川崎宗則

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川﨑 宗則
Munenori Kawasaki
トロント・ブルージェイズ #66
Munenori Kawasaki.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県姶良市
生年月日 1981年6月3日(33歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 1999年 ドラフト4位
初出場 NPB / 2001年10月3日
MLB / 2012年4月7日
年俸 $106,089(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年
WBC 2006年2009年

川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、鹿児島県姶良市出身のプロ野球選手内野手)。愛称は「ムネリン」。現在はMLBトロント・ブルージェイズに所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

鹿児島県姶良市出身。実家は父が開業したという電気工務店「川崎電気工事」で、自身も高校時代に電気工事士の資格を取得している。兄の影響で野球を始め、小学生から高校生まで一貫して遊撃手だった。元々右打ちだったが中学時代にイチローの影響で左打ちに変える。重富中学校を経て、鹿児島県立鹿児島工業高等学校に入学。高校時代は甲子園出場は無く、全国的には無名だったが、50m走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さから「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれた。

1999年ドラフト会議において、福岡ダイエーホークスに4位指名され、入団。背番号は52

ダイエー・ソフトバンク時代[編集]

2000年の新人時代から二軍で遊撃手のレギュラーに定着し、ウエスタン・リーグ5位(チームトップ)の打率.300を記録。

2001年はウエスタン・リーグ2位の29盗塁を記録し、同年10月3日に一軍初出場。

2002年には規定打席不足ながら打率.367を残し、認定でウエスタン・リーグの首位打者になり、9月には井口資仁の離脱で二塁手として起用された。第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出。

2003年鳥越裕介の故障によって2番・遊撃手で初の開幕スタメン出場。鳥越の復帰後は小久保裕紀の長期離脱で空いた三塁手に回り、1番・村松有人・3番・井口とともに盗塁を量産、足でダイハード打線に貢献した。初の規定打席到達で打率.294・2本塁打・51打点・30盗塁の好成績を残し、チームのリーグ優勝・日本一に貢献。

2004年からは遊撃手のレギュラーに定着し、全試合フルイニング出場と打率3割を記録。最多安打(171本、三冠王を達成した松中信彦と同数)・盗塁王(42個)・ベストナインゴールデングラブ賞を獲得。同年から盗塁数と同数の車椅子を寄贈する[1]「走れ!川崎プロジェクト」を立ち上げ、2006年末に吉武真太郎吉本亮山崎勝己井手正太郎をメンバーに、自身がオーナーを務めて軟式野球チーム「宗rin's」を作って小・中学生と交流するなど、積極的にメセナ活動も行っている。

第1回WBCでの川崎

2006年2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、遊撃手として優勝に貢献。決勝戦(対キューバ戦)では、1点差に迫られた9回表にイチローの安打で二塁から生還。その際、アリエル・ペスタノのブロックの僅かな隙間から右手をねじ込んで生還し、「神の右手」として話題になったが、このプレーで右肘を負傷。シーズン復帰は4月中旬までずれ込んだ。シーズンでは2年ぶりの打率3割を記録し、2度目となるベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。同年、鹿児島工業高校が全国高等学校野球選手権大会に初出場した際、紫の刺繍で校名を縫い取ったスポーツバックを贈った(同校はベスト4に進出)。同年春、川崎は自主トレーニングでこの母校の野球部の後輩たちと一緒に練習を行なった(公式HPの日記より)。

2007年は2度の長期離脱を影響を受けて95試合の出場に留まり、規定打席に到達しなかった。しかし、巧みな打撃技術に磨きがかかって打率.329を記録し、チームの得点源になったほか、満塁時には中軸と肩を並べる活躍を見せた。

2008年セ・パ交流戦で最多安打(37安打)・打率.366を記録。ソフトバンクの交流戦初優勝に貢献し、野手としては初の交流戦MVPに選出された。8月の北京オリンピック野球日本代表に選出されたが、シーズン中から痛めていた左足の怪我を押して出場したため骨膜炎を発症。帰国後、左足第二中足骨の疲労骨折が判明。王貞治の監督最終試合であるシーズン最終戦(対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)で復帰した。

2009年2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、三塁手として5試合に出場。準決勝(対アメリカ戦)では9番・三塁手で先発出場し、2安打1打点1盗塁と勝利に貢献した。シーズンではリーグ2位で自己最多の44盗塁、犠打は球団記録を塗り替える43個を決めたが、打率.259(自己最低)に終わった。

2010年は選手会長に就任。3月27日の対オリックス・バファローズ戦(ヤフードーム)で通算1000安打を達成し、3月31日から4月23日まで22試合連続安打を打って自己記録を更新、プロ入り11年目で初の月間MVPを獲得した。9月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で1000試合出場を達成。ダルビッシュ有から内野安打を放って188安打とし、広瀬叔功のシーズン187安打を抜く球団新記録を達成し、190安打まで記録を伸ばした。このシーズンのダルビッシュとの対戦成績は19打数10安打打率.526と相性が良かった。2004年以来6年ぶりの全試合出場を果たし、チームのリーグ優勝に貢献したが、クライマックスシリーズ第2戦以降は21打席連続無安打と不振に陥り、日本シリーズ進出はならなかった[2]。オフでは11月5日に右肘関節遊離軟骨除去手術を受けた[3]ほか、出身地の姶良市から「あいらふるさと大使」に任命された[4]。同年、家畜伝染病・口蹄疫の被害を受けている宮崎県に義援金として100万円を寄付した。[5]

2011年8月22日に福岡市内在住の一般女性と婚約したことを発表[6]。シーズンでは本多雄一松田宣浩と共にフルイニング出場を達成、同一球団から3人がこの記録を達成するのは2リーグ制以後では初の快挙となった[7]。シーズン前半は安打・出塁・盗塁ともに前年までの実績に比べ少なく1番打者として物足りなさも感じさせたが、シーズン後半には出塁・盗塁を増やし巻き返した。2011年レギュラーシーズンにおいてソフトバンクは3番内川聖一が先制打を放った試合は14勝3敗2分け、勝率.824[8]と圧倒的な有利さを示しており、これは内川の勝負強さもさることながら、1番川崎が出塁して2番本多が確実に犠牲バントで送る、あるいは2番本多が出塁して2盗するといった形で、内川の前にランナーとして2塁まで進んでいたことがいかに多かったかも示す。本多がリーグトップの53犠打を記録できたのも、川崎の出塁あってこそであった。クライマックスシリーズの西武戦では初打席で帆足和幸から二塁打を放つなど12打数5安打打率.417と結果を残しチームのCS突破に貢献した[9]。12月1日には海外FA権を行使し、トニー・アタナシオを代理人としてメジャー挑戦を目指すことを表明[10]

マリナーズ時代[編集]

2012年5月25日、セーフコ・フィールドにて

2012年1月5日、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだと明らかにした[11]。日本凱旋試合直前までのスプリングトレーニングには招待選手として参加し打率.387をマーク。3月6日の試合ではイチローと共に先発出場し、試合後には「きょうは僕の記念日。(初めて)イチローさんとバッティング練習から一緒だった。テンション上がります」とコメントした[12]。26日には日本での開幕戦特別規則となるメジャー28人枠に昇格[13]。日本での開幕戦2試合では出場機会がなかったものの、その後のスプリングトレーニングでも好調を維持し、最終的に参加選手中最高となる打率.455、OPS1.012を記録し、本土開幕メジャー入りを果たす[14]

4月7日のオークランド・アスレチックス戦で9番・遊撃手としてメジャーデビュー。初打席は遊ゴロに終わったものの、2打席目にバートロ・コローンからメジャー初安打初打点を記録。試合後には「今日は絶対忘れられない日になる。(打った直後にベンチにいた)イチローさんから声が聞こえた。はっきり分からなかったが“いいぞ!”だったと思う。それが一番だったかもしれない」とコメントした[15]。30日に正捕手ミゲル・オリボ故障者リスト入りした際には、監督のエリック・ウェッジの「打撃好調なヘスス・モンテロジョン・ジェイソの2人を常時起用したい」という意向もあり、5月3日には三塁コーチのジェフ・ダッツから緊急時の捕手としての指導を受けた[16]。前半戦は主に代走や守備固めとして出場し、打率.185、出塁率.254の打撃成績で前半戦を折り返し、7月12日にはメジャーリーグOB協会が主催するハート&ハッスル賞の候補に選出される[17]。最終的な受賞は逃したが、記念の盾を贈られた際には「アメリカで賞をもらうなんて思ってもいなかったので。眠れないと思います。抱いて寝ます」とコメントした[18]。後半戦も主に代走や守備固めとして出場し、打撃成績は23試合の出場で打率.205、出塁率.262を記録。守備ではシーズン通算で38試合の出場ながら遊撃守備でUZR0.8、DRS±0を記録し、遊撃手を務めた日本人選手で初めて遊撃守備指標の数値が±0を下回ることなくシーズンを終えた。シーズン終了後には「イチローさんも頑張っていますね。僕ももっともっと頑張ろうと思う」とコメントした[19]。10月24日に40人枠から外れ自由契約となり[20]、オフには代理人をSFX社のマイク・ビーバーに変更し[21]、「代理人に希望は伝えてある。ばたばたと決まるのが米国。イチローさんとまたやりたいという思いはある」と語った[22]

ブルージェイズ時代[編集]

2013年3月13日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約で合意したことが報じられ[23][24]、18日に契約。ホセ・レイエスの故障者リスト入りに伴い、4月13日にメジャー昇格。同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でスタメン出場し、第1打席で先制点となる犠飛を打ち、チームの勝利に貢献[25]。20日のニューヨーク・ヤンキース戦では黒田博樹と対戦し[26]、翌21日のヤンキース戦ではメジャーで初となる1番でのスタメン出場を果たす[27]。5月26日のボルチモア・オリオールズ戦ではメジャー初のサヨナラ打を放った[28]。6月21日のオリオールズ戦ではトミー・ハンターからメジャー初本塁打となる2点本塁打を打った。32歳でのメジャー初本塁打はブルージェイズの選手としては最高齢であった[29]。25日にはホセ・レイエスの復帰に伴いAAA級バッファローに降格したが[30][31]メルキー・カブレラの故障者リスト入りに伴い27日に再昇格[32]。前半戦は67試合の出場で打率.213、出塁率.319の成績だった。6月から7月にかけては後頭部に円形脱毛症を発症していたと言う[33]。7月13日にブレット・ロウリーの復帰に伴い再降格し、エミリオ・ボニファシオの移籍に伴い8月14日に再昇格。16日には育休リスト入りし長男の誕生に立ち会う[34][35]。9月21日のボストン・レッドソックス戦では内野ゴロの判定を受けてヘルメットを地面にたたきつけるポーズを示し、初の退場処分を受ける[36]。後半戦は26試合の出場で打率.274、出塁率.348の成績を残しシーズンを終える。年俸100万ドルの翌年の契約オプションを球団が持っていたが行使されず、10月31日に自由契約となり、12月24日にマイナー契約で再契約した[37][38]

2014年はAAA級バッファローで開幕を迎えた。マイサー・イズトゥリス外側側副靱帯損傷による故障者リスト入りに伴い、4月15日にブルージェイズとメジャー契約を結んだ[39]が、故障者リスト入りしていたホセ・レイエスの復帰に伴い、4月18日に25人枠から外れバッファローに降格[40]。6月17日にメジャーに昇格[41]。当日のヤンキース戦で先発出場し、田中将大とメジャー移籍後初めて対戦し3打数無安打を喫した[42]。6月はその後6試合連続安打を記録し[43]、チームも首位に立つ好調だったが7月4日に2位に後退[44]。前半戦は26試合の出場で打率.284、本塁打なし、出塁率.344の成績で折り返す。7月も自己最長となる8試合連続安打を記録し[45][46]、22日のレッドソックス戦ではメジャー移籍後初の三塁手として先発出場する[47]。球団史上最長の延長19回、試合時間6時間37分となった8月10日のデトロイト・タイガース戦ではサヨナラの得点を記録[48]。その後も二塁手や三塁手として起用され、後半戦は55試合の出場で打率.243、本塁打なし、出塁率.318、1盗塁の成績を残す。チームはポストシーズン出場を狙う位置につけていたが[49]進出を逃しシーズンを終えた。シーズン終了後、来季について日本とアメリカのチーム両方を視野にいれていることを明らかにした[50]

選手としての特徴[編集]

川﨑の打撃フォーム

溌剌としたプレーと明るい性格でチームに貢献するムードメーカー[51]。投手が打ち込まれた際などには自らタイムを取って声をかけに行く光景がよく見られる[52]

打撃面では、日本時代からバットスピードとコンタクト能力はメジャーのスカウトからも高い評価を得ており[53]、2010年には両リーグトップとなる546個のファウルを記録した[54]。ホークス時代は典型的な早打ちで、三振が少ない一方で四球も少なく、日本での通算IsoD.051と打率と出塁率の差が小さい。しかしブルージェイズ移籍後の2013年には「ランナーがいない時は何とか塁に出ることを考えながらピッチャーに球数を投げさせることが今年の目標」として投手の球数を多くすることや出塁を強く意識するようになり[55]、この年はIsoD.097を記録した。

走塁では力を抜いて走ることがほとんどなく[56]、一塁到達3.83秒[57]、バント時には3.74秒をマークする脚力を誇る[58]。2006年にはベースボール・アメリカ誌で「最高の走者」に選ばれるなど、走塁面は海外からも高い評価を得ている[59]

守備では主に遊撃手として起用されるが、二塁手・三塁手としても出場経験がある。遊撃守備では超一流と評されるグラブ捌きを持ち味としていた[56]。一方で、2010年には守備イニング1000以上の遊撃手でワーストとなるRF4.21をマークしたほか[60]UZRで両リーグワースト4位の-1.4[61]、得点換算でもリーグの遊撃手中ワースト2位をマークするなど守備範囲はやや狭かった[62]。メジャー移籍後も2014年まででRngR(範囲)でマイナスを記録しているが、DPR(併殺)、ErrR(失策)でプラスを記録し、UZR1.0、DRS2と平均を上回る数値を記録している。三塁手としても133イニングの出場ながらUZR1.8、DRS1を記録しているが、二塁手としてはUZR-0.3、DRSは-3を記録している。

人物[編集]

好きな言葉は薩摩示現流の掛け声『チェスト』。子供の頃から父親に「ムネ、チェスト行けよ!」と声をかけられていたという[63]

子供の頃からホークスファンで、当時の好きな選手は内之倉隆志[63]

ホークス時代には月刊ホークスなどで彼の自動車運転技術の酷さが度々自虐ネタにされていた。例えば、同期や後輩を車庫入れ係にする為に(そのことを伏せて)食事に連れて行く、右折ではなく左折が苦手、といったものであった。ちなみに最初の愛車は赤いチェロキーだった。

イチローの大ファンとして知られおり、イチロー本人から「(川崎は)イチローマニアですね」と言われるほど。「イチロー(51)の一つ後の番号」という思い入れから[63]、背番号52には強いこだわりを持っており、ホークス時代は背番号変更を打診されても断り続け、WBCでも52を付けた。2011年オフに海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明した際にも「イチロー選手と同じチームを希望しています」と語り[64]、念願かなってマリナーズと契約した。背番号52は既にジョージ・シェリルが使用していたため61をつけることになったが、「逆から読めばイチロー。素晴らしい番号をいただいた」とコメントした[65]

2012年7月23日にイチローがニューヨーク・ヤンキースに移籍した際には、当日こそコメントを避けた[66]が、翌日に「ショックではないです。イチローさんが元気にプレーしているのが一番うれしい。イチローさんが覚悟を決めてのこと。すごく応援したい。この6カ月間は貴重な経験ができました」とコメント[67][68]。一方のイチローは移籍についての会見で、川﨑を始めとしたマリナーズの選手たちについて「そのことも迷った中の要素です。ただ、ムネ(川﨑)とはスプリングトレーニングからずっと一緒にやってきて、いい時間を共有できたと認識している。一緒の場所にいることが必ずしも一緒にやっているということではない。違う場所にいても一緒にやることはできる」と語った[69]。イチローが日米通算4000安打を達成した際には対戦相手として二塁手で出場しており、川﨑のもとに左翼から記念ボールが返球され「ボールを盗もうと思ったんですよね。隠そうとしたけど、審判にダメだといわれた。僕は『アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ』といってごまかそうとしたんですけど、やっぱりダメでしたね」と語っている[70]

また、ダルビッシュ有とはプライベートでも親交があり[71]、川﨑の主催するホークス選手が中心の軟式野球チーム『宗rinズ』に緊急参戦したこともある[72]

渡米後2年を経ても英語はあまり話せないが、「彼には語学の壁はない。なぜなら笑いとジェスチャーと片言でコミュニケーションをとるから」と評され、旺盛なサービス精神もあってチームメイトや現地のファンから愛されている[73]。特に2年目のシーズンとなったトロントの地では高い人気を得ており、地元総合ウェブサイト「The Score」には『川崎が愛される7つの理由』というコラム記事が掲載され[74]、ヒーローインタビューでの立ち振る舞いが「Greatest postgame interview ever?(史上最高のポストゲームインタビューか)」とMLB公式サイトを含む全米のスポーツニュースで取り上げられ[75]、3A降格後の8月13日にも、出場試合で「川崎Tシャツデー」というプロモーションが行われた[76][77]

2011年に結婚した一般女性との間に一男がおり、名前は逸将(いっしょう)[78]。  

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2001 ダイエー
ソフトバンク
1 5 4 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .200 .000 .200
2002 36 122 112 13 26 4 5 0 40 8 3 2 6 0 4 0 0 21 1 .232 .259 .357 .616
2003 133 568 493 78 145 17 9 2 186 51 30 16 28 2 41 0 4 74 8 .294 .352 .377 .729
2004 133 633 564 87 171 19 8 4 218 45 42 14 15 3 48 0 3 63 8 .303 .359 .387 .746
2005 102 458 399 53 108 12 3 4 138 36 21 10 22 3 26 0 8 52 4 .271 .326 .346 .672
2006 115 513 449 69 140 21 7 3 184 27 24 9 27 0 32 0 5 54 2 .312 .364 .410 .774
2007 95 427 383 57 126 12 7 4 164 43 23 8 10 1 29 1 4 46 3 .329 .381 .428 .809
2008 99 457 424 55 136 16 6 1 167 34 19 9 6 5 16 3 6 40 5 .321 .350 .394 .744
2009 143 640 540 73 140 26 8 4 194 34 44 17 43 3 47 1 7 90 8 .259 .325 .359 .684
2010 144 662 602 74 190 27 5 4 239 53 30 11 10 0 43 1 7 86 6 .316 .350 .397 .765
2011 144 655 603 71 161 19 7 1 197 37 31 10 9 4 36 0 3 84 5 .267 .310 .327 .637
2012 SEA 61 115 104 13 20 1 0 0 21 7 2 2 2 0 8 0 1 18 2 .192 .257 .202 .459
2013 TOR 96 289 240 27 55 6 5 1 74 24 7 1 10 3 32 0 4 41 5 .229 .326 .308 .634
2014 82 274 240 31 62 7 1 0 71 17 1 0 8 1 22 0 2 49 3 .258 .327 .296 .623
NPB:11年 1145 5140 4573 631 1343 173 65 27 1727 369 267 106 176 21 323 5 47 610 50 .294 .345 .378 .723
MLB:3年 239 678 584 71 137 14 6 1 166 48 10 3 20 4 62 0 8 108 10 .235 .315 .284 .599
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
リーグ内順位
年度 年齢 所属機構 所属リーグ 打率 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 OPS
2001 20 NPB パ・リーグ - - - - - - - -
2002 21 - - - 3位 - - - -
2003 22 - - - 2位 - - 3位 -
2004 23 - 1位 - 1位 - - 1位 -
2005 24 - - - 8位 - - 4位 -
2006 25 6位 10位 - 1位 - - 4位 -
2007 26 - - - 2位 - - 8位 -
2008 27 3位 - - 3位 - - 6位 -
2009 28 - - - 2位 - - 2位 -
2010 29 7位 3位 - 5位 - - 4位 -
2011 30 - 5位 - 1位 - - 5位 -
2012 31 MLB ア・リーグ - - - - - - - -
2013 32 - - - - - - - -
2014 33 - - - - - - - -
  • 太字年度は規定打席到達年度
  • -は10位未満(打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
チーム内順位
年度 年齢 所属機構 所属球団 打率 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 OPS
2001 20 NPB ダイエー
ソフトバンク
- - - - - - - -
2002 21 - - - 3位 - - - -
2003 22 7位 5位 - 2位 - - 3位 7位
2004 23 4位 1位 - 1位 7位 6位 1位 6位
2005 24 6位 8位 9位 2位 7位 7位 2位 8位
2006 25 2位 3位 3位 1位 5位 8位 1位 3位
2007 26 - 5位 9位 1位 9位 5位 2位 -
2008 27 1位 3位 5位 2位 - 5位 2位 3位
2009 28 6位 4位 4位 1位 8位 8位 1位 6位
2010 29 2位 1位 2位 2位 8位 5位 2位 4位
2011 30 5位 1位 5位 1位 9位 5位 2位 5位
2012 31 MLB TOR - - - - - - - -
2013 32 - - - 1位 - - 5位 -
2014 33 - - - - - - - -
  • 太字年度は規定打席到達年度
  • -は10位未満(打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]



一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS)
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2001 ダイエー
ソフトバンク
- - - 1 3 4 0 1 1.000
2002 1 16 0 0 2 1.000 24 45 77 1 10 .992 - 10 15 17 2 1 .941
2003 - 1 1 4 0 0 1.000 75 38 114 8 11 .950 85 89 182 6 47 .978
2004 - - 8 2 6 1 1 .889 132 227 376 10 87 .984
2005 - - - 102 170 283 6 61 .987
2006 - - - 115 164 356 12 65 .977
2007 - - - 94 121 294 6 40 .986
2008 - - - 99 113 309 11 51 .975
2009 - - - 143 209 442 9 78 .986
2010 - - - 144 193 412 14 72 .977
2011 - - - 144 209 396 12 62 .981
2012 SEA - 10 6 13 0 3 1.000 1 0 0 0 0 ---- 38 50 65 0 13 1.000
2013 TOR - 18 26 45 1 6 .986 - 60 79 136 5 39 .977
2014 - 64 78 139 5 25 .977 19 6 37 2 1 .956 4 2 2 0 0 1.000
NPB:11年 1 16 0 0 2 1.000 25 46 81 1 10 .992 83 40 120 9 12 .947 1069 1513 3071 88 565 .981
MLB:3年 - 92 110 197 6 34 .981 19 6 37 2 1 .956 102 131 203 5 52 .985
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

NPB初記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録

背番号[編集]

  • 52 (2000年 - 2011年)
  • 61 (2012年)
  • 66 (2013年 - )

登場曲[編集]

関連情報[編集]

出演[編集]

ラジオ
CM、広告

書籍[編集]

  • 川﨑宗則著『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』(文藝春秋、2014年3月、ISBN 978-4-16-390041-4
  • 橋本清著『52(fifty two)川崎宗則:オフィシャルbook』(徳間書店、2010年3月、ISBN 978-4198629229

脚注[編集]

  1. ^ 赤星氏の思い継ぎ…川崎車いす44台寄贈”. 日刊スポーツ (2009年12月25日). 2010年7月24日閲覧。
  2. ^ “第2戦以降は沈黙…川崎ガックリ「申し訳ない」”. スポーツニッポン. (2010年10月20日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/10/20/07.html 2011年2月9日閲覧。 
  3. ^ “川崎右ひじ手術へ 復帰までは2カ月”. スポーツニッポン. (2010年10月31日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/10/31/25.html 2011年2月9日閲覧。 
  4. ^ “「良いところアピール」ホークス川崎選手 姶良ふるさと大使に”. 西日本新聞. (2011年1月7日). http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/219368 2011年2月9日閲覧。 
  5. ^ ソフトバンク・川崎、口蹄疫で義援金”. サンケイスポーツ (2010年6月11日). 2010年7月24日閲覧。 ホークスは毎年春季キャンプを宮崎県で行っている。
  6. ^ 川崎宗則選手、自身の婚約についてコメント”. 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト (2011年8月22日). 2011年8月22日閲覧。
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  11. ^ 川崎選手 マリナーズと仮契約”. NHKニュース (2012年1月5日). 2012年1月6日閲覧。
  12. ^ 川崎興奮!初めてイチローと2、3番で並ぶ「きょうは僕の記念日」スポニチ、2012年3月7日
  13. ^ 川崎、開幕メジャー決定!感激の涙”. デイリースポーツオンライン (2012年3月27日). 2012年3月27日閲覧。
  14. ^ “川崎、米開幕もメジャー「やるだけです」”. SANSPO.COM. 共同通信社 (産経新聞社). (2012年4月5日10:21). http://www.sanspo.com/baseball/news/20120405/mlb12040509080008-n1.html 2012年4月6日閲覧。 
  15. ^ 川崎 イチローの声が一番嬉しかった!「今日は絶対忘れられない日」スポニチ、2012年4月8日
  16. ^ 川崎捕手 正妻オリボDLで3番手 - スポーツニッポン 2012年5月4日
  17. ^ 川崎「ハッピー」ハート&ハッスル賞候補日刊スポーツ、2012年7月14日。
  18. ^ 川崎ハッスル!「眠れない。抱いて寝る」日刊スポーツ、2012年9月23日
  19. ^ 川崎「イチローさん頑張っている。僕も」日刊スポーツ、2012年10月4日
  20. ^ 川崎、斎藤が40人枠外れる日刊スポーツ、2012年10月25日
  21. ^ 川崎が代理人変更でメジャー再挑戦へデイリースポーツ、2012年12月8日。
  22. ^ ムネリン「イチローさんとまたやりたい」日刊スポーツ、2013年1月29日。
  23. ^ 川崎がBジェイズ イチと敵味方日刊スポーツ、2013年3月15日。
  24. ^ ムネリン、イチ対戦が「モチベーション」日刊スポーツ、2013年3月17日。
  25. ^ “川崎「命を燃やすに燃やしたい」昇格即先発で勝利に貢献”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月15日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/15/kiji/K20130415005613700.html 2013年4月22日閲覧。 
  26. ^ ムネリン 黒田から安打「チェスト!」日刊スポーツ、2013年4月21日。
  27. ^ “ムネリン メジャー初1番も「チェスト」 1安打1打点で勝利貢献”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月22日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/22/kiji/K20130422005661740.html 2013年4月22日閲覧。 
  28. ^ ムネリンがサヨナラ打!英会話本を手に叫ぶ日刊スポーツ、2013年5月28日。
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  30. ^ 川崎マイナー降格「必死にやりたい」日刊スポーツ、2013年6月26日。
  31. ^ 降格川崎、異例のあいさつ 球団が敬意日刊スポーツ、2013年6月27日。
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  33. ^ 川崎が円形脱毛症と引き換えに得たものデイリースポーツ、2013年10月5日。
  34. ^ パパムネリンがチーム合流「最高ですね」日刊スポーツ、2013年8月21日。
  35. ^ ムネ、父親なった喜び語る「最高です」デイリースポーツ、2013年8月21日。
  36. ^ 川崎退場に監督「サムライウォリアーだ」日刊スポーツ、2013年9月22日。
  37. ^ Blue Jays sign Kawasaki MLB.com
  38. ^ 川崎、ブルージェイズと再契約 スポーツ報知 2013年12月25日閲覧
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  40. ^ ムネリン「最高。下に行っても打ちます」日刊スポーツ、2014年4月19日。
  41. ^ ムネリン昇格「ちょっくら行って来ます」日刊スポーツ、2014年6月18日。
  42. ^ ムネリン、マー君との3年ぶり対決は完敗日刊スポーツ、2014年6月19日。
  43. ^ ムネリン2の 0連続試合安打6で止まる日刊スポーツ、2014年7月1日。
  44. ^ 川崎がマルチ、ブルージェイズは延長サヨナラ負けで首位陥落MLB.JP、2014年7月5日。
  45. ^ 川崎7戦連続安打 次はハトの恩返し期待日刊スポーツ、2014年7月21日。
  46. ^ ムネリン2安打「あの1点は大きかった」日刊スポーツ、2014年7月21日。
  47. ^ ムネリン初の三塁先発も「どこでもやる」日刊スポーツ、2014年7月23日。
  48. ^ ムネ「最高の日」延長19回サヨナラホーム日刊スポーツ、2014年8月12日。
  49. ^ 川崎節全開「世界一しか考えていない」日刊スポーツ、2014年9月12日。
  50. ^ ムネリン「日本もアメリカも両方視野に」日刊スポーツ、2014年9月29日。
  51. ^ イチも仰天“ムネリン旋風” nikkansports.com 2013年4月21日
  52. ^ 声を張る川崎、ベンチで仲間を鼓舞”. SANSPO.COM (2012年4月14日). 2012年5月2日閲覧。出典の記事はあくまで一例であり、実際の試合でのこのような姿は枚挙に暇がない。
  53. ^ 現役スカウト部長が見た日本チーム『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、52項
  54. ^ 野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、24頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  55. ^ 川崎宗則、青木宣親が高評価の理由。“Quality At Bat”という新潮流。Number Web、2013年9月27日。
  56. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、228-229頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  57. ^ 『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、127頁。
  58. ^ 川﨑宗則はくし型『野球小僧』2007年2月号、白夜書房、雑誌18801-2、174頁。
  59. ^ 2006日米野球ガイドブック『月刊スラッガー』2006年12月号付録、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、9頁。
  60. ^ 守備「選手別」遊撃手データSMR Baseball Lab
  61. ^ 『月刊スラッガー』2011年5月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-5、45頁。
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  63. ^ a b c 『週刊プロ野球データファイル』2011年7号、ベースボール・マガジン社、雑誌27741-6/1、9-10頁。
  64. ^ 川崎マリナーズ一本「イチローさんと」日刊スポーツ、2011年12月2日。
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  66. ^ 川崎、兄貴分イチローの移籍に元気なしサンスポ、2012年7月24日。
  67. ^ 川崎 ようやくコメント イチローの新番号は「逆から読んだらイチサン!」スポニチ、2012年7月25日
  68. ^ 川崎「イチローさん元気にプレーが一番」日刊スポーツ、2012年7月25日
  69. ^ イチロー「一番勝っているチーム」へ/一問一答”. 日刊スポーツ (2012年7月25日). 2012年7月25日閲覧。
  70. ^ ムネリン、イチロー4000安打記念ボール「盗もうと思った」 ゲスト解説で“秘話”zakzak、2013年10月16日
  71. ^ 川崎、ダルから安打も「今日はやられました」サンケイスポーツ、2012年4月10日。
  72. ^ 『週刊プロ野球データファイル』2012年46号、ベースボール・マガジン社、雑誌27741-3/7、5-6頁。
  73. ^ 16 Reasons to Treasure Blue Jays Shortstop Munenori Kawasaki, the Jewel of MLB SI.com 2013年5月18日
  74. ^ 人気爆発!ムネリンがトロントで愛される7つの理由”. 日刊SPA! (2013年4月23日). 2013年11月4日閲覧。
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  76. ^ 「カワサキ・エフェクト」の由来とは?ムネリン第1子誕生で地元はフィーバー”. 日刊SPA! (2013年8月20日). 2013年11月4日閲覧。
  77. ^ マイナーでも大人気!川崎Tシャツデー”. J SPORTS MLB NAVI (2013年8月7日). 2013年11月4日閲覧。
  78. ^ [http://number.bunshun.jp/articles/-/756182?page=3 “<トロントに愛された野球小僧> 川崎宗則 「笑い飛ばして、今日もまた 」”]. Sports Graphic Number. (2013年11月20日). http://number.bunshun.jp/articles/-/756182?page=3 2014年9月23日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]