セリエA (サッカー)
セリエA TIM Serie A TIM | |
---|---|
ファイル:Serie A Logo (ab 2019).png | |
加盟国 | イタリア |
大陸連盟 | UEFA |
創立 | 1898 |
参加クラブ | 20 |
リーグレベル | 第1部 |
下位リーグ | セリエB |
国内大会 |
コッパ・イタリア スーペルコッパ・イタリアーナ |
国際大会 |
UEFAチャンピオンズリーグ UEFAヨーロッパリーグ |
最新優勝クラブ | ユヴェントス (36回目) (2019–20) |
最多優勝クラブ | ユヴェントス (36回) |
テレビ局 |
DAZN: 毎節最大7試合 フジテレビONE TWO NEXT: 毎節最大2試合 |
公式サイト | legaseriea.it |
2020-21シーズン |
セリエA(セリエ・アー、伊: Serie A、イタリア語発音: [ˈsɛːrje ˈa] セーリェ・ア)は、イタリアのプロサッカーリーグ、レガ・カルチョによって運営されているトップディヴィジョン(1部リーグ)。
概要
セリエAが創設されたのは1898年であるが、イタリアの全国リーグとなったのは1929年のことである[1]。1990年代には、UEFAチャンピオンズリーグでイタリアのクラブチームが7年連続でファイナルに進むなど世界中からスター選手が集まり、世界最高峰のリーグと呼ばれていた。
イタリアのセリエAは、イングランドのプレミアリーグ、スペインのラ・リーガ、ドイツのブンデスリーガ、フランスのリーグ・アンとともにヨーロッパの五大プロサッカーリーグを形成している[1]。
スクデット
セリエAのリーグ優勝をすることをしばしば「スクデットを取る」という。「スクデット」(scudetto)とはイタリア語で「小さな盾」(盾…scudo + 縮小辞 etto)を意味し、優勝クラブは翌シーズン、ユニフォームの胸にイタリア国旗のトリコローレを示した盾型のエンブレムを縫い付け戦うことができる。
優勝10回毎に1つ、「ステッラ」(stella、イタリア語で「星」)と呼ばれる金色の星の刺繍を追加することが許される。36回優勝のユヴェントスは3個、18回のインテル・ミラノとACミランは1個の星を付けている(優勝回数は2019-20シーズン終了現在)。9回優勝のジェノアはあと1回の優勝で付けることが可能だが、優勝は全て第二次世界大戦前のものであり、90年以上も優勝から遠ざかっている。
歴史
1950年代から1990年代まで
1950年代から1990年代前半までセリエAでは「三階建て」構造と呼ばれる、ユヴェントス、ミラン、インテルのビッグ3に加え、ジェノア、ローマ、フィオレンティーナ、ラツィオ、ナポリ、サンプドリア、トリノ、ボローニャなどの中堅クラブ、次いでプロヴィンチャ(小さい地方都市のクラブという意味)という構図が基本的だった。「三階建て」構造では、プロヴィンチャは主力選手をビッグクラブに放出して得た移籍金でクラブを運営し、ビッグクラブはプロヴィンチャの主力選手を補強して戦力を上げていた。また、ビッグクラブでは余剰戦力をプロヴィンチャに放出することで無駄な人件費を削減、プロヴィンチャは有力選手を獲得して戦力を維持できるといった恩恵があった。イタリアの地域事情や歴史的背景から、ユヴェントスやミラン、インテルは北部のプロヴィンチャと結びつきが強く、ローマやラツィオは中南部のプロヴィンチャとの結びつきが強かった。また、北部のクラブと中南部のクラブ同士での選手の移籍も活発に行われており、「三階建て」構造によって、セリエAは成り立っていたとも言える。ただし、フィオレンティーナに関しては北部・中南部のクラブ共に結びつきが強いが、ユヴェントスへの移籍は「禁断の移籍」と呼ばれており、両クラブ間で移籍をした選手は、サポーターからのブーイングが飛ぶことが恒例となっている。かつてロベルト・バッジョがフィオレンティーナからユヴェントスへ移籍した際には、フィレンツェで暴徒と化したサポーターが街に溢れ、暴動にまで発展した[要出典]。
セブンシスターズの台頭
1990年代中盤より、衛星有料放送の普及によるサッカーのビジネス化、ボスマン判決による外国人選手獲得の自由化などカルチョの国際化が進む中で急激な変化が起き、ボローニャやナポリ、トリノ、ジェノアなどのクラブが降格した。中堅クラスのクラブは成長に成功したグループと没落するグループに大別され、「三階建て」の構造は崩壊した。こうした中で台頭したのが「セブン・シスターズ」とも呼ばれるビッグクラブグループだった。すなわち、従来のビッグ3であるユヴェントス、ミラン、インテル、それに準ビッグクラブのローマ、新たなビッグクラブとしてラツィオ、フィオレンティーナ、パルマが加わった7クラブだった。新興勢力であるフィオレンティーナ、パルマ、ラツィオは、カルチョビジネスの拡大バブルに伴い、大型補強を行って優勝争いに加わった。フィオレンティーナは映画製作者のマリオとその息子ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ、ラツィオは食品メーカー大手チリオのセルジョ・クラニョッティ、パルマは食品メーカー大手パルマラットのカリスト・タンツィの元で莫大な資金を投入し、1999-2000シーズンは上位1~7位までをセブン・シスターズが占めた。セブン・シスターズは国内のみならず、ヨーロッパにおいても躍進を遂げた。しかし、サッカーバブルが崩壊し、過剰な投資と放漫財政の破綻が明らかになると、従来のビッグ3を除くクラブは経営難にあえぐこととなり、セブン・シスターズの構図は崩壊する。フィオレンティーナはチェッキ・ゴーリによる主力選手の売却などを経て2002年に破産した。ラツィオもクラニョッティによる無謀なチリオの経営が破綻したために破産寸前に追い込まれ、パルマも2003年、パルマラットの粉飾決算事件を機に不良債権を抱えてしまった。ローマも例外ではなく、センシ会長の元で巨額の負債を抱えることになった。
三階建て構造の復活とカルチョポリ
2000年代半ば以降、フィオレンティーナ、ラツィオ、ローマ、パルマなどのクラブは多額の負債を抱え、主力選手放出を余儀なくされ、クラブの再建に取り組むことになる。フィオレンティーナは2002年の破産によるクラブ消滅後、若手主体のチーム作り、中長期目標に基づく優勝を目指すなど、全体的に再建の途中と言える[要出典]。
また、ボローニャやナポリ、トリノ、ジェノア、サンプドリアなどの1990年代に没落していった中堅クラブが経営再建を経てセリエAに復帰するようになり、かつての「三階建て」構造が復活しつつあった。
そんな最中、2006年に起きたカルチョポリは一大スキャンダルとして世界中に衝撃を与えたのである。これによってユベントスはセリエBに降格、ミラン、フィオレンティーナ、ラツィオも勝ち点減算などの処分が科された。
2006-2007シーズン以降は、カルチョポリの影響を受けなかったインテルとローマ、経営再建を経て躍進したナポリがセリエAを盛り上げることになった。
しかし、カルチョポリのネガティブなイメージはイタリアサッカー界全体をも飲み込んでしまい、観客数の低下、世代交代の失敗も相まって、結果的にはリーグレベル低下と代表チームの弱体化に繋がった。
FFPの導入とミラノの2大クラブの没落
リーグレベル低下に追い討ちをかけたのが2010年代に導入されたFFPである。
これまで、セリエAの各クラブはオーナーの資金で赤字を埋めることで経営が成り立っていた。しかし、FFPではオーナーの懐から資金を補填することが禁じられたため、各クラブは経営方針の見直しを余儀なくされた。
とりわけ、オーナー経営だったインテルとミランはFFPの影響をモロに受けたのである。赤字額を抑えるために主力選手放出を余儀なくされて戦力が低下し、リーグでも中位に低迷することになる。
逆に、ユベントスは元々親会社のフィアットがスポンサーだったこともあり、FFPの禁止事項を回避することが出来た。また、イタリアの他クラブとは異なり、スタジアムを所有していたため経営面で優位に立つことが出来た。これにより、2011-2012シーズン以降はリーグ連覇することが出来たのである。
リーグ
試合方式
20クラブによるホームアンドアウェー方式2回戦総当たりのリーグ戦形式で行われる。従って1クラブあたりの1シーズンの試合数は38試合、計38試合が行われる。勝利クラブに勝ち点3、引き分けの場合には両クラブに勝ち点1が与えられ、負けは0になる。
順位決定方式
順位は勝ち点の多い順に決められ、勝ち点が最も多いクラブが優勝となる。複数のクラブの勝ち点が同一の場合には、得失点差などに関係なく同順位となる。シーズン終了後に同順位の場合、そのチーム同士の対戦成績により決定する。
カップ出場権/残留/降格
カップ出場枠は毎シーズン、欧州サッカー連盟(UEFA)が定めるUEFAランキングで変動する。セリエAは、UEFAチャンピオンズリーグ4枠、UEFAヨーロッパリーグ3枠を得る。
UEFAヨーロッパリーグの内1枠は、コッパ・イタリアの優勝チームに与えられる。コッパ・イタリアの優勝チームが順位で出場権を確保している場合は、準優勝チームに出場権が与えられる。準優勝チームも順位で出場権を確保している場合は、順位による枠が1つ拡大される。
また下位の3クラブがセリエBに自動的に降格する。ただし、クラブの財政的な問題でプロライセンスを保有できないと判断された場合はセリエC以下のクラスへの降格がありえる。
- 過去の2階級以上降格となった例[2]
- ACFフィオレンティーナ 2002年経営破綻により当時の4部相当にあたる「セリエC-2」に降格。チーム名をいったん「フロテンティナ・ビオラ」と改め、その後旧母体の破産管財人よりチーム名を購入しチーム名を復帰。2003-04年度は特例処置としてセリエBに2階級特進後、2004-05年にセリエA復帰。
- パルマ・カルチョ1913 2015年経営破綻を理由に現4部の「セリエD」に降格。チーム名を「SSDパルマカルチョ1913」と改める。2018-19年にセリエA復帰。
出場停止規定
警告処分は初め4回で1試合の出場停止処分となる。その後3,2,1回と減り再び4回に戻る。1試合に2回の警告処分及び退場処分を受けた場合は翌1試合の出場停止処分となる。ただし1試合に2回の警告処分を受けても悪質とみなされなかった場合は出場停止処分を受けない場合がある。
外国人登録
EU内国籍およびEU加盟申請中の国の選手に関しては、無制限に登録が可能。EU外国籍選手に関しては、2002年7月18日以前に契約した選手には適用されず、毎年8月31日までに新たに契約してセリエAに参戦する選手は、各クラブに2人のみ追加で登録することが許される。
所属クラブ
今シーズン
- 2020-21シーズンの所属クラブ。
歴代所属クラブ
1929年にリーグが現在の形になって以来、計60クラブがセリエAに所属してきた。この中でもインテルナツィオナーレ・ミラノは、一度も降格することなくセリエAに所属し続けている唯一のクラブである(同じく2006年まで降格経験の無かったユヴェントスとの対戦を「イタリアダービー」と呼ぶが、ユヴェントスはカルチョ・スキャンダルによって初めて降格した)。
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歴代優勝クラブ・歴代得点王
歴代優勝クラブ
- 1898年から1928-29シーズンまではトーナメント方式、それ以降はリーグ戦の順位で決定。
歴代得点王
統計
クラブ別優勝回数
クラブ名 | 優勝 | 2位 | 優勝年度 |
---|---|---|---|
ユヴェントス | 1905, 1925-26, 1930-31, 1931-32, 1932-33, 1933-34, 1934-35, 1949-50, 1951-52, 1957-58, 1959-60, 1960-61, 1966-67, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1976-77, 1977-78, 1980-81, 1981-82, 1983-84, 1985-86, 1994-95, 1996-97, 1997-98, 2001-02, 2002-03, 2011-12, 2012-13, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2018-19, 2019-20 | ||
ミラン | 1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79, 1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04, 2010-11 | ||
インテル | 1909-10, 1919-20, 1929-30, 1937-38, 1939-40, 1952-53, 1953-54, 1962-63, 1964-65, 1965-66, 1970-71, 1979-80, 1988-89, 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2009-10 | ||
ジェノア | 1898, 1899, 1900, 1902, 1903, 1904, 1914-15, 1922-23, 1923-24 | ||
トリノ | 1927-28, 1942-43, 1945-46, 1946-47, 1947-48, 1948-49, 1975-76 | ||
ボローニャ | 1924-25, 1928-29, 1935-36, 1936-37, 1938-39, 1940-41, 1963-64 | ||
プロ・ヴェルチェッリ | 1908, 1909, 1910-11, 1911-12, 1912-13, 1920-21, 1921-22 (CCI) | ||
ローマ | 1941-42, 1982-83, 2000-01 | ||
ナポリ | 1986-87, 1989-90 | ||
ラツィオ | 1973-74, 1999-00 | ||
フィオレンティーナ | 1955-56, 1968-69 | ||
カリアリ | 1969-70 | ||
サンプドリア | 1990-91 | ||
ヴェローナ | 1984-85 | ||
ノヴェーゼ | 1921-22 (FIGC) | ||
カザーレ | 1913-14 |
出場試合ランキング
2019-20シーズン終了時点[3]
選手 | クラブ | 期間 | ||
---|---|---|---|---|
ジャンルイジ・ブッフォン | パルマ、ユヴェントス | 1995-2006, 2007-2018, 2019- | ||
パオロ・マルディーニ | ミラン | 1984-2009 | ||
フランチェスコ・トッティ | ローマ | 1992-2017 | ||
ハビエル・サネッティ | インテル | 1995-2014 | ||
ジャンルカ・パリュウカ | サンプドリア、インテル、ボローニャ、アスコリ | 1987-2005, 2006-2007 | ||
ディノ・ゾフ | ウディネーゼ、マントヴァ、ナポリ、ユヴェントス | 1961-1962, 1963-1965, 1966-1983 | ||
ピエトロ・ヴィエルコウッド | コモ、フィオレンティーナ、ローマ、サンプドリア ユヴェントス、ミラン、ピアチェンツァ |
1980-2000 | ||
ロベルト・マンチーニ | ボローニャ、サンプドリア、ラツィオ | 1981-2000 | ||
シルヴィオ・ピオラ | プロ・ヴェルチェッリ、ラツィオ、ユヴェントス、ノヴァーラ | 1929-1943, 1946-1947, 1948-1954 | ||
エンリコ・アルベルトージ | フィオレンティーナ、カリアリ、ミラン | 1958-1980 | ||
太字 は現役選手 |
得点ランキング
2019-20シーズン終了時点[4]
ランク | 選手 | 期間 | 得点 |
---|---|---|---|
1 | シルヴィオ・ピオラ | 1929–1954 | 274 |
2 | フランチェスコ・トッティ | 1992–2017 | 250 |
3 | グンナー・ノルダール | 1948–1958 | 225 |
4 | ジョゼ・アルタフィーニ | 1958–1976 | 216 |
ジュゼッペ・メアッツァ | 1929–1947 | ||
6 | アントニオ・ディ・ナターレ | 2002–2016 | 209 |
7 | ロベルト・バッジョ | 1986–2004 | 205 |
8 | クルト・ハムリン | 1956–1971 | 190 |
9 | ジュゼッペ・シニョーリ | 1991–2004 | 188 |
アレッサンドロ・デル・ピエロ | 1993–2012 | ||
アルベルト・ジラルディーノ | 1999–2017 | ||
太字 は現役選手 |
観客動員
2016/2017シーズンの平均観客動員数は2万2830人で欧州リーグで4位であった[5]。
日本人選手
1994年にジェノアCFCに三浦知良が期限付移籍し、アジア人として初めてのセリエAプレイヤーとなった。現地では「マーケティング目的」という声もあったが、試合に出場し、1ゴールを挙げた。しかし、1年でチームを去った[6]。
1998年にペルージャに中田英寿が加入し、1年目から活躍、地元のスポーツ誌グエリン・スポリティーボが選出するセリエA初年度の外国人選手を対象にしたセリエAサプライズ賞に選ばれた。2000年には名門ASローマへ移籍し、日本人で初めてセリエA優勝を経験した。中田の活躍は、名波浩や中村俊輔など多くの日本人選手がセリエAでプレーするきっかけとなった[7]。
2010年代では、インテル・ミラノで長友佑都がプレーし、ACミランでは本田圭佑が背番号10を付けてプレー。イタリアの名門クラブに日本人選手がそれぞれ所属し、2014年にはミラノダービーで日本人対決が実現した[8]。
中田英寿が加入した1998年以降、20年連続で日本人がセリエAでプレーしていたが、長友がトルコのクラブに移籍した事により、その記録は途絶えた[9]。
事件
- フーリガンによる暴動:2007年2月2日、カターニャ対パレルモ戦でサポーターがフーリガン化し暴動が発生。試合を中止したが場外乱闘に発展し、爆発物を投げつけられた警察官1人が死亡、100人以上が負傷。15人の逮捕者を出す惨事となった。後の調べで暴動を仕掛けたのはカターニャ側サポーターであることが判明した。この影響により2月3日と4日のリーグ戦全てが中止となった。運営側は事態を深刻としており、2月10日にリーグは再開されるものの一部の試合では無観客試合となった。その後オリンピコなどの安全性が確保された一部のスタジアムでは無観客試合を回避したが、人気チームの試合が無観客試合になる、または観客の入場がシーズンチケット保有者のみに制限されるなどの影響が出ている。詳細は「カターニアのサッカー暴動」を参照
- 八百長:詳細は「カルチョ・スキャンダル」を参照
この節の加筆が望まれています。 |
シーズン別大会名
- Serie A TIM (2006–現在)
脚注
注釈
出典
- ^ a b 清水正典「スポーツ社会システムのトータルシステムマネジメント I -ヨーロッパチャンピオンズリーグの隆盛と社会的背景-」『吉備国際大学社会学部研究紀要』第18巻、吉備国際大学社会学部、2008年3月、83-93頁、NAID 110006633568、2019年4月17日閲覧。
- ^ セリエAの名門パルマが破産 来季アマリーグ出直し(日刊スポーツ2015年6月24日 8月29日閲覧)
- ^ “Italy - All-Time Most Matches Played in Serie A”. RSSSF.com (2017年8月24日). 2013年10月15日閲覧。
- ^ “Italy - All-Time Topscorers”. RSSSF.com. 2017年閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “欧州最多の観客動員数はブンデスで平均4万2388人!一方で集客率トップは?”. footballchannel. 2019年4月17日閲覧。
- ^ 94年、三浦知良。「金を払って選手をねじ込む」“マーケティング主導”の揶揄の中、築いた礎【セリエA日本人選手の記憶(1)】フットボールチャンネル 2019年4月1日
- ^ 98年、中田英寿。激動の時代、ナカタはなぜ至高の活躍を見せ急速に引退へと向かったのか【セリエA日本人選手の記憶(2)】フットボールチャンネル 2019年4月11日
- ^ “ミラノ・ダービー”日本人対決は新たなスタート/イタリア現地コラムサッカーキング 2014年11月28日
- ^ 中田英寿氏の渡伊以来20年ぶり…「日本人のいないセリエA」開幕へフットボールチャンネル 2018年8月18日
関連項目
外部リンク
- 公式サイト - (英語) (イタリア語)
- figc.it (英語) (イタリア語)
- ACミラン公式ウェブサイト - (日本語)
- インテルFC公式ウェブサイト - (日本語)
- ユヴェントス公式ウェブサイト - (日本語)