チェチェン人

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チェチェン人の民族衣装
チェチェン人の女性衣装

チェチェン人: Чеченец ; Chechenets)は、北カフカース民族。自称はノフチー(チェチェン語: Hохчи)。ソ連解体以降、一部のチェチェン人はロシア連邦チェチェン共和国において、ロシアからの分離独立を目指してテロリズムを行っている。

カフカス山脈中央から東部の北斜面に広がって居住するチェチェン人は、イスラム教スンナ派シャーフィイー学派を信仰し、カフカス諸語ナフ語派と呼ばれるグループに属するチェチェン語を話す。チェチェン人はナフ人英語版の一つと考えられていて、隣接した地域に居住し、同じナフ諸語に属するイングーシ語を話すイングーシ人とは民族的に非常に近縁な関係にあり、19世紀ロシア帝国によるカフカス征服(コーカサス戦争)以前、両民族は一つの民族であったと考える人もいる。

歴史[編集]

チェチェン人(Tschetschenzen). Europa 1400 H.Kieperts Historischer Schulatlas, 1879
チェチェン人(Tschetschenzen). Europa 1400 H.Kieperts Historischer Schulatlas, 1879

チェチェン人とイングーシ人の先祖は非常に古い時代から北カフカスに住んでいたと考えられ、古代の地誌に既に両民族の先祖に関する記述がみられるとされる。確かなところでは、16世紀頃から東方のダゲスタン地方からイスラム教の神秘主義教団が進出して、19世紀頃までかけて徐々にイスラム化が進んだ。

一方、18世紀末よりカフカス中央部のカバルド人オセット人などの居住地帯を併合したロシア帝国が東北部のチェチェン人居住地帯への侵攻を開始すると、チェチェン人は頑強に抵抗したが、1818年にはチェチェン人地域の中にロシア人によって要塞都市グロズヌイが建設されるなど、次第にロシアの圧力が高まった。これに対してチェチェン人はミュリディズムと呼ばれる戦闘的な神秘主義教団の指導者の下に結束して対抗し、19世紀中頃には北カフカスの東部にイマーム(導師)のシャミールを指導者とするイマーム国家英語版を建設するに至った。

ロシア帝国はミュリディズムに対して激しく攻撃を加え(コーカサス戦争)、1859年についにシャミールを降してチェチェン人の制圧を完了した。その後、この地方には石油が発見されて石油産業が構築され、ロシアにとって欠かせない地方となってゆく。一方、頑強に抵抗を続けた「狂信的」なチェチェン人に対する恐怖心、敵愾心はロシアの社会に根深く残ることになり、チェチェン人の間にも自分たちの土地で採掘される石油の富がロシア人によって持ち出されることに対する不満が蓄積していった。

ロシア革命後の1920年、北カフカスは赤軍が制圧し、1922年11月30日にチェチェン自治州(のちイングーシ自治州と合併してチェチェン・イングーシ自治共和国)が設立され、ソビエト連邦の一部となった。しかし、第二次世界大戦独ソ戦)中の1943年、チェチェン人とイングーシ人は対独協力をおそれたヨシフ・スターリン政権によって、中央アジアへと民族ごと強制的移住させられた。同時期にはクリミア半島クリミア・タタール人グルジアメスヘティア・トルコ人沿海州高麗人朝鮮民族)、ヴォルガ川下流地方のカルムイク人ヴォルガ・ドイツ人などが同様の措置を受けている。

スターリン死後の1957年1月、これら追放された諸民族の名誉回復とともにチェチェン人とイングーシ人は故地北カフカスへの帰還を許され、チェチェン・イングーシ自治共和国が再建された。

ソビエト連邦の崩壊後、継承国であるロシア連邦に対してチェチェン人は独立戦争を挑んだが果たせず(チェチェン紛争)、チェチェン共和国はロシア連邦の一部であり続けている。

こうしたチェチェンの現状に不満を抱くなどして、ヨーロッパ各国などに亡命移住して暮らすチェチェン人もいる[1]

出典[編集]

関連項目[編集]