロシア連邦の連邦構成主体であるカバルダ・バルカル共和国に住んでいる。

ソビエト連邦の行政区画がチェルケス人を4民族に分断してしまったが、カバルダ・バルカル共和国のカバルド人、アディゲ共和国のアディゲ人、カラチャイ・チェルケス共和国のチェルケス人、クラスノダール地方のシャプスグ人は、全て本質的に同じ民族のアディゲ人である[9]。さらに、チェルケス人は主にカバルド人とベスレネイ人である。

人口[編集]

カバルド人は一般に世界で最も人数の多いチェルケス人(アディゲ人)であり、ロシア、トルコ、エジプト、ほか幾つかの国や地域で最も大きなチェルケス人コミュニティを形成している。2002年時点で、ロシアのカバルダ・バルカル共和国内にいるカバルド人は約52万人に上り[10]、ロシアのカラチャイ・チェルケス共和国では約5万人がいた。100万人以上が住むトルコでは[4]カイセリ県のウズニヤイラ高原とその周辺(中央トルコ)に彼らが集中しており、バルケスィル県デュズジェ県エスキシェヒル県チョルム県サムスン県トカット県にカバルド人の村がある。ヨルダンにもかなりの数のカバルド人が住んでいて[11]、米国にもコミュニティがある。ただし、イスラエルとヨルダンではシャプスグ人アブザク人がそれぞれ最も多い。

宗教[編集]

歴史的にカバルド人が実践している宗教は、土着信仰のハブゼキリスト教イスラム教などである。19世紀初頭までに大部分のカバルド人がイスラム教に改宗した。現在でも伝統的なハブゼ信仰の人達が若干いるが、大部分のカバルド人はイスラム教スンニ派ハナフィー学派である。

またカバルド人はヨーロッパで最も古いキリスト教コミュニティの1つを構成しており、彼らは2世紀後半から3世紀初頭に改宗したとされる。ローマカトリック教会のカバルド人も若干いる(恐らく13世紀に正教会から改宗したと伝えられる家系の子孫)。北オセチア=アラニア共和国モズドクスキー地区に住むカバルド人は正教会のキリスト教徒である[7][12]スタヴロポリ地方のクルスキー地区近郊の南部に住むカバルド人の一部も正教会のキリスト教徒である[7]

著名人[編集]

関連項目[編集]

カバルド人以外のチェルケス12氏族

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b オスマン帝国皇帝(スルタン)の愛妾のなかでも、特権的な4人の側妃が「カドゥン」と呼ばれる[13]

出典[編集]

  1. ^ Kabardian: A Language of the Russian Federation”. Etnologue.com. Ethnologue: Languages of the World (2005年). 2016年12月5日閲覧。
  2. ^ Skutsch, Carl (2013). Encyclopedia of the World's Minorities. Routledge. p. 675. ISBN 978-1-135-19388-1. https://books.google.com/books?id=yXYKAgAAQBAJ&dq=kabardians+in+turkey 
  3. ^ Russian Census 2010: Population by ethnicity” (ロシア語). Всеросси́йская пе́репись населе́ния 2010. 2016年5月3日閲覧。
  4. ^ a b “'Biz' Erozyona Uğratıldı”. Jineps. (March 2012). オリジナルの5 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170305001627/http://www.jinepsgazetesi.com/yazdir.php?detay=12275 2016年12月5日閲覧。. 
  5. ^ About number and composition population of Ukraine by data All-Ukrainian census of the population 2001”. Ukraine Census 2001. State Statistics Committee of Ukraine. 2012年1月17日閲覧。
  6. ^ Svetlana Lyagusheva (2005). “Islam and the Traditional Moral Code of Adyghes”. Iran and the Caucasus 9 (1): 29-35. doi:10.1163/1573384054068123. JSTOR 4030903. 
  7. ^ a b c James Stuart Olson, ed (1994). An Ethnohistorical dictionary of the Russian and Soviet empires. Greenwood. p. 329. ISBN 978-0-313-27497-8. https://books.google.com/books?id=CquTz6ps5YgC&pg=PA329&lpg=PA329&dq=north+ossetia+kabards+mozdok 2011年10月15日閲覧。 
  8. ^ Circassians”. Adiga-home.net (2010年). 2016年5月17日閲覧。 “The 12 Circassian tribes: Abadzeh Besleney Bzhedug Yegeruqay Zhaney Kabarday Mamheg Natuhay Temirgoy Ubyh Shapsug Hatukay. The twelve stars on the Adyghe Flag also refers to the twelve tribes.”
  9. ^ むかいひろきのロシア・ブリヤート共和国情報局」2020年9月3日
  10. ^ Population”. Perepis2002.ru. 2013年4月16日閲覧。
  11. ^ Kabard distribution”. Ethnologue.com. 2012年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月16日閲覧。
  12. ^ Jamie Stokes, ed (2009). Encyclopedia of the Peoples of Africa and the Middle East: L to Z. Facts on File. p. 359. ISBN 978-0-8160-7158-6. https://books.google.com/books?id=stl97FdyRswC&pg=PA359 2011年10月15日閲覧。 
  13. ^ 比較ジェンダー史研究会「【女性】オスマン帝国の内廷とハレム」2016年5月8日
  14. ^ Bushkovitch, Paul (1 January 2004). “Princes Cherkasskii or Circassian Murzas”. Cahiers du Monde RusseInd?pendants 45 (45/1?2): 9?30. doi:10.4000/monderusse.2600. ISSN 1252-6576. http://journals.openedition.org/monderusse/8677. 
  15. ^ français, Sénat. “Anciens sénateurs Vème République : du LUART Ladislas”. senat.fr. 2016年10月12日閲覧。
  16. ^ Mme de Sairigné reçoit le prix littéraire de l'armée de Terre-Erwan Bergot 2011”. defense.gouv.fr. 2016年10月12日閲覧。
  17. ^ Bilder von Horst”. voltigeur.net. 2016年10月12日閲覧。
  18. ^ d'Encausse, Hélène Carrère (2011年2月10日). “Comtesse du Luart, princesse courage” (フランス語). Le Figaro. ISSN 0182-5852. http://www.lefigaro.fr/livres/2011/02/10/03005-20110210ARTFIG00001-comtesse-du-luart-princesse-courage.php 2016年10月12日閲覧。 
  19. ^ “Les milles vies de la comtesse du Luart”. Nonfiction.fr. http://www.nonfiction.fr/article-6555-les_milles_vies_de_la_comtesse_du_luart.htm 2016年10月12日閲覧。 
  20. ^ “L'article est en cours de traduction” (フランス語). Русский очевидец|L’Observateur Russe. http://rusoch.fr/lang/fr/rus/lyudmila-cherina-vayatelnica-svoej-sudby.html 2016年10月12日閲覧。