ピアチェンツァ・カルチョ

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ピアチェンツァ・カルチョ
原語表記 Piacenza Calcio
愛称 Biancorosso
クラブカラー 赤と白
創設年 1919年
所属リーグ レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ
ホームタウン ピアチェンツァ
ホームスタジアム スタディオ・レオナルド・ガリッリ
収容人数 21,608
代表者 イタリアの旗 マルコ・ガッティ
監督 イタリアの旗 カルロ・ソッツィ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ピアチェンツァ・カルチョ(Piacenza Calcio Football Club)は、ピアチェンツァピアチェンツァ県)のサッカークラブである。

歴史[編集]

1993-94シーズンに初めてセリエAに昇格。1990年代の多くをセリエAで過ごすことに成功。

経済的な理由から外国人選手を獲得せず、イタリア人選手のみでチーム編成を行う純血主義を貫いていたが、2001年にチームの強化を理由にパルマFCからブラジル人MFフランセリーノ・マツザレムを獲得。長き伝統に終止符を打った。

2003年セリエB降格となる。2006-07シーズンはセリエB4位と昇格に近づく。最終節、3位~6位のプレーオフに持ち込むことができる状況でUSトリエスティーナとの対戦となり、最低でも勝つことがほぼ絶対的な条件だった。もし、仮に3位と4位の勝点差が10以上だと3位のチームの自動昇格になってしまうからだ。しかも、もしこの対戦で引き分けならば、他会場で行われているジェノアCFCSSCナポリの直接対決で、ジェノアが敗れなければならないという厳しい状況だった。だが、勝てば勝点は70となり、ジェノアが引き分け以下でプレーオフ進出が決まる状況へと変わる。

トリエスティーナとの対決は引き分けに終わり、ジェノアとナポリの直接対決も、引き分けに終わったため、ジェノアが昇格決定、プレーオフに持ち込むことができなかった。

2012年にチームが破産し解散した。ブランドは2010年に設立されたA.C.D. LibertaSpesルパ・ピアチェンツァSSDに改名して受け継いたが、チームタイトルは正式に受け継いでいない。

ユニフォーム[編集]

  • ユニフォームの胸スポンサーはユニセフである(04-05シーズンからなのでFCバルセロナよりも古い)。バルセロナがスポンサー契約金に値する額を逆にユニセフに寄付すると発表した際「うちも逆に寄付しなければいけないのだろうか?」と会長のファブリツィオ・ガリッリが地元メディアに質問をして笑いを誘った(スタジアムにはユニセフの募金箱が非常に目立つ場所においてある)。オーナーのガリッリ家は、メタンガスのトリビューター。
  • デザイナーのジョルジョ・アルマーニ氏はピアチェンツァの出身であり、このクラブの熱心なサポーターでもある。96-97シーズンのユニフォームのデザインは同氏の手によるものである。また、同クラブの選手支給スーツも同ブランドが提供している。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

  • 1993-1994 セリエA 15位 B降格
  • 1994-1995 セリエB 優勝 A昇格
  • 1995-1996 セリエA 12位
  • 1996-1997 セリエA 12位
  • 1997-1998 セリエA 12位
  • 1998-1999 セリエA 12位
  • 1999-2000 セリエA 18位 B降格
  • 2000-2001 セリエB 2位 A昇格
  • 2001-2002 セリエA 12位
  • 2002-2003 セリエA 16位 B降格
  • 2003-2004 セリエB 8位
  • 2004-2005 セリエB 10位
  • 2005-2006 セリエB 11位
  • 2006-2007 セリエB 4位
  • 2007-2008 セリエB 15位
  • 2008-2009 セリエB 10位
  • 2009-2010 セリエB 15位
  • 2010-2011 セリエB 19位 残留プレーオフに敗れてレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ降格'
  • 2011-2012 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ ジローネB 17位 破産して解散

ルパ・ピアチェンツァSSD以降[編集]

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]


FW[編集]

外部リンク[編集]