サッカーアルゼンチン代表

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サッカーアルゼンチン代表
国または地域 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
協会 アルゼンチンサッカー協会
愛称 La Selección (ラ・セレシオン、選抜),
Albicelestes(アルビセレステス、白色と空色),
Gaucho(ガウチョ
監督 アルゼンチンの旗 ヘラルド・マルティーノ
最多出場選手 ハビエル・サネッティ(145試合)
最多得点選手 ガブリエル・バティストゥータ(56得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1901年5月16日ウルグアイ
3-2
最大差勝利試合 1942年1月22日エクアドル
12-0
最大差敗戦試合 1958年6月15日チェコスロバキア
1-6
2009年4月1日対ボリビア
1-6
1993年9月5日対コロンビア
0-5
FIFAワールドカップ
出場回数 16回(初出場は1930
最高成績 優勝(1978, 1986
コパ・アメリカ
出場回数 38回
最高成績 優勝14回(1921, 1925, 1927, 1929, 1937, 1941, 1945, 1946, 1947, 1955, 1957, 1959, 1991, 1993)

サッカーアルゼンチン代表スペイン語: Selección nacional de fútbol de Argentina)は、アルゼンチンサッカー協会(AFA)により組織されるアルゼンチンサッカーのナショナルチーム。エル・モヌメンタルをホームスタジアムとしている。

概要

FIFAワールドカップで優勝経験のある世界を代表する強豪国の一つである。第1回大会の1930 FIFAワールドカップではウルグアイに2-4で敗れたが、自国開催の1978 FIFAワールドカップではオランダを3-1で破って初優勝した。メキシコで開催された1986 FIFAワールドカップでは西ドイツを3-2で下して2度目の優勝を果たしたが、イタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは西ドイツ代表に0-1で敗れた。1978年大会の優勝監督はセサル・ルイス・メノッティであり、1986年大会の優勝監督はカルロス・ビラルドである。

コパ・アメリカでは大きな成功を収めており、ウルグアイ(15回)に次ぐ14回の優勝を誇る。FIFAコンフェデレーションズカップではキング・ファハド・カップ(前身大会)時代の1992年に優勝し、夏季オリンピックではアテネオリンピック北京オリンピックで2連覇を果たした[1]国際サッカー連盟(FIFA)はFIFAワールドカップ、FIFAコンフェデレーションズカップ、夏季オリンピックを男子の3大タイトルとみなしているが、この3大会すべてで優勝経験があるのはアルゼンチンとフランスの2ヶ国だけである[2][3]パンアメリカン競技大会では、1951年大会、1955年大会、1959年大会、1971年大会、1995年大会、2003年大会の6回優勝している。

主なライバルはブラジル、ウルグアイ、ドイツイングランドである[4][5]

2007年3月、1993年から毎月公表されているFIFAランキングで初めて1位となり[6]、ドイツ、ブラジル、イタリア(いずれも1993年)、フランス(2001年)に次いで1位を獲得した5ヶ国目の国となった。その際は1ヶ月で1位を手放したが、10月には再び1位となり、2008年7月にスペインに1位を明け渡すまで首位の座にあった。現在は8チームが1位を経験している。1978 FIFAワールドカップの際に初めて非公式サッカー世界王者となり、その後も何度か1位を獲得している。

1990年代以降、FIFA U-20ワールドカップやオリンピックといった育成年代の大会で数多くの優勝を重ねており、他の追随を許さない圧倒的な実績を挙げている。その一方で、フル代表の戦績は近年伸び悩んでおり、ワールドカップでは90年大会の準優勝を最後にベスト4にも手が届かない状態が続いている。日韓ワールドカップでは南米予選を1位で通過してフランスと並び優勝候補の筆頭と目されていたが自慢の攻撃陣が機能せず、優勝候補の一つイングランドに敗れてまさかのグループリーグ敗退に終わった。2006年に開催されたFIFAワールドカップでは、準々決勝で強豪ドイツにPK戦で敗退した。2010年に開催されたFIFAワールドカップでも、準々決勝でドイツに0-4で敗れ、ベスト8にとどまった。また翌年のコパ・アメリカ2011では豪華メンバーを揃えて、自国開催ということもあり大会前から優勝候補の筆頭と目されていたが、格下のボリビアコロンビアに立て続けに引き分けてグループリーグを2位通過、ウルグアイにPK戦の末敗れて準々決勝敗退に終わった。 また、1990年代初めまでは、名前のアルファベット順に背番号を割り当てるという世界でも珍しい伝統があった。

歴史

アムステルダム五輪で銀メダルを獲得したアルゼンチン代表

記録に残るアルゼンチン代表の初試合は、1901年5月16日にウルグアイとの間で行なわれ[7]、アルゼンチンが3-2で勝利した。代表結成後最初の数年間は、南米の国との親善試合のみが行なわれたが、1906年にコパ・リプトンという大会が開催され、アルゼンチン代表はウルグアイを破って初の公式タイトルを獲得した[8]。1916年には南米サッカー連盟(CONMEBOL)が組織され、同年にアルゼンチンで開催された第1回南米選手権(現在のコパ・アメリカ)ではウルグアイが優勝した。1921年の第5回南米選手権は第1回大会同様にアルゼンチンが開催国となり、地元のアルゼンチンが初優勝した。

1924年に行われたウルグアイとの親善試合では、セサレオ・オンサーリがコーナーキックを直接ゴールに決めた。このプレーはゴル・オリンピコ(オリンピック・ゴール)と呼ばれ、現在でも同様のプレーはオリンピック・ゴールと呼ばれている[9]。1925年の南米選手権はアルゼンチンが3回目の開催国となり、2度目の優勝を飾った。1928年にはオランダでアムステルダムオリンピックが開催され、この大会はアルゼンチン代表が南米以外の国に赴いて出場した初の国際大会となった。決勝はウルグアイとの南米対決となり、再試合(初戦は1-1)に1-2で敗れたアルゼンチンは銀メダルを獲得した。1929年には再び南米選手権の開催国となって2連覇を達成。1930年、国際サッカー連盟(FIFA)は第1回FIFAワールドカップを組織してウルグアイが開催国となり、アルゼンチンを含めた13ヶ国が招待されて参加した。決勝のウルグアイ戦に敗れて準優勝に終わったが、8得点を挙げたギジェルモ・スタービレが初代得点王となった。アルゼンチンは第二次世界大戦で中立的な立場を宣言したため、1934年にイタリアで開催された第2回大会、1938年にフランスで開催された第3回大会に出場しなかった。

1950年、第二次大戦後初のFIFAワールドカップがブラジルで開催されたが、アルゼンチンはブラジルサッカー協会との対立から参加を取りやめた。1954年の1954 FIFAワールドカップの参加も辞退したが、1930年代から1950年代にかけて、南米選手権では7大会で優勝。いずれの大会でもスタービレが監督を務めた。1958年にスウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップには24年ぶりに出場したが、低調なプレーでグループリーグ敗退に終わり、スウェーデンの惨事と呼ばれた。1959年には第12回南米選手権に出場して優勝。19年間指揮を執ったスタービレの監督退任後、1991年にアルフィオ・バシーレ監督の下で優勝するまで、30年以上も南米選手権/コパ・アメリカでは優勝できなかった。

1960年にはパンアメリカン選手権英語版に出場して初(そして唯一の)優勝を飾った。チリで開催された1962 FIFAワールドカップでは低調なプレーに終始して早期敗退に終わり、1963年の南米選手権では3位に終わった。1964年にはブラジルサッカー協会創設50周年を記念した親善大会であるリトル・ワールドカップ英語版で優勝し、このタイトルはアルゼンチン代表が獲得した「初の偉大なタイトル」とされている[10]1966 FIFAワールドカップでは準々決勝で開催国イングランドに敗れた。この試合ではミッドフィールダーのラッティンが退場処分を受けたが、ラッティンは処分に激怒して不適切な行為を行い、この試合で起こった出来事がアルゼンチン・イングランド両国のライバル関係の発端となった。ラッティンの行為がカード導入のきっかけのひとつとなり、1970 FIFAワールドカップではFIFAワールドカップの舞台で初めてイエローカードレッドカードが使用された。1967年の南米選手権は準優勝に終わり、1970 FIFAワールドカップペルーの後塵を拝し、初めて南米予選で敗退した。


1974 FIFAワールドカップで2次リーグ敗退を喫すると、アルゼンチンサッカー協会(AFA)は国内サッカーの変革を強いられ、セサル・ルイス・メノッティが新監督に就任。自国開催に向けた長期スパンでの準備を開始したが、1975年のコパ・アメリカ1975(名称変更後第1回大会)はグループリーグ敗退となった。アルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップ本大会ではグループ2位で2次リーグ進出を決め、2次リーグでは得失点差で決勝進出を決めた。エスタディオ・モヌメンタルで行なわれた決勝ではオランダと対戦し、3-1で勝利してFIFAワールドカップ初優勝を飾った。ケンペスは6得点で得点王に輝いただけでなく、大会最優秀選手にも選出された。オランダとはAマッチで8度対戦しているが、勝利はこのときが唯一である(2013年終了時点)。1979年にはコパ・アメリカ1979に出場したが、グループリーグ最下位で敗退した。同年にはU-20アルゼンチン代表がFIFAワールドユース選手権に出場して優勝した。このチームの監督もメノッティであり、中心選手としてディエゴ・マラドーナラモン・ディアスなどがいた。1981年にはウルグアイで開催されたスモール・ワールドカップに出場したが、グループリーグで敗退した。


マルビナス紛争の停戦宣言が出されたのは、スペインで開催された1982 FIFAワールドカップ大会期間中である。2次リーグ敗退後にメノッティ監督が退任したが、メノッティ監督指揮下でA代表とユース代表それぞれが世界王者となった。アルゼンチン代表が長期的なスパンの計画を実行したのはメノッティ監督時代が初めてだった[11][12]。後任監督にはカルロス・ビラルドが就任したが、就任後すぐのコパ・アメリカ1983はあっさりと敗退した。1986 FIFAワールドカップでは前評判が高くなかったものの、グループ首位で決勝トーナメント進出を決め、準々決勝のイングランド戦ではマラドーナが「神の手」ゴールと「5人抜き」ゴールを決めて勝利した。4年前にマルビナス諸島を奪われていた経緯があったため、この勝利は大きく祝福された[13]。準決勝ではベルギーを下し、決勝では西ドイツを下して2度目の優勝を果たした。素晴らしい活躍を見せたマラドーナは5得点を挙げて大会最優秀選手賞を受賞した[14][15]

1987年にアルゼンチンで開催されたコパ・アメリカ1987ではウルグアイに敗れて敗退。ブラジルで開催されたコパ・アメリカ1989でも良いところなく敗退した。1990 FIFAワールドカップは前回大会優勝国枠で出場し、前評判の悪さに負けず勝ち進んだ。FIFAワールドカップ本大会の舞台で初めてブラジルに勝利した決勝トーナメント1回戦は、アルゼンチン代表の歴史でもっとも輝かしい瞬間のひとつとされている[16][17]。準々決勝ではユーゴスラビアを下し[18]。準決勝では開催国のイタリアをPK戦で下したが、決勝のドイツ戦には疑惑のPKによって敗れた[19][20]

大会後にはアルフィオ・バシーレが就任し、コパ・アメリカ1991では32年ぶり13回目の優勝を飾り、6得点のガブリエル・バティストゥータが得点王となった。1992年にはキング・ファハド・カップ1992FIFAコンフェデレーションズカップの前身大会)に出場して優勝。同年にはエクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993に出場して2連覇を果たした。これ以後のアルゼンチンは優勝を逃し続けており、優勝回数は14回で止まっている[21]1994 FIFAワールドカップではオーストラリアとの大陸間プレーオフ経由で出場を決め、アメリカで開催された本大会グループリーグでは2連勝したが、マラドーナがドーピング違反を行って大会から追放されると、決勝トーナメントではルーマニアに敗れて大会から去った。1995年にはキング・ファハド・カップ1995に出場したが、決勝でデンマークに敗れて優勝を逃した。同年のFIFAワールドユース選手権ではマラドーナ時代以来となる優勝を果たし、この大会ではその後も1997年、2001年、2005年、2007年に優勝している。オーバーエイジ制度が導入されたアトランタオリンピックでは、決勝でナイジェリアに敗れたものの銀メダルを獲得した。フランスで開催された1998 FIFAワールドカップではグループリーグを無失点の3連勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではイングランドに勝利したが、準々決勝でオランダに敗れた。

2002 FIFAワールドカップ・南米予選では圧倒的な成績で本大会出場を決め、2002 FIFAワールドカップ開幕前の前評判は高かったが、日本と韓国で共催された本大会では「死の組」に組み込まれ、ライバルのイングランドに敗れるなどしてグループリーグ敗退に終わった。2004年のアテネオリンピック圧倒的な成績を残し、国際大会史上初となる全試合無失点で金メダルを獲得した。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場したが、決勝でブラジルに敗れて準優勝に終わった。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップではグループリーグで美しいサッカーを見せたが、準々決勝で開催国のドイツに敗れた。コパ・アメリカ2007では決勝まで難なく進んだが、決勝ではブラジルに0-3で敗れて準優勝に終わった。2008年の北京オリンピックにはリオネル・メッシなどが出場し、グループリーグから6連勝を記録して再び金メダルを獲得した。2010 FIFAワールドカップに先立ってマラドーナが監督に就任すると、南アフリカで開催された本大会ではグループリーグを3戦全勝で通過し、決勝トーナメント1回戦ではメキシコに勝利したが、準々決勝のドイツ戦に大敗して大会から去った。コパ・アメリカ2011ではウルグアイと対戦した準々決勝に敗れ、セルヒオ・バティスタ監督が解任されてアレハンドロ・サベーラが新監督に就任した。2014年ワールドカップブラジル大会では、南米予選を首位で突破し、出場した。攻撃陣にメッシアグエロイグアインディ・マリアといった世界クラスの選手を擁し、大会前から、開催国であるブラジル、前回王者であるスペイン、そしてドイツと並ぶ優勝候補の一角に数えられた。グループステージではエースメッシが全試合でゴールを挙げる大活躍で3連勝し、決勝トーナメントに進出した。しかし、一転して決勝トーナメントでは攻撃陣が機能せず苦戦を強いられた。しかし、安定した守備がこれを支え、無失点で決勝進出を決めた。決勝ではドイツと対戦。互角の戦いを見せ、延長戦にまでもつれ込んだが、延長後半に失点し、準優勝に終わった。メッシはこの大会のMVPに輝いた。

タイトル

A代表

主要大会
その他の大会

世代別代表

オリンピック代表

  • 金メダル (2): 2004, 2008
  • 銀メダル (2): 1928, 1996

主要大会の成績

FIFAワールドカップ

開催国/年 成績
ウルグアイの旗 1930 準優勝 5 4 0 1 18 9
イタリア王国の旗 1934 1回戦敗退 1 0 0 1 2 3
フランスの旗 1938 不参加
ブラジルの旗 1950
スイスの旗 1954
スウェーデンの旗 1958 グループリーグ敗退 3 1 0 2 5 10
チリの旗 1962 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 3
イングランドの旗 1966 ベスト8 4 2 1 1 4 2
メキシコの旗 1970 予選敗退
西ドイツの旗 1974 2次リーグ敗退 6 1 2 3 9 12
アルゼンチンの旗 1978 優勝 7 5 1 1 15 4
スペインの旗 1982 2次リーグ敗退 5 2 0 3 8 7
メキシコの旗 1986 優勝 7 6 1 0 14 5
イタリアの旗 1990 準優勝 7 2 3 2 5 4
アメリカ合衆国の旗 1994 ベスト16 4 2 0 2 8 6
フランスの旗 1998 ベスト8 5 3 1 1 10 4
日本の旗大韓民国の旗 2002 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 2
ドイツの旗 2006 ベスト8 5 3 2 0 11 3
南アフリカ共和国の旗 2010 ベスト8 5 4 0 1 10 6
ブラジルの旗 2014 準優勝 7 5 1 1 8 4
合計 出場16回/優勝2回 77 42 14 21 131 87

コパ・アメリカ


FIFAコンフェデレーションズカップ

開催国/年 成績
サウジアラビアの旗 1992 優勝 2 2 0 0 7 1
サウジアラビアの旗 1995 準優勝 3 1 1 1 5 3
サウジアラビアの旗 1997 不参加
メキシコの旗 1999
日本の旗 大韓民国の旗 2001
フランスの旗 2003
ドイツの旗 2005 準優勝 5 2 2 1 10
南アフリカ共和国の旗 2009 不参加
ブラジルの旗 2013
通算 1回 10 5 3 2 22 14

夏期オリンピック

  • 1908 - 不参加
  • 1912 - 不参加
  • 1920 - 不参加
  • 1924 - 不参加
  • 1928 - 準優勝
  • 1936 - 不参加
  • 1948 - 不参加
  • 1952 - 不参加
  • 1956 - 不参加
  • 1960 - グループリーグ敗退
  • 1964 - グループリーグ敗退
  • 1968 - 予選敗退


FIFA U-20ワールドカップ

  • 1977 - 南米予選敗退
  • 1979 - 優勝
  • 1981 - グループリーグ敗退
  • 1983 - 準優勝
  • 1985 - 予選敗退
  • 1987 - 予選敗退
  • 1989 - グループリーグ敗退
  • 1991 - ベスト8
  • 1993 - 南米予選敗退


FIFA U-17ワールドカップ

  • 1985 - グループリーグ敗退
  • 1987 - 南米予選敗退
  • 1989 - ベスト8
  • 1991 - 3位
  • 1993 - グループリーグ敗退
  • 1995 - 3位
  • 1997 - ベスト8


南米ユース選手権

  • 最高成績 - 優勝4回(1967, 1997, 1999, 2003)

南米U-17選手権

  • 最高成績 - 優勝2回(1985,2003)

歴代監督

期間 名前 試合数 勝利 引分 敗北
1924-1925 アンヘル・バスケス
1926-1927 ホルヘ・バルデラマ
1927-1928 ホセ・ラーゴ・ミジャン
1928-1929 フランシスコ・オラサール
1929-1930 フランシスコ・オラサールと
フアン・ホセ・トラムトーラ
1934 フェリペ・パスクッチ
1934-1937 マヌエル・セオアネ
1937-1939 アンヘル・フェルナンデス・ロカ
1939-1960 ギジェルモ・スタビレ
1960-1961 ビクトリオ・スピネット
1962-1963 フアン・カルロス・ロレンソ
1963 アレハンドロ・ガラン
1963-1964 オラシオ・アマブレ・トーレス
1964-1968 ホセ・マリア・ミネージャ
1968 レナート・セサリーニ
1968-1969 ウンベルト・マスチオ
1969 アドルフォ・ペデルネーラ
1969-1972 フアン・ホセ・ピスティ
1972-1974 オマール・シボリ
1974 ブラディスラオ・カップ
1974-1983 アルゼンチンの旗 セサル・ルイス・メノッティ 85 46 21 18
1983-1990 アルゼンチンの旗 カルロス・ビラルド 81 28 30 23
1991-1994 アルゼンチンの旗 アルフィオ・バシーレ 48 25 17 6
1993 アルゼンチンの旗 レイナルド・メルロ 1 0 0 1
1994-1998 アルゼンチンの旗 ダニエル・パサレラ 57 34 13 10
1999 アルゼンチンの旗 クラウディオ・ビバス 2 2 0 0
1999-2004 アルゼンチンの旗 マルセロ・ビエルサ 83 54 18 11
2004-2006 アルゼンチンの旗 ホセ・ペケルマン 28 15 7 6
2006-2008 アルゼンチンの旗 アルフィオ・バシーレ 28 14 8 6
2008-2010 アルゼンチンの旗 ディエゴ・マラドーナ 25 18 0 7
2010-2011 アルゼンチンの旗 セルヒオ・バティスタ 12 6 3 3
2011- アルゼンチンの旗 アレハンドロ・サベージャ

ユニフォーム

ホーム用ユニフォームは空色と白色の縦縞のシャツ、黒色のパンツ、白色と黒色のソックスである。アウェー用ユニフォームはたいてい紺色のシャツだが、パンツとソックスの色は様々である。何度かはこの通りでないユニフォームを着用しており、そのひとつがブラジルサッカー連盟によって慈善大会として計画された1919年のコパ・ロベルト・チェリーである。この大会でアルゼンチン代表はウルグアイ代表によく似た(縦縞がない)空色のシャツを着用してブラジル代表と戦った[25]ロベルト・チェリーは1919年の南米選手権に出場したウルグアイ代表の控えキーパーであり、チリとの試合中に倒れて死去していた[26]。また、スウェーデンで開催された1958 FIFAワールドカップにはアウェーユニフォームを持参しておらず、地元のIFKマルメのユニフォーム(黄色)を借りて西ドイツ戦に臨んだ。

ファーストキット

1901
1911–1974
1930 (World Cup)
1975
1978
1986
1990
1994
1998
1999
2002
2004
2006
2008
2010
2011
2014
2015

選手

GK

DF


MF


FW


記録

「期間」は代表で試合に出場した期間であり、末期が抜けている選手は現役代表選手を表す。

出場試合数

  • 2015年9月4日時点
  水色は現役選手
順位 名前 出場数 得点数 期間
1 ハビエル・サネッティ 145 5 1994-2011
2 ハビエル・マスチェラーノ 117 2 2003-
3 ロベルト・アジャラ 115 7 1994-2007
4 ディエゴ・シメオネ 106 11 1988-2002
5 リオネル・メッシ 104 48 2005-
6 オスカル・ルジェリ 97 7 1983-1994
7 ディエゴ・マラドーナ 91 34 1977-1994
8 アリエル・オルテガ 87 17 1993-2010
9 ガブリエル・バティストゥータ 78 56 1991-2002
10 フアン・パブロ・ソリン 76 11 1995-2006

得点数

  • 2015年9月4日時点
順位 名前 得点数 出場数 得点率 期間
1 ガブリエル・バティストゥータ 56 78 0.718 1991-2002
2 リオネル・メッシ 48 104 0.469 2005-
3 エルナン・クレスポ 35 64 0.555 1995-2007
4 ディエゴ・マラドーナ 34 91 0.374 1977-1994
5 セルヒオ・アグエロ 31 67 0.463 2007-
6 ゴンサロ・イグアイン 26 52 0.533 2009-
7 ルイス・アルティメ 24 25 0.960 1961-1967
8 レオポルド・ルケ 22 45 0.488 1975-1981
ダニエル・パサレラ 22 70 0.314 1976-1986
10 ホルヘ・サンフィリッポ 21 29 0.724 1956-1962
エルミニオ・マサントニオ 21 19 1.105 1935-1942

ギャラリー

脚注

  1. ^ “Football gold for Argentina”. BBC News. (2004年8月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/olympics_2004/football/3607296.stm 2010年4月25日閲覧。 
  2. ^ – Argentina on”. FIFA. 2012年6月7日閲覧。
  3. ^ – Tournaments”. FIFA. 2012年6月7日閲覧。
  4. ^ Wetzel, Dan (2010年7月1日). “War of words renews Argentina-Germany rivalry – FBINTL – Yahoo! Sports”. G.sports.yahoo.com. 2012年6月7日閲覧。
  5. ^ Great Footballing Rivalries : Argentina vs. Uruguay « SportsKeeda”. Sportskeeda.com. 2012年6月7日閲覧。
  6. ^ – Argentina first for first time”. FIFA. 2012年6月7日閲覧。
  7. ^ この際のウルグアイ代表の先発メンバーにはアルビオンFCの選手が9人も含まれていたことから、これがウルグアイ代表の初試合であるかは議論がなされており、アルゼンチン代表の初試合は別の試合となるべきとする意見もある。出典はHistoria del Fútbol Uruguayo Deportes
  8. ^ Copa Lipton 1905-1992 RSSSF
  9. ^ El gol olímpico cumple 80 Clarín、2004年10月2日
  10. ^ El primer gran título argentine Os Classicos
  11. ^ Grandes técnicos argentinos: César Menotti LaRedó
  12. ^ Historias, curiosidades y estadísticas de la Selección, tras sus primeros 900 partidos El Gráfico、2012年6月
  13. ^ La magia de Maradona tumba a Inglaterra FIFA.com
  14. ^ Mexico 86, el mundial de Maradona Notas de Fútbol
  15. ^ FIFA awards 1982-2010 FIFA.com
  16. ^ Partidos memorables: Argentina 1-Brasil 0
  17. ^ Cinco victorias memorables sobre Brasil Goal.com]
  18. ^ Argentina beats Yugoslavia The New York Times、1990年7月1日
  19. ^ La polémica alemana sobre el penal en la final de Italia 90 Infobae、2006年6月16日
  20. ^ Final Italia 1990: Alemania 1-0 Argentina Geo Futbol.com、2008年10月26日
  21. ^ La última Copa América para Argentina: 1993 Diario Uno、2011年7月4日
  22. ^ Copa Julio Roca RSSSF
  23. ^ 進むべき道が見いだせないアルゼンチン代表 -スポーツナビ: 2011年7月6日
  24. ^ 失望を積み重ねるアルゼンチン -スポーツナビ: 2011年7月21日
  25. ^ "Copa Roberto Chery, Brasil 3 - Argentina 3" IFFHS
  26. ^ "El 3 de Julio de 1919, la Selección de Brasil vistió la camiseta de Peñarol", GloriosoMirasol.com

関連項目

外部リンク