的場直樹
千葉ロッテマリーンズ #67 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市住吉区 |
生年月日 | 1977年5月9日(47歳) |
身長 体重 |
179 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト3位 |
初出場 | 2000年4月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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的場 直樹(まとば なおき、1977年5月9日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(捕手)。大阪府大阪市住吉区出身。
経歴
プロ入り前
上宮高校時代は三木肇と同級生。明治大学時代は主将もつとめ、アマNo.1捕手と評価されていた。大学では木塚敦志とバッテリーを組んだ。東京六大学リーグ通算60試合出場、205打数50安打、打率.244、3本塁打、18打点。ベストナイン2回。
シドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場。その後のドラフトで福岡ダイエーホークスから3位指名を受けて入団。
ダイエー・ソフトバンク時代
1年目の2000年には正捕手の城島健司が負傷したため34試合に出場したものの、城島の壁は厚く、1軍の試合に出場すらできない時期が長く続いた。
2004年、城島がアテネオリンピックの野球日本代表に選出され不在となった折に、同僚の田口昌徳とともにその穴を埋めた。2005年、怪我により城島が離脱した際にも殆どの試合でスタメンを任され代役を担い、四年ぶりに本塁打も二本放った。その年出場したプレーオフにおいても、城島が公式戦終盤に骨折欠場した為、正捕手を任された。低めのリードに徹する城島とは違い、勝負所で大胆な内角高めのボールを要求して空振りを誘導するなど、城島とは一味違うリードを見せることもあった。 2006年、城島が移籍したことからチームの新正捕手争いが激化。経験・安定感に勝る的場は最有力候補と目されており、開幕スタメンを勝ち取るなどシーズン序盤は常時スタメン出場をしていたが、自身の打撃難と山崎勝己の台頭により中盤以降はエースの斉藤和巳専属捕手の形になってしまった。
2007年も引き続き主に斉藤が先発する試合でマスクをかぶったが、その斉藤が故障がちだったこと、打力に秀でる田上秀則の台頭により、前年よりもさらに出場機会が減少した。
2008年は斉藤がシーズンを棒に振ったことに加え、的山哲也の加入、さらに後半戦は高谷裕亮が起用されたことからほとんど出番がなく、スタメン出場は2試合のみ、トータルでも8試合出場に終わった。
2009年は一軍出場なし、二軍でも38試合の出場に終わる。同年10月3日にソフトバンクから戦力外通告を受けた[1]。その後12球団合同トライアウトを受験し、千葉ロッテマリーンズの秋季練習でテストを受け、同年11月20日ロッテへの入団が発表された。
ロッテ時代
ロッテ入団後の2010年は、正捕手の里崎智也が怪我で離脱したこともあり、リードや守備での実力が認められ、一軍での出場機会を昨シーズンから大幅に増やした。同年9月25日のオリックス戦ではプロ入り初の猛打賞を達成。この年は自己最多となるシーズン30安打を放った。CSでは里崎と併用でスタメンマスクを被り、優勝した古巣ソフトバンク相手に下剋上を果たす。
選手としての特徴
典型的な専守防衛型の捕手。リード面や守備では早くから長く正捕手を務めていた城島健司にも劣らない評価を得ていた。特に斉藤和巳とのコンビは特筆すべきものがある。
しかし打力は、打率2割に届いたシーズンが1度もなく、城島退団後もレギュラー捕手に定着できない一因となっていた(ただ打球自体はライナー性の強い当たりが多い。2軍ではクリーンナップを務めたこともある)。
プレー以外ではユーモラスなキャラクターが特徴。ホークス宮崎キャンプ恒例の「朝の声出し」では自分の低打率までネタにして、毎年のように周りを爆笑させていた。
人物
2005年のプレーオフ第2ステージで千葉ロッテマリーンズに敗退後、ベンチで人目もはばからず号泣したが、その際、骨折で出場出来なかった城島健司が松葉杖をつきながら的場のもとへ歩み寄り、「この悔しさを自分の目に焼き付けておけ!」と語りかけると、泣きながらも顔を上げてロッテナインの胴上げを凝視した。その5年後の2010年のクライマックスシリーズファイナルステージでは、千葉ロッテの選手として、奇しくも前年戦力外通告を受けた古巣ソフトバンクを相手に同じヤフードームで勝利。胴上げの輪に加わり、歓喜の涙を流した。
2006年8月19日の西武ライオンズ戦で、打者の水田圭介が三振を喫しバランスを崩して倒れかかった際、的場が二塁へ盗塁阻止のために投げた送球が、至近距離にいた水田の後頭部に当たった。水田はヘルメットに助けられ、大事には至らなかったものの、記録は走塁妨害となった。
2008年5月4日、シーズン初出場は小久保裕紀の代走だった。代えられた小久保は一塁からベンチに戻った後も爆笑していた。
同じ捕手の的山哲也と名前を混同されることが多く、テレビなどで「球場で『的山さ〜ん!』と声をかけられ非常に困惑している」と(笑い話として)話していたが、2007年オフにその的山がホークスに入団(2008年限りで引退)。そのため、テレビ中継などでもアナウンサーが「的場」と「的山」を言い間違える場面が増えた。的場はプロ野球選手会の「今年の目標」ページで「的山さんに間違われないこと」と書いたこともある。
ソフトバンクから戦力外通告を受けて、トライアウトを経てロッテの入団テストに合格するまでの模様がTBSで放送された「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達2009」で紹介された。
2010年シーズン開幕後、背中の炎症で欠場した里崎智也に代わって、捕手としてその穴を埋める活躍を見せ、新たなるリストラの星(リストラの星はホークス時代の先輩・宮地克彦の代名詞だった)として注目されている模様が関連番組の「バース・デイ」(2010年5月1日)でも「第2の野球人生 家族のために」として放送された。
2010年6月30日からの登場曲をDJ OZMAの「Mr.DJ」から女性アイドルグループAKB48の「ポニーテールとシュシュ」に変更された。ただし、これは的場本人の意思ではなく、福浦和也に決められたもので、本人もAKB48のファンではない。これをネタに、7月2日のヒーローインタビューでは「AKB48ファンクラブ会員番号67の……」と言った(67は自身の背番号)。以降も登場曲にAKBの楽曲が使用されている。また、応援歌もAKB48の「みなさんもご一緒に」の替え歌になっている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2000 | ダイエー ソフトバンク |
34 | 60 | 53 | 6 | 8 | 1 | 0 | 2 | 15 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 1 | .151 | .237 | .283 | .520 |
2003 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2004 | 13 | 16 | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | .067 | .125 | .067 | .192 | |
2005 | 39 | 94 | 86 | 7 | 16 | 8 | 0 | 2 | 30 | 8 | 0 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 21 | 2 | .186 | .222 | .349 | .571 | |
2006 | 82 | 157 | 137 | 12 | 20 | 6 | 0 | 0 | 26 | 8 | 0 | 0 | 10 | 1 | 7 | 1 | 2 | 42 | 3 | .146 | .197 | .190 | .387 | |
2007 | 35 | 50 | 42 | 4 | 7 | 3 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 1 | 12 | 0 | .167 | .239 | .238 | .477 | |
2008 | 8 | 6 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 | |
2010 | ロッテ | 74 | 209 | 188 | 14 | 30 | 5 | 1 | 1 | 40 | 19 | 0 | 0 | 6 | 2 | 13 | 0 | 0 | 61 | 6 | .160 | .212 | .213 | .424 |
2011 | 27 | 74 | 70 | 2 | 13 | 1 | 0 | 0 | 14 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 24 | 1 | .186 | .208 | .200 | .408 | |
通算:9年 | 313 | 667 | 598 | 45 | 96 | 24 | 1 | 5 | 137 | 42 | 0 | 2 | 27 | 3 | 35 | 1 | 4 | 178 | 13 | .161 | .211 | .229 | .440 |
- 2011年度シーズン終了時
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
年度別守備成績
年度 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 32 | 115 | 12 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 23 | 16 | 7 | .304 |
2004 | 12 | 34 | 1 | 1 | 0 | 1 | .972 | 4 | 4 | 0 | .000 |
2005 | 37 | 242 | 13 | 4 | 4 | 0 | .985 | 18 | 14 | 4 | .222 |
2006 | 82 | 434 | 32 | 4 | 7 | 2 | .991 | 39 | 28 | 11 | .282 |
2007 | 33 | 135 | 7 | 2 | 0 | 1 | .986 | 17 | 14 | 3 | .176 |
2008 | 7 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||
2010 | 73 | 417 | 28 | 3 | 4 | 3 | .993 | ||||
2011 | 27 | 142 | 16 | 4 | 0 | 1 | .975 | ||||
通算 | 303 | 1550 | 109 | 18 | 16 | 12 | .989 | 101 | 76 | 25 | .248 |
表彰
記録
- 初出場:2000年4月30日、対日本ハムファイターズ6回戦(東京ドーム)、5回表に坊西浩嗣の代打として出場
- 初打席:同上、5回表に金村曉の前に投手ゴロ併殺
- 初安打:同上、7回表に金村曉から右前安打
- 初先発出場:2000年6月2日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(福岡ドーム)、8番・捕手として先発出場
- 初本塁打・初打点:2000年6月23日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(福岡ドーム)、8回裏に川俣浩明から左越ソロ
背番号
- 26 (2000年 - 2009年)
- 67 (2010年 - )
登場曲
- DJ OZMA「Mr.DJ」(2010年)
- AKB48[2]
- 「フライングゲット」(1打席目)
- 「Everyday、カチューシャ」(2打席目)
- 「ヘビーローテーション」(3打席目)
- 4打席目以降は1〜3打席の繰り返し
関連情報
CM
脚注
- ^ ソフトBが篠原、本間、的場に戦力外通告 - 野球ニュース : nikkansports.com 2009年10月3日
- ^ 選手登場曲 - 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2011年10月4日
関連項目
- 大阪府出身の人物一覧
- 明治大学の人物一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達
- 的山哲也 - ソフトバンク時代のチームメート。