北原光騎
北原 光騎 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
北原 光騎 北原 辰巳 スモー・ハラ |
本名 | 北原 辰巳 |
身長 | 182cm |
体重 | 95kg |
誕生日 | 1964年3月9日(60歳) |
出身地 | 福岡県福岡市 |
スポーツ歴 |
空手 シューティング |
トレーナー |
佐山聡 天龍源一郎 ダイナマイト・キッド |
デビュー | 1988年4月8日 |
引退 | 2018年6月11日 |
北原 光騎(きたはら こうき、1964年3月9日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロレスラー。本名および旧リングネームは北原 辰巳(きたはら たつみ)。
来歴
高校時代はサッカーと空手に熱中し、喧嘩三昧の日々を過ごす。卒業後、就職するもわずか9か月で退職する。その後は営業職やドライバーなどを経験した後、20歳の時に上京、佐山聡に師事しスーパータイガージムのインストラクターを務めた。
1987年6月、23歳で全日本プロレスに入団(当初はジャパンプロレス所属選手)。1988年4月8日、百田光雄戦でデビューを飾る。その後、ダイナマイト・キッドに誘われてカナダ・カルガリーへ海外修行に出発。スモー・ハラ(Sumo Hara)をリングネームに、ベンケイ・ササキこと新日本プロレスの佐々木健介とのサムライ・ウォリアーズで活躍し、1989年8月18日にボブ・ブラウン&ケリー・ブラウンからインターナショナル・タッグ王座を奪取した[1]。
1990年、全日本プロレスを退団。その後、SWS→WARと天龍源一郎と共に渡り歩き、天龍の右腕的存在として活躍する。1997年、33歳で自ら総合格闘技道場「キャプチャー・インターナショナル」を旗揚げ。旗揚げ時は、石井智宏(現:新日本プロレス)、ニーハオ(CAPTURE)が後進の指導にあたった。40歳でNPO法人「日本ブルー・ブレイザー」を設立し、理事長に就任。2004年4月より川崎市麻生区を拠点に、自らの門下生たちとともに防犯パトロールを行っていた(2020年解散[2])。
現在は、定期的に地下室マッチ「DUNGEON FIGHT(ダンジョンファイト)」を開催している。地下室マッチでは、元横綱・北尾光司の現役引退試合の対戦相手を務めた。
2018年6月11日、全日本プロレスの同期である小橋建太プロデュースのFortune Dream5で、スーパータイガージム出身メンバー(丸藤正道、スーパータイガー、長井満也)と後楽園ホールにて引退試合を行った[3]。
脚注
- ^ “Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年4月13日閲覧。
- ^ “特定非営利活動法人日本ブルー・ブレイザーの情報”. 国税庁法人番号公表サイト. 2022年8月17日閲覧。
- ^ “【小橋建太興行】北原光騎30周年の引退に「幸せ」”. 東京スポーツ. (2018年6月12日) 2019年8月22日閲覧。
外部リンク
- 北原光騎 (@kohki_capture) - X(旧Twitter)
- Capture International - キャプチャー・インターナショナル公式サイト
- キャプチャー・インターナショナル (@chikashitsu_m) - X(旧Twitter)
- Capture International (Capture-International-131908813897941) - Facebook
- キャプチャーインターナショナル情報局