リーヴ人
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Livonian | |
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![]() リーヴ人の民族旗 | |
居住地域 | |
ラトビアのクルゼメ半島、エストニア | |
言語 | |
リヴォニア語 | |
関連する民族 | |
フィン人 |
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リーヴ人 |
バルト人 |
ヴァイキング |
北方十字軍 |
テッラ・マリアナ / リヴォニア (1207–1561) |
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リヴォニア騎士団 |
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第二次世界大戦 (1939-1945) |
ラトビア・ソビエト社会主義共和国 (1940-1990) |
ラトビア共和国 (1990-) |
リーヴ人は、フィン・ウゴル系一派の民族。リーブ人、リボニア人、リヴォニア人ともいう。
概要[編集]
紀元前1世紀頃に、原住地のウラル山脈(ウラル地方)より西のロシア中央部・北部にあるサンクトペテルブルク付近のイングリア(Ingria, インゲルマンラント)から移動して来たフィン・ウゴル人の一派である。
その一部が、バルト地方に残り、リーヴ人ないし、エストニア人になったと考えられ、同時期に北上した部族は、後にフィンランドを形作る数部族を形成したとされる。バルト地域の南部に移住した部族は、リーヴ人と後年呼ばれ、その民族が居住する地域がリヴォニアとなった。
リヴォニア語を話す。古代にはクルゼメとリヴォニア一帯に広がっていた。中世西欧のドイツ騎士団によって、武力を伴った改宗行為のため、リーヴ人は減少の一途を辿って行った。
12世紀から13世紀、カトリック勢力(北方十字軍等)進出期のリーヴ人指導者にアコとアンノがいる。
リヴォニアはその後、バルト人(バルト語族)が大勢を占めるようになり、リーヴ人は激減した。絶滅したものと思われていたが、リヴォニア語を話す人々がリーヴ人の末裔と考えられている。現在リーヴ人はラトビアのクルゼメ半島とエストニアにごく少数が残るのみとなっている。
形質的特徴に基づく歴史的人種分類では、金髪碧眼であるスカンジナビア人種の容貌を持ったコーカソイドであるが、北アジアのモンゴロイド系のY染色体ハプログループNも低頻度に見られる(紀元前の中国東北部にある遼河文明人からも発見される[1])。