開化天皇

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開化天皇

先代 孝元天皇
次代 崇神天皇

誕生 紀元前208年
崩御 紀元前98年5月23日
陵所 春日率川坂上陵
別称 稚日本根子彦大日日尊
若倭根子日子大毘々命
父親 孝元天皇
母親 欝色謎命
皇后 伊香色謎命
子女 崇神天皇
御真津比売命
彦湯産隅命
彦坐王
建豊波豆羅和気王
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開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇7年(紀元前208年)- 開化天皇60年4月9日紀元前98年5月23日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第9代天皇(在位:孝元天皇57年11月12日紀元前158年12月22日) - 開化天皇60年4月9日(紀元前98年5月23日))。稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと)・若倭根子日子大毘々命(古事記)。

「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したのではないかという疑義が提出されている。鳥居がないことで知られている調神社を創建した。

いわゆる欠史八代の一人であるが、実在説もある[1]

系譜

天皇系図 8~15代

孝元天皇の第二子。母は欝色雄命の妹・欝色謎命(うつしこめのみこと)。

  • 皇后:伊香色謎命(いかがしこめのみこと。物部氏の祖・大綜麻杵の女)
    • 第二皇子:御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのみこと、崇神天皇
    • 皇女:御真津比売命(みまつひめのみこと、観松姫命)
  • 妃:丹波竹野媛(たにわのたかのひめ。丹波大県主由碁理の女)
    • 第一皇子:彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと、比古由牟須美命)
  • 妃:姥津媛(ははつひめ、意祁都比売命。和珥氏の祖・姥津命の妹)
  • 妃:比売(わしひめ。葛城垂見宿禰の女)
    • 皇子:建豊波豆羅和気王(たけとよはづらわけのみこ、武豊葉列別命・武歯頬命)

帝王編年記』『本朝皇胤紹運録』など中世編纂の史書には、以上の后妃のうち比売のみが見えず、代わりに吉備津彦命の女・包媛(色媛?)が挙げられているが、所拠不明である。

皇居

都は春日率川宮(かすがのいざかわのみや。奈良県奈良市本子守町の率川神社が伝承地)。『古事記』には「春日之伊邪河宮」とある。

事績

記載が豊富な崇神天皇の即位前の時期も含めて特に記録されていない。孝元天皇22年(紀元前193年)正月に立太子、孝元天皇57年(紀元前158年)11月に即位。在位60年で崩御。『古事記』に63歳、『日本書紀』に115歳(111歳?)。

陵墓

開化天皇陵

春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)に葬られた。『古事記』には「伊邪河之坂上」と記す。奈良県奈良市油阪町の念仏寺山古墳(前方後円墳・全長約100m)に比定される。


在位年と西暦との対照表

脚注

  1. ^ 鳥越憲三郎『神々と天皇の間 大和朝廷成立の前夜』1970年 朝日新聞社1987年 朝日文庫 ISBN 4022604719)ほか。

関連項目