コンテンツにスキップ

崔龍洙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Zemarcelo (会話 | 投稿記録) による 2012年4月13日 (金) 19:39個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:サッカー韓国代表選手)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

崔龍洙
名前
愛称 トクスリ
カタカナ チェ・ヨンス
ラテン文字 CHOI Yong-Soo
ハングル 최용수
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
生年月日 (1973-09-10) 1973年9月10日(50歳)
出身地 大韓民国の旗釜山広域市
身長 184cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995
1996-2000
1997-1998
2001-2003
2004
2005
2006
LGチータース
安養LGチータース
->光州尚武フェニックス
ジェフユナイテッド市原
京都パープルサンガ
ジュビロ磐田
FCソウル
50(18)
61(26)
?(?)
73(54)
33(20)
15(1)
2(0)
代表歴2
1995-2003 大韓民国の旗 韓国 67(27)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月20日現在。
2. 2008年1月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

崔 龍洙(チェ・ヨンス、최용수 1973年9月10日-)は大韓民国釜山広域市出身の元サッカー選手、指導者。現在はFCソウル監督をつとめている。韓国ではトクスリ독수리ハゲワシ)の愛称で呼ばれている。

同姓同名のボクシングWBA世界スーパーフェザー級王者も存在するが、全くの別人である。

来歴

国際Aマッチ47試合出場25得点(当時)の現役韓国代表FWとして2001年にジェフユナイテッド市原に加入。入団初年度に21得点をたたき出すなど、2年連続でチーム最多得点を挙げエースとして君臨。左サイドの村井慎二とのホットラインは市原の名物ともなっていた。

2004年には当時J2だった京都パープルサンガに移籍する。2005年にはジュビロ磐田に移籍したが、度重なるけがのためレギュラーではなかった。2006年に韓国に戻り、KリーグFCソウルで選手兼任コーチとしてプレーした。2006年8月5日FC東京との親善試合を最後に現役を引退。引退後、FCソウルコーチに就任。2011年4月にリーグ戦での不振から皇甫官監督が辞任する事態となり、監督代行に就任。同年12月に正式に監督となった。

アラカルト/エピソード

  • 若い頃は闘争心を剥き出しにする選手で、ユース時代の日本戦では試合後に日本ベンチにボールを蹴りこんだことがある。1993年ワールドユースオーストラリア大会アジア最終予選(兼AFC U-19選手権)が1992年9月からUAEで開催され、出場権を懸け西野朗監督率いるU-19日本とU-19韓国が準決勝で対戦した(当時のU-20W杯のアジアの出場枠は2)。試合は終了8分前の韓国チョウ・ヒュンのゴールで韓国が2-1で勝利し出場を決めたが、終了後、静まり返った日本ベンチに、崔龍洙がボールを蹴りこんだ。当時の日本のコーチ山本昌邦によれば『興奮して、転がってきたボールを崔龍洙めがけて蹴り返したが、キックが正確でなかった(崔龍洙に当たらなかった)。もしボールが当たっていれば大問題になっていたが、とにかく悔しくて、その日の夜は眠れなかった』とのこと[1]。日本代表のGKだった川口能活はこの行為に激怒したが、崔龍洙がその後謝罪したため、磐田では仲はよかった。
  • 1997年韓国代表としてフランスW杯アジア予選出場時、試合前の国歌吹奏(または斉唱)を他のチームメイトは胸に手を置きながら聴いていたのに対し、崔はただ1人、敬礼しながら聴いていた(当時兵役中の身で、韓国国軍のチーム「尚武」に所属していた)。
  • Jリーグにやってきた頃には既に周りをまとめる年長者としての自覚が備わっており、市原時代は若手選手をまとめることを意識してパーティーを開いたりしていたことを同僚達が証言している。磐田では怪我のためにほとんど貢献できなかったものの、カレン・ロバートが、自分はどうプレーしたほうがよいのかと質問した際に「若い選手は自分をアピールすべき。ベテランはそれに合わせるから」とアドバイスし、カレンのブレイクに一役買った。
  • 崔は日本サッカーに関して「Jリーグは前線よりも中盤に重点を置いているため、よいFWが育ちにくい環境にある。鈴木(隆行)も玉田も柳沢も自分から点を取るタイプではないだろう。本物のストライカーと呼べるのは高原とゴン中山さんくらいだろう」「特にゴン中山さんのあのプロ魂には感服する、だから40を過ぎてもまだサッカーを続けていられるんだ。若いカレンや前田はゴン中山さんを見習えばもっと成長する」とコメントしている。
  • そのいかつい風貌とは裏腹に、好物がショートケーキだったり、市原のロッカールームで安全地帯の『ワインレッドの心』をご機嫌で熱唱していた(日本語もかなり流暢だったという)など親しみやすい人柄を覗かせる逸話がある。
  • ジェフで同僚だった巻誠一郎に慕われており、崔も彼を大切にしていた。

所属クラブ

ユース経歴
  • (年度不明) - 釜山東来高校大韓民国の旗
  • (年度不明) - 延世大学校大韓民国の旗
プロ経歴

経歴

現役

引退後

  • 2006年 - 2011年4月 FCソウル コーチ
  • 2011年4月 - 2011年12月 FCソウル 監督代行
  • 2011年12月 - FCソウル 監督

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
1994 安養LG Kリーグ 29 9 6 1 - 35 10
1995 21 9 7 2 - 28 11
1996 16 4 6 1
1997 尚武 K2リーグ
1998
1999 安養LG Kリーグ 20 12 7 2 3 5 30 19
2000 25 10 9 4
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2001 市原 10 J1 26 21 5 2 3 4 34 28
2002 23 16 1 0 4 3 28 19
2003 24 17 2 0 0 0 26 17
2004 京都 21 J2 33 20 - 1 0 34 20
2005 磐田 16 J1 15 1 1 0 0 0 16 1
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2006 ソウル 11 Kリーグ 2 0 0 0 0 0 2 0
通算 韓国 Kリーグ 113 44 35 10
韓国 K2リーグ 45 22
日本 J1 88 55 9 2 7 7 104 64
日本 J2 33 20 - 1 0 34 20
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2005年 磐田 16 4 2
通算 AFC 4 2

個人タイトル

  • 1994年 - Kリーグ新人王
  • 2000年 - KリーグMVP

出場大会

代表歴

  • U-22、U-23韓国代表(1995年-1996年)
  • 韓国代表(1995年-2003年、67試合27得点)

脚注

  1. ^ 山本昌邦著 日本サッカー遺産 ワールドカップ出場舞台裏の歴史と戦略P104~P105 93年オーストラリアワールドユース