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スクーデリア・トロ・ロッソ

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トロ・ロッソ
エントリー名 Scuderia Toro Rosso
チーム国籍 イタリアの旗 イタリア
チーム本拠地 イタリアの旗 イタリアファエンツァ
チーム代表者 フランツ・トスト
テクニカルディレクター ジョルジオ・アスカネッリ
ドライバー {{{2024ドライバー}}}
テストドライバー {{{2024テストドライバー}}}
シャーシ {{{2024シャーシ}}}
エンジン {{{2024エンジン}}}
タイヤ {{{2024タイヤ}}}
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 2006 -
出走回数 90 (180台)
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
優勝回数 1
通算獲得ポイント 73
表彰台(3位以内)回数 1
ポールポジション 1
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2006年バーレーンGP
初勝利 2008年イタリアGP
{{{前年度}}}年順位 {{{前年度順位}}}
(記録は2011年開幕戦オーストラリアGP終了時)
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スクデリーア・トロ・ロッソ (Scuderia Toro Rosso)は、2006年からF1に参戦しているレーシングコンストラクター。本拠地はイタリアファエンツァ

概要

2005年11月1日レッドブル社がミナルディを買収しチームを設立。チーム名はイタリア語でTeam Red Bullという意味。その名の通り、レッドブル・レーシングのジュニアチームである。上記の本拠地もこのミナルディから引き継いだ形となっている。

2006年2月から2008年11月まで、ゲルハルト・ベルガーがチーム株式の50%を取得してチームの共同オーナーに就任、同時にアドバイザーという形でチームに加わっていた。

チーム所有

2009年まで、関連会社のレッドブル・テクノロジーレッドブル・レーシングと本チームに同デザインのマシンを供給する方式を採っていたが、2010年までにスーパーアグリとともに自社でマシンを開発・製造する「コンストラクター化」が必須とされたため、その方式を使うことができなくなる。それを理由に共同オーナーの一人であるレッドブルのディートリッヒ・マテシッツはチーム売却の意思を明らかにした。ただし、売却は2008年シーズン中には行わないことも明言している[1]

2008年11月25日にマテシッツは、ベルガーが所有していた株式を買い戻したと発表した。これによってトロ・ロッソは再びレッドブル・レーシングとともにマテシッツによって運営される[2]。株式売却したベルガーによれば、この売買の理由はレッドブルがトロロッソチーム売却を望んだため[3]。自身の保有株式をレッドブルに売却することでチーム所有者を一本化、チーム売却をよりスムースに行わせるためと思われる。

しかし、いわゆるリーマン・ショック後の世界的な景気低迷によりチームの買収に本格的に乗り出す企業がなく、2011年現在もチームはマテシッツの所有となっている。

名称

当初は「スクアドラ・トロ・ロッソ(Squadra Toro Rosso)」というチーム名を使用したが、この「スクアドラ」は主にサッカークラブなどに対して用いるものではないかという意見が多数寄せられた為、後に似た意味であるが通常レーシングチームに対して用いられる「スクーデリア - (Scuderia - )」に変更された。ただし、かつて1980年代にF1にエントリーしていたイタリアのコンストラクターのオゼッラのエントリー名は「オゼッラ・スクアドラ・コルセ(Osella Squadra Corse)」だった。

来歴

2006年

初年度となるこの年はレースドライバーにヴィタントニオ・リウッツィスコット・スピード、リザーブ&テストドライバーにニール・ジャニという若手で揃えたラインナップとし、3名全てレッドブル・ジュニアチーム出身のドライバーを起用した。

F1で使用されるエンジンはこの年からV8・2.4リッターエンジンに変更されたが、トロ・ロッソだけはプライベーターであるという理由によって、エンジンは前年度にミナルディが使用していたコスワース製のV10・3リッターエンジンにリストリクター(吸気制限装置)を装着し、さらに最高回転数を制限されたものを使用した。シャーシは前年にレッドブルが使用したRB1と酷似したSTR1で出走した。

これらの点については公平性という観点から疑問の声が上がった。制限付きのV10エンジンの使用については、元々ごく小規模なチームで常に資金難に喘いでいたミナルディからの要請であったため、他チームも使用を認めたという経緯があり、その後にミナルディを買収して誕生し、資金的にはその気になればコスワースを会社ごと買収できるほど潤沢であったトロ・ロッソにおいても認める必要があるのかという点で疑問視され、V10エンジンを使用することで他チームに対して有利となる局面が生じるのではないかと指摘する声も少なくなかった。実際にFIAはV10エンジンを使用するトロ・ロッソがレースにおいて大きなアドバンテージを得ていると判断した場合には、最高回転数をさらに引き下げる準備を行なっていた。しかし、実際にはV10エンジン使用によるアドバンテージが顕著となるレースは少なく、他チームの疑問視する声もシーズン中盤には治まることとなった。

シャシーについても、2006年に参戦を開始したスーパーアグリB・A・Rチームの2005年もしくはそれ以前に用いたシャシーを使用しようとしてFIAに禁じられたケースと矛盾があり、疑問の声が聞かれる。シャシーについては元々はこのシャシーがレッドブルの前身となるジャガー・レーシング時代に設計されたものであり、すでに存在しないコンストラクターであるジャガーのシャシーであることが使用が許可されている理由であると理解されているが、この点はB・A・Rのケースにおいても同様であり、やはり矛盾が生じていると言わざるを得ない(ジャガー→レッドブルには株主構成の継続性がないため別会社扱い、B・A・R→ホンダについては元々ホンダがB・A・R株式の45%を保有していたことから継続性があるとみなされ、この違いがシャシー使用可否の差となっていると思われる)。

シーズン開幕後、リストリクターと回転数を16,700rpmに制限する規制により最高速は抑えられたものの、エンジンを低回転で最大トルクが出るようにチューニングしたことにより、中低速コーナーからの加速性能に優れるようになり、特に低速サーキットではグリッド上位に上がるようになった。これに対して、改めてトロ・ロッソにV10エンジンの使用を認めるか否かの議論が起きた。しかし、シーズンが進むにつれて各チームがV8エンジンの性能を上げてきたため、最終的には回転数規制を緩めてもテールエンダーに落ち着いていた。2007年からはレッドブルが所有していたフェラーリエンジンの供給契約を譲り受け、コスワースV10を手放すことが発表された。

当時の共同オーナーだったベルガーはこのエンジン騒動について「規制されたエンジンが一番遅くなければいけないという根拠はない。ルールの中で我々が最善を尽くした結果だ」とコメントしている。

2007年

レースドライバーは前年に続き、ヴィタントニオ・リウッツィとスコット・スピードという布陣でスタート。しかし、当初からドライバー陣と共同オーナーであるベルガーとの関係がギクシャクしており、開幕前から心配する声が出ていた。また、マシンは「STR2」で、デザインはエイドリアン・ニューウェイである。このマシンについてもスーパーアグリ同様にカスタマーシャシーではないかとの批判がある。ただ、両チームとも現存チームが権利を持っているデザインを採用しているわけではなく(トロ・ロッソは、レッドブル・レーシングとも別会社であるレッドブルテクノロジーからデザイン供給されている。スーパーアグリは、元のデザインの権利を保持していたホンダF1から別の会社に権利を移転させ、そこから供給を受けている。)、問題は無いとの立場を取っている(しかし、カスタマーシャシーに反対するスパイカーF1と、トロ・ロッソ、スーパーアグリの三者間で商業権料をシェアするなどの合意がなされた)。エイドリアン・ニューウェイがデザインしたマシンということで期待も一部にはあったが、2チームに共通の部品を供給する十分な余裕がなく、レッドブル・レーシングが優先されることや信頼性の問題もあって、完走さえままならない状況になってしまった。唯一、モナコGPではスコット・スピードが入賞一歩手前の9位に入った。しかし、このスコット・スピードとチーム首脳陣の関係は開幕前よりもさらに悪化。第10戦ヨーロッパGP後にスピードは更迭され、このシーズンはBMWザウバーのリザーブ&テストドライバーを務めていたセバスチャン・ベッテルが、第11戦ハンガリーGPより参戦した。そして、中国GPにおいて待望のダブル入賞を果たした。

2008年

ドライバー

ドライバーは、2007年度途中より加入したセバスチャン・ベッテルと、2004-2007年チャンプカーチャンピオンのセバスチャン・ボーデである。

シーズン概要

トロ・ロッソのチーム・プリンシパルであるフランツ・トストは、前年のマシンを2008年のレギュレーションに合わせた「STR2B」で序盤の4戦を戦う意向を示していた[4]が、STR3用のパーツが間に合わないとの理由で、第5戦トルコGPまで使用され、STR3は第6戦モナコGPから投入された。エンジンは引き続きフェラーリから供給を受ける。STR2Bはさすがに2007年のマシンだけに開幕戦にボーデが7位に入った以外は入賞できなかった。しかし、STR3を投入してからはフェラーリエンジンのパワフルさにも助けられ、入賞圏内でフィニッシュすることも多くなる。そして、第13戦ベルギーGPではファイナルラップまでボーデが3位を走行したが、最後は雨に祟られ7位に落ちてしまった。だが、次戦イタリアGP予選では前回とは逆に雨に助けられ、ベッテルがチームと自身初のポールポジションを、ボーデが自己最高位の4位を獲得。決勝でもベッテルがそのまま首位を守り、F1史上最年少優勝となる自身初優勝を成し遂げた。これはトロ・ロッソにとって前身のミナルディ時代を含めて初の優勝であり(表彰台獲得自体も初めて)、なおかつ1957年のマセラティ250F駆るスターリング・モス以来、約半世紀ぶりのフェラーリ以外のイタリアチームによるイタリアGP優勝でもあり、さらに実質的親チームのレッドブル・レーシングよりも先に初優勝を成し遂げることとなった。この勝利は、開発技術・開発スピード・開発費の全てが高騰し、非メーカー系のプライベートチームが優勝することはもはや不可能と言われている昨今のF1にあって、近年稀に見る快挙となった。

イタリアGP後のヘレス合同テスト、及びシーズン終了後の11月17日より行われたバルセロナ合同テストで、2009年のドライバーオーディションとして佐藤琢磨セバスチャン・ブエミをテストした。[5]

2009年

1月9日にブエミがレギュラーシートを獲得。しかし、もうひとりのドライバーはこのとき発表されなかった。2月7日にボーデの契約が継続されたことが発表となった。同チームからF1復帰を狙っていた佐藤琢磨は選から漏れてしまった。

また、レッドブル・レーシングのセカンドチーム的な位置であるため、マシンのアップデートもレッドブル・レーシングに遅れがちであり、中団・下団に低迷した。

ドイツGP終了後、ハンガリーGPからセバスチャン・ボーデに代わってハイメ・アルグエルスアリが出走することが発表された。このためトロ・ロッソのドライバーはアルグエルスアリとブエミのルーキードライバーが務めることになった。

2010年

前年に引き続きブエミアルグエルスアリがレースドライバーとして継続が発表され、テストドライバーにはレッドブル・レーシングとの掛け持ちという形でブレンドン・ハートレイダニエル・リチャルドが発表された。なお2010年より他チームとのマシンデザイン共有が認められなくなったため、同年のニューマシンであるSTR5は、前年型のSTR4をベースとしつつも独自にデザイン・製造されたマシンであった。開幕戦バーレーンGPから第9戦ヨーロッパGPまではコンスタントに両ドライバーがポイントを着実に重ね計5回の入賞で10ポイントを稼いでいた。ところが中盤戦から復調してきたザウバーに対して苦戦をしいられる結果となり、ポイントランキングでもリードを許してしまう。第16戦日本GPでブエミが7戦ぶりに10位入賞、その後に最終戦アブダビGPでアルグエルスアリが9位入賞を果たすもコンストラクターズポイントで31ポイントもの大差をつけられて9位13ポイントに終わった。

戦績

シャーシー
エンジン
タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ポイント ランキング
2006 STR1
コスワースTJ2005(V10)
M BHR
バーレーンの旗
MAL
マレーシアの旗
AUS
オーストラリアの旗
SMR
サンマリノの旗
EUR
欧州連合の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
GBR
イギリスの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
JPN
日本の旗
BRA
ブラジルの旗
1 9th
ヴィタントニオ・リウッツィ 11 11 Ret 14 Ret 15 10 13 13 8 13 10 Ret Ret 14 10 14 13
スコット・スピード 13 Ret 9 15 11 Ret 13 Ret 10 Ret 10 12 11 13 13 14 18 11
2007 STR2
フェラーリTipo056(V8)
B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
EUR
欧州連合の旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
BEL
ベルギーの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BRA
ブラジルの旗
8 7th
ヴィタントニオ・リウッツィ 14 17 Ret Ret Ret Ret 17 Ret 16 Ret Ret 15 17 12 9 6 13
スコット・スピード Ret 14 Ret Ret 9 Ret 13 Ret Ret Ret
セバスチャン・ベッテル 16 19 18 Ret Ret 4 Ret
2008 STR2B,STR3
フェラーリTipo056(V8)
B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
TUR
トルコの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
EUR
欧州連合の旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BRA
ブラジルの旗
39 6th
セバスチャン・ボーデ 7 Ret 15 Ret Ret Ret 13 17 11 12 18 10 7 18 12 10 13 14
セバスチャン・ベッテル Ret Ret Ret Ret 17 5 8 12 Ret 8 Ret 6 5 1 5 6 9 4
2009 STR4
フェラーリTipo056 V8
B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
TUR
トルコの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
EUR
欧州連合の旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
BRA
ブラジルの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
8 10th
セバスチャン・ボーデ 8 10 11 13 Ret 8 18 Ret Ret
ハイメ・アルグエルスアリ 15 16 Ret Ret Ret Ret 13 Ret
セバスチャン・ブエミ 7 16 8 17 Ret Ret 15 18 16 16 Ret 12 13 Ret Ret 7 8
2010 STR5
フェラーリTipo056(V8)
B BHR
バーレーンの旗
AUS
オーストラリアの旗
MAL
マレーシアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
TUR
トルコの旗
CAN
カナダの旗
EUR
欧州連合の旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
KOR
大韓民国の旗
BRA
ブラジルの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
13 9th
セバスチャン・ブエミ 16 Ret 11 Ret Ret 10 16 8 9 12 Ret 12 12 11 14 10 Ret 13 15
ハイメ・アルグエルスアリ 13 11 9 13 10 11 12 12 13 Ret 15 Ret 13 15 12 11 11 11 9

出典

関連項目

外部リンク