ジェイソン・テリー
ボストン・セルティックスでのテリー | |
ヒューストン・ロケッツ No.31 | |
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ポジション | ガード |
基本情報 | |
愛称 | JET |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1977年9月15日(46歳) |
出身地 | ワシントン州シアトル |
身長 | 188cm (6 ft 2 in) |
体重 | 81.6kg (180 lb) |
ウィングスパン | 196cm (6 ft 5 in) |
キャリア情報 | |
出身 | アリゾナ大学 |
ドラフト | 1999年 10位 |
選手経歴 | |
1999-2004 2004-2012 2012-2013 2013-2014 2014 2014- |
アトランタ・ホークス ダラス・マーベリックス ボストン・セルティックス ブルックリン・ネッツ サクラメント・キングス ヒューストン・ロケッツ |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ジェイソン・テリー(Jason Eugene Terry、1977年9月15日-)はアメリカ合衆国のワシントン州シアトル出身のバスケットボール選手である。NBAのヒューストン・ロケッツに所属している。ポジションはシューティングガードだがポイントガードとしてもプレーする。身長188cm、体重81.6kg。ひざの怪我を防ぐためにハイソックスを履いてプレーしている[1]。NBAでのスリーポイントフィールドゴール成功数は歴代3位である[2]。
経歴
プロ入りまで
少年時代はシアトル・スーパーソニックスに所属していたゲイリー・ペイトンにあこがれていた[3]。
1994年、1995年と2年連続で高校を州のチャンピオンに導いた。この時の背番号31は、2007年に永久欠番となった[4]。
アリゾナ大学時代の1997年にはマイク・ビビー、マイケル・ディッカーソン、マイルズ・サイモンらとチームメートで、NCAAトーナメントに優勝している[5]。1999年にはパシフィック・テン・カンファレンスの最優秀選手、及びオールアメリカンのファーストチームに選ばれた。
アトランタ・ホークス
1999年のNBAドラフトで、アトランタ・ホークスから1巡目全体10位で指名を受けた。 1999-2000シーズンには平均19.7得点をあげ、チームトップのスティール、アシスト、フリースロー成功数を残しオールルーキー・セカンドチームに選ばれた。ホークスからオールルーキーチームに選ばれたのはステイシー・オーグモン以来のことであった[3]。
2001年にはオーストラリアのブリスベーンで行われたグッドウィルゲームズにアメリカ代表として出場した。
2003年のシカゴ・ブルズ戦で初のトリプルダブルを達成した[3]。このシーズン、彼は600アシストを達成したが、これはホークスの選手としてはムーキー・ブレイロック、ドック・リバースに次いで史上3人目であった[3]。
ホークスには5シーズン在籍し、オールスターレベルの成績を残した。しかしチームはドアマットに沈んでおり、オールスターゲーム出場もなくプレーオフ出場は叶わなかった。ホークスではシューティングガードとして出場することが多かった。
ダラス・マーベリックス
2004年8月、アントワン・ウォーカー、トニー・デルクとの交換で、アラン・ヘンダーソンと共にダラス・マーベリックスへ移籍した[6]。マーベリックスではそれまで先発ポイントガードとして活躍していたスティーブ・ナッシュの移籍が決定しており、後釜の選手を熱望していた。ポイントガードとして、テリーはチームにフィットするまで多少の時間が掛かったものの、徐々にチームの攻撃的なスタイルに慣れていった。シーズン途中に移籍してきたダレル・アームストロングが先発出場し、テリーは6thマンとして出場する機会もあったが、大半では先発として出場、シュート成功率50%以上、3ポイントシュート成功率40%以上、フリースロー成功率80%の活躍をした[3]。そしてこの年、テリーは念願のプレーオフ出場を果たし平均17.5得点、シュート成功率51%の数字をあげる活躍を見せたがチームはカンファレンスセミファイナルでスティーブ・ナッシュが移籍したフェニックス・サンズに2勝4敗で敗れた。
2005-06シーズンは出場した全試合で先発出場した。デビン・ハリスら若手の活躍もあり、ゲーム途中はシューティングガードを務めるなどの器用な起用法でチーム躍進の鍵になった。その分、ポイントガードに徹していた昨年よりも平均得点は上昇しアシストは減少するというホークス時代のスタイルがマーベリックスで発揮された。サンアントニオ・スパーズとのカンファレンスファイナル第6戦は出場停止となったがチームは4勝3敗でNBAファイナル出場を決めた。ファイナル第6戦で彼はシュート25本中7本、3ポイントシュート11本中2本しか成功できずチームは2勝4敗でマイアミ・ヒートに敗れた。この年のプレーオフではチームトップの得点をあげた[7]。
2006年7月1日、フリーエージェント市場が解禁されてわずか12時間後に彼はマーベリックスと6年契約を結んだ。
2006-07シーズンからは完全にシューティングガードにコンバートされて、このシーズンは1試合平均16.7得点をあげた。チームはウェスタン・カンファレンストップの67勝15敗の成績をあげたがプレーオフ1回戦でゴールデンステート・ウォリアーズに敗れた。第1シードのチームがプレーオフ1回戦で敗れたのは7試合制になってから初めてのことであった。
その翌年の07-08シーズン以降は徐々にシックスマンとしての出場が増え、08-09シーズンは74試合中63試合をシックスマンとして登場し、一試合平均19.6得点を挙げて初のタイトルとなるシックスマン賞を獲得した。マーベリックスからの受賞はロイ・タープリー、アントワン・ジェイミソンに次いで3人目であった[3]。
2010年3月、ミネソタ・ティンバーウルブズ戦で相手ガードのコーリー・ブリュワーとの接触プレーで眼窩底を骨折、手術を行った[8]。手術後7日から10日程度で復帰すると当初予想されていたが怪我による欠場は長引いた[9]。
2011年5月8日のロサンゼルス・レイカーズ戦ではプレーオフタイ記録となる9本の3ポイントシュートを決める(それまでにレックス・チャプマン、ヴィンス・カーター、レイ・アレンが記録していた。)など32得点をあげた。その試合で彼が失敗した3ポイントシュートはわずか1本であった[10]。NBAファイナルでは5年前と同じ相手、マイアミ・ヒートと対戦した。第6戦の前半、不調だったノヴィツキーに代わり活躍、チームはこの試合に勝利し、4勝2敗でファイナル初優勝を果たした[11]。
ボストン・セルティックス
2012年7月18日、3年契約でボストン・セルティックスへ移籍した。
ブルックリン・ネッツ
2013年6月28日、ポール・ピアース、ケビン・ガーネットとともにブルックリン・ネッツに移籍した。
ヒューストン・ロケッツ
2014年7月、ヒューストン・ロケッツに移籍した。
NBA スタッツ
略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
レギュラーシーズン
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999–2000 | Atlanta | 81 | 27 | 23.3 | .415 | .293 | .807 | 2.0 | 4.3 | 1.1 | .1 | 8.1 |
2000–01 | Atlanta | 82 | 77 | 37.7 | .436 | .395 | .846 | 3.3 | 4.9 | 1.3 | .1 | 19.7 |
2001–02 | Atlanta | 78 | 78 | 38.0 | .430 | .387 | .835 | 3.5 | 5.7 | 1.8 | .2 | 19.3 |
2002–03 | Atlanta | 81 | 81 | 38.0 | .428 | .371 | .887 | 3.4 | 7.4 | 1.6 | .2 | 17.2 |
2003–04 | Atlanta | 81 | 78 | 37.3 | .417 | .347 | .827 | 4.1 | 5.4 | 1.5 | .2 | 16.8 |
2004–05 | Dallas | 80 | 57 | 30.0 | .501 | .420 | .844 | 2.4 | 5.4 | 1.4 | .2 | 12.4 |
2005–06 | Dallas | 80 | 80 | 35.0 | .470 | .411 | .800 | 2.0 | 3.8 | 1.3 | .3 | 17.1 |
2006–07 | Dallas | 81 | 80 | 35.1 | .484 | .438 | .804 | 2.9 | 5.2 | 1.0 | .2 | 16.7 |
2007–08 | Dallas | 82 | 34 | 31.5 | .467 | .375 | .857 | 2.5 | 3.2 | 1.1 | .2 | 15.5 |
2008–09 | Dallas | 74 | 11 | 33.7 | .463 | .366 | .880 | 2.4 | 3.4 | 1.3 | .3 | 19.6 |
2009–10 | Dallas | 77 | 12 | 33.0 | .438 | .365 | .866 | 1.8 | 3.8 | 1.2 | .2 | 16.6 |
2010–11 | Dallas | 82 | 10 | 31.3 | .451 | .362 | .850 | 1.9 | 4.1 | 1.1 | .2 | 15.8 |
2011–12 | Dallas | 63 | 1 | 31.7 | .430 | .378 | .883 | 2.4 | 3.6 | 1.2 | .2 | 15.1 |
2012–13 | Boston | 79 | 24 | 26.9 | .434 | .372 | .870 | 2.0 | 2.5 | .8 | .1 | 10.1 |
2013–14 | Brooklyn | 35 | 0 | 16.3 | .362 | .379 | .667 | 1.1 | 1.6 | .4 | .0 | 4.5 |
2014–15 | Houston | 77 | 18 | 21.3 | .422 | .390 | .813 | 1.6 | 1.9 | .9 | .2 | 7.0 |
Career | 1,213 | 668 | 31.8 | .446 | .380 | .846 | 2.5 | 4.2 | 1.2 | .2 | 14.8 |
プレーオフ
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | Dallas | 13 | 13 | 38.5 | .506 | .491 | .884 | 4.2 | 4.6 | 1.3 | .5 | 17.5 |
2006 | Dallas | 22 | 22 | 38.4 | .442 | .307 | .831 | 2.9 | 3.8 | 1.2 | .0 | 18.9 |
2007 | Dallas | 6 | 6 | 38.2 | .424 | .281 | .833 | 2.3 | 3.7 | .8 | .3 | 17.0 |
2008 | Dallas | 5 | 3 | 36.0 | .433 | .438 | .867 | 1.6 | 4.8 | .4 | .2 | 15.8 |
2009 | Dallas | 10 | 1 | 32.5 | .389 | .373 | .767 | 2.8 | 1.9 | .6 | .3 | 14.3 |
2010 | Dallas | 6 | 0 | 29.0 | .377 | .400 | .750 | 2.5 | 2.0 | .7 | .2 | 12.7 |
2011 | Dallas | 21 | 0 | 32.6 | .478 | .442 | .843 | 1.9 | 3.2 | 1.2 | .1 | 17.5 |
2012 | Dallas | 4 | 1 | 34.8 | .455 | .500 | .625 | 2.3 | 3.8 | .3 | .0 | 13.8 |
2013 | Boston | 6 | 1 | 31.5 | .444 | .441 | .818 | 2.2 | 2.0 | .7 | .3 | 12.0 |
2015 | Houston | 17 | 17 | 28.6 | .425 | .354 | .813 | 2.2 | 2.8 | .9 | .1 | 9.2 |
Career | 110 | 64 | 34.1 | .445 | .391 | .826 | 2.6 | 3.3 | 1.0 | .2 | 15.4 |
プレイスタイル
ポイントガードとシューティングガードを兼任できるコンボガードである。シュートセレクションが良く、試合の土壇場で得点を決めることができるクラッチシューターとしても知られる。チーム一の3ポイントシューターであると同時に、ゴール下に切り込んでからのレイアップシュートなども得意とし、幅広いシュートレンジ、バリエーションの豊富なシュートスタイルを持つ。ゴールに向かってドリブルからのシュートを行う際には放たれたボールの軌道が高く描かれるティアドロップ・シュート(アレン・アイバーソンが有名)も得意としており、小柄な選手でありながら攻撃的であるスタイルはアリゾナ大学のスタイルに由来する。近年は6thマンとしての出場が多いものの、実質的にはスターティングメンバーと同等以上の出場時間、得点数であり、チームからの信頼も高い。また、プレイ面以外の部分でも貢献度が高く、観客を煽るパフォーマンスは彼の重要な仕事の一つで、チームのムードメーカーである為、ファンからの人気も大変高く、また、対戦相手のヘッドコーチなどからもしばしばキープレイヤーとして名指しで警戒されている。本人のディフェンス能力自体は平均的(6thマンとして起用される一つの原因)だが、味方のスティールなどからのファストブレイク(速攻)への反応はとても高く、アップテンポなゲームの際にも能力を発揮している。
私生活
10人兄弟の1人として生まれた。妻との間に4人娘がいる[3]。ワシントン・ウィザーズに所属しているマーテル・ウェブスターとは従兄弟同士である。 1995年にアリゾナ大学に入学したが、単位不足で卒業できないままプロ入りした。その後もオフには大学に通い、19年かけて卒業を果たした[12]。
人物
- ニックネームは"JET"である[13]。その愛称に因んで、クラッチタイムでの3Pシュートを決めた時、両腕を翼のように広げ前傾姿勢で走りながらジェット機の真似をするパフォーマンスを行う[14]。
- ホークス時代からハイソックス(長靴下)を愛用している。
脚注
- ^ “Jason Terry Interview”. sports.ign.com (2003年11月24日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ “NBA & ABA Career Leaders and Records for 3-Pt Field Goals”. basketball-reference.com. 2015年7月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Jason Terry Fact”. JackBio. 2011年6月13日閲覧。
- ^ “KingCo 4A Boys Roundup”. シアトル・タイムズ (2007年2月3日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ “NCAA Tournament Recap (Arizona-Kentucky)”. スポーツ・イラストレイテッド (1997年4月1日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ “Hawks to send Terry, Henderson to Dallas”. ESPN (2004年8月3日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ “With Jason Terry”. ニューヨーク・タイムズ (2006年10月29日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ “Terry suffers broken orbital bone”. ESPN (2010年3月5日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ “Mavs bank on Terry's history of healing”. ESPN (2010年4月8日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ Sekou Smith (2011年5月9日). “Mavs Shooting Stars Go Off On Lakers”. hangtime.blogs.nba.com. 2011年6月13日閲覧。
- ^ “マーベリックス31季目で初優勝”. 日刊スポーツ (2011年6月13日). 2011年6月13日閲覧。
- ^ Mio Kiyoshi (2014年6月24日). “【NBA】ジェイソン・テリーが19年かけてアリゾナ大を卒業”. 2014年6月24日閲覧。
- ^ “Jason Terry Bio Page”. nba.com. 2011年6月13日閲覧。
- ^ “The Jet is ready for Takeoff: Terry leads Mavs to 86-83 Win, Series Tied”. starberryicecream.com (2011年6月8日). 2011年6月14日閲覧。
外部リンク
- ジェイソン・テリーの通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM
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