コンテンツにスキップ

紀州藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Terumasa (会話 | 投稿記録) による 2012年4月28日 (土) 14:41個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連項目: 追記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡(東京都千代田区)の石碑

紀州藩(きしゅうはん)は、江戸時代紀伊国一国と伊勢国の南部(現在の和歌山県三重県南部)を治めた紀伊藩(きいはん)とも呼ばれる。

版籍奉還後に定められた正式名称は和歌山藩(わかやまはん)。藩庁は和歌山城(和歌山県和歌山市)。藩主は紀州徳川家。紀州家は徳川御三家の一つで、石高は55万5,000石。

藩史

紀伊国関ヶ原の戦いの後、浅野幸長に与えられ浅野家の治める紀州藩(外様)が成立した。元和5年(1619年)に浅野氏が福島正則改易に伴い安芸国広島藩に移されると、これまで駿府藩主であった徳川家康の10男徳川頼宣が南伊勢を加えて55万5,000石で入封して紀州徳川家の治める紀州藩(親藩)が成立した。

頼宣は浪人を多く召抱え(将軍家に対する対抗心からともいわれるが詳細は不明)、由井正雪との関係を幕府に疑われたこともあった。しかし、頼宣の孫である第5代藩主吉宗が第8代将軍に就任するに及んで、かえって将軍家との関係が極めて密接な藩となった。第13代藩主慶福は第11代将軍徳川家斉の孫でもあったが、第14代将軍家茂となって、紀州藩主から出た2人目の将軍となった。第8代吉宗から第14代家茂までは全て紀州藩の系列になる(第15代慶喜一橋徳川家の養子から将軍になっているため、家柄上は紀州藩の系列になる)。

廃藩置県により和歌山県になるが、紀伊国の東部と伊勢国の紀州藩領は三重県に編入された。

歴代藩主

桑山家

外様 - 3万石→2万石→大和新庄藩2万石

氏名 院号 官位 在職期間 享年 出身家
- 桑山重晴
くわやま しげはる
- 従五位下
修理大夫
天正14年 - 文禄5年
1586年 - 1596年
83 桑山家
1 桑山一晴
くわやま かずはる
逢春院 従五位下
修理大夫
文禄5年 - 慶長6年
1596年 - 1601年
30 桑山家

浅野家

外様 - 37万6,000石→安芸広島藩42万石

氏名 院号 官位 在職期間 享年 出身家
1 浅野幸長
あさの よしなが
清光院 従四位下
紀伊守
慶長5年 - 慶長18年
1600年 - 1613年
38 浅野家
2 浅野長晟
あさの ながあきら
自得院 従四位下
但馬守
慶長18年 - 元和5年
1613年 - 1619年
48 浅野家

徳川家(紀州徳川家)

親藩 - 55万5,000石

氏名 院号 官位 在職期間 享年 出身家
1 徳川頼宣
とくがわ よりのぶ
南龍大神
南龍院
従二位
権大納言
元和5年 - 寛文7年
1619年 - 1667年
70 徳川家
2 徳川光貞
とくがわ みつさだ
清渓院 従二位
権大納言
寛文7年 - 元禄11年
1667年 - 1698年
80 紀州徳川家
3 徳川綱教
とくがわ つなのり
高林院 従三位
権中納言
元禄11年 - 宝永2年
1698年 - 1705年
41 紀州徳川家
4 徳川頼職
とくがわ よりもと
深覚院 従四位下
左近衛権少将
宝永2年(6月 - 9月)
1705年
26 紀州徳川家
5 徳川吉宗
とくがわ よしむね
有徳院 従三位
権中納言
宝永2年 - 正徳6年
1705年 - 1716年
68 紀州徳川家
6 徳川宗直
とくがわ むねなお
大慧院 従二位
権大納言
正徳6年 - 宝暦7年
1716年 - 1757年
76 伊予西条松平家
7 徳川宗将
とくがわ むねのぶ
菩提心院 従三位
権中納言
宝暦7年 - 明和2年
1757年 - 1765年
46 宗直流
8 徳川重倫
とくがわ しげのり
観自在院 従三位
権中納言
明和2年 - 安永4年
1765年 - 1775年
84 宗直流
9 徳川治貞
とくがわ はるさだ
香嚴院 従三位
権中納言
安永4年 - 天明9年
1775年 - 1789年
62 伊予西条松平家
10 徳川治寶
とくがわ はるとみ
舜恭院 従一位
大納言
天明9年 - 文政7年
1789年 - 1824年
83 宗直流
11 徳川斉順
とくがわ なりゆき
顕龍院 正二位
権大納言
文政7年 - 弘化3年
1824年 - 1846年
46 清水徳川家
12 徳川斉彊
とくがわ なりかつ
憲章院 従二位
大納言
弘化3年 - 嘉永2年
1846年 - 1849年
30 清水徳川家
13 徳川慶福
とくがわ よしとみ
昭徳院 正二位
権大納言
嘉永2年 - 安政5年
1849年 - 1858年
21 斉順流
14 徳川茂承
とくがわ もちつぐ
慈承院 正三位
権中納言
安政5年 - 明治2年
1858年 - 1869年
63 伊予西条松平家

支藩

家老

附家老
正木頼忠(藩主・頼宣の外祖父)- 為春為時為隆為恭為脩為積為章為質=三七-英太郎-修-孝昭
久野宗成宗晴宗俊俊正俊純輝純昌純純固
  • 水野太郎作家 - (7000石、正知の代に1万石格)安藤、水野、三浦、久野に水野太郎作家を加えて五家と称する。
水野正重-義重=重増=忠知=知義-正実=正珍-正純=正清=正知=正義
  • 渡辺主水家 - (3000石 恭綱は松平頼純の庶長子)
渡辺恭綱豊綱則綱親綱載綱登綱沿綱為綱
  • 村上与兵衛家 - (3500石)
  • 伊達源左衛門家 - (3000石)
  • 戸田金左衛門家 - (3200石)
  • 加納平次右衛門家 - (4000石)
  • 水野多門家 - (3000石)
  • 朝比奈惣左衛門家 - (3000石)
  • 岡野平太夫家 - (4000石)

支城

別邸など

幕末の領地

明治維新後に、大和国吉野郡1村(五條代官所管轄の旧幕府領)が加わったほか、一志郡1村(津藩領との相給)、飯野郡1村(津藩領との相給)、度会郡1村(幕府領との相給)の全域を本藩領とした。

関連項目

外部リンク

先代
紀伊国
行政区の変遷
1586年 - 1871年
(紀州藩→和歌山藩)
次代
和歌山県