マンシ人

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マンシ人
Famille de Vogoules 82.JPG
(12,500)
居住地域
ハンティ・マンシ自治管区・ユグラロシア
ロシアの旗 ロシア 12,269 (2010)[1]
ウクライナの旗 ウクライナ 43 (2001)[2]
言語
ロシア語マンシ語
宗教
シャーマニズムロシア正教会

マンシ人Манси - Mansi)はシベリアチュメニ州にあるハンティ・マンシ自治管区・ユグラに住むウラル語族系民族。旧称ウォグル族Воглуы - Voguly)。ロシア人の居住地にも混在しており,人口は全体で約12500人。人種はコーカソイドモンゴロイドが混じり合ったウラル人種型に属す。

言語[編集]

マンシ語は、ハンティ語とともにオビ・ウゴル諸語に分類され、ハンガリー語とも類縁関係にある。マンシ語の話者数は940人(2010年)。ハンティ人とマンシ人は元来同じ民族であったが、鉄器時代以降紀元後1000年頃に分かれたとされ、近い関係にある。東方に多く住むハンティ人とともに「オブスキー・ウゴル」と総称された。

人口[編集]

2002年の国勢調査によるマンシ人の人口
総計 男性 女性
総計 11,432 5,167 6,265
チュメニ州 10,561 4,786 5,775
うちハンティ・マンシ自治管区・ユグラ 9,894 4,510 5,384
スヴェルドロフスク州 259 130 129
コミ共和国 11 8 3

2010年の国勢調査によると、12,269人のマンシ人がロシア国内に居住している。

歴史[編集]

イェルマークに貢物を運ぶヴォグル族

マンシ人の祖先はウラル山脈の西側に居住していた[3]ペルミ近郊でマンシ人の遺跡が発掘されている[3]

そして、紀元前10世紀以降に西シベリア平原に移住し、その土地の民と同化していったと言われる[3]。一方、他の文献によると、紀元500年頃に、南にあるウラル・ステップから現在の位置にやってきたとされる[4]

マンシ人はイェルマークによって西シベリア平原がロシアの支配下におかれるようになった16世紀には遅くとも同国との接触をしていた。ロシア及びソビエト連邦政府との接触が多かったため、マンシ人は北方のハンティ人に較べると、ロシア人との同化が全般的により進んでいる。

1960年代、ハンティ・マンシ自治管区・ユグラ石油開発が始まると、第二次世界大戦以降ではソビエト連邦史上最大規模の内地強制移住が行われた。この結果、マンシ人・ハンティ人の少数民族化が進み、今日では自治管区の人口に彼らが占める割合は僅か1%強と言われる[要出典]

他の北方民族の多くと同様、ソビエト連邦はマンシ人にも「国民文学」を作るように要求し、主にレーニン革命によってもたらされた啓蒙と進歩を称揚する作品が作られた。この分野における最も著名な作家として、ユーヴァン・シェスタロフ英語版がいるが、ソヴィエト連邦崩壊後には、彼はシャーマニズムに転向し、マンシ人はシュメールの末裔であると主張するようになった[要出典]

著名人[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ ru:Официальный сайт Всероссийской переписи населения 2010 года. Информационные материалы об окончательных итогах Всероссийской переписи населения 2010 года” [Official site of the National Population Census 2010. Informational materials about the final outcome Russian Census 2010] (ロシア語). GKS. 2015年5月4日閲覧。
  2. ^ National composition of population” (ウクライナ語). Census. State statistics committee of Ukraine (2001年). 2015年5月4日閲覧。
  3. ^ a b c The Mansis”. The Peoples of the Red Book. EKI. 2015年5月4日閲覧。
  4. ^ Khanty & Mansi”. Encyclopædia Britannica. 2015年5月4日閲覧。
  5. ^ MansiKasliwal:Profile”. 2015年5月4日閲覧。

外部リンク[編集]