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八部衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天竜八部衆から転送)

八部衆(はちぶしゅう)または天龍八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)は、仏法を守護する八尊の護法善神。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依したものである。十大弟子と共に釈迦如来眷属を務める。

概要

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八部衆とは8つの種族という意味である。これにはいくつかの説がある。通常に用いられるのは『舎利弗問経』を基本に、『法華経』や『金光明最勝王経』などの説により、衆、衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆の8つを指す。

ただし、奈良・興福寺の著名な八部衆像の各像の名称は上述のものと異なり、寺伝では五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(しゃがら)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)と呼ばれている。

なお、四天王に仕える八部鬼衆は、これらの八部衆と名称も類似し一部重複するので間違われやすいが基本的に異なる。ちなみに八部鬼衆は、乾闥婆・毘舎闍・鳩槃荼・薜茘多・那伽(龍)・富單那・夜叉・羅刹の名を挙げる。

法華経の序品(じょぼん)には、聴衆として比丘比丘尼優婆塞優婆夷(出家在家の男女)などの「人」のほかに、この八部衆が「非人」として名を連ねている。

緊那羅(Kimnara、きんなら)
天(Deva、てん)
梵天帝釈天を初めとする、いわゆる「天部」の神格の総称。欲界の六天、色界の四禅天、無色界の四空処天のこと。光明・自然・清浄・自在・最勝の義を有す。古代インドにおける諸天の総称。天地万物の主宰者。
龍(Naga、りゅう)
「竜」、「竜王」などと称される種族の総称。を神格化したもので、水中に棲み、雲や雨をもたらすとされる。また、釈尊の誕生の際、灌水したのも竜王であった。人面人形で冠上に龍形を表す。
夜叉(Yaksa、やしゃ)
古代インドの悪鬼神の類を指すが、仏法に帰依して護法善神となったもの。
乾闥婆(Gandharva、けんだつば)
香を食べるとされ、神々の酒ソーマの守り神とも言う。仏教では帝釈天の眷属の音楽神とされている。インド神話におけるガンダルヴァである。
阿修羅(Asura、あしゅら)
古代インドの戦闘神であるが、インド・イラン共通時代における中央アジア、イラン方面の太陽神が起源とも言われる。通常、三面六臂に表す。
迦楼羅(Garuda、かるら)
ガルダを前身とする、竜を好んで常食するという伝説上の鳥である。鳥類の一種を神格化したもの。
緊那羅(Kimnara、きんなら)
音楽神であり、また半身半獣の人非人ともいう。人にも畜生にも鳥にも該当しない。仏教では乾闥婆と同様に帝釈天の眷属とされ、美しい声で歌うという。
摩睺羅伽(Mahoraga、まごらが)
緊那羅とともに帝釈天の眷属の音楽神ともいう。または廟神ともいわれる。身体は人間であるが首は蛇である。大蛇(ニシキヘビとも)を神格化したもの。

興福寺の八部衆像

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阿修羅像

日本における八部衆像の作例としては、奈良・興福寺のもの(奈良時代国宝)が知られる。昭和期より寺内の国宝館にある。

興福寺の八部衆像は麻布を漆で貼り重ねた乾漆造で、廃絶した西金堂に安置されていた。西金堂は光明皇后が亡母橘三千代の追善のため天平6年(734年)建立したもので、本尊釈迦三尊像を中心に、梵天帝釈天像、八部衆像、十大弟子像などが安置されていたことが知られる。京都国立博物館蔵の「興福寺曼荼羅図」(平安末~鎌倉初期、重文)を見ると、八部衆像は本尊の左右前方と後方に各2体ずつ安置されていたことが分かる。作者は、像造は百済からの渡来人将軍万福、彩色は秦牛養とされる。八部衆を含む興福寺西金堂諸像については、『法華経』序品ではなく、『金光明最勝王経』所説に基づく造像だと解釈されている。いずれも1体が15kg程度であり、度々の火災での焼失を免れた要因としてこの軽さが挙げられる。

以下に各像について略説する。

  1. 五部浄像 - 像高48.8cm。色界最上位の色界第四禅天(色究竟天善見天善現天無熱天無煩天)に浄居天(じょうごてん、Śuddhāvāsa[1]、シュッダーヴァーサ)と呼ばれる阿那含の聖者が住んでおり(聖者が住む世界自体も浄居天と呼ばれ、色界第四禅天は五浄居天ともいう)[2]自在天子[3]、普華天子[3]、遍音天子[3]、光髪天子[3]、意生天子[4]という五尊の浄居天を合わせて一尊としたものを五部浄居天と呼ぶ。『千手陀羅尼経』ではこの経典を受持する者を守護するとされており[5]、『今昔物語集』では釈迦四門出遊の際「老人、病人、死人、出家者」の4つを見せて釈迦の出家を促している[6]。また、『大本経』にも登場し、釈迦が五浄居天を訪れた際、かつて過去仏の弟子だった浄居天の神々が師の事蹟を釈迦に伝えている[7]
    興福寺像は象頭の冠をかぶり、少年のような表情に造られているが、頭部と上半身の一部を残すのみで大破している(他に、本像の右手部分が東京国立博物館に所蔵されているが、これは1904年(明治37年)、個人の所有者から当時の帝室博物館に寄贈されたものである)。経典に説く「天」に当たる像と考えられる。千手観音の眷属の二十八部衆の一尊でもあり、三十三間堂の五部浄居像は頭に象頭を乗せ、左手に刀を持つ武神像である。
  2. 沙羯羅像 - 像高153.6cm。頭頂から上半身にかけて蛇が巻き付き、憂いを帯びた少年のような表情に造られている。本像は、経典に説く「竜」に当たる像と考えられている。ただし、興福寺の沙羯羅像を「竜」でなく「摩睺羅伽」に該当するものだとする説もある。二十八部衆には「娑伽羅龍王」の名で登場する。
  3. 鳩槃荼像 - 像高151.2cm。頭髪が逆立ち、目を吊り上げた怒りの表情に造られている。経典に説く「夜叉」に相当する像とされている。四天王の内の増長天の眷属ともいう。三十三間堂には祀られていないが二十八部衆の一尊にも含まれる。
  4. 乾闥婆像 - 像高160.3cm。獅子冠をかぶる着甲像である。両目はほとんど閉じられている。
  5. 阿修羅像 - 像高153cm。三面六臂に表される。天平文化や奈良観光などの紹介でもしばしば取り上げられる著名な像である。国宝館での展示でも、胸像として残る五部浄像以外の7体の中で別格に扱われている。
  6. 迦楼羅像 - 像高149.7cm。興福寺像は鳥頭人身の着甲像である。三十三間堂、清水寺本堂の二十八部衆中の迦楼羅像は翼を持ち、笛を吹く姿に造られている。
  7. 緊那羅像 - 像高149.1cm。頭上に一角、額に縦に3つ目の目があり、寺伝通り当初から緊那羅像として造られたものと思われる。
  8. 畢婆迦羅像 - 像高156cm。正確なサンスクリット語名が不明な謎の尊格である[8]仏教学者山田明爾十二神将の毘羯羅大将(Vikarāla)と同一尊格であるとしている[9]。また、氷竭羅天(Piṅgala)のことであるとする資料も存在するが、田中公明はそれならば「婆」の字が余計であるとして懐疑的である[8]。チベット語訳経典に記載された名称からはBilvakararāja(吉祥果を作る王者)というサンスクリット語名が想定出来るがその様な名称の護法神はいないためやはり正体は謎である[8]。田中はVibhākara(「作光」即ち「太陽」の意)が正確なサンスクリット語名ではないかとも述べている[8]
    興福寺像は他の像と異なり、やや老相に造られ、あごひげを蓄えている。経典に説く「摩睺羅伽」に相当するものとされるが、定かでない。三十三間堂の二十八部衆の内には畢婆伽羅と摩睺羅の両方が存在し、前者は通常の武神像、後者は五眼を持ち、琵琶を弾く像として表されている。

興福寺の漆像の他には、八部衆が涅槃図などの絵画作品に諸菩薩や釈尊の弟子達と共に描かれる場合があり、法隆寺五重塔初層北面の釈迦涅槃を表した塑像群の中にも阿修羅を初めとする八部衆の姿が認められるが、彫像の作例は他にほとんど見られない。千手観音の眷属である二十八部衆(日本での代表的な作例は京都・三十三間堂、同・清水寺など)の内にも八部衆に相当する仏尊が包含されている。

出典

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  1. ^ 田中公明『千手観音と二十八部衆の謎』春秋社、2019年、179頁。ISBN 9784393134283NCID BB28033834全国書誌番号:23193120 
  2. ^ コトバンク 精選版 日本国語大辞典「浄居天」の解説
  3. ^ a b c d 杉山二郎・前田常作『日本仏像大全書』四季社2006年、158頁。
  4. ^ 龍光山正寶院「仏様の世界」五部浄
  5. ^ 望月信亨『望月仏教大辞典』第二巻、世界聖典刊行協会、1936年(1957年増訂版)、1283頁。
  6. ^ 池上洵一訳『今昔物語集 7』平凡社1979年、13頁。
  7. ^ 天野信「大本経における七仏の事蹟と浄居天の神」『印度學佛教學研究』第58巻第2号、日本印度学仏教学会、2010年、928-923頁、doi:10.4259/ibk.58.2_928 
  8. ^ a b c d 密教図像学会『密教図像』第38号、法藏館2020年、46頁。
  9. ^ 山田明爾「『千手観音二十八部衆の系譜』 : 諸天鬼神の系譜研究の一環として」『龍谷大學論集』第399巻、龍谷大学、1972年6月、54頁、ISSN 02876000NAID 110009528331