週刊少年チャンピオン

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週刊少年チャンピオン
WEEKLY SHONEN CHAMPION
愛称・略称 チャンピオン・週チャン
ジャンル 少年向けコミック誌
読者対象 男性
刊行頻度 月2回刊 → 週刊(木曜日発売)
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
定価 250円
出版社 秋田書店
編集部名 週刊少年チャンピオン編集部
発行人 秋田貞美
編集長 沢考史
雑誌名コード 969
刊行期間 1969年7月15日 -
発行部数 公称50万部(2009年10月 - 2010年9月日本雑誌協会調べ)
レーベル 少年チャンピオン・コミックス
ウェブサイト 秋田書店「AKITA Web Station」内
「マガジンボックス」

週刊少年チャンピオン (@Weekly_Champion) - X(旧Twitter)
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週刊少年チャンピオン』(しゅうかんしょうねんチャンピオン)は、秋田書店が発行する日本週刊少年漫画雑誌1969年7月15日創刊。毎週木曜日発売。略称は 「チャンピオン」・「週チャン」など。

概要

発行日及び発売日は毎週木曜日北海道九州など、一部地域は金曜日。2010年1月以降、発行日と発売日が基本的に一致するようになった(「○月○日号」の部分は旧来の発行日表記のまま))。現在、編集長は沢考史が務めている。定価は2009年6月に通常定価が250に改定され、現在に至るが、特別定価として270円であることが多い。マスコットキャラクターは、ツートンカラーの大きなシルクハットを被った、ヒゲが特徴的なアイドルマークであり、正式名称は「少チャン」である(『月刊少年チャンピオン』も共通して使用している)。誌名ロゴはかつては毎年変更されていたが、1991年度以降現行のものになっている(1995年以降、「チ」の部分に若干のマイナーチェンジが加えられた)。

過去の掲載作品の変遷の影響により、他の週刊少年漫画誌と比較して自由な作風でかつアクの強い漫画が多く掲載されていると形容される。

連載作品が、その強烈なインパクトによって一部で話題となることもあるが、チャンピオン読者そのものの絶対数が他の週刊少年漫画誌に劣ることから、話題がそのまま売上に反映されづらいのが現状である。書店での単行本の入荷量も他の雑誌の作品に比べて少なく、『ドカベン スーパースターズ編』、『範馬刃牙』、『元祖!浦安鉄筋家族』の3作品が突出している期間が長かったが、2007年以後、『クローバー』や『みつどもえ』など、単行本の売り上げが伸びている作品も出てきている。

新人作家のための増刊号が発行されていないが、その代わり読切や短期集中連載が多く、ほぼ毎週そのための枠が確保されている。それらの作品は、読者から好評と判断されれば比較的早い段階で毎号連載が始まる。

不人気による打ち切りも他誌同様に存在する。打ち切られた作品でも極端に人気が少ないと判断された場合少年チャンピオン・コミックスが発刊されなかったり、単行本の売上が極端に悪いと判断された場合は最終巻まで発刊されない時もある。

実績の無い作家の単行本の第1巻の発行部数は、多くの場合他社と比較しても非常に少なく抑えられているのも特徴であり、その売れ行き如何により連載時の待遇が上下する事が多い。連載当初から人気のある作品は、初版が発売直後に品薄となり、しばらくの間入手が困難となることもある。また、重版する場合も始めは増刷1回あたりの部数は少なく抑えられている場合が多いので、発売より数ヶ月経過してようやく出回る場合がある。

歴史

創刊期 (1969年創刊号から壁村耐三が編集長にする1972年4月まで)

月刊少年誌『冒険王』『まんが王』を手がけていた秋田書店が週刊少年誌の時代に対応すべく、1969年7月に「フレッシュな少年週刊誌」の謳い文句[1]で『少年チャンピオン』の誌名で月二回刊誌として創刊。創刊号の表紙にはキックボクサー沢村忠が起用された。前年に創刊された集英社の『少年ジャンプ』と異なり、手塚治虫さいとう・たかをなど有力作家を連載陣に揃えた。1970年6月24日発売号からの週刊化に伴い『週刊少年チャンピオン』に誌名が改められた。創刊の経済的基盤を支えたのは、大手出版社が本腰を入れていなかった新書判のマンガ単行本「サンデーコミックス」のヒットによるものと言われる[2]。この時期の人気連載として、「あばしり一家」(永井豪)、「夕やけ番長」(原作 梶原一騎作画 荘司としお)、「狂人軍」(藤子不二雄)、「ガッツジュン」(原作 神保史郎、作画 小畑しゅんじ)、「太陽の恋人」(原作 梶原一騎作画 かざま鋭二)、「原始少年リュウ」(石ノ森章太郎)、「バビル2世」(横山光輝)などがある。

1970年代

1972年4月に壁村耐三が編集長に就任して黄金期を築く。壁村は実売で24万部と立ち遅れていた同誌において、全編を読み切り形式に変更する改革を断行。劇画路線で青年誌化が進んでいた『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に対して王道的な少年誌路線[3]で躍進。『ドカベン』(水島新司)『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄A)『ブラック・ジャック』(手塚治虫)『ふたりと5人』(吾妻ひでお)『がきデカ』(山上たつひこ)『月とスッポン』(柳沢きみお)『750ライダー』(石井いさみ)『エコエコアザラク』(古賀新一)『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)などの大人気作品が連載され、スポ根、学園もの、ホラー、ギャグと全ジャンルを網羅し、『週刊少年ジャンプ』と競い合う形で、1977年12月には200万部を突破して[4]トップに立った。だが壁村が病魔に倒れ、いったん編集長職を辞職。1980年代に入ると人気連載作品からの引継ぎがうまくいかず、部数競争からは脱落していった。

1980年代

1980年代初頭には『るんるんカンパニー』・『クルクルくりん』(とり・みき)、『プラレス3四郎』(牛次郎神矢みのる)、『すくらっぷ・ブック』・『ぶるうピーター』(小山田いく)、『気分はグルービー』(佐藤宏之)などが人気作となったが、1970年代後半の爆発的なヒット作に匹敵する作品に恵まれず部数が大きく落ち込んでいった。

1985年に壁村耐三が編集長に復帰。この時期には『Let'sダチ公』(積木爆木村知夫)、『ドッ硬連』(松田一輝)などといった番長もの・不良ものの漫画が大幅に増え、『チャンピオン』の「熱さ・男らしさ」が形成されていった。1986年に開始された極道漫画『本気!』(立原あゆみ)は、続編を含めて10年以上続く長期連載となり、『チャンピオン』の看板的作品になった。

この時期の代表作は他に、『大甲子園』・『おはようKジロー』(水島新司)、『4P田中くん』(七三太朗川三番地)、『熱笑!! 花沢高校』・『怪人ヒイロ』(どおくまん)、『魔界都市ハンター』・『魔界学園』(菊地秀行細馬信一)、『セパハン』・『原宿こぶし組』(服部かずみ)、『風のフィールド』(みやたけし)、『1と2』(吉田窓)、『激闘!!荒鷲高校ゴルフ部』(沼よしのぶ)などがある。

1990年代

1991年、誌名ロゴが現在とほぼ同じものとなった。また、この頃『浦安鉄筋家族』(浜岡賢次)、『三四郎2』(きくち正太)、『男旗』(石山東吉)、『シャカリキ!』(曽田正人)、『ウダウダやってるヒマはねェ!』(米原秀幸)、『覚悟のススメ』(山口貴由)など、それまでの不良漫画主体だった誌面から一線を画す、若手作家による個性的な人気作が台頭するようになる。また、1991年に連載開始した『グラップラー刃牙』(板垣恵介)は続編を含めて現在まで続く『チャンピオン』の看板作品となった。

1995年には誌名ロゴが現在のものと同一になり、『優駿の門』(やまさき拓味)、『グルームパーティー』(川島よしお)、『学校怪談』(高橋葉介)、『鉄鍋のジャン!』(西条真二)、『ドカベン プロ野球編』(水島新司)、『京四郎』(樋田和彦)、『特攻天女』(みさき速)といった、多種多様なジャンルの人気長期連載が次々と開始、また読者コーナーも1995年1号に開始した『チャンピオンカップ(C2)』が長期間続き、以後2000年頃まで安定した誌面構成が続いた。とりわけ『ドカベン プロ野球編』は連載開始時にテレビ番組など各種メディアでも大きく取り上げられ、話題を呼んだ。

その後も、冒険ファンタジー『フルアヘッド!ココ』(米原秀幸)・『悟空道』(山口貴由)、お色気学園もの『オヤマ! 菊之助』(瀬口たかひろ)、コメディー『おまかせ!ピース電器店』(能田達規)・『ゲッチューまごころ便』(緋采俊樹)、ショートギャグ『おやつ』(おおひなたごう)・『がんばれ酢めし疑獄!!』(施川ユウキ)、不良もの『フジケン』(小沢としお)、スポーツ『満天の星』(楠本哲)など、各ジャンルにおいてヒット作が続いた。

2000年代前半

しかし、2000年から2001年にかけて1990年代のチャンピオンを支えてきた長期連載が軒並み終了し、それに代わる人気作も少なかったため、誌面が不安定な状態となり部数も大きく落ち込んだ。

2000年代初頭には『ななか6/17』(八神健)、『エイケン』(松山せいじ)といったアニメ化もされた萌え系漫画が開始し、それと前後して誌面における萌え系漫画やメディアミックス系コミカライズ作品(『カオシックルーン』(山本賢治[5]、『舞-HiME』(矢立肇キムラノボル佐藤健悦)など)が増加するようになり、その影響もあって1995年以降7年間続いていた読者投稿ページ『チャンピオンカップ』も『でじこのチャンピオンカップ』に改称された(これらの傾向を推し進めたチャンピオン副編集長(当時)伊藤純などの異動により、現在ではコミカライズ作品や萌え系作品がほぼ全て『チャンピオンRED』に移動している)。また、コメディー漫画では『無敵看板娘』(佐渡川準)がヒットし、アニメ化もされた。コメディー漫画はかつて毎回15-16ページが業界の標準であったが、同誌では以後、8ページ以下のショートコメディーの連載本数が増えてくる。

一方ストーリー漫画は不作であり、長期連載となったのは『ショー☆バン』(森高夕次松島幸太朗)ぐらいであり、ストーリー漫画、スポーツ漫画共に短命に終わる作品が乱発され『アクメツ』(田畑由秋余湖裕輝)・『いっぽん!』(佐藤タカヒロ)など2〜3年の連載が続くのが良い方という状態に陥った。また、2003年から2005年までは萌え系漫画が減少し再び不良漫画が増加したが、『番長連合』(阿部秀司)や『ナンバMG5』(小沢としお)以外は軒並み低調に終わった。

前述の読者投稿ページ『でじこのチャンピオンカップ』は1年で終了し、その後も長続きせず『チャンピオンロード』『黒チャンピオン党』と1〜2年足らずのスパンで変更され低迷する。2005年1月に現在まで続く西口プロレスとタイアップした『チャンピオン投稿コロシアム(CTC)』が開始。ゲーム紹介欄は、2004年にそれまで掲載されていた『電気頭脳園』に代わり、神楽つなを起用した『電遊日記』が開始し、2009年[6]まで続いた。

2000年代後半〜2010年代

2005年10月には編集長が沢考史に交代し、大幅な誌面改革を断行する。それまでの連載の大部分を2006年度中に入れ替え、通常連載では休載を出来る限り行わせない骨太の方針に変更した。2006年20号から2009年1号まで表紙に「これ楽しい!これ面白い!!」というキャッチコピーを用い、車田正美による『聖闘士星矢』の続編『聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話』とその外伝的作品の連載『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』(作画・手代木史織)を立ち上げた。その他、ギャグでは『みつどもえ』(桜井のりお)や『侵略!イカ娘』(安部真弘)、不良漫画では『クローバー』(平川哲弘)や『シュガーレス』(細川雅巳)、スポーツ漫画では『ANGEL VOICE』(古谷野孝雄)・『弱虫ペダル』(渡辺航)・『バチバチ』(佐藤タカヒロ)など、各ジャンルにおいて話題作を輩出する。長らく『ドカベン』・『浦安』・『範馬刃牙』に強く依存していた週刊少年チャンピオンにおける少年チャンピオン・コミックスの売上も、上記の連載作の登場によってその度合が弱まり、全体が底上げされた。このため基本的にグラビアが多くを占めた表紙も、再び漫画作品を前面に出したものが増加するようになった。

また、前述の『チャンピオン投稿コロシアム(CTC)』が好評を博し、長年3ページで固定されていた読者ページ枠を4ページに拡大させた。

2009年には、創刊40周年記念企画として過去の人気連載の新作読切作品を多数発表した。また、その企画の一環として新しいキャッチフレーズを公募し、その結果「何でもありの無差別級まんが雑誌!」が選ばれ(同年40号発表)、以後、2010年52号まで表紙に用いられた。40周年記念企画スタート号となった2009年17号の誌名ロゴは1977年頃のものが使用された。

連載作品

通常連載作品

連載開始順。

※短期集中連載から正式連載に移行した作品は、連載開始号を短期集中連載号の方に合わせた。

不定期連載・休載中・短期連載作品

連載開始順。

過去の連載作品

読者投稿ページ

連載記事

ゲーム紹介

(構成:笠井修大崎悌造(交代で担当)、本文カット:島村英康仲田リズム村瀬範行(代替わりで担当))?年 - 2004年30号
中間の仲田リズム担当時代は批評者に「担当編集者S」(イラストによると女性)が加わっていたので、「K&O Bros.の」を外した「電気頭脳園」が正式名称だった。
(構成・文:ブレインナビスタジオサバイヴ・Wyvern(ワイバーン)(担当は不規則。)、本文イラスト:神楽つな)2004年31号 - 2010年4・5合併号
パチは途中から登場したキャラクターなので、それ以前のタイトルは「エリス&モリソンの電遊日記」だった。
(構成・文:スタジオサバイヴ、本文イラスト:結路いさと)2010年6号 - 2011年52号
(構成・文:スタジオサバイヴ、本文イラスト:野呂俊介)2012年1号 -

総合情報コーナー

  • チャンピオンレーダー(1970年代 - 1980年)
  • 情報チャンネルあいどる組
  • マイ・ワールド
  • 情報エクスプレス(アーティストインタビューやイベント情報、プレゼント情報のページ)
    • チャンピオンCINEMAプレビュー(映画紹介記事。かつては独立したページを持った記事であったが、2006年に情報エクスプレスの一記事に格下げされた)

歴代編集長

  1. 成田清美(1969年創刊号 - 1972年3月)
  2. 壁村耐三(第一次、1972年4月 - 1981年)
  3. 阿久津邦彦(1981年 - 1983年)
  4. 神永悦也(1983年 - 1985年)
  5. 壁村耐三(第二次、1985年 - 1989年)
  6. 岡本三司(1989年 - 1994年)
  7. 大塚公平(1994年 - 2002年4・5合併号(2001年12月))
  8. 樋口茂(2002年6号(2002年1月) - 2005年47号(10月))
  9. 沢考史(2005年48号(10月) - )

主催新人漫画賞

発行部数

  • 1969年7月15日創刊号 21万部[7]
  • 1972年7月3日号 39万部[7]
  • 1973年8月20日号 50万部[7]
  • 1974年9月9日号 100万部[7]
  • 1977年12月 200万部[8]
  • 1978年9月11日号 205万部[7]
  • 1979年1月22・29合併号 250万部[7]
  • 2009年 55万部[7]

増刊号

かつては新人作家の読切を主とした増刊号も刊行されており、1980年代前半には青年誌として『週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン』が不定期に刊行されていた時期もあった。

現在は定期的に刊行される増刊号は存在しないが、『範馬刃牙』の総集編や、元祖!浦安鉄筋家族の新作と傑作選、新人ギャグ作家の読切を掲載した『元祖!浦安鉄筋家族 増刊』などが不定期に刊行されている。

派生誌

参考資料

脚注

  1. ^ 本間正夫『少年マンガ大戦争 「少年画報」編集長・金子一雄の築いた王国』(2000年、蒼馬社)。
  2. ^ 竹熊健太郎『マンガ原稿料はなぜ安いのか? 竹熊漫談』(2004年、イースト・プレス)。
  3. ^ 米澤嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』(2002年平凡社・平凡社新書)。夏目房之介『マンガの力 成熟する戦後マンガ』(1999年、晶文社)。
  4. ^ 読売新聞1978年1月3日付
  5. ^ ただしメディアミックス計画(カードゲーム化)は連載途中で白紙となった。
  6. ^ 2009年12月24日発売の2010年4・5合併号まで。
  7. ^ a b c d e f g 読売新聞2009年4月30日付
  8. ^ 読売新聞1978年1月3日付

外部リンク